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第三次カルス会戦 3

 ◆


 おかしい。

 俺はドゥバーンの策に従い、見事三十万のフローレンス軍をカルス平原にひきつけた。

 しかもあまつさえ、俺は二度もフローレンス軍を破っている。

 殆どネフェルカーラの策と、パヤーニーが築き上げた罠のお陰だとしても。

 奴等が仕掛けてこなければ、俺に戦う意志がなかったとしても、だ。

 そして最も重要な事は、ドゥバーンが到着すれば、戦局は圧倒的に此方が有利となるはず――だったよな?


 目の錯覚だろうか?


 俺は馬上から、カルス平原を見渡した。

 なにやら、こちらに向かって騎馬隊が前進を始めている。

 その数は、どう見積もっても十万は下らない。ていうか、二十万近い?

 このままでは、出会いがしらに”突撃フジューム”と”突撃チャージ”の鉢合わせだ。


「カイユーム! 防御結界を張れ! ジャンヌは数合わせでいい! 天使達を召喚してくれっ!」


 恐怖心とは裏腹に俺の口から出るのは、割と的確な命令だ。

 こう見えて俺も、百戦錬磨の童貞である。

 だが、戦に馴れたから冷静でいられる――とかそういう事じゃない。

 負ければ後がない、だから、やるしかなかった。

 そして、ここでやらなければ、あとでヤれないのだ。

 ヤれないとは、なにか? それを俺の口から言わせるのか? むふふ。


 次々に入る闇隊ザラームの報告では、ナセル軍とフローレンス軍の一部が既に戦闘状態に入っているという。同時にダスターン隊も交戦を始めていた。

 ナセルならば俺に踊らされているという程度の事に気付くとは思うが、今は反応が何やら鈍い。

 言ってしまえばフローレンス軍を駆逐する、本当のチャンスではある。


 怖気付くな、俺。


 フローレンス軍の突撃を正面から受けた不死隊アタナトイが、次々と破壊されてゆく。

 突撃対決は、敵に軍配が上がった。骸骨がまるで紙のようだ。


 最前線でドゥラを駆るジャムカやザーラの援護も虚しく、あれよあれよと言う間に、敵軍が俺の本陣に迫っていた。

 そこへジャンヌが召喚した天使の軍団が登場。骨を援護する。


 絵面的には、おかしい。

 まるで骨が、そのまま天に召されてしまうのではないか? という雰囲気だ。

 しかし骨と天使の相性はいい。

 骨が突撃チャージを支えている間に、天使が弓や剣で攻撃して敵の騎士を倒すのだ。

 何時ぞやの、大天使アークエンジェル達みたいなのもいた。


 といっても、聖騎士とは何とか二対一で勝負になっている程度。ジリ貧になりつつあることは変わらない。


「むう、余も出よう。このままでは攻めるどころではない、支えることさえ出来ぬ。サクル、マーキュリー、行くぞ。ほれ、喰え」


 俺の側に控え、状況を見守っていたパヤーニーも、唸る。 

 そしてサクルとマーキュリーに桃を渡していた。

 やはりパヤーニーも、敵の攻撃が尋常ではない事を悟ったらしい。

 しかし、だったら以前に見せた全員人化をやったらどうだ?

 そう思ったが考えてみれば、それをやるとパヤーニーが動けない。それもそれで、戦力の低下だ。


 此方にとって唯一有利といえる状況は、敵の戦列が押し出される心太の様に伸びきっていることだろうか。だから面で押される事は無い。

 それどころか、そのお陰でネフェルカーラとアエリノールが、敵の側面から攻撃をする事が出来る。それが数の不利を、何とか補うことを可能にしているのだった。


 宙を行くパヤーニーに、サクルとマーキュリーが続く。

 流石にあの三人が出れば、フローレンスの騎馬隊と言えど容易く突破出来ないだろう。

 俺は愛馬――”月下”の首筋を撫でて、心を落ち着かせる事にした。

 

 ◆◆


 現状は変わらず、まるで芳しくない。

 カルス平原から砂漠へ至る回廊の出口に、俺は本陣をおいている。

 ここを突破されれば、あとは広大な砂漠だ。故に敵に突破を許せば、彼らはマディーナへ向かう事も、フローレンス本国へ戻る事も出来るだろう。ここは、そういう街道へと繋がっている。


 だからこそフローレンス軍は、ここへ兵力を集中させたのだろう。

 或いは単に、周囲を見渡した限りで、ここの戦力が最も手薄だったからかも知れない。

 

 全軍を敵兵力の最も薄い場所へ集中、突破して撤退を図る――この状況なら、俺だってきっとその選択をするはずだ。まして撤退するのに最短ルートがそこであれば、迷う要素はないだろう。

 しかし――ここが薄いのは兵力だけだ。単純な戦力でいえば、一騎当戦の者が揃っているここは、三十万の兵が護っているに等しい場所でもある。


 だが、あっさりと本陣まで攻め込まれた。

 情けない事に、パヤーニー、サクル、マーキュリーの三人でも前線を支えきれず、結局俺の側まで後退した。

 普通の戦ならば撤退もやむなし、という状況だ。


 俺は、馬上で腕を組んでいた。

 既に俺の左右では、ファルナーズとドニアザードが敵と切り結んでいる。

 ということは、不死隊アタナトイが壊滅したということだ。

 正面の敵は聖光緋玉騎士団スカーレットナイツという法王直属部隊らしい。やはり不死骸骨スケルトンにとって聖騎士は、相性最悪の相手だったのであろう。

 ジャンヌの召喚した天使兵も、皆、光の粒子となって消えていた。こちらの殆どは、クレアとアリスにやられたのだ。

 特にクレアなど、天使達を相手にもしていないかのようだった。右手の剣で両断した天使を、左手を翳して完全滅殺する様は、もはや魔神といっていいだろう。

 一方のアリスだが、こちらは俺もあまり知らない。

 ジャンヌの弟子で、”よい乳””よい尻”の代名詞のような女性らしいが、俺はおさわり禁止だそうだ。

 といっても、天使達を屠る彼女をみていたら、決して触ろうなんて気にはならないんだけども。


 ただ、この様を見て悔しがったのはジャンヌだった。

 まあ、自分の呼び出した天使達を根こそぎ倒す弟子達など、師匠からすれば面白くないだろう。

 ジャンヌは、


「あ・い・つ・らぁー!」


 とか言いながら、地団太を踏んでいる。馬の上で。もっというと、俺の後ろで。

 いやでも、なんで俺の腰にしがみついてるんだ、ジャンヌ。

 どうして俺の馬に、一緒に乗ってるんだ?

 もしかして、弟子たちが恐いのか?


 ともかく、他にも敵は大勢いる。

 今だって俺の回りは聖騎士ばかりなのだから、油断は出来なかった。


「はぁぁぁ!」


「滅せよっ!」


 ドニアザードの荒削りな斬撃が、騎馬ごと敵騎兵を両断する。

 ファルナーズの曲刀が白い燐光を放ち、カマイタチのような斬撃を敵に飛ばす。


 俺はじっと集中力を高め、敵の後方に殲滅魔法を放つ準備をしていた。

 味方がいなくなっても、一つだけよい事がある。それは、気兼ねなく大規模殲滅魔法を使えることだ。


 しかしダメだった。

 幾度も槍が俺の頭をかすめ、身体に矢が当たる。

 鎧のお陰でダメージは無いが、精神的に集中出来る状況じゃあない。

 いくら鎧の防御力を信じていても、万が一ということもあるのだから。


「シャムシールちゃん! もう、支えきれないよっ! 後退しようっ!」


 ジャンヌが無数の剣を召喚し、敵に浴びせかけつつ叫ぶ。

 相変わらず俺にしがみ付くジャンヌは、ある意味でしっかりと抱き枕だ。このお陰で、戦場にありながら少しだけ、和む。


「陛下っ! 骸骨兵を召喚しますっ!」


 カイユームは素早く印を結び、俺達と敵兵の間に、骸骨兵を召喚した。


 この骸骨兵は、不死骸骨スケルトンではない。もっと弱いのだ。だからただの時間稼ぎにしかならないが、俺達が後退する為の時間稼ぎには丁度よいだろう。

 パヤーニー、サクル、マーキュリーはよく敵を支えたが、それも限界のようだった。

 数の暴力というものは圧倒的で、彼らは周囲に敵兵を侍らせながら、徐々に後退するハメに陥っている。

 唯一状況を楽しんでいる様に見えたのは、マーキュリーだ。

 恐らく、肉体があること――それが嬉しくて仕方がないのだろう。


「はっ!」


 手にした棍棒を地面に刺して、両手を掲げ、指先までピンと伸ばしたマーキュリー。

 お尻の筋肉がプルンとしていた。

 同時に、凄まじい衝撃波が走る。

 マーキュリーの周囲から、敵兵が一掃された。

 同時に、サクルとパヤーニーが後方へ飛び退る。


「すまんな、ああも数が多くては、どうにも面倒だ」


「マーキュリー、たすかる」


 敵の数に辟易していた二人は、マーキュリーに礼を述べていた。


 パヤーニーは俺と敵兵の間に割り込むと、戦いながらも詠唱を始めた。


「生きとし生けるもの全て、崩壊の時は訪れるものなり――崩壊してなお、未練あらば――以下、略! ――召喚サモン不死骸骨スケルトン! おまけに召喚サモン骸骨騎士スカルナイト! さらにおまけだ! 召喚サモン腐乱死体ゾンビー!」


 あれよあれよと言う間に、此方の兵力が回復してゆく。

 死んだ敵兵が腐乱死体ゾンビーとなって、俺の盾になる。

 崩れ去った骨が強制的に再構築されて、再び不死骸骨スケルトンになり、同時にその上位種たる骸骨騎士スカルナイトが現れた。


「陛下っ! お怪我はっ!?」


 だが、俺が最も驚いたことは、サクルが流暢に喋ったことだ。

 荒い息をしながら、サクルの菫色の瞳が生命の躍動を見せている。

 彼女は今、生きていた。


「陛下、敵の戦力は巨大。我が全力をもってしても、食い止めること能わず……むんっ」


 大胸筋を動かすマーキュリーも、流暢に喋る。

 これはパヤーニーが供給する魔力量によって、能力が変わるということだろうか?

 珍しく、今日のパヤーニーは本気らしいな。


「パヤーニー! 何としても支えろ! 今、背後をドゥバーンが衝いているはずだ! 支えれば、俺達の勝ちだ!」


「イエス! ユアマジェスティ!」


 しまった。

 暫く前、パヤーニーにコードなギアスで反乱する人の物語を教えた俺の失敗だ。

 別に間違った返事をしている訳じゃないけど、ぶん殴りたくなる。

 

 俺達が本陣を立て直している間に、アエリノールが敵中に食い込んでいった。


「あっ! ヒルデガード、こんばんわっ!」


「あ、こんちくちょうのアエリノール! よくもどんぐりに爆弾を仕込みやがったですね!」


 大気中に走る電撃を、互いに牽制しつつ挨拶を交わす二人。ん? 挨拶?

 アエリノールは白金の竜に跨り、直剣を抜き放った。

 アエリノールの纏う鎧は、純白だ。これはミスリルを自ら加工したもので、相応の防御力を誇っている。普段の銀鎧よりも、これは上位の鎧らしい。

 といってもやはり胸当てだけなので、アエリノールは普段どおりの軽装だ。そして鎧の内側には、上位妖精ハイエルフの象徴とも言える深緑色の衣服を着ている。


 アエリノールの風に揺れる金髪は流麗で、紺碧の瞳が今まさに、敵を穿たんとしていた。


 対してヒルデガードは金色のラインが入った白いローブを着用している。手に持った杖は、真紅の宝玉がはめ込まれた豪奢なもの。胸のふくらみは、アエリノールに負けず劣らずの貧相なものだが、どうしてか色気があった。

 やはりプロンデルと、色々やっているせいだろうか?

 俺もアエリノールと色々すれば、彼女にも色気が出るのだろうか?


 俺がちょっとエロい妄想を始めたら、二人の舌戦が始まった。


「ヒルデガード! 味方になりなさい! 貴女はプロンデルに不当な扱いを受けているのよ!」


「どんぐりに細工をしておいて、よく言いやがります! 口の中で弾けるどんぐりなんて、初めてで驚いたじゃねぇですかっ!」


「なによっ! ちょっとした悪戯じゃないっ! ヒルデガードのわからずやっ!」


「うるせぇです! このすっとこどっこいアエリノール!」


 なんだか真面目にやって欲しいと願うのは、俺だけだろうか?

 ていうかヒルデガード……あの爆発するどんぐりを食べたんだ……それで生きてるんだ……凄いなぁ……。


 現在、アエリノール隊はサラスヴァティが率いている。そこはかとなく不安だが、彼女は頑張っていた。

 右翼から敵の側面へ、砂上を突破し敵の脇腹へ痛撃を加えるべく奮起するサラスヴァティの心は今、燃えている――んじゃあないかな。


「――大地よ、水の恵みを施そう。されど時にそれは沼となり、地を這う者の行く手を遮るものとならん――泥沼モスタンカー


 アエリノール隊が突入する寸前、敵の進撃路に大きな泥沼が生まれた。サラスヴァティが得意の水系統魔法を放ったのだ。

 敵の馬は沼に足をとられ、たたらを踏んで横に倒れる。

 沼は深いのだろう。騎馬もろとも沈んでゆく敵兵は、悲痛な叫び声を上げていた。


「こ、こんな所で死にたくないっ!」


 だが当然、沼に埋もれる騎士ばかりではなかった。

 後から続々と続く者達には、強者が多く含まれている。

 沼の上を何事も無いかの様に疾駆する一団は、聖光緋玉騎士団スカーレットナイツの主力のようだ。


「突撃! 突撃! 突撃するのじゃあ! わらわに続けぇ!」


 上空で一騎討ちを始めたアエリノールを援護する為か、サラスヴァティは全力で疾走した。

 馬よりも早く走る彼女は、第三の目を開いている。

 一応今は千人長待遇のサラスヴァティなので、その命令は有効だ。

 しかしサラスヴァティに従う部下の一人は、馬を彼女に寄せて進言をする。


「サラスヴァティさま――申し上げ難いことながら、我等も沼に足を取られれば戦えませぬ。ここは一つ、矢を射掛けては如何でしょう?」


「む? よきにはからえっ!」


 こうして足を止めたサラスヴァティは、アエリノール隊に弓を構えさせる。そして――


「放てっ!」


 口元をだらしなく緩めて、サラスヴァティは命令を下した。

 なんだか、命令を下す事が嬉しそうなサラスヴァティは、今、とても輝いている。


 こうしたアエリノール隊の働きによって、敵の前衛が一部、足を止めた。

 上空で此方を牽制しているプロンデルが、忙しなく動いている。

 恐らく、焦れているのだろう。しかし付き従うウィルフレッド達にいさめられ、あくまでも督戦に徹しているようだ。


 ――いや、何か、溜めているのか? だが、今、この状況でプロンデルが動かない意味は、一体何だ?


 一瞬、俺とプロンデルの目が合う。あろう事か、奴は俺にウインクをした。

 俺の冑は、全力で目を赤く光らせたことだろう。

 慄け! 慄いてしまえ、プロンデル!

 と、いきなりのウインクに慄いた俺は、思うのであった。


 ◆◆◆


 左翼のネフェルカーラは、よく戦場を見て、適時、兵を動かしている。

 しかしやはり、上空で待機するプロンデルとウィルフレッドが気になるようだった。

 

煉獄アモルタヘル


 ネフェルカーラの短い詠唱と共に、中空に生まれた漆黒の闇がプロンデル達を包む。

 瞬時に動いたのは、ゼルギウスという上位魔族シャイターンだった。

 ヤツの全身鎧が発光したかと思うと、ネフェルカーラの魔法を霧散させてゆく。

 元々、核撃魔法である”煉獄アモルタヘル”は、それほど範囲を広げてよいモノでもない。ネフェルカーラは、試しただけであろう。

 とはいえ、あっさりと防がれた事に、ネフェルカーラは多少不満を感じているようではあったが。


 いや――不満に感じていたどころでは無い。

 ネフェルカーラはプロンデルたちを目掛けて、一直線に飛んだ。

 右手に細身の剣を握り、左手からは”炎槍ナール・ハルバ”を迸らせて、ぐんぐんとプロンデル達に迫るネフェルカーラ。


「行かせない」


 そこへ立ちはだかったのは、濃青色の戦衣を着たウィルフレッドだ。

 配下の上位魔族シャイターン二人を従えて、ネフェルカーラの前を遮る。


「ほう、皇帝を守る者がいなくなるが、よいのか?」


「ふっ……皇帝陛下は私よりも、遥かに強い。問題など、あろうはずがない」


「ふ、ふはは。では、遠慮なく何時ぞやの借りを返させてもらおう」


 中空で、ネフェルカーラの戦いも始まった。


 ――――


 やや後退した本陣で、俺の側に居るのはファルナーズ、ドニアザード、カイユームとジャンヌだ。

 うむ。この期に及んで、美女に囲まれている俺は幸せもの。しかし、その中に妻がいないのは、どうしたことだろうか?

 妻は戦場で戦い、夫である俺は、その帰りを待つ――。

 そう、俺はライオンだ。

 ライオンは妻が狩りをして、夫は待つのみ。

 今度からは、俺が獅子心王ライオンハーテイドを名乗ろう。


 ――こんな冗談でも考えていなければ、この凄まじい戦場で平静を保つことなど出来ない。

 それ程に、血の匂いが充満するカルスの地だった。


「シャムシールちゃん」


 ネフェルカーラがウィルフレッド達と交戦を始めると、珍しくジャンヌが真面目な顔をした。

 俺の背から離れ、前に回り込むと、もぞもぞと動くジャンヌ。

 カチューシャの色も先程と変わって、黒い地味なものになった。


「なんだ?」


 俺はジャンヌの視線を正面から受ける。

 真剣な顔さえしていれば、ジャンヌは本当に美少女だ。

 冑を取ってキスをしたい衝動に駆られるが、ここはぐっと我慢する。


「僕、クレア達を止めてくる」


 確かにクレアとアリスに、かなりの数の兵がやられている。

 やられる兵の殆どが骨だからいいものの、生身の人間がやられていたら、俺だってここでじっとなんて、していられないだろう。


 ジャンヌは決意を込めた視線を俺に向けた。


「――だから僕が戻ってくるまで、これを預かっていてほしいんだ」


 ジャンヌは衣服の中に手を入れると、そそくさと何かを脱いで、俺に手渡した。


 ――ホカホカする。


 それは、白く、小さい穴が二つ、大きな穴が一つあるモノだった。

 ――って、パンツだよ! これは誰がどう見ても、パンツだよ! しかもジャンヌの脱ぎたてパンツだよ!


「帰ってきたら、返してね。じゃあ――」


 言うなり、ジャンヌは機動飛翔アル・ターラで宙に舞う。

 そして最前線まで行くと、弟子二人に自らの得意魔法を見舞った。


千の短剣(サウザント・ダガーズ)っ!」


 ジャンヌが放った短剣は、飛翔する。そしてクレアとアリスに降り注いだ。


「崩れ去れっ!」


 クレアは無造作に右手を翳し、短剣を全て灰にする。

 アリスは軽く跳躍すると、容易く短剣をかわした。


 馬に乗るクレアと、徒歩のアリス。

 だが、歩む速度は等しい。

 

「師匠――私は――かつて間違っていました。それでも、今の私は帝国の武人です。だから、退いてください。退かなければ――師匠といえども滅します」


 クレアの鎧は深い緑色だ。それが銀の装飾で縁取られ、白いマントを帯びている。

 聖光緑玉騎士団グリーンナイツの団長――その戦装束か。かつてはアエリノールが常用したであろうその鎧は、しかしクレアが身に着けてもしっくりくる。


「クレア――僕は君に、真実を教えるべきだった。だけど、それをしなかった。間違っていたのは、僕も同じだ。真なる敵は、神――それをしっかりと伝えておくべきだった――」


「……かつての私では、その話を信じはしなかったでしょう。だから、恨みなどありません。師匠には、ただ……感謝をしています」


「だったら、僕と一緒にきてっ! シャムシールちゃんの下でなら、きっと幸せになれるよっ!」


「いいえ――もう一度言います。私は、フローレンス帝国の武人。そしてそれは、世界に平和を齎す為――それは今後、変わる事がないでしょう。ですから、師匠が此方にこないのならば、お別れです……」


「そんなの、そんなのっ! 僕らの目的は一緒じゃないかっ!」


「だとしても……です。天にニ日なし、世界に皇帝はただ一人でいいのです。さあ、師匠――退かなければ、殺しますよ、どいて下さい――アリスは、シャムシール王の首を取ってきてっ!」


「クレア、思い上がらないでよ。いくら絶対の力を得たからって……僕を、殺せるとでも? そして――」


 クレアは剣を鞘に収めた。そして拳を突き出し、ジャンヌの顔を狙う。

 普段なら拳骨などご褒美に過ぎないであろうジャンヌが、表情を引き攣らせて上体を逸らす。

 クレアの拳に僅かばかり触れたジャンヌの髪が、塵となって消えた。

 アリスがジャンヌの横を通り過ぎる。その時、軽く会釈した姿が俺には印象的だった。


 風がジャンヌの白髪を靡かせる。

 ワンピースの様な服を着ているジャンヌの、スカートも揺れた。


 ああ! 中身が見えそうだ! 危ない! あの馬鹿、どうして俺にパンツなんか!


 俺は純白のパンツを握り締め、ジャンヌの戦いを見守る。

 ちょっとだけ、ちょっとだけ……そう思って、パンツの匂いを嗅いだのは内緒だ。

 柔らかいジャンヌの匂いがした。

 

「ジャンヌ!」


 俺が叫ぶと、ジャンヌは頷いた。


「負けないから、ね」


 口の動きで、そう言っているのが見えた。

 しかし違う。

 俺が伝えたかったのは、「スカートを抑えろ」ということである。

 ジャンヌが簡単に負けるものか――この時の俺は、確かにそう信じていたのだから。


 ◆◆◆◆


 闇隊ザラームから逐一入ってくる情報によれば、全体としては此方が圧倒的に有利だという。

 ダスターン隊はプロンデルの直属軍を背後から襲い、壊滅的な打撃を与えたらしい。


 一方のナセル軍――。

 これはメフルダートが指揮をして、聖光青玉騎士団ブルーナイツと激突した。

 

 一応、戦況を予測するに、プロンデルは全軍を俺の方へ集中するよう、命じたのだろう。しかし聖光青玉騎士団ブルーナイツのオーギュストは従わなかった。

 その為にナセル軍は後方で足止めをされて、プロンデル軍本隊の壊滅には至っていない――そういうことだろうか。


 オーギュストといえば以前に一度だけ見た、怪力ニ刀流な眼鏡野郎だった気がする。

 それがナセル軍とぶつかっているのは在り難いが……しかし互いが誤解だと歩み寄れば、その戦力は全て俺に向いてくるわけか。――ぞっとするな。


 それにリヤド、オロンテス、シラズからの援軍も続々と迫っているという。

 今夜のうちに決着をつけなければ、揉み潰されるのは俺の方だ。

 それにしても、シャジャルは上手くやってくれるだろうか?


 俺は同時に展開される多方面の作戦に思いを馳せ、奥歯を噛み締めた。


 ”ギィィン”


 おっと、冑にまた、矢が当たった。

 誰だ、こんなにも禍々しい魔力を込めた矢を、俺に向けて放ったのは。


 見れば桃色の髪を靡かせ、真紅の鎧を纏った人が、俺に迫っている。

 迫る人影は、目元を覆う灰色の仮面をつけていた。

 それにしても騎射で正確に俺の頭を狙い、あまつさえ魔力をこれ程込めるとは、帝国のモビル〇ーツは化け物か!

 違った。あれは赤い彗星だ。赤に仮面とくれば、ご覧の通り軍人だろう。


「シャムシール王というのは、化け物か! 私の矢を受けても無傷とは!」


 う……化け物に化け物と言われてしまった俺。凹む。


「おお! フィアナどの!」


 パヤーニーが俺の側で喜色を露にしている。そうか、あの人がフィアナか。って、そういえば、アエリノールが言っていなかったか? フィアナといえば、聖騎士最強の人物だって。

 喜んでいる場合じゃないぞ、パヤーニー!


「突貫せよっ!」


「「おおっ!」」


 フィアナの声に、後ろの二人が意気を上げる。

 一人は長身の男。冑から溢れる亜麻色の髪と、精悍な顔立ちが特徴だろう。左右に群がる俺の骨達をざっくざっくと斬り分けて進む様は、まさに勇者の三代目って感じだ。


 ――俺は魔王じゃないがな。


 今一人は坊主頭に何も被らず、口の周りを硬そうな髭で覆った偉丈夫だ。

 体の縮尺に対して、馬が可哀想に思えるほど小さく見える。それでも俺の”月下”と同じ位の大きさであろう馬に乗っているはずだ。


「迎撃っ!」


 俺は颯爽と右手を翳す。

 周囲から見れば、俺の瞳は赤く光っただろう。


「ひいっ、魔王っ!」


 そんな声が、敵兵からチラホラとあがる。


 ええ、そうですよ。どうせね、骨の軍団の中央にいる不死公リッチーを従えた黒鎧なんて、魔王以外の何者にも見えないんでしょうよ。と、俺の精神が蝕まれた。


 パヤーニーは珍しく抜剣して、フィアナの進撃を止める。馬を切り裂き、すぐさま”腐乱死体ゾンビー”化して操ったのだ。

 

「おのれっ!」


 悩む素振りも見せず、自身の馬を細切れにした赤い彗星――ではなく、フィアナは凄い。冷徹にして冷静な判断だ。そして彼女は、すぐさまパヤーニーに斬り込んだ。

 身体を開いてフィアナの攻撃をかわすパヤーニーは、しかし僅かに遅い。

 鼻を掠った斬撃に、パヤーニーが口元を歪める。


「ふっ……鼻があったら、危なかった」


 そうそう。パヤーニーには、最初から鼻、ないからねー。

 って、遊ぶな、パヤーニー!


 サクルは大きく斧を振りかぶり、亜麻色髪の男に狙いをつける。


「爆斬斧っ!」


 斧から迸る熱波が、フィアナを通り越して長身の騎士に迫る。

 しかし騎士は馬を横にすると、巨大な盾を翳して衝撃に耐えた。

 ヨタヨタと二、三歩動いた馬は、その場にへたり込む。


「ここで馬を潰されるとは……」


「オスカーもか……」


「はい。無用な戦で失ってよい馬でもありませぬものを……」


 フィアナはパヤーニーを牽制しつつ、オスカーと呼んだ亜麻色髪の騎士に同情の視線を向けた。


「ぬおおおお! ならばワシがこの場を切りひらぁぁく!」


 巨体が舞った。

 巨体の坊主が、宙に舞った。

 

 ピチピチになった真紅の鎧がはちきれそうな男は、中空で一回転する。そしてフィアナとオスカーの前に立った。

 彼がジャンプした衝撃で、馬は既に瀕死だ。

 自重というものを、コイツは分かっていないのだろうか?

 フィアナとオスカーも、白けた目を坊主に向ける。


「ティルムッド……なぜ、味方の指揮をとらん? フィアナさまと俺がここで足止めをされれば、第四席たる貴様が聖光緋玉騎士団スカーレットナイツの指揮を執らねばならぬのに……」


「むっ?」


 どうやら敵にも馬鹿がいるようだ。助かった。

 そう思っていたら、こちらからも馬鹿が名乗り出る。


「我が名はマーキュリー! シャムシール陛下の守護天使である! そこな筋肉! 我と尋常に勝負せよ!」


 バサっと広がる純白の翼は、守護天使という言葉に信憑性を持たせる。

 しかし角刈りに近い髪型、そして見事な口髭、青々とした髭の剃り跡。白のタンクトップに白のズボン――そしてトンファーだか棍棒だかよく分からない武器を持った守護天使なんて、俺はとっても嫌だ。


 なので俺はマーキュリーから視線を逸らす。そして再び目をネフェルカーラの方へ向けると、流石に三対一では苦戦するらしく割と被弾し、服が破けている緑眼の魔術師が見えた。


 まったく、ネフェルカーラはいつも自信過剰なんだよ。

 そう思った俺は、彼女に増援を送る事にした。


「カイユーム! ネフェルカーラの援護をっ!」


 あからさまに眉を顰めたカイユームは不承不承といった体で、ネフェルカーラの援護に入る。

 同時に俺の視界に、ザーラの姿も目に入った。

 どうやら戦線を支えていたザーラが、ネフェルカーラの援護にも向かったようだ。

 不死骸骨スケルトンが大量に復活したことで、ジャムカとナスリーンだけに任せても大丈夫だと判断したのだろう。

 それにしても、ネフェルカーラとザーラは仲が悪いのかと思っていたけど、意外だな――。


「おれ一人で十分なものを! 貴様等はシャムシールの護衛でもしておれ!」


 上空では憎まれ口を叩きつつも、ネフェルカーラは微笑して二人を歓迎したようだ。

「ようだ」というのは、ネフェルカーラの表情が見えないからである。何しろ今もネフェルカーラは薄布で口元を隠しているのだから、わからなくても仕方ないだろう。

 だが、実際ウィルフレッドだけならばともかく、二人の上位魔族シャイターンを同時に相手取る、というのは、ネフェルカーラと言えどもきつかったはず。これで万全だ。


 さて――他に増援を送らなければならない場所は――っと。


「シャムシール王。お命、頂戴にまいりました……」


 考えつつ、戦局を見渡す俺の前に現われたのは、メイド服の女だ。

 首筋に大きな傷があるが、それ以外は特に変わった所のない美人である。

 そんな彼女が、笑みを浮かべながら俺の前に佇んでいる。

 いや――普通じゃないな、恐い。

 彼女の笑顔が、俺はとてつもなく恐かった。

 笑っていない瞳に、大きく横に開いた口は酷くアンバランスなのだ。

 

 ていうか、ジャンヌ――アリスも止めるんじゃなかったのか?


 そう思ってジャンヌを見たら、舌をぺろっと出していた。

 ああ、そうか。

 アリスを止めそびれちゃったのか。

 

 くそう、あの馬鹿。もう怒った。パンツを噛んでやる!

 そう思ったが、ファルナーズとドニアザードの前で、そんなことは出来ない紳士な俺だ。

 そして紳士な俺の護衛は、淑女な彼女達だった。

 

「アリスか。どうも――魂が虚ろなようじゃが、容赦はせぬぞ?」


「そ、そうよ! 陛下のタマを取ろうってんなら、わ、私が相手になるわよっ!」


 俺とアリスの間に入ったのは、曲刀を構えた美少女二人である。

 それにしてもドニアザード。命と書いて”タマ”と読む――なんて、誰に教わったのだろうか? 

 そういえばジャンヌと仲良くなったドニアザードは、少し言葉遣いが悪くなったかも知れない。

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