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ヘラート解放

ちょっとエロ系な表現があります。

苦手な人はご注意下さい。

 ◆


 戦場の跡は、砂が大きく盛り上がっていた。

 そこには確かに、火山があったのだ。

 流れ出た溶岩はアーザーデの降らせた雨によって固まり、黒く変色して砂の上に足場を作っていた。


 砂漠に発生した人工的な霧が晴れると、ハールーンは部隊の損害状況を確認する。

 ざっと見積もって、一万人といったところか。


「はは……将軍失格だなぁ」


 上空から眼下を見下ろして、壊滅した敵軍と半壊した自軍を眺め、項垂れるハールーンだ。

 アーザーデは既に地上へ下りて、負傷者の救護活動を指揮している。

 

 アーザーデの治癒魔法は優れていた。

 手足を失った兵さえ全快してみせる彼女は、まるで天女のようだ。


 ハールーンが周囲を睥睨しつつウィンドストームを地上へ下ろすと、まだ生き残っていた敵兵が、尻餅をついて後退あとずさる。さらに股間から生温い液体を垂れ流し、情けなくも命乞いをした。

 敵兵は、まだ少年と云って差し支えない年齢だろう。


「た、た、助けてくださいっ! 何でもします! 降伏しますっ! お、同じ奴隷騎士マルムークじゃありませんか! 俺はただ、命令に従っただけなんですぅぅ!」


 ハールーンが着る純白の戦衣に、返り血は見受けられない。

 彼の斬撃は、血を流す暇すら与えずに敵を屠る。

 ”絶対切断”とは、痛みを感じさせる間もなく、対象を葬り去る力だった。


「降伏は認めるよぉ。けれど奴隷騎士マルムークというからにはぁ、これからボクが主になるけどぉ、それでいいのかなぁ?」


 少年兵は辺りを見渡した。

 しかし、シーリーンの姿が見えない。

 だからこそ敵兵は、決意し、自らの判断で降伏を選ぶのだろう。


 ――死にたくない。


 それもまた、一つの決意である。


「はいっ! はいっ! これからはハールーン将軍に忠誠を誓います!」


 ハールーンは頷くと曲刀を鞘に集め、溜息をつく。

 やはりシーリーンの姿が見えない。

 シーリーンが居ないからこそ、敵兵は次々と降伏していた。

 

 姉が姉を傷つけ、弟が姉を斬る――か。


 ハールーンの思考は、支離滅裂だ。

 しかし、間違っているとはいえない。

 ハールーンは自らの掌を広げて、まじまじと見た。


(ボクは姉を――斬ったかもしれない、名も知らぬ敵兵と共に――)


 心に重く圧し掛かる罪の意識は、ハールーンの瞳に暗い影を添える。

 だが、それを周囲に見せぬよう意識すると、ハールーンは部下に天幕を張るよう命じた。

 激戦だったのだ。

 捕虜の処遇を決めてしまえば、誰もがへたり込んでしまいたいだろう。

 誰よりも、ハールーンがそうであった。

 

 一時間後。


(今日はもう、休む)


 そう決めたハールーンは、整然と建ち並んだ天幕の一つに身を滑らせた。

 太陽も西の地平へと姿を隠し、褐色の大地を闇色へ変えつつあるのだから、誰もハールーンの決意を咎めたりしないだろう。

 その天幕には、水色の地に四頭竜の紋様が描かれた旗が翻っている。ハールーンの軍旗だった。


 竜を駆る三人の将軍には、特別に属性色の地を軍旗に使う事が許されている。

 もっとも許されているだけで、使わなければいけないというものでもない。

 現にジャムカは赤地の軍旗を持っていないし、アエリノールも白地の軍旗を持っていない。

 それにアエリノールの場合、黒地に銀の斜線が入った上将軍旗もあるので、どっちを使うの? という話だった。

 結局アエリノールは勝手にどんぐりの意匠を施した旗を用意したが、いろんな人に使うなと言われて思い留まっている。

 軍旗とは味方の士気を鼓舞しつつ、敵に対して武威を示さねばならないのだ。それが”どんぐり”など、味方はたまらない。


「全軍、転がれ!」


 こんな号令が聞こえてきそうで、恐いだろう。


敵に対しても、きっと「馬鹿が来た」と思われて終わりだ。まあ、それもその通りなのだが。


「なんだそれは? 貴様らしいな。ぷくく」


 こんなことを言ってどんぐり旗に賛意を示したのは、ネフェルカーラ位のものであった。

 尤もアエリノールと”どんぐり旗”がイコールになれば、或いは恐怖の代名詞になる可能性はあるが。


 ――ともかくハールーンがこんな大将旗を持っているのは、意外と主将になる事が多いからだった。


 しかし今、そんな栄えある軍旗も、軍旗の持ち主も力なくだらりとしている。

 ハールーンは天幕の中で、横になっていた。

 どうも力を解放した結果、疲労感が凄まじい。

 シーリーンの件と相俟って、非常に気持ちも重いハールーンである。

 

(シャムシールがよく言う、”鬱”ってこれかなぁ?)


 ハールーンは思考することもままならず、寝台の上で首だけを部下に向けて頷いた。

 丁度、報告を受けていたのだ。

 だが受けた報告も、あまり頭に入ってこない。


「此方の損害は一〇〇二四人、捕虜は七六三三人にございますれば、閣下、捕虜で部隊を新設し、進軍するが望ましいかと」

 

 戦力を維持しなければ、ヘラートへ向かっているだろうテヘラ軍とは戦えない。

 ドゥバーンが云うには、その数、六万。

 ならば現有戦力だけでも何とかなるか、とも思えるが、勝率は上げておいた方がいいだろう。


(でも、勝ってどうするんだっけ? ボクは、姉さんを殺したかもしれない悪人だ。悪人は、裁かれるべきだし――) 


「……シーリーンは? 敵将は?」


 ハールーンの乾いた口から、掠れた言葉が漏れる。

 ハールーンが横たわる寝台の前で片膝をつく千人長は、彼がただ疲れているのだろうと考えた。

 昼間、あれほどの力を発揮すれば、こうなるのも致し方ない――と。

 それに敵将の生死を気にすることは、当然だ。

 ましてや上将軍アル・アーミルシーリーンは、万人に匹敵する魔術師。逃せば厄介な事になる。――そう千人長は理解していた。


「はっ、遺体の確認も出来ておりませぬ。ただ……」


「ただ?」


「砂上に散らばる遺体は破損しているものが多く、確認は困難かと……」


(ああ)


 と、ハールーンは考えた。

 ハールーンの斬撃は、敵を細切れにもした。

 ならば、そういうこともあるだろう。

 討ち取った敵の数も、もしかしたら倍や三倍に数えられているかも知れない。


 実際に敵が壊滅したと言っているが、むしろ逃げ散った方が多いだろう。

 いくらなんでも、ハールーンが一人で二万人以上を殺せる筈がないのだ。


 そこでハールーンは、眠りに落ちた。

 多少の安心感と、締め付けるような不安の中で――。

 

 ”パチパチ”と篝火から音がする。

 ハールーンは妙に柔らかい感触で、目を覚ました。

 掛け布の無い肩口に感じる寒さは、深夜を思わせる。しかしハールーンの背中は暖かかった。

 横向きに眠っていたハールーンの背に、アーザーデがぴったりと寄り添っていたのだ。

 

「アーザーデ姉さん?」


「ハールーン将軍」


 アーザーデはハールーンの身体を仰向けにする。

 たいした力はいらなかった。ハールーンには抵抗する気力もないのだ。それからアーザーデは抱きつき、首筋にキスをする。


「な、なにをぉ?」


「シーリーンさまは、きっと生きています。だから、元気を出して下さいまし……」


 ハールーンは、アーザーデの為すがままである。

 ハールーンの目元には、涙の跡があった。

 

(シャムシールに慰めてもらいたいなぁ)


 そう思ったハールーンに、不思議な感覚が湧き上がる。

 アーザーデがハールーンに唇を重ねてきた。

 咄嗟に首を逸らして避けるが、不貞腐れるアーザーデに辟易して受け入れたハールーンだ。


 アーザーデは服を着ていなかった。

 褐色の瑞々しい肌が、ハールーンの衣服に絡みつく――だけでなく、サーリフから仕込まれた手管で、アーザーデは巧みに愛しい男の衣服を脱がしてゆく。


 互いに向き合うと、ハールーンの男の子は凛々しかった。

 ハールーンにとっては、晴天の霹靂である。

 アーザーデは、巧みな指使いでハールーンのマジカルバトンを柔らかく擦っていた。

 

「あれ? あれ? え? え?」


 戸惑うハールーンは、自分の変化が信じられない。

 目の前のアーザーデを見ると、抱きしめたくて仕方がなくなった。

 こうしてハールーンのEDは治ったのだ。

 ある意味アーザーデは、プロである。もちろんプロの治癒魔術師――という意味だ。


(実の姉を殺してしまったかもしれない日に、ボクは一体何をやっているのだろう?)


 ハールーンの思いは、しかしアーザーデの言葉で霧散する。


「ハールーン。助けてくれて有難う。私に出来るお礼は、これが精一杯。私は私を――貴女に捧げます。別に妻にして欲しいとか、そういうことじゃなく――ただ、今の貴方は見ていられないわ。だって、きっと私の為に――」


(そう……シーリーン姉さんはシャムシールの敵で、アーザーデ姉さん――アーザーデを傷つけた)

 

 つまりハールーンにとってシーリーンは、姉であると同時に倒すべき敵でもあったのだ。

 今回はハールーンが躊躇した故に、味方を危険に晒した。だというのに、アーザーデは責めない。それどころか、身を挺してハールーンを慰めている。


「私は生きています。生きていられるのは、貴方のお陰――」


「アーザーデ」


 そして、この夜、二人は初めて結ばれた。


 ◆◆


「私には、この程度のことしか出来ませんから」


 翌朝、そう言ったアーザーデはニッコリと微笑んでいたが、げっそりとしている。

 ハールーンの方も、気持ちは大分平常に戻ったが、どうしてか腰が重い。

 何しろハールーンは、童貞卒業からの八ラウンドを経験したのだ。

 いきなりA級ライセンスを取得するとは、ハールーンは将来、世界を目指すのであろうか? 

 次回が十ラウンドと思えば、眩暈を覚えるであろうアーザーデ。しかし、まんざらでもない。


「アーザーデ。この戦いが終わったらぁ、ボクの妻になってくださいぃ」


 寝台から上半身だけを起こしたハールーンは、アーザーデの髪を撫でながら言う。

 シャムシールがこの場にいたら、きっと愕然としたであろう。そして――


「ダメだ、ハールーン! 死亡フラグだっ! アーザーデと結婚するな!」


 とでも言って、結婚を阻止しようとするに違いない。

 そして薔薇疑惑を拡大させる事になるのだから、ちょっとだけ面白そうである。

 

 しかしこの時、アーザーデは嬉しそうに頷いていた。

 この世界に、死亡フラグという認識はない。


「……私はサーリフさまの元妻ですけど、それでも、いいですか?」


「……ボクもぉ、実はサーリフさまの……その、妾っていうのかなぁ……だったんだぁ。ちょっとの間だけどねぇ……うふふぅ」


 頬をポリポリと掻きながら、照れくさそうにハールーンは言った。

 目を見開いたのは、アーザーデだ。


 真なる変態は、サーリフだった。

 男でも女でもいける人は、あの黒髭角魔人だったのである。

 なんということだろう。

 ハールーンは、童貞だったが非処女だったのだ。


 アーザーデは知らず拳を握り、サーリフの角をへし折ってやりたくなった。

 しかし、彼はもう――この世に居ない。

 彼はエルミナーズを愛し、アーザーデを愛し、ハールーンも愛した。

 

 なるほどハールーンは、だからこそサーリフとファルナーズに少なからぬ隔意を持っていた。

 そして同時に、愛情らしきものも抱いていたのである。


 この瞬間、アーザーデは全てを納得して、飲み込んだ。

 これからは、二人で新たな道を歩みましょう――と。

 

(だからシャムシール陛下の事が、ハールーンは好きだったのね。彼にとって恋愛対象は男だと――そうサーリフさまに刷り込まれていたのだもの、当然だわ)


 そしてアーザーデは上半身を起こし、ハールーンにキスをした。


「……幸せに、して下さいましね、ハールーンさま」


 ハールーンとアーザーデは武装を整えると、朝日の昇った砂漠に姿を現す。

 馬が嘶き、兵に用意された草を食む。

 人間たちは忙しく動き、朝食の準備をしていた。

 昨日の戦勝が、皆の心を軽くしている。

 誰もが、ハールーンの下でならば、生き残る可能性があると信じたからだった。


 それから十日。

 ヘラートへ向かうテヘラの軍を捕捉するには至らなかったハールーンは、そのまま聖都の城門を潜る。

 そして美花宮殿ザフラ・ジャミールへと赴き、シェヘラザードと挨拶を交わす。

 

 敵の兵数がドゥバーンの予測通りなら、篭城もアリだ。

 ハールーン軍が四万五千、シェヘラザード軍が二万八千。合わせれば七万三千となるのだから、敵にとってはそれだけで脅威のはず。

 多少予定と違うが、シェヘラザードの強さはハールーンも知っている。ここは協力して敵を撃破してもいいだろう。


 敵軍の姿が見えたのは、それから二日後だった。


 ヘラートは包囲が解かれたことで、西からの物資も補給が可能になった。

 とはいえ隊商キャラバンが旅をするには、まだまだ危険だ。暫く警備隊を街道に出してもいないので、危険な魔物も時折出るという。故に塩が、まだ届かない。

 それでも河川に毒を流される危険がなくなったから、漁業を再開出来たのは大きい。

 実に数ヶ月ぶりに並んだ生鮮食品に、人々は感動していた。

 そんな時に北から再び敵が迫ったのだから、ヘラート市民の表情は曇る。

 戦には辟易していたのだ。


 ヘラート市民は職人や商人、果ては女子供まで広場に集まり、列を成して美花宮殿ザフラ・ジャミールへと迫った。


大将軍ライース・アルジャイシュは退位せよ!」


「シャムシール王の軍が入城した今、彼らの庇護下に入るべきだ!」


「食料をくれるのは、シャムシール王! シェヘラザードは何もしていない!」


「シェヘラザードは敗北して、のうのうと城へ篭った! そんな大将軍ライース・アルジャイシュは、即刻退位せよ!」


「シャムシール王の寵愛に縋らねば何も出来ない大将軍ライース・アルジャイシュなど、いらない!」


 別にシェヘラザードは市民に対し、「パンが無いならケーキを食べなさい」などという事は言っていない。例え同じ巻き髪だとしても、断じて、である。


 だが、食料の供給を国民に為し得なくなった為政者というものは、悲惨だ。

 もはや一般市民がシェヘラザードに抱く印象は最悪になっている。

 

「美しいだけの、飾り物の大将軍ライース・アルジャイシュ


「シャムシール王の寵妃」


「身体を売って、シャムシール王に助けを求めた売女」


 こうなったのは、ネフェルカーラも悪い。

 あえてヘラートを見捨てるかのように、まったく動かなかったのだから。

 だが、それに乗ったのもまた、シェヘラザードである。


「私は大将軍ライース・アルジャイシュという重い衣を、そろそろ脱ぎたいのよ」


 そんなシェヘラザードの言葉をネフェルカーラが意識したのかは、分からない。

 だが、ともかく一段落が着いたなら、シェヘラザードはきっとヘラートを去らねばならないだろう。


 宮殿の一室から目抜き通りを眺めつつ、住民の声に歯軋りをするアフラは、しかし何も出来なかった。

 周囲にいるアフラの部下達も、憤りを込めて眼下の行進する人々を眺めやる。

 

「真実を知らぬ者共め……!」


 シェヘラザードは、そんなアフラと思いを共感してくれる守護騎士ムカーティラ達に感謝しつつ、自室へ引き上げた。

 

(私がいたら、守護騎士ムカーティラと市民達がぶつかるかもしれないわね……)


 シェヘラザードは、そう考えた。

 それにしても、あまり大声で悪口を言われるのは、嬉しくないな――シャムシールにくらい、優しくされたい――そう思いながら。


 ◆◆◆


 あわや暴動に発展しようかというヘラートで、存在感を示したのはハールーンだった。

 宮殿へと歩く暴徒寸前の集団は、上空から響く大音声――「竜の雄叫び」を聞く。


「グオオオオオオッ! (俺を見ろ! このカッコイイ身体を! ほら、ほら、どうだ、マヌケな人間ども!)」


「いや、ウィンドストームゥ。キミ、今、凄く頭が悪そうだよぉ?」


 薄い青色の竜は、風竜である。そして現在シバールで確認されているそれは、ハールーンが駆る一頭のみ。

 多少頭の中身が残念で、小声でハールーンに突っ込まれているとしても、遠目からでは決して分からないのだ。


ハールーン将軍(アミール・ハールーン)


 頭上を滑空する巨大な竜を見上げ、それを駆るハールーンに畏怖を覚える人々。

 シェヘラザードの駆る飛竜ティンニンでは、こうはいかないだろう。


「皆、聞くがよい! ボ……私、ハールーンは、シャムシール大王陛下より、この地を守るよう遣わされた者である!

 今、再び北の地に敵が攻め寄せている! だが、私はここに約束しよう! これより三日の後には、敵を必ず撃退することを!」

 

「ガァァァァァァ!」


 ハールーンの宣言に、雷鳴のような竜の雄叫びが続く。

 もはやヘラートの人々はシェヘラザードを信じていない。

 一敗地に塗れた大将軍ライース・アルジャイシュなど、必要としないのだ。

 だが、その夫になるであろうシャムシールは違った。

 各地でシバールの敵を破り、今尚、フローレンス軍と対しているという。

 それに、救援物資を差し向けてくれるのは、全てシャムシール王だというではないか。

 シェヘラザードは、所詮それを管理しているだけの飾りに過ぎない。

 シャムシール王は、まさに救国の英雄だ。

 そしてハールーンは、紛う事なき彼の腹心である。


 暴徒は足を止め、口々に呟く。


「お願いします。もう、戦は嫌なんです。普通に生活がしたい」


「俺からも、お願いします。まともなメシが食いてぇです」


「勝って、勝って下さい!」


 ハールーンは竜から飛び降りると、行進する人々の先頭へ立つ。

 そして幾人かと握手をしつつ、


「約束しよう」


 と言った。


 その時、一人の少女がハールーンの足に縋りついた。


「だったら、私と結婚するの! ハールーン将軍が勝つところを、私に見せるの! そうじゃないと、信じないの!」


 少女は、小さかった。


「はは……」


 ハールーンが苦笑すると、少女は腕を組み、仁王立ちをした。

 見れば、十歳にも満たないだろう。褐色の肌に、紫色の髪が乗っている。


「キミぃ、安心してぇ。ボクは言った事を必ず守るからぁ。だから、お父さんとお母さんの所へ帰りなさいぃ」


 ハールーンは少女の頭に手を乗せると、努めて優しく言い添えた。


「いないの! 私にはお父さんもお母さんも、いないの! 戦で死んじゃったの! 二人とも、奴隷騎士マルムークだったの!」


「ウィダード。ハールーンさまを信じなさい」


 側にいた老人が、少女の肩に手を置き、下がる様に言う。しかし大きく首を左右に振った少女は、涙をポロポロと零した。

 瞳の色も、紫色だった。涙で潤むと、少女の瞳はまるで紫水晶のような輝きを見せる。


「信じても、お父さんも、お母さんも帰ってこないの……ご主人様も、なの……」


(ああ、風が族の少女か……父も母も、奴隷だったってことだねぇ)


 ハールーンは迷った。

 何故、少女が結婚を持ち出したのかは、分からない。

 しかし捨て置く事も出来ないと思えた。

 主人を失い、あまつさえ父母までも失った奴隷の末路は知れている。

 殺されるか、売られるかだ。

 少なくとも自分は運が良かったな――と、今だからこそ思えるハールーンは、更に悩む。


 もっとも彼女の場合、周囲の支えもあるようだ。

 彼女の主人が、出来た人物だったのかも知れない。

 それでも、奴隷身分にある少女は、所詮奴隷に過ぎない。

 ろくでもない男に、ろくでもない事をされる可能性の方が高いだろう。


「キミのご主人さまは、誰だったのかなぁ?」


「ルトさまなの! 千人長だったの! ドニアザードさまの護衛をしていて、この前の戦いで死んじゃったの!」


(ああ、シャムシールの下へ送ったという、シェヘラザードの妹の)

  

 ハールーンは顎に指を当てて考えた。

 

 結局、その責任はシェヘラザードに帰するものだ。とはいえ、更に責任の所在を辿れば、さっさとヘラートを救わなかったシャムシールにも行き着く。

 彼女は戦災孤児というものだ。ならば他にも、大勢いるだろう。

 

 ハールーンは、彼女だけを救うことが正しいとは思えなかった。

 しかし、ここで彼女を見捨てることは、間違いだと思った。


「なるほど。一人ぼっち、ということだねぇ」


 ハールーンの言葉に、周囲の大人たちも頷いている。

 聞けば、今日も一人、大人たちに混じって付いて来たのだという。

  

 ルトという千人長は三十代で家族もなく、だから部下である奴隷をそのまま邸に住まわせていたと言う。奴隷達の扱いも、まるで家族と接しているかのようだったそうだ。

 ウィダートが、本来ならば今年から私塾へ通う予定だったという周囲の言葉も、嘘とは思えなかった。


(いずれ、解放するつもりだったのだろうな。ということは、この子の父母も優秀な奴隷騎士マルムークだったんだろうねぇ)


 ハールーンは今、周囲の大人たちに期待を込めた目で見られている。


「わかったよぉ。行こう! ボクの勝利を見せてあげる! その代わり、勉強もちゃんとするんだよぉ」


 そういうとハールーンはウィダートを左手で抱え、ウィンドストームに再び乗った。


 ヘラートの住民達は、ハールーンの行動に拍手喝采を送る。

 

「ハールーンさまは、強いし、お優しい」


 こうして暴徒となる前に毒気を抜かれたヘラート市民はその場で解散し、ハールーンのヘラートにおける名声が、更に上がったのである。

 

 ◆◆◆◆


 翌日、ヘラートの北へ整然と展開した敵部隊は、七万。その数はドゥバーンの予測よりも多かった。

 対するヘラート軍は、ハールーン軍、シェヘラザード軍を合わせると、約七万三千。兵力としては互角である。

 

「野戦で決着をつけようかしら?」


 美花宮殿ザフラ・ジャミールの最も高い位置にある望楼で、シェヘラザードが口元に笑みを浮かべている。

 望楼から自国の住民が暴徒と化す様を見るのは心苦しいシェヘラザードも、端から敵だと分かっている相手ならば、余裕を持って眺めることが出来た。


「それがいいだろうねぇ。此方の糧食に余裕があるわけでも無し――」


「そうなの! ハールーンさまが敵なんか、ギッタンギッタンのバッコンバッコンのベッコンベッコンにしてくれるの!」


 ハールーンの左手をしっかりと握り締め、えっへんと胸をそらす少女――もとい幼女は元気いっぱいだった。

 そして一杯の元気で、ハールーンの言葉を遮る。


 シェヘラザードはこの幼女を可愛らしい生物と認識しているが、アーザーデはどうもそうでは無いらしい。

 そっとハールーンの右へ移動すると、ぴったりと身体を寄せた。


 火花が散るアーザーデとウィダードの年齢差は、実に十五歳。大人気ないアーザーデは、幼女に牽制を仕掛ける。


「ど、奴隷身分でこのような場所に来てはいけないのよ?」


「奴隷じゃないの! ハールーンさまは、私を妻にすると言ってくれたの!」


「ウィ、ウィダード……」


 言っていない。ハールーンは、そんな事を言っていない。

 しかし、ウィダードの理解は違っていた。

 斜め上に違っていた。

 ハールーンが連れて行ってくれる、イコール妻になる、だったのである。


 愕然としたアーザーデは、唇をワナワナと震わせていた。


「ハールーン……私とも結婚すると、いいましたよね?」


「う……」


 ハールーンの顔が、少しだけ青ざめる。


「いいの! 私はかんような女なの! アーザーデをだいにふじんと認めるにやぶさかでないの!」


「わ、私が第二……ですって……?」


 当初、怒りに震えていたアーザーデが、ふと優しげに笑った。

 

(ああ、そうだ。私はそもそもサーリフさまの妻だった身。そんな私をハールーンは愛してくれた。それだけでも、十分ではないの? この上、第一夫人なんて望んだら、罰が当たるじゃない)


「そうね、ウィダードさん。貴女が第一夫人でもいいでしょう。ただ、妻の何たるかを、私が厳しく教えてあげますからね。覚悟してください」


「こ、こわいの! だいにふじんは、こわいの!」


(なんだこれは? なんなんだ、これは?)


 思考がついてゆかないハールーンは、困った。

 なぜウィダードが、ボクの第一夫人に納まるのだろう? おかしいだろう?

 そんな事ばかりを考えていた。


(もしかしてシャムシールも、よく分からないうちに妻が増えていたの? これは辛いよ! 誰か助けてよぉ!)


「――では、出陣いたしましょう。第一陣に私。第二陣にシェヘラザードさま。そして本隊をハールーンどのが率いる、ということで」


 いつの間にか作戦の概要が決まり、アフラが難しそうな顔で地図の一点を叩く。

 机上に置かれた地図には、軍団に見立てた駒が置かれていた。

 

 敵はテヘラの上将軍アル・アーミル、バディアという妖精エルフの男だ。

 使えない精霊魔法エレメンタルは無く、古代語魔法エンシェントも堪能だという。

 だから前衛として盾騎士アフラが、防御結界をガチガチに固めた部隊で様子を見る。

 中軍としてシェヘラザードが魔法攻撃を仕掛け、いけると思った段階で、ハールーンが総攻撃――という算段だ。


 ハールーンは、幼女と美女を伴い出陣をした。

 戦は、此方の思い通りに進む。

 アーザーデが殲滅魔法を放ち、ウィダードも殲滅魔法を放った。

 

(何故ぇ!? 何故ウィダードまでぇ!?)


 そう思ったハールーンも、しっかりと無双する。


 結果は、勝利した。ハールーンの有言実行である。

 アフラが多少苦戦をしたものの、バディアの魔法はシェヘラザードに及ばず、ハールーンの突撃など、支える事も出来なかったのだ。

 

 こうしてハールーンは、勝利の栄光と妻二人を手に入れたのである。

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