ヘラート周辺の戦い 1
◆
真暦一七五三年、ファルヴァルディーン月(三月)中旬。
ドゥバーンはナセル軍に対峙させていた軍を、にわかに後退させた。その数は十万である。
「な! 敵に後ろを向けるなど、襲ってくれと言っているようなものではないか! まだあの二人も到着しておらんというのにっ!」
「顔が近いでござる、ダスターン将軍! 息が臭いでござる、ダスターン将軍! 大体、攻撃されることもまた、必要なのでござる! ナセルという男は知恵者にござる! 中途半端なことをしては、策を成就させることなど出来ないのでござるっ!」
軽く眉を顰めつつ馬を進ませるドゥバーンは、側に寄ってきた主将のダスターンに嫌悪感を示す。
ドゥバーンは変態女子だが、その変態性はシャムシールに対してのみ発揮されるのだ。それ以外の場合、彼女は至って乙女なのである。
しかも自分以外、全ての妻たちがシャムシールとキスをしたと知ったドゥバーンは今、とてもささくれ立っていた。
半ば八つ当たりをされたダスターンはドゥバーンと距離をとると、少しだけ目元を潤ませながら、改めて聞く。
「いくらプロンデルが撤退しないからといって、我等が向かったところで敵に挟まれるだけではないか?」
「それはないでござるよ。そもそも、もしもナセルが我等を放置すれば――拙者、その可能性が一番恐いくらいでござるゆえ。その場合、ハールーンどのには随分と負担が掛かるでござろうなぁ。
ともかく策とは幾つもの状況を想定し、幾重にも張り巡らせるものであるから、頭の悪いダスターン将軍はご心配めさるな」
ダスターンはドゥバーンの言葉に、首を傾げることしか出来ない。
ハールーンを呼び寄せておいて、自らは軍を下げ、シャムシールの下へ向かうというドゥバーンの作戦概要が、いまいち理解出来ないダスターンだった。
どうせ神算鬼謀というものだろうが、出来れば凡人にも理解できるよう説明をしてもらえるとありがたいダスターンである。
ダスターンはあくまで、”凡人”という括りでいたいのだ。
馬鹿ではないと思いたい、そんな年頃である。
ちなみにドゥバーンの作戦目標は、第一にヘラートの解放である。その点は、ぶれていない。
しかし、軌道修正した部分はある。それは、フローレンス軍の食料事情だった。
――なぜ、本国との補給路を断たれてなお、フローレンス軍がカルス平原に陣を敷き続けられるのか?
ドゥバーンにすれば、簡単な問題であった。
(何らかの手段で、糧食の予備を持っているでござるな。とすると空間系の魔術――ふむ。とはいえ、食事の前には取り出さねばならぬが道理――)
当然、この可能性も視野に入れていたドゥバーンは、好機とばかりに軍を動かしているのだ。
すなわち、ヘラートの解放とフローレンス軍の壊滅――この二つを同時に行える機会だと捉えたドゥバーンだった。
そしてドゥバーンの真骨頂は、絶対に有利な戦局を作る事にある。
となれば、まずは彼我の兵力差を埋めなければならない。
そこでドゥバーンは、ナセル軍とフローレンス軍に内在する不和に目を付けたのだった。
ヘラートを解放してフローレンスとの兵力差を埋め、カルスの地を包囲する。
ドゥバーンの目標を要約すれば、これだ。
しかし、現状からこれを結びつけ、可能だと論じるのはドゥバーンくらいのものだろう。
シャジャルなどは、
「兄上には一度、マディーナへ下がって頂いた方がよいのでは? 仮にフローレンス軍が糧食を確保したとして、補給路が断たれているいま、永続的なものではありますまい。彼等が撤退した後、ナセルを叩けばよいかと」
と、尤もな事を言っていた。
ドゥバーンがこれに反対した理由は、二つある。
第一に、フローレンス軍を撃破する好機であるから。
第二に、フローレンス軍を破ったという名声により、シャムシールのシバール統治が安定するであろうから。
だからこそ念話でドゥバーンと議論したシャジャルはその意見に納得し、パールヴァティとヴァルダマーナを説得して、二人を先行させたのである。
「――まあ、わかった」
というわけでダスターンの返事は、あくまでも”知ったか”である。
それほど綿密に練られたドゥバーンの軍略を、あの言葉だけで理解出来るはずがない。可哀想な男だった。
とはいえ今、ドゥバーンの軍略を理解している者は、シャムシール軍中でネフェルカーラとシャジャル、そしてハールーンだけである。
主君のシャムシールですら余り理解していないのだから、ダスターンも知ったかぶる必要などないのだが。
その時、ドゥバーンの表情が曇る。
敵軍が動き、隊形を変えているのだ。方向転換にしろ移動にしろ、今までより速い行動だった。
「ダスターン将軍。全軍に戦闘隊形をとるよう伝達するでござる。彼奴等、存外反応が早い……」
ドゥバーンの目に映ったものは駱駝部隊を前面に押し立てた、砂漠戦闘における実に教科書的な部隊配置である。
ナセルならばこの程度の布陣を行えても不思議はない、そう思うドゥバーンだ。しかしナセルの軍旗は翻っておらず、大将旗として翻るのはメフルダートの軍旗であった。
それにドゥバーンが想定していたナセルの用兵より、行動が速いのだ。これこそが、ドゥバーンを戸惑わせるものだった。
(兄者の奇襲を退けた者がメフルダートだったか? ザールの旗もあるでござる。ふむ――用兵に関しては、ナセルよりもメフルダートの方が上でござるか。意外なこともあるのでござるな)
とはいえ、敵軍が背を見せた自軍に攻撃を仕掛けてくることは十分に想定していた。というより、攻撃して貰わなければ困る。
だかこそ、この場所に移動したのだ。
ここはヘラートより僅かばかり南の沙漠。しかし、砂漠の中でも地面が固く、足場がしっかりしている。
もう少し前に攻撃を仕掛けられていたら、多少やっかいだった。
ドゥバーンの策は、ここまでナセル軍をおびき出した時点で、既に半ば以上は勝利を収めているのだ。
(いかに用兵の妙を極めようと、魚は鳥に捕食されるのでござるよ)
こんなことを思うドゥバーンは、タイガーフィッシュの存在を知らなかった。
稀にいるのだ、鳥を食べる魚というものは……。
ドゥバーンが無駄混じりな思考を迅速に進めている最中、ダスターンは勇ましい号令を掛けている。
「全軍、戦闘隊形! 縦列から方形陣へ! 重装歩兵を前衛とし、後衛に弓兵と魔法兵! 赤獅子槍騎兵は指示があるまで待機せよっ!」
ドゥバーンは流れる様に砂上を移動し、見る間に隊形を整える全軍を頼もしく眺める。
この用兵の見事さは、ダスターンだけのモノだろう。
一万人程度の用兵ならば、ドゥバーンにも自信があった。しかし十万人規模の軍勢を手足の如く動かせる将は、今、シャムシールの幕下にダスターンしかいないはずだ。
或いはジーン・バーレットも十万人をよく指揮するだろうが、彼女との面識はまだ無いドゥバーンに、ダスターンとの優劣を決することは出来なかった。
「ダスターン将軍。敵将のザールを一騎討ちで破れるでござるか?」
「うむ、敗れる。そこはジャービルどのに任せよう!」
ドゥバーンの中で少しだけ上がったダスターンの評価は、再び地に落ちた。
最近のダスターンは、段々と出鱈目になってゆくジャービルの強さを、諦めにも似た気持ちで眺めている。
(ああもうこれ、絶対に勝てない。魔法を使っても無理だ)
訓練をする度に自らの限界を突きつけられるダスターンにはもはや、武将として一騎討ちに拘る気持ちはなかった。
ダスターンの側に控える副将のマフディは、水色の髪を覆う白布を手で叩くと、諦めた様に天を仰ぐ。
「ダスターンさま、いくらご自分が弱いといっても、それでは余りに……」
「俺は弱くない! ジャービルどのがやたらと強いのだ! それにザールも出鱈目だ! とてもじゃないが、勝てる気がしない!」
「いや、それを言っちゃ、武将としてお終いでしょうに。ドゥバーンどのではあるまいし」
やれやれ――といった表情を浮かべたマフディを、左右で色の違う瞳が射抜く。
「拙者だって弱くないでござる! 兵達に後れをとることなど無いのでござる!」
本当に、やれやれだった。
ドゥバーンの実力は、所詮その程度なのである。
一般的な奴隷騎士と比べて、何とか頭一つ抜きん出ている程度――これがドゥバーンであり、テュルク人としては最弱なのだから。
ともかく全軍の展開を終えたダスターン軍は、なんとかメフルダート指揮のナセル軍と対峙することが出来た。
ナセル軍は駱駝部隊で突撃の構えを見せている。
「弓箭兵! 放てっ!」
突進する駱駝部隊に、ダスターンの命令で矢の雨が降る。
しかし駱駝部隊は盾を頭上へ翳すと、降りしきる矢をモノともせず突き進む。
「魔法兵っ! ――」
「待つでござる! 駱駝は囮でござろう。背後から迫る騎兵へ向けて魔法を!」
ドゥバーンの目は、メフルダートの作戦を正確に捉えていた。
第一陣の駱駝を囮にして、砂塵による目くらましをつくる。その後、より高い突破力を持った騎兵を投入。
(それで此方の前衛を崩そうと考えてござるか……此方の地の利を無効化しようとするなど、メフルダート王、侮れぬでござる――だが、まだまだ甘い)
「魔法兵! 砂塵の奥にいるであろう騎兵を狙え!」
ドゥバーンに頷いたダスターンは、すぐさま意図を理解して、命令を下す。
◆◆
後方の騎兵を魔法兵が攻撃している間に、前衛同士の戦いが始まっていた。
沙漠における駱駝の突進力は、騎馬を遥かに上回る。
とはいえ、ここは厳然たる砂の足場ではない。その意味では、駱駝部隊も本領発揮とはいかないのだろう。重装備の歩兵に足踏みをする駱駝が多く見受けられる。
しかし、駱駝部隊を率いるのはザール将軍だった。
ザールといえば、シャムシール軍のザーラと名前が似ていると云われ凹んでいたが、ナセルの軍中にあって最高の勇将と呼ばれる男なのである。
ザールは駱駝を駆って、縦横に戦場をはしる。
彼が動く度、重装備の歩兵が首と胴を切り離されてゆくのだから、ドゥバーンの歯軋りは止まらなかった。
「あれはザールでござる! あの狂犬めがっ!」
「そんな馬鹿な! ザールの旗は敵の本陣にあろう?」
ドゥバーンの言葉に、ダスターンが驚きの声を上げる。
だが、地の利が無いのに強い駱駝の突撃と、容易く打ち砕かれる前衛を鑑みたとき、敵将がザールであるとの認識は正解と思えたダスターンだった。
「あれほどの巨体、そうは居ないでござろう?」
「うむ。ではさっそくジャービルどのに……」
「だから、何故すぐに兄者を頼るでござるか! 赤獅子槍騎兵は、切り札にござる! 敵はだからこそ、ここで兄者をおびき出したいのでござる!」
あんぐりと口を開けたダスターンは、ションボリした。
兵の運用は見事でも、実際に戦術を駆使することはドゥバーンに万歩及ばない。
戦術が伴わない用兵など、タレの無いみたらし団子に等しいのだ。所詮、単なる餅の出来損ないである。
「では、俺は以後ドゥバーン、おぬしの指示に従う」
タレなし団子のダスターンは、ションボリしつつタレであるドゥバーンに従う事にした。
これできっと立派なみたらし団子になるであろう、シャムシール軍の本隊である。
「最初からそうするでござる! 守護騎士などという肩書きで勝てるほど、戦は甘くないのでござる! ――では、マフディ、隊を率いて前衛を助けるでござる! 場合によってはザールを一騎討ちにて討ち取るでござるっ! ゆけっ!」
「――了承」
ダスターンの宣言を横目に、ドゥバーンは手早く指示を出す。
マフディの実力は、高い。
単純な個人戦闘力で考えれば、ダスターンよりも上である事は明白だった。
だが、明白だったにも関わらず、彼はダスターンの副将として、それをひけらかす事が無い。
何より、ダスターンを護衛する者が、ダスターンより弱い訳がないのだ。
そういう意味ではシャムシールに護衛は不要だが、そこはそれ。彼の場合、ファルナーズやサクルに守られることは、ある種の役得であると考えていた。
マフディは手早く二千騎を纏めると、歩兵の列を割り、敵の駱駝部隊と激突する。
銀の鎧を陽光に煌かせ、極太の槍を振り回す大柄な奴隷騎士を見つけたマフディは、早速苦笑を浮かべた。
目立つことこの上ないし、間近で見れば、その圧迫感は凄まじい。
とてもではないが、まともに勝負をしてザールを討ち取れるとは思えないマフディだった。
「これが生粋のテュルク人。ザールか」
そう独りごちたマフディは、気合を入れて弓を構える。
マフディは瑠璃色の鎧を煌かせ、弦を引いて、強弓を放つ。
「ま、これも一騎討ちに入るでしょ」
しかしマフディの矢は、ザールの左拳に弾かれた。
冑を被らず、伸びた黒髪を無造作に振り乱したザールは、淡い輝きを放つ角を煌かせてマフディを睨む。
眼前の兵を屠ると、駱駝をマフディへ突進させたザールだ。
「やっぱり、そうなるよなぁ」
立て続けに弓を引くが、悉く撃ち落されるマフディの矢。
諦めたマフディは弓を背負うと、槍を掴んでザールと対峙した。
間近で見ると、ザールの巨体に圧倒されるマフディである。
身長差が、二十センチはあるだろう。角を含めば、もっとかもしれない。
(まるで大人と子供だ)
ごくりと唾を飲んだマフディは、先制攻撃を仕掛ける事にした。
”ギィン!”
激しい音と共に、火花が散る。
マフディの突きを弾き飛ばしたザールが、苦笑した。
「まず、名乗らぬか、シャムシールの将よ。立場は違えど、別に憎しみがある訳でもないのだ」
マフディは眼光に警戒感を込めて、槍を一振りした。
ふん、兵は容易く殺すクセに、将とみれば、騎士の嗜みとでも言いたげに名を問うか――。
皮肉っぽく目を細めたが、さりとてザールを相手に勝機を見出せるマフディでもない。会話をするのも一興と、言葉を返す事にした。
「我が名はマフディ。ダスターン麾下の将だ」
「ほう、お前がダスターンの。では、陪臣か」
「悪いか?」
「いや――しかし、ダスターンがシャムシールの配下となるなど、少し驚いたな」
「……ザール将軍。迷っておられるのか? 今ならば、我が主を通し、シャムシール陛下の陣営へ付く事も可能かと思うが」
「ふっ、ありがたい申し出よな。だが、それは出来ん。ナセル陛下は俺の叔父だし、何より、俺はシャムシールに合わせる顔がない――いや、最初からなかったのだが――」
そこまで言うと、ザールは槍を翳してマフディを心臓を狙った。
憎しみは無くとも、敵は敵――そういうことだ。
マフディは身体を捻って槍をかわすと、ザールの駱駝を攻撃した。
マフディにしてみれば、槍をザールに向けたところで致命傷を与えることは出来ない。ならば、足を奪えば自らが逃げる程度は出来るだろう――そんな判断からだった。
首筋に槍先を撃ち込まれた駱駝は、悲しげな悲鳴を上げて前足を折る。
ザールは砂上に身体を投げ出された格好になったが、一回転して起き上がった。
それと同時にザールは重装の奴隷騎士に囲まれた為、マフディは彼を見失ってしまう。乱戦の様相を呈してきたようだ。
マフディとしては、無駄に命を落とすことがなくてほっとした。
しかし、ザールを囲んだ奴隷騎士はきっと、一人として生きて戻ることはあるまい。そう思えば、小さく溜息を吐き出したマフディだった。
しかし、気持ちを切り替えなければならない。マフディは戦線を立て直すため、駱駝部隊を縦横に蹴散らして行く。ザール以外が相手なら、マフディは十分に驍勇を発揮するのだ。
しかしそのうち、敵の後衛――騎馬部隊が突進する様が見えてくる。
メフルダートの見事な波状攻撃だった。
しかしドゥバーンも負けてはいない。いつの間にか敵騎兵の側面を赤獅子槍騎兵が貫いていた。
その隙に重装歩兵は隊列を建て直し、損害を補填している。
(今のところは互角か。しかし、互角であっては此方の負けになるのだが)
マフディはザールに圧倒されたことで若干凹みつつ、戦線を離脱すると本陣へ戻るのだった。
◆◆◆
漆黒の鎧に赤いマントを纏った、神出鬼没の攻撃集団。
それがナセル達の、赤獅子槍騎兵に対する認識だった。
指揮官は、シャムシール本人かと見紛う程に強く、兵の統率も見事だ。
メフルダートは第二陣に元銀羊騎士団のレオポルドを投入した。
第一陣のザールに比べれば可も無く不可もないといった印象のレオポルドだが、穴の開いた敵歩兵の陣形を崩す程度の仕事はこなすだろう――そう考えてのことである。
もっとも、その手を読まれていたのか、攻撃命令を下す以前に、彼等は魔法による攻撃を受けていたのだが。
とはいえ、ここはまだシーリーンの魔法効果が及ぶ範囲である。
だから彼女の結界により、敵の攻撃で騎馬隊に損害が出る事もなかった。
「メフルダート陛下! レオポルド将軍の側面より、敵騎兵! 赤獅子槍騎兵ですっ!」
メフルダートに報告を齎した兵の声は、悲鳴に近かった。
メフルダートは慌てず、口髭を扱く。
――本来なら、ザールに赤獅子槍騎兵の相手をしてもらいたかったのだが。流石にドゥバーンはそんな策に乗らんか。
自身も駱駝に乗っているが、場合によっては馬に乗り換えた方がいいだろうか?
僅かに砂が固い。ならば、駱駝よりも馬の方が機動性が増すかもしれない――
そもそも、砂の固さに目を付けて第二陣を騎馬隊にしたメフルダートだが、それを完全に利用しているかのような敵の動きに、驚きを禁じえない。
(やはりドゥバーンはそれを知って、ここを戦場にしたのだ。となれば、おびき出されただけなのか? いや、奴等がシャムシールを救いに行きたいのは当然として――ならば、我等をここに足止めする事が目的か?)
レオポルドの側面を衝く赤獅子槍騎兵を眺めつつ、考えあぐねるメフルダートはしかし、すぐに決断を下す。
(見殺しにも出来まい)
腹をくくったメフルダートは、駱駝から馬に乗り換えると、矢継ぎ早に指示を飛ばす。
「シーリーンに伝令! 大規模殲滅魔法を頼む、と! 魔法兵は敵からの反撃にそなえ、防御結界を厳にせよ!」
◆◆◆◆
今まさに前方の敵を崩さんと、突撃を敢行している騎兵の側面を噛み破るなど、ジャービルにとっては造作も無いことだった。
そして彼の部下達もまた指揮官の意思に従い、敵を屠る事に躊躇いを覚える者はいない。
赤獅子槍騎兵が往く所、道は開ける。ただし、赤い染みを残して――。
馬上で槍を振い、目ぼしい敵を屠り続けているジャービルは不満だった。
フローレンス軍は強かった。
プロンデルとかいう敵の皇帝は、出てくるだけで戦局が変わるほどに、圧倒的な力を持っている。
だから赤獅子槍騎兵といえども、迂闊に近づく事が出来なかった。もちろん、ジャービルの信条は、”勝てぬ戦いをせぬこと”であるから、プロンデルに挑んだ事は無い。
だが、それでも戦ってみたいという思いは消せなかった。
それがどうだ――このナセル軍の不甲斐なさは。
まるで敵兵が紙のようだった。
そうして散々に蹴散らしていると、所々凹み、くすんだ銀色の鎧を身に纏う男がジャービルの前に現われた。
冑は既に無く、爛々と輝く茶色の瞳がやけに目に付く、妙な男だった。
「よくも我が同胞を殺してくれたな!」
ジャービルの前に立つ男の赤茶色の髪には、返り血が付いている。構える剣にも、ぬめりとした赤黒い色がこびりついていた。
「それは、こちらの台詞でもあるな」
ジャービルの声は、冑越しでくぐもっている。それが、嘲笑のようにも聞こえたのかも知れない。
茶色の瞳を持った男は、憤怒の形相で馬腹を蹴った。
「俺はレオポルド! ナセル王麾下の将軍! そして元オロンテス二大騎士団が一つ、銀羊騎士団の団長だ!」
「ふん。既に無き国の名を語るな、三下」
レオポルドはナセルに使い潰される所であった。
しかし、結局は自力で這い上がり、”将軍”と呼ばれる地位をしっかりと掴んだのだ。だからこそ、過去の自分も否定しない。
それでも、愚かな男に違いは無い――そうジャービルは断じた。
レオポルドの剣は、速い。
肩口に迫る斬撃をジャービルは槍の柄で払い、顔に向けて突き出される剣先を、頭を振って避ける。
その直後、ジャービルが槍を半回転させ水平に凪ぐと、レオポルドは身体を開いてそれをかわした。
「ふむ。中々やるな――俺はジャービル。シャムシール陛下の臣だ。短い間だが、よろしく頼む」
「短い間、だと?」
「くく、くはは。貴様はどうせ、ここで死ぬからな」
「何を! この紛い物めがっ!」
馬腹を蹴ってレオポルドは、ジャービルに突進した。
馬の力に自らの力を乗せた渾身の突きを、レオポルドはジャービルに放つ。
しかし、ジャービルはテュルク人だ。加えて、その中でも膂力は最強の部類に入る男だった。
レオポルドがジャービルの間合いに飛び込んだと思った瞬間、槍を捨て、曲刀を抜いたジャービルの剣が弧を描く。
両断されたのは、レオポルドの右手だった。
返す刀で、ジャービルはレオポルドの首を刎ねる。
まさに一瞬の出来事であった。
こうして、メフルダートの第二陣は主将を失い、混乱の只中へと突き落とされたのである。
後にオットーがこの出来事をジャービルより耳にした時、
「ほう、逃げ出さなかったか。あんなヤツでも、最後は立派に逝ったのだな」
そう言って小さく笑い、手に持った杯を掲げ、一息に飲み干したという。
それはかつての同僚に捧げた、オットーなりのささやかな手向けだった。
その後、戦線には巨大な隕石が幾つも降り注ぎ、両軍は撤退する。
ダスターンの軍中にはシーリーンに抗し得る魔術師がいなかった為、殲滅魔法の応酬は起こらなかったのだ。
ただしドゥバーンは結界の構築と回復に多くの魔法兵を回したため、シーリーンの攻撃による損害は皆無であった。