ジャンヌの世界語り
◆
夕刻も近づき、辺りは猛烈な砂嵐が吹き荒れ始めた。
といってもカイユームによる防御魔法の直径内にある陣は、一粒の砂とて舞い上がらない。
敵の攻撃に備えると同時に、自然現象さえ沈黙させるカイユームは流石だ。
そうした中で等間隔に天幕を張り、騎馬突撃を防ぐ簡易的な柵を張り巡らせてゆく奴隷騎士達は、戦士というより土木作業員だった。
俺が王になってからというもの、唯一生まれた不満がコレだ。
兵士曰く――
「黒甲王は、一夜の野営でも陣を築く。それも、魔法によらず。お陰で俺たちゃ、曲刀よりツルハシの方が得意になっちまった」
でも、俺は思うんだ。
自分の命を守るのに、他人の魔法を頼りにしちゃダメだ。
だから陣の柵は、自分たち自身で築くべきなんだ。それを一日でも怠って、敵の突撃を喰らって死んだらどうするというのか。
だいたい、自分が築いた柵ならば、どの程度の防御力かをしっかり理解しているはず。だからこそ、守りきれるか、そうでないかの判断も出来るというものだろう。
だから俺は、ドヤ顔で兵士に言ってやったんだ。
「その柵もまた、お前の命を守るものだ。曲刀と同様、大切にせよ」
……まあ、これは数日前のことで、鎧も冑も装備していない時に言っちゃったもんだから、そのまま俺も作業を手伝わされたけどな!
「おい、若いの、魔法兵かい? 偉そうなこといってねぇで、ちょっと柵の端を持っててくれよ!」
「あいよっ! 合点承知だぁ!」
ノリノリで手伝ってやったぜ。だけど、手に豆が出来た。やっぱり土木作業はツライね。
――ともかく今は完全武装で、そんな兵達が建てた天幕の中に居る。
そしてジャンヌと話した結果、麾下の武将達には、俺自身の事とジャンヌの事、それから世界に関する秘密を説明しようという事になったのだ。
それでファルナーズに主だった将を呼んでもらったのだが――。
天幕に集まった将は、ネフェルカーラ、アエリノール、ハールーン、ジャムカ、カイユーム、ザーラ、パヤーニーの七人だ。
外で軍を纏める役は、一時、ナスリーンやアーザーデをはじめとする千人長達に委ねている。彼女達には、直属の上官が任意で話せばいいだろう。それで離反するというなら、俺は別に止めない。
将の他にはファルナーズもいるが、それは彼女にも話しておいた方がよいと、俺が判断したからだ。
各人、俺を頂点にして、左右に列を為して座っている。
左右の頂点は、当然ネフェルカーラとアエリノール。アエリノールは相変わらず胡坐が苦手で、後ろに転がりそうになっている。今度、座椅子でもあげようかな……。
ついでに言えば、ジャンヌはちゃっかり俺の膝の上だ。本来ならファルナーズも真っ青になる末席が相応しいジャンヌだが、今回は皆に説明する立場上、この位置に目を瞑らざるを得なかった。
「――さて、と。皆、まずはこれを見て――”全ての知識”に接続。”天界の記録”をここへ」
ジャンヌが俺の膝から立ち上がり右手を翳すと、その場に淡い輝きを放つ、褐色の本が現われた。
どうも、俺の”大陸の記録”より薄い気がするが、それでも似た様なものだろう。
「僕の”天界の記録”は、手順通りに第三級神格を得た者なら誰でも持っているものだよ。符号を与えられるからね。
あと……他にも確認されている”記録”は、”神界の記録””大陸の記録”と”幻界の記録”かな」
居並ぶ諸将は宙に浮く本を、不思議そうに眺めている。
そりゃあそうだろう。”天界の記録”ってなに? 神格ってなに? って話だ。俺だってわからない。
だがしかし、ジャンヌは「知らないヤツがアホなのさ!」ばりに話を進めていくから、皆も知らないと言えなかったようだ。
もちろん俺はこっそりと”全ての知識”に接続して、その存在を確認した。
つまりは大本を”全ての知識”として、その下位に属する管理者が「各界」を統治するにあたり、必要な”知識と力”を明記し”正しき歴史”へ導く為のモノが”記録”。
故に”記録”へ記載される事象に虚偽は無く、そして全ての”記録”が揃う事で――ふうん――それは、厄介かもしれないな。
神格とは、人族の上位種たる”神”、その中における位階――だそうだ。
最上位の主神を含む十二人が第一級神格を持ち、一般的な神が第二級神格。そして半神――というか、神衣を持たないまま巨大な幽体を保有する人族が、一般に第三級神格と呼ばれる。
本来ならば人が半神に到達した時点で十二神の誰かが訪れ、そっと神界へ導くのだという。そしてそのまま、訪れた神の従属神になるのが、一般的な半神のあるべき姿だと、”大陸の歴史”には記載されていた。だから神界には半神なんて、腐るほどいるらしい。
もちろん俺にはそんな神様など来なかったし、来て欲しいとも思わないが――。とりあえずジャンヌの守護神はヘスティアというらしく、処女神ということがわかった。そこは、どうでもよかった。
――ジャンヌの話は続いている。
「――一説によると、”魔界の記録”っていうのもあるらしいけど、これはルシフェルが作ったといわれているものだから、他とは一線を隔すかな。幽界に関しては、そもそも管理者が居ないし、”記録”自体、無いかもね。そもそも創造主は四人しか管理者を創らなかった訳だし」
「ふむ――で、その本がどうしたというのだ? 管理者とはなんだ?」
腕組みをしているネフェルカーラが、怪訝そうな顔をジャンヌへ向ける。
「うん、ネフェルカーラちゃん。まずこの世界はね、かつて創造主と言われる偉大な神様が創ったんだよ。そして管理者とは、四界を管理する上位種族、その長達のことさ」
「ふむ。その様な世界を、シャムシールが壊す、と」
「うん、シャムシールちゃんをさらっと破壊神にしないでくれるかな、ネフェルカーラちゃん。ともかく話を聞いてくれると助かる」
「……仕方ない。話せ」
ネフェルカーラがいつもよりイライラしている。
多分ジャンヌの方が自分よりも俺に近いからだと思うけど――。それにしても、無表情なのに感情の起伏がわかるネフェルカーラって、ちょっと面白いな。
「まず、創造主は世界を現界、幽界、幻界、天界、神界の五つに分けたんだ。それから各世界には、それぞれの管理者たる上位種族を配置して、自らの記憶、演算能力、知識の集合体である――”全ての知識”に接続する権利を与えた。
管理者達は各々、世界に関する法則や創造神の意思を記録してゆき、白紙に近かった”記録”を文字で埋めていったんだ。それは”全ての知識”にフィードバックされ、必要に応じて各記録に改めて記載されたりもしてね。
尤も、五つの世界に対して管理者は四人――幽界だけは管理者がいなかったから、”記録”の有無がわからなくって――」
「すると、そこに創造主がいる――ということにゃのか?」
うん、ザーラ。今は猫語を使わなくてもいい。
カイユームにさえ苦笑されているぞ。
「ううん。創造神は遍く世界を創り終えると、”全ての知識”として存在するだけになったんだ。つまり世界と本当の意味で同化した。だから何処にでも居るし、何処にも居ないともいえる存在になった――のかな」
「まってぇ、そうしたら”全ての知識”って、誰でも接することが出来るってことぉ?」
ハールーンの質問は尤もだ。
「うん、特定の条件を満たせば、可能だよ。
条件とは、まず、符号を知ること。符号は本来、管理者の体内に埋め込まれていて――だから管理者は、下位の符号を与える事が出来るんだ。
つまり僕が持っている”天界の記録”は、神界の主神から与えられた下級の符号という事。ただ、それでも世界の何たるかは、創造主の知識に触れる事が出来る分、遥かにわかるんだ」
ここで辺りを見回して、話に付いて来れていない者がいないか、見渡すジャンヌ。
もちろん絶対についてこれないアエリノールは、
「創造主っ!」
といって、祈りを捧げている。
もう、外に出そうかな、こいつ。
ジャンヌもスルーしているし。
「――”ルシフェルの知識”に接続。”魔界の記録”幽界の記録”をここに」
末席から、静かな声が聞こえた。
珍しくパヤーニーがふざけていないらしい。
いや、それどころか、中空に浮かぶ二つの本を見つめ、苦笑していた。
本の表紙は漆黒で、仄かに紫色の燐光を放つ禍々しいものだ。
「”魔界の記録”と”幽界の記録”をルシフェルは作り出した。つまり彼は、限りなく創造主に近い存在となっていた、ということだ。
別に余が直接の継承者という訳ではないが、とある人物から複製を使う権利ならば得た。
これはジャンヌ――お主の”天界の記録に相当するであろうな。それ故に余はルシフェルの残留思念と対話し不死となり、亜空間を自在に操る魔法を手に入れたのだ――まあ、これは余談だが。
だが、ジャンヌ――ここでそのような話をしているという事は、すぐにもお主の符号は主神により抹消されよう。下位の符号とは、所有者が管理者の意に沿っておる限り機能するもの――違うか?」
俺はパヤーニーの言葉に息を呑む。
そりゃあパヤーニーも出鱈目だとは思っていたが、アレがルシフェルの力の一端だとすれば、納得出来なくも無い。
いつになく真面目なパヤーニーは、金髪碧眼の美青年と化していた。
おい。お前、人化出来るのかよ。本当に三十歳過ぎか? ウィルフレッド級のイケメンなんだけど。マジ、ウザイ。
「おっとぉ! 余、ルシフェルと対話をすると、気が抜けて人化してしまうのだ。危ない危ない!」
言うなりパヤーニーは、ミイラに戻った。
俺にはアイツの美意識が、理解出来そうもない。
「そうだね、僕の”記録”は間もなく消滅する。だって、これは明らかに神界への裏切り行為だからね。
ただ、一つ言えることは――元々五つの世界は対等だったんだよ。だから、神が他の上位種族よりも上なんてことは、絶対にない。
ただ、今の神は二つの”記録”を独占している。だから、他の種族より上に立てるだけなのさ」
「”記録”と、それを操る”力”か。余にはまだ、秘密があるように思えるが……。
どうあれ、”禁断の果実”を口にした者が人外の力を得るのもまた、事実。そして、その眷属となるだけでも――ほれ、余のようにもなる。
二つを独占する神には、そりゃ勝てぬであろうよ」
吐き捨てるように言うジャンヌに、言葉を返したのはパヤーニーだった。ヤツもまた、長年”記録”と付き合ってきたのだから、思う所もあるのだろう。
「ふむ――つまり”記録”を制する者が、その世界を制する――ということか。じゃが、そうなると事はカフカス大陸だけのことではないじゃろうし、ジャンヌやパヤーニー殿のような力の持ち主達――そう、天上人の争いに、わしには思えるが――」
ファルナーズが神妙な面持ちで唸っている。
唇の端を僅かに上げたジャンヌは、しかしアエリノールによって説明を阻まれた。
「まって、ジャンヌ、幽界は何の為にあるの!?」
完全に、今はどうでもいい質問だった。「だって、幽界にはどんぐりが無いじゃない!」とでも言いたげなアエリノールは、眠らせた方がいいだろう。
「そこは下位種族が上位種族へ転生する為の修練場だから、不干渉地帯なんだよ――ただ、僕たちは――いや、今の神々はそこで魂を拾って、自らの魔力を与える事で合成天使を作ったりもしているけどね。ははっ――」
意外と爆弾発言が飛び出した。
アエリノール、グッジョブだ。
「もしかしてジャンヌが以前召喚した天使達――マーキュリーも!?」
俺は驚き声を上げた。
多分、やっている事は相当な禁忌だろう。元は誰かの魂を利用して、天使として再利用するんだから、マッドでサイエンスな匂いがプンプンする。
「そう――神界には、”神界の記録”と”天界の記録”があるのさ。
その意味は――もう皆、解るよね?」
「つまりぃ、神々は天界を制圧してぇ、支配したぁ。だから天使達はぁ、そんな事をされてもぉ、文句の一つも言えないって訳かなぁ?」
ハールーンの目が細くなり、怒りを滲ませている。
元々神をそれ程信じていないハールーンは、より一層信仰心を失ったらしい。
「といって、別に天使が虐待されている訳じゃあない。根本的に天使達は神達よりも強いからね。
ただ、彼等、いや、僕等は――稀に特殊個体が発生するのさ。英霊体質と呼ばれる――ね。だから神達が最も力を持った機会に、天界が制圧されてしまった――そこで当時管理者だった熾天使が倒されて、”力の果実”が奪われた――というのが真相さ。
それに、だからこそ神達はここ――人族の多いカフカス大陸を第二の故郷と考え、常に虎視眈々と狙っているんだ」
なるほど。考え様によっては、神は人。だから自らの下位種を守る為に、様々な世界へ干渉している可能性もあるな。
俺だって、例えば天界で天使に人が虐げられていたら、攻め込むかもしれない。
いや、その考えは飛躍しすぎた。そんな事実があった訳じゃないし。
俺は代わりに、ルシフェルの心情を思いやった。
「むう、その真相に気付いてしまったルシフェルは――それで反乱を起こした、と? 気持ちは分からなくないが」
「いや、全然違うよ、シャムシールちゃん」
俺はもう、会話に入らない方がいいかも知れない。
ジャンヌにピシャリと否定された。
「ルシフェルは”天界の記録”が無い以上、神達に勝てないことは最初から解っていた。解っていたにも関わらず、唯々諾々と現界を制圧する事も、やっぱり彼には出来なかった。
だから神と同等の力を得る為に、ルシフェルは神族と一計を案じたんだ。
つまり――彼が知識の果実を食べて、直接に創造主――”全ての知識”と結ぶ道をね。
神族も、自身よりルシフェルが力を得た方が、まだしも神と戦える、そう思ったんでしょう。
――まあ、ここからは僕の推測だけれど、それでも神に勝つのは至難の事で、ルシフェルはこう考えたんじゃないかな?
”自分の力は”記録”を二つ持った神にも引けを取らない。けれど、勝利もまた、覚束ない、と。
だから、自ら世界をもう一つ作る事にした。それが魔界だね。そこへ眷属を集め、神が再び現界へ侵攻出来ないように、自分の力を書き溜めた二つの”記録”を作った。
そして肝心の”知識の果実”を、幻界へ隠したんじゃないかな。まさか、”現界の記録”を得る為の鍵が、幻界にあるとは誰も考えないだろうからね。
――そして、だからこそルシフェルは敗れたんだ」
俺はジャンヌの説明に、ただ頷く。
とはいえ、不思議な点がいくつかあった。俺が”知識の果実”を食べた時、上位妖精達は神の下僕のようだった。
まして神々のペットは空を悠然と飛び、そこはまるで属国だったじゃないか。
どうしてそんなところに、ルシフェルは大切なモノを隠したりしたんだろう?
俺が”うんうん”唸っていると、ジャンヌが振り返って微笑を浮かべた。
「幻界を落としたのが、武神ガイウス・コルネリウスさ。それは、ルシフェルの反乱よりもずっと後の話。といっても、僕が生まれるずっと前だから、五千年位前の出来事かな?
そこで彼は”幻惑の果実”を奪い、食べることで”全ての記録”に直接接続出来る符号を手に入れた。だからその罰として、神界を追放されたんだ。というより、主神でも、彼を滅殺することはかなわなかったらしい。何しろ幻界は特殊な世界だもの、その”記録”を得た者を殺すって、確かに難しいよね。
だから神々は彼を幽界へ追放して、自然と浄化されるのを待ったんだろうね。
その後”神”達は、知恵の果実が実る樹を発見。だけど、主神はこれ以上の果実を食べる事が出来なかった。何しろ一つの世界を統べる程の情報が流入するんだ。いくら上位種族といったって、それを三つも抱えられる程、許容量は多くないのさ。
かといって下位の者が迂闊に食べれば、自らに匹敵しうる叡智を持ちかねないと考えた主神は、厳重にそれを警備する事にした――という訳だね」
ジャンヌがそこまで話した時点で、彼女の”記録”が光の粒子になって消えた。
「うん、どうやら僕の離反に、主神が気付いたみたいだね。あははっ、すっきりした!」
俺を振り返ったジャンヌの目尻には、小さな涙の粒が浮かぶ。
俺は一言、どうしても聞きたい事があった。
「かつてパラディン達と共に旅をした四人の熾天使達は、その時点で……」
「そうだね、僕が会った中では、彼女達だけが本物の熾天使だよ」
微笑を浮かべて俺を見つめたジャンヌの思いは、伝わった。
ネフェルカーラは、ほら見ろ、おれは熾天使だ! と言いたいのだろうが、残念。
彼女達が人の手に”聖戦”という切り札を残した理由は多分、二つだ。
一つは確かに、上位魔族達から人々を守るため。だけどもう一つは、きっと来たるべく神々の侵攻からこそ、人々を守る為だったんじゃないか。
そうでなければ自分達が死ぬ理由は、無い。
だからイズラーイールも、世間的には堕天した上位魔族ということだろう。
でも、だからこそ本物の熾天使、か。
もっとも、結果として人は彼等の好意を踏みにじったのかもしれないけれど。
俺が妙な感慨に耽っている中、ジャンヌは漸く核心に触れる。
「だから僕達の真なる敵は、神! それと同時に、武神ガイウス・コルネリウスの依り代――いや、武神を取り込んだであろうフローレンス帝国のプロンデルなのさっ!」
ジャンヌの発言に、ハールーン、ジャムカ、ファルナーズ、カイユーム、ザーラといった下位種族組が息を呑む。
まあ、そういう事になってしまったのだ。
本来、その部分は俺が言うべき事だったのだろうけど、ジャンヌが全部を語ってくれた。
つまり俺達は、躓けない戦いの渦中にいるってこと。
だけど、敵は俺が考えていたよりも遥かに巨大だった。だから、もしも去るなら、今だよ――と、心の中で問いかけてみる。
当然、返事は聞こえなかった。
一方でネフェルカーラは”さも当然”といった風体で頷いているし、アエリノールは涎を垂らして眠っている。っておい。いくらジャンヌの話が長いからって、横になって寝るなよ!
パヤーニーは、
「余の”記録”が失われぬのは、意外だな。いや――存外、神に敵対さえしておれば、どうでもよいのやもしれん――所詮、酔狂でこんなモノを渡す上位魔族の心境などわからんか――」
などと呟いていた。
まあ、失わないなら、いいんじゃないかな。
「だけど皆、心配しないで! 神にもプロンデルにも対抗出来る希望が、ここにあるからねっ!」
白髪を乱しながら振り返ったジャンヌは、俺に大きく頷いた。
”大陸の記録”を出せと云う意味だろう。俺も頷き返す。
何となく全員がジャンヌに丸め込まれている感はあるが、仕方が無い。
とにかく俺は”全ての知識”に接続すると”大陸の記録”を取り出した。
「「おお」」
宙に浮く分厚い本を見た周囲から、驚きの声が上がった。
特に下位種族組は、沈みかけた肩が再び持ち上がる。
「これが”大陸の記録”の原本――そしてこれを持つ者こそが、この世界の管理者――いや、言い換えれば支配者と云ってもいい。
そしてシャムシールちゃんは、間違いなくそれを持っているんだ。だから、皆、僕がこれからやる事を見ていてね」
ジャンヌの顔が目の前に来た。
特に跪くでもなく、それでも恭しい口調でジャンヌは言う。
「創造主の導き、その片鱗なりとも我に示したまえ。現界の支配者たるシャムシールの下、世界に光溢るるよう、一切合切の私心を捨てると、我は誓うものなり」
そして俺の唇に小さな唇を重ねたジャンヌは、踵を返して立ち上がると、実に晴れやかな顔で宣言をした。
「”全ての知識”に接続――へぇ、これは――主神に貰ったものよりも高位の符号だっ!」
そして左手の上に再び褐色の本をのせ、皆に言う。
「さあ、皆もやってごらん! キミ達の力なら、質の差はあるだろうけど、符号を貰えるはずさっ! シャムシールちゃんは自分で符号の調整が出来ないみたいだから、今がチャンスだよっ! ここから新たな力を引き出しちゃいなっ!」
ちょ、ちょっとまて!
話の流れで、何となくこうなりそうな気はしたけど!
この儀式にキスは必要なのか? 若干二名、したくない人がいるんですが! 一人は男だし、一人に至ってはミイラなんですが!
いや、アイツ、人化出来たな――って、ダメだ! 人化してみたところで、男である事には変わりないぞっ!
――こうして、俺の純情は弄ばれた。
「おお、オレの頭の中に声が響くっ!」
ジャムカの唇は、相変わらず柔らかかった。甘酸っぱい彼女の唇は、いつ味わっても素晴らしい。
ジャムカの本は薄いが、クレイトの皇帝だけが使うと云われる秘術が書いてあったらしい。何よりだな。
「陛下――半神になられていたのですね。凄いですにゃん。これで我が軍は、百年でも戦えますにゃん」
ザーラ。そんな事はどうでもいい。なぜ君は舌を絡めるのかね? 意味はあるのかね? 嬉しいけどけしからんぞ!
そしてザーラは第十位階禁則呪文を三種、手に入れたそうだ。
ああ、彼女も歩く核弾頭になってしまった。
「う、う、うわあああ? そんなこと言われても、わからないよっ!」
アエリノールとのキスは、軽いものだった。
寝起きのアエリノールに、濃厚なキスを求めるのは無理だろう。むしろ彼女の口の横に、涎がついていた。拭ってあげた俺は、優しいと思う。
そしていきなりの情報過多に襲われたアエリノールの本は、とても分厚い。もちろん、彼女に使いこなせる筈がないだろう。猫に小判、馬の耳に念仏、アエリノールに”大陸の記録”だ。
「こ、これは破鎧剣――じゃと? 母上の剣術が記録されておるっ!」
刺されるかと思ったら、にゅっとおでこの中に引っ込んだファルナーズの角。ええっ! っと思ったらキスされた。
そして見事に本を中空に浮かせたファルナーズは今、興奮気味である。
その物騒な名前の技で、俺を斬り付けてこない事を祈ろう。せっかくの鎧も壊されそうだからな。
――な、長い。長いよ、息が出来ないよ! と思うくらいに濃厚なキスをしてしまった、俺とカイユーム。
正直、元が男という抵抗感さえなければ、カイユームは凄まじく美人だ。
こんな女教師が担任だったなら、是非とも保健体育をご教授頂きたい程である。
最後、唾液に糸を引かせてニヤリと笑ったカイユームの一言。
「ぷっはー! このために生きてるっ!」
いや、俺、ビールじゃないし……。
でも、マズイな。段々とカイユームを女として見てゆく自分がいるぞ……。
あ、もちろんカイユームも問題なく本を手に入れて、鉄壁から金剛壁に進化するようだ。ポケ〇ンかっ!
「シャムシール……仕方、ないよねぇ……」
……仕方無いというハールーンのキスは、濃厚だった。
軽くでいいじゃないかと強く思ったが、しかし途中から俺の目が潤んだ。
ハールーンの舌が、舌がぁぁあ!
イケメン過ぎるハールーン。わりと嫌じゃない俺。
もしかして俺は、BLの世界でもやっていけるのでは?
違う違う! 断じて違うぞ!
ちなみにハールーンも、しっかりと本を出している。効果があったようで、ホッとした。
さて、口直しにネフェルカーラ……でも、それは後でいいか。なんとなく、今のネフェルカーラは機嫌が悪そうだし。
「いやいや、余は?」
俺が立ち上がって去ろうとすると、パヤーニが慌てふためく。
コイツはいいだろう。だって、既に二冊も持ってるよ?
俺は、物凄く嫌そうな視線を送る。
「やはり、唇がないと嫌かな」
うん、そういう問題でもない。
「余とて男と接吻など、望んでおらんしのう」
パヤーニーも、腕組みをして考え始める。
そりゃあそうだろう。何の躊躇も無いハールーンがおかしいのだ。
「あ、シャムシールちゃん。言い忘れてたけど、別にキスしなくても問題ないよ? 体の一部が触れ合ってさえいれば」
その時、顎に人差し指を当てて、愛らしく微笑む純白のクリーチャーが言った。
俺の左拳はジャンヌの顎を正確に捉え、相手との距離を正確に掴む。
次いで溜め込んだ力を解放した幻の右ストレートが、ジャンヌの顔面を打ち抜く。
見事に顔面が陥没した美少女は、全身を痙攣させ、こう言った。
「イ、イイ。シャムシールちゃん……今までで一番イイよォ――一緒に世界を狙おう――」
なんかもう俺、ジャンヌが元転生者とかでも驚かないかもしれない。
ともかく、こうして無事? パヤーニーも”大陸の記録”を手に入れた。
最後のネフェルカーラは、軽く俺の手に触れながら誓いの文言を唱える。
当然の如く易々と、”全ての知識”へ接続する符号を手に入れたネフェルカーラ。だけど何だか今、妙に俺と距離をおいてないか? もしかして、色んな人とキスをしてしまったから、嫉妬しているとか?
あれ? ネフェルカーラの目に、少し涙が溜まっている。
ああ! 俺が見たら”ぷいっ”と顔を背けられた。
「接吻が不要であるコト位、半神なのだから見抜いてもよかろう! それに、何でもおれを一番にすると、約束したではないかっ!」
ネフェルカーラの肩が、少し揺れている。
本当なら今すぐでも彼女の肩を、そっと抱き寄せてやるべきだろう。いや、そうしたかった。
だけど、今の俺にはそれが出来ない。
話し合わなければならない事が残っているし、実際、目の前には敵が迫っているのだから。
でも、そんな事を思うことさえ言い訳なんじゃないかと思う自分が、とても情けなかった。