第一次カルス会戦
◆
プロンデルがカルス平原に陣を張ってより五日目。シバールの情勢は揺れていた。
ヘラートで激突したダスターン率いるシャムシール軍とナセル軍は勝敗を決さず、戦場を移動しているという。
彼らも決戦の地をカルス平原と定めたようだが、プロンデルに興味はない。
クレアが敵の動きを「罠だ」「罠だ」と言い募るが、それはそれで面白いではないか、などとプロンデルは考えていた。
プロンデルは今、早朝の爽やかな空気を吸い込み、天幕の外で剣を振る。
早朝といっても、東の空が白み始める前の時刻。歩哨以外は皆が寝静まり、篝火はどこか儚げに揺れていた。
だが――プロンデルが耳を欹てると、宰相の天幕から、声を潜めた怒声が聞こえてくる。
「閣下はなぜ、上位魔族などをお使いになりますかっ!」
クレアの声だった。
どうも、クレアはウィルフレッドに惚れているようだな、うむ。
――そう考えるプロンデルは、少し残念だ。
何しろ華奢なヒルデガードと違って、クレアは豊満な肉体を持っている。是非一度、手合わせしてみたいものだと思っていた。
もっとも、クレアと肉体関係にあったらしい聖光青玉騎士団のオーギュストは、一体どう考えているのだろう?
雑念を振り払えぬままプロンデルは、剣を振る。
「はは……。私が目を覚ますなり、さっそく苦情か。いずれは説明するつもりでいたのだけれど、仕方が無い。――ゼルギウス」
「はっ、お側に」
プロンデルの耳は、無駄によい。
目を瞑っても、並みの剣士以上に戦える程だ。
敵の呼吸音、心音、果ては筋肉の収縮する音を聞き分けるのだから、もしかしたら天敵は「悪・即・斬」の人かもしれない。牙突には気をつけた方がよいだろう。特に零式は危険だ。
本人はこれを心眼と言っているが、とりあえず誰も信じてくれないのが残念だった。
「心眼とは、心清らかな者の技。はん、プロンデル、貴方に使えてたまるか」
ウィルフレッドの意見など、かなり辛辣なものだった。
ともかく今も、プロンデルはクレアとウィルフレッドの会話を聞いていた。素振りの方は、既に千回を超えている。
何しろ戦いたいのに、クレアが退けと五月蝿いのだ。
一昨日も突撃を命じようとしたプロンデルの下に、口うるさく撤退の進言に訪れたクレアである。
「一回やらせてくれたら、考える」
プロンデルはそう言ったら、クレアに蹴られた。
(あの女は、余を一体何だと思っておるのか? 一応、神聖不可侵な大陸の覇者なのだが)
ともかくプロンデルは、クレアと一回も出来なかったが思いとどまった。
クレアで溜まった鬱憤を、ヒルデガードで晴らしたからだ。
「昼間からナニしやがるです! そんなにしてぇなら、一人でしやがれですっ! や、やめっ! ふ、ふわぁぁああ!」
ヒルデガードは行為の後、ボロ雑巾の様になったので、戦力外となった。
これにより流石のプロンデルも、
(主力の魔術師がこれでは、戦どころではないなぁ)
と、考えを改めたのである。
自業自得だった。
プロンデルが考えを改めた後も、クレアは口うるさかった。
明日こそ突撃だ――そんな考えを見抜かれているからだろう。
というか、プロンデルに突撃したくない日は、無い。
彼は暇なら何かに突撃したいのだから、誰でもわかる事だった。
「敵が戦力を分けたにも拘らず陣を敷き続けているなど、これは誘い! 罠に違いありません! ここはいち早く撤退のご決断を!」
「罠など、破れば問題なかろう? だいたい余は、撤退が嫌いだ」
「好き、嫌いの問題ではありません! 糧食とて、残り僅かです! ましてや、本国で暴れるジーン・バーレットをこれ以上放置出来ません!」
「ああ、ジーンには、シャルルが討ち取られたのだったな。だが、シャルルではジーンに勝てないのも道理よ。済まぬ事をした。だが、手はうってあるのだろう? 確か、ゴードンとかいうお前の部下が――」
「確かに私は二手、三手先を考えております――ゴードンはもちろん優秀ですが、ジーン・バーレットを討ち取れる程の力量はございません。あくまでも、陛下がお戻りになるまでの牽制が精々。それに――もしも敵が私より先を読んでいるのなら、それすらも、ままならなくなるでしょう――」
珍しくしおらしいクレアは、少しだけ目を伏せた。
シャルルが死ぬのは、計算どおりだ。
しかし、ジーンをこのまま逃すつもりはない。
とすれば、敵の増援が進発したという情報は捨て置けないのだ。
本国に置いた聖光緑玉騎士団だけでは、荷が勝ちすぎるだろう。ここはどうしてもプロンデルの力が欲しいクレアだった。
「では、まずお前の身体を――」
「ぐっ! どの口がっ! 陛下は馬鹿ですか!」
プロンデルとしては、気の強いクレアが嫌いではない。
しかも目的の為に手段を選ばないように見えて、頑なに譲らない部分をもった彼女を、プロンデルはいつしか信頼していた。
(しかし、皇帝に対して馬鹿とは……シャルルでも言わなかったぞ)
少ししょぼくれたプロンデルは、とりあえずクレアの胸を揉んでみる。
プロンデルの頬は緩んだが、クレアの目尻が釣り上がった。
以前のクレアなら、そのままなし崩し的にプロンデルと関係を結んでいたかもしれない。その方が、自身の目的を達しやすくなるだろうから。
しかし今のクレアは、自重する。おそらくプロンデルは、肉体関係を持っても変わらない。それが分かるからだ。
それに――。
(そんな事をしたら、今度こそウィルフレッドさまに嫌われるじゃない――)
「では、ウィルフレッドは何と申しておる?」
胸を隠すように両手で覆ったクレアは、吐き捨てるように言った。
「肉体は回復しておりますが、意識はまだ戻られておりませんっ! そのようなことも把握されておられぬのですかっ! 大切な宰相にして従兄弟さまでしょうにっ!」
なるほど。クレアはウィルフレッドの意識が戻らないから荒れているのだな。
そう解釈したプロンデルは、故にこう約束をした。
「そうか。では、ウィルフレッドの回復を待とう」
顎に指を当てて考えたプロンデルは、漸く攻撃命令を保留としたのである。
ただ――この時クレアは勘違いをした。
ウィルフレッドの回復を待ち、彼の意見を聞こう――プロンデルがそう言ったのだと捉えてしまったのだ。
だから現在、ウィルフレッドと言い争うクレアの声を聞いたプロンデルは、満面の笑みを浮かべている。剣を高々と掲げて。
早朝――覇王の大音声が響いた。
「者共、起きよ! 突撃するぞ!」
唐突に打ち鳴らされる鼓やラッパ。
天幕の中で寝台に横たわりつつ、半身を起こしたウィルフレッドは青い顔に苦笑を貼り付けている。
「なっ! 陛下は宰相閣下のご意見を聞いた上で――と!」
クレアが目を見開いて、がたりと椅子を揺らした。
長い金髪も美しいフローレンスの宰相を最も心配していた女は、誰あろう、クレアだ。
彼女は知らず、彼の左手を握り締めている。
ウィルフレッドも微笑を浮かべ、クレアの温もりを感じたまま、彼女の苦情を聞き続けていた。
しかしクレアの苦情は、唐突に驚愕へ変わる。
「別にプロンデルは、私の意見など求めていない。ただ、私の意識が戻るまで攻撃を待っていただけだろう」
「な、何の意味があって――」
「だから、プロンデルに意味は必要ないのだよ。いいさ、我が隊は、後詰めとしてカルス平原に留まろう。クレアの意見が正しいなら、そのことこそ重要だろう?」
「は……はい」
「では、出番が来るまで、私の言い訳を暫く聞いてくれるかい? クレア」
「――場合によっては、私は閣下の下を去らせて頂きますが」
クレアは天幕の入り口付近に立つアリスへ、目をやった。
首の傷は相変わらず痛々しく残っているが、頷くアリスはかなり自らを取り戻したようだ。
多少の記憶障害があるらしいが、ウィルフレッドに人格を変えられたという訳でもない。
とはいえ――。
今のクレアはもう、ウィルフレッドがどのように言うのであれ、この場を去る気はなかった。
何しろクレア自身がここ数日の間、上位魔族と接して考えが変わりつつあるのだから。
ウィルフレッド配下の上位魔族は四人いる。
ゼルギウス、ザビーネ、アモンと――もう一人だ。しかし、最後の一人はクレアも知らない。
ザビーネは黒髪に真紅の瞳をもった、いかにも魔族といった風貌だ。美貌でもある。
しかしクレアには親切だし、人に危害を加えようという意志があるとは思われない。
ゼルギウスは灰色の髪を靡かせて、蒼い瞳に憂いを湛えるその様が、聖騎士よりも遥かに騎士らしい程だ。
アモンは残念ながらハールーンに倒された後、再び宝玉に封印されている。
実体化する為の魔力が、まだ戻らないのだ。
尤も、アモンがこの中では最も魔族らしい魔族なので、クレアが彼と接する事がなかったのは僥倖であるといえよう。
クレアはザビーネとゼルギウスが、嫌いではない。
どころかウィルフレッドへの忠誠という意味では、同志とも言える間柄だと認識出来た。
「人と上位魔族の確執を論ずるには、原初を辿るがよいと愚考致しますが……」
ゼルギウスが重々しい口を開き、クレアの瞳を真摯に見つめる。
彼はルシフェルが天使長であった時、天軍の一部を率いる軍団長であった男だ。
その力は海を割り大地を砕くといわれ、熾天使きっての攻撃力と謳われた。
ウィルフレッドが頷くと、ゼルギウスはクレアに昔語りを始める。
こうしてクレアは魔族達が、かつては天使と呼ばれる存在だったと理解し、現在は三派に分かれている事を知った。
三派とは、「急進派」「安定派」「混沌派」だ。急進派をルシフェル派、安定派を魔界派、混沌派エベール派と言い換えてもいいだろう。
クレアは自身に呪いを施した男――エベールが上位魔族の中でも、特に力を持った魔王であると知り、口元を引き結ぶ。
「あの男は、かつて私が因果の理を外れると言った。その意味は――?」
唐突に訪れた真実に、クレアの声は震えている。
「――端的に言えば”英霊体質になった”と、言えるでしょうな。英霊達は皆、因果律さえ変質させる力を持ち得るのです。それこそが、神へと至る過程ですから。
貴女はまだ力が顕現していないようですが、顕現させるには、その力の源を強く望むこと。渇望すればいい。そして貴女はその力が顕現する為の土壌を、恐らくエベールから貰っているでしょう」
ゼルギウスの口調は重く、暗い。エベールの名を出すことさえ憚られるといった体だ。
そんなゼルギウスの言葉を、ウィルフレッドが引き継いだ。
「ああ、クレア、君の能力は”絶対破壊”だ。人類最強とも云われている」
「閣下は、ご存知だったのですか?」
「私も英霊体質の端くれだ。同じく英霊体質を持つ者の力は、ある程度わかる。特に”絶対破壊”のような、世に二つと無い力なら、間違える訳がないのだよ」
「どうして、教えていただけなかったのですか……?」
「それが、不幸な力だと私は思うからね。私は、出来ればその力を封印したいと思っていた。君に相応しい力とは、私には思えなかったからね」
申し訳なさそうに、ウィルフレッドが頭を下げる。
クレアはこの時、全てに合点がいった。
村人が全て死んだ。
クレアだけが生き残った。
因果の理から外れた。
全てはクレアが”絶対破壊”を得るため。
そして”混沌の魔王”は、クレアを地上の魔人へと変える。
魔人の心臓には、魔王の制約が掛けられていた。
クレアは叫びたかった。
因果の理から外れ、魔王の枷を嵌められた事の意味を漸く悟ったのだから。
「殺す、殺す、殺す、殺す、皆、殺す!」
クレアは表情もなく立ち上がった。
椅子に手を触れると、砂の様に崩れ去る。
彼女の褐色の瞳は、悲しげに揺れていた。
「クレア――理解が、力を呼び覚ましたのだ」
ウィルフレッドの声は冷たい。
まるで、こうなる事を知っていたかのように。
だからウィルフレッドを殺そうと、クレアは思った。
(この男は結局、私を利用しようとしているに過ぎない――!)
――瞬間、クレアは立ち上がったウィルフレッドに抱きしめられる。
「――すまない。私の力はシャムシール王に届かないだろう。だからクレア、貴女が必要だ――その力も――」
ウィルフレッドの背中を抱きしめようと思ったクレアは、しかし両腕をだらりと下げた。
彼に触れれば、壊れてしまうのではないか? そんな不安がクレアの脳裏を過ぎる。
「だったら、ただ命じればいいでしょう。その力で、シャムシールを屠れ、とでも」
クレアの声は、震えている。
抱きしめられる事は、嬉しかった。
しかし自分が都合のいい女であることは、変わらない。
悲しかった。
「帝国宰相の私としては、貴女の力が必要だ。しかし――一人の男としては――貴女に力などなくてもいい――そう思っていた。しかし、貴女の力を目覚めさせてしまった私には、同時に貴女の呪いを解く義務がある」
「い、一体なにを?」
「ただ助けられるだけなど、私の矜持が許さない――そういうことだ」
今、ウィルフレッドの魂喰らいがクレアを侵食している。
魂喰らいの使い道は、何も死者の魂を喰らい、その力を我が物とするだけではないのだ。
呪いさえ、魂の一つと認識させることが出来る。
だからウィルフレッドは慎重に、クレアの瞳を覗き込む。
(心臓に鎖――これか)
瞬間、クレアの心臓が軽くなった。
”トクン、トクン”と律動的に脈打つ心臓に、クレアは心が躍った。
何より、頭の中にあった、靄のようなものが無くなった。
悲しみは残っているが、恨みが消えたのだ。
一方で、”ごっごっごっ”と、脈の動きを抑制されたように感じるウィルフレッドは、僅かに眉を顰める。
(こんなものを付けたままで――クレアは――。遍く憎悪を集めたかのような、そんな鎖だな。これでエベールはクレアの思考さえ……)
「もう、大丈夫だ――」
ウィルフレッドは、クレアに微笑を向ける。
状況を察したクレアは、不安気に眉を顰めた。
「わ、私の呪いを――ど、どうしてですか!」
「私なら、或いは制御も出来るからだ。もっとも、君にはその力で私達を滅ぼす権利もある。何せ私達は君の嫌う魔族や、魔族と付き合いのある人間だからね――」
「そんなこと――閣下は全部知っていて、今まで黙っていたんでしょう? 私が間違っていたって、私が呪いの力で操られていたって、分かっていたんでしょう? 何で、何で今なんですか? もっと早かったら、私、私――」
「それは貴女が破壊の呪いに身を縛られて尚、その力を得ようとしていなかったから。もしも貴女が破壊を渇望すれば、貴女は意志のままに、あらゆる種族を殺す事が出来たはず。
だから私は貴女が力を得ないままに、呪いを解いてあげたかった。だが、それが出来なかった。それも、私の弱さ故に。――それだけだ」
「馬鹿……」
クレアとウィルフレッドは、互いの唇を重ねる。
ザビーネはやれやれ、といった面持ちで天幕を後にした。
ゼルギウスは苦笑しつつ、現実を二人に教える事にする。
「さて、そろそろ後詰に行きませぬと、お味方全滅とあらば、後悔しか残りませんぞ」
◆◆
ファルヴァルディーン月(三月)二十二日。
俺は胸騒ぎと共に、目覚めた。
横を見ると俺の掛け布がネフェルカーラに奪われ、ネフェルカーラに自称抱き枕のジャンヌが抱きついている。
カオスだ。
胸騒ぎの原因はこれか? いや、違うだろう。
俺は小さな、けれど大地が揺れるような音を感じ、そっと絨毯に耳を付けてみる。
”ドドドドドド”
奇妙な冒険者が素敵な立ち方をしてるのでなければ、この音は騎馬の音だ。
しかも、尋常では無い数――。
「起きろ、ネフェルカーラッ! ジャンヌッ!」
「起きておる」
ネフェルカーラが寝返りをうった。
ヘソが出た。
脇腹をかいている。
「うるさいなぁ。僕だって起きているよぉ」
ネフェルカーラに足蹴にされて寝台から落ちたジャンヌは、うつ伏せだ。
くぐもった声でそんな事を言われても、説得力は皆無である。
俺はそそくさと鎧を着込み、天幕の外に出た。
サクルが直立不動で居眠りをしている。
ファルナーズは緊張した面持ちで、俺を振り返った。
「敵が迫っておるようじゃ! 何故、今日になって!」
「理由はわからないな。だけど、迎撃の準備を急ごう! 真っ直ぐ進んでくるなら、いっそ好都合だ! 左翼と右翼に連絡! まず、殲滅魔法を放つように伝えてく、れ――」
ふと思い出した。
左翼に布陣しているのは、ネフェルカーラの部隊だ。
おかしいだろう。主将がなぜ、お腹を掻きながら寝ている?
「ふむ。やはり攻撃を仕掛けてきおったか。とはいえ、妙だな。此方の策を見破っておるかと思うておったが、直進とは」
ネフェルカーラも、ようやく天幕から出てきた。
いつもより少し眠そうなネフェルカーラは、目が半開きだ。
長い睫毛が重そうで、瞼が下へ落ちようとしている。
それにしてもネフェルカーラの睫毛は、どうしてこんなに長いのだろう? 付け睫毛だろうか? ――そう思って引っ張ったら、怒られた。
「ネフェルカーラちゃん、早く左翼に戻りなよ。いっそこれはチャンスだからねー」
瞼を擦りながら出てきたジャンヌは、右手を翳して「おはようっ!」などとファルナーズに挨拶をしている。気楽なものだ。
だが、ジャンヌの言うとおりでもある。
俺達はここでプロンデル軍を迎え撃つ為に、万全の体制を敷いた。
五万で三十万を、どう迎え撃つか。
ドゥバーンの策は、大よそ聞いている。
本来は第一案である、敵の撤退が望ましかった。
しかしそうでないなら、逆に敵を徹底的に叩き潰すチャンスへ変える。
しかし彼女の策が活きてくるまで、俺達はここで耐え凌がねばならない。
つまり、またしても俺が囮になるということだ。
こんちくしょう! ドゥバーンのバカヤロウ! と呪いたい気持ちも山々だが、敵を叩いておいた方が、今後、楽になる。
では、囮として俺がどのように敵を凌ぐか――?
ドゥバーンは無責任にも、
「陛下なら出来るでござる!」
と言い放ったという。
俺は、いよいよネフェルえもんを頼った。
「こんな時は、罠がいいよね! の〇太くん!」 とは言わなかったが、ネフェルカーラは終始”ニマニマ”しつつ、ここ数日の間、パヤーニーとカイユームに指示を出していたのだ。
「ふはは。敵がこれに掛かれば、ドゥバーンの策はもはや成ったも同然。まさか二つの罠が混在すると、人は中々思わぬものよ」
なるほど。
大きな罠の前の小さな罠――というには些か大規模だが、ネフェルカーラの意図は分かった。
まあ、だからこそネフェルカーラは本陣にいて、俺の天幕で寝泊りしていた訳なのだが。
「ちっ。罠にかかる時間を選べ、愚か者ども。おれはまだ、眠たいのだ」
舌打ちを残し、そんなネフェルカーラは左翼へ向かう。しかし、言っている事はムチャクチャだ。
禁呪の機動飛翔を無詠唱で使えるようになったネフェルカーラは、詠唱の代わりに毒を吐く。
という訳で結論から言えば、この日の攻撃は、実にあっさりと撃退する事が出来た。
確かに敵の突撃は凄まじいものがあったが、しかし対する此方の防御が完璧だったのだ。
日々、ネフェルカーラの指示により、せっせと巨大な穴を掘り、その中に串を設置したパヤーニー。
それをカイユームが超高度な結界で多い、幻術で隠す。
罠の根本は実に古典的な落とし穴だった。
しかし、あら不思議。この日、突撃してきた騎士さんたちは、皆様一心不乱に突撃を敢行。
あれよあれよと言う間にも次々と穴に落ちてゆき、どんどん串刺しになってゆくじゃありませんか。
ネフェルカーラは左翼から隕石を降らし、落とし穴を阿鼻叫喚の地獄へ変えてゆく。
それを見たパヤーニーが、
「余の芸術がぁ!」
なんて喚いていたが、串刺しは芸術じゃない。
右翼からは雷撃の嵐が巻き起こり、アエリノール無双で敵は大わらわだった。
途中、聖光青玉騎士団のオーギュストがアエリノールに斬りかかったけど、モノともしない残念妖精は、回し蹴りで彼の巨体を吹き飛ばしていた。
元同僚相手にも容赦の無い事だと思ったら、アエリノールはオーギュストを視界にも入れていなかった。
せめて気付いてやれよ、アエリノール。
ジャンヌも、珍しく役に立った。
何しろ”天使”達を降臨させたのだ。
それだけでも、聖戦を謳う聖騎士達は動揺しただろう。
そこへカイユームと共に、メタトロンの斉射三連。
そりゃあもう、恐ろしい威力でしたとも。
一部、ヒルデガードが喚きながら弾いていたが、それでも敵の損害は数千に上ったと思う。
「ぎゃあああ! なんですかぁ! こっちは、まともな魔術師、私だけじゃねぇですかぁ!? 聖騎士共、死にたくなければ、本気を出しやがれですー!」
ヒルデガードの叫びはよく聞こえたが、内容は納得出来なかった。
俺には、ヒルデガードがマトモとは思えない。
あと、
「黙れ! 奴隷!」
とか、味方に言われていた。ヒルデガードはかなり残念な人だ。
という訳で、もちろん俺達の損害はゼロ。
まあ厳密にいえば、サクルが二回壊れて、マーキュリーが八回分解された。
パヤーニーは緋色の鎧を纏った綺麗なお姉さんに細分化されていたが、あれはヤツの趣味だろう。
あとで聞いたら、
「このようなもの、聖戦ではない……!」
そういう女騎士に、
「では、余の妻になれ!」
と言ったら、パヤーニーは細切れにされたらしい。
しかしフィアナという名前を聞けたそうで、パヤーニーはウキウキとしていた。
「フィアナという女騎士。余に惚れたな!」
もう、勘違いミイラは放っておこう。
ジャムカは落とし穴を回避した敵の動きを”声”で封じ、ドゥラの炎による範囲攻撃にて蹂躙した。
側には常にナスリーンがいて、ジャムカの死角を守る。二人は阿吽の呼吸で多大な戦果を上げていた。
ザーラは少し残念で、敵の聖騎士と一騎討ちを演じ、ついに決着が付かず引き上げてしまう。
少し悔しそうな彼女は、何も言わず天幕に戻る。
暫くして俺の前に現われたザーラは、髪型を整え、鉄壁のフルメイクだった。
「まったく。肉弾戦は嫌いだにゃん。汗で化粧が落ちるにゃん」
だったら、全部魔法で戦えよ――ザーラに対してそう言いたくなった俺を、誰も責めないだろう。
戦の終局、プロンデルが俺の名を呼びながら無双していたのには焦った。
流石に、恐いので、
「囲んで矢を射掛けよ!」
なんて言おうと思ったら、ファルナーズが妙にワクワクした瞳で俺を見てくる。
引くに引けなくなった俺は、大人しくアーノルドに跨った。
けれど、なんやかんややってるうちに、二人の上位魔族とクレアを引き連れたウィルフレッドが現われた。
そして俺と戦うより先にウィルフレッドに首根っこを掴まれ、なし崩し的に撤退したプロンデル。
あれは、獅子というより猫だったな。
何が獅子心帝だ。この猫心帝がっ! 一昨日きやがれ!
「む? 余の突撃が間違っていたと?」
「私に相談もなくこんな真似をして、これほどの犠牲をだしたのです」
「これから噛み破るのだ!」
「死屍累々、とはこのことですよ。眼下を御覧なさい」
「屍の上に、道は築かれる」
「つまらない事を言っていないで……さ、ゼルギウス。プロンデル――皇帝陛下を抑えて」
「なっ! 放せ! 放さぬかっ! ペンドラゴン! この無礼者を振り落とせ!」
こうして無礼者と共に竜から振り落とされたプロンデルは、襟首をウィルフレッドにつかまれ、憤怒の形相で去っていった。
「シャムシール! 今日はこの程度で許してやろう! はーっはっはっはっはっは!」
プロンデルの負け惜しみが、戦場に高々と響く。
それにしても、敵の殿を勤めたクレアは不気味だった。
撤退したプロンデルを見送ると、一人、沙漠の戦場に立っていた。
そして触れる者全てを、塵に変えていたように見える。
といっても、触れる者は全て我が不死隊だったので問題はないが。
あの能力を”現界の記録”で調べてみたら、”絶対破壊”の力だった。
俺は危ない人に銃を持たせたような――危ない国に核を持たせたような、そんなザラっとした感覚を覚える。
そしてクレアは全軍の撤退を見届けてから、自らも悠然と退いたのだった。
◆◆◆
それから五日間、プロンデルが攻撃を仕掛けて来ることは無かった。
情報によればダスターンが本隊を率いて此方に向かっているそうだが、同時にナセル軍にも追われているという。
そんな最中、シェヘラザードの妹が俺の下へやってきた。
彼女は竜よりも三回り程小さい飛竜から下りると、すたすたと本陣にいる俺の下へきて、片膝をつく。
俺は日中の暑さに辟易しつつも、冷房完備な黒甲に包まれ快適さを保っていた。
もちろん日除けの陣幕をしっかりと張り、砂漠に絨毯を敷き詰めて、ちゃっかりと椅子に座る俺は、骨に囲まれバカンス気分。もとい、ヤケクソなのだ。
「姉さま――いや、姉上――ではなく、大将軍より、親書を預かってまいりました」
蜜蝋で封をされた手紙を受け取ると、悩むことなくそれを開けて読む。
《シャムシールへ。
妹を、不死隊に入れてあげて。
この子は今まで何も不自由することなく暮らしてきたわ。でも、それじゃあこれから、ダメになると思うの。だから、お願いします》
シェヘラザードは達筆だ。
けれど、内容は酷い。
もはや大将軍としての自分は、棚に上げているようだ。
俺は手紙を畳むと、ドニアザードをまじまじと見た。
日光に照らされてキラキラと輝く金髪は流砂のようで、高いが小さな鼻は、抓みたい程に愛らしい。
胸甲の中身が中々の破壊力を秘めていそうな所も、”二重まる”だ。
しかし難点を挙げるなら、彼女は間違いなく気が強い。
以前、美花宮殿で会った時もジャムカとひと悶着あったし、いくらシェヘラザードの頼みでも、「はい、そうですか」といって、簡単に受け入れられるものではないだろう。
「手紙の内容は、知っているのか?」
「はい。先日、失敗をしまして……不死隊に入り、一からやり直せ、と。恐らく、その件では?」
「ふむ……不死隊には、入りたくないか?」
「……いえ! その、ファルナーズどのが、実は生きていると聞きまして。生身でも大丈夫ならば、と」
「だが、ファルナーズは死してもなお、俺の為に戦うと誓っているぞ?」
「え?」
驚いた様に目を見開いたドニアザードの瞳は、藍色だ。
憂いを帯びた少女は、少し太い眉を八の字にして震えている。
とても可愛い。
是非、側に居て欲しい。
じゃなくて!
これで尻込みするなら、シェヘラザードの下に返そう。
戦の時代を、俺はこれで終わらせるつもりなのだ。
だから、別にドニアザードを殊更、強力な戦士に育てる必要もない。
それに、もしも本当に神と戦わねばならない時が来るならば、それこそ俺の責任なのだから、俺だけが戦えばいい話だろう。
まぁ、そう思っても――かなりの人数を巻き込むだろうけど。
それでも、出来るだけ巻き込む人間は少ない方がいいはずだ。
「ち、誓います! 例え死しても、シャムシール陛下の御為、戦います! あ、あの――ですから一目、冑を脱いでお顔を見せて頂けませんか?」
そうか、やっぱり嫌か。そうだよな――え? 誓うだと?
そして、何故俺の顔が見たいのだ!
そういえば、前に会ったとき、俺の顔を”綺麗”とか言ってたけど……。
とりあえず俺は冑を外し、髪をパサパサと払う。
「ああっ……陛下はずるいです。そんなに綺麗で、強くて。でも、陛下は元々奴隷だったのですよね――だから私もこれから、陛下の奴隷です」
なんだろう、ドニアザードが俺の足元に額をつけた。
別にSっ気があるわけでもないが、美少女が自分の足に額を擦り付けていると思えば、顔がニヤけるのも仕方がないのではないだろうか? ふひひ。
「かんげいする」
先ほどから俺の横に立っている骨――サクルがカタカタと言った。
パヤーニーはお昼寝中なので、現在、副長のサクルとマーキュリーが骨共の指揮を執っている。
ファルナーズは、どこかで素振りでもしているのだろう。
”現界の記録”には、古今東西の剣士達が編み出した多くの技も記載されている。
それを”全ての知識”の処理能力を使って解析、自身の内に取り込もうというファルナーズの努力は、常軌を逸している程だった。
「きんにく、かんげい」
サクルの反対側に立つ巨漢の骨も、もごもご言っている。
筋肉は関係ないだろう。なあ、おい。
こうしてドニアザードはファルナーズに次いで、生身のまま不死隊に入った。
ちなみに彼女の階級は、最も低い。
多分、シェヘラザードもそうして欲しいと願っていたのではないだろうか。
勝手な解釈かもしれないけれど、なに不自由なく育ったお嬢様に、底辺の暮しを教えてやろうというシェヘラザードの親心だと、俺には思えたのである。