四頭竜の軍旗を掲げて
◆
アエリノールからアーラヴィーを降したとの連絡が入ったのが三日前のこと。
ジーン・バーレットも西部戦線で見事な戦果を獲得し、敵の補給路を断った。もっとも、敵の迎撃部隊を撃滅した後、ジーンが夏侯惇になったということで、俺はガクブルだ。
ではなく……敵部隊を撃滅した後、首都攻略へ移ろうとしたジーンの背後から聖光緑玉騎士団が現われ、帝都占領が不可能だったという残念なお知らせも入っている。
それはまあいい。
別に帝都を占拠しても維持できる訳でもなし、ジーンはゲリラ的に暴れまわってくれれば十分だ。ジーンはその辺りの事もよくわかっているから、自分で国を興そうとも、聖教国を復活させようとも思わないのだろう。頭の良い女性だ。
でも、頭の良いジーンから届く手紙が、なんだか狂気じみている。俺は何か悪い事をしたのだろうか?
昨日届いた手紙には、ジーンの髪の毛が同封されていた。
挙句、追伸文に至ってはまさにホラーだった。
他の人へ宛てたジーンの手紙は普通なのに、どうして俺だけ……。
『追伸――へいかのいちぶをわたしにくださいそれでわたしは百年でもたたかえますおねがいしますあいしてますもしもくれないならわたしのいのちをうばってくださいだけどあいはえいえんですからきえませんすきですすきです――わたしのおもいがとどかなければのろいますのろうのろうのろうのろう……お返事、絶対に下さいね。あなたのジーン・バーレットより』
なにやら呪われる可能性を感じつつ、ビクビクしながら俺はジーンに返事を書くと、少しだけ切った髪の毛を添えて闇隊へ託す。
『ジーン、いつもありがとう。君の綺麗な銀髪、大切にします。代わりに余の髪を同封するので、これでなんとか、呪わないでもらえますでしょうか。どうしても呪いたい場合、同封の金髪を呪ってください。この髪はパヤーニーという変なミイラのものなので~~以下略』
返事も完璧、これできっと俺は呪われない。
パヤーニーが髪の毛が減ったと嘆いていても、気にしない。まさか俺が棺に手を突っ込んで髪の毛を毟ったとは、夢にも思わないだろう。
――それにしても、もう朝か。
朝? 俺は昨夜、窓とカーテンを閉めて寝たはずだが、どうして開いている?
そのお陰でマディーナの強烈な朝日が俺の横顔を打ち付け、否が応にも目が覚めてしまった。
とはいえ瞼が完全に開く事は無い。
何しろ俺は寝不足気味なのだ。出来ればもう少し眠りたい。
はて、窓の側に金髪の美女が立っているぞ? やっぱり俺は夢の中にいるのか。
いや、美女というか、あれは単なるアエリノールだ。アエリノールはアーラヴィーにいるはずだから、おかしいな。
俺、暫くアエリノールと会ってなかったから、会いたくなって夢で見ちゃった? そんな馬鹿な。
「ガイヤールで、急いで帰ってきちゃった!」
――なに?
アエリノールがつかつかと俺の寝台に歩み寄り、ストンと腰を落とす。
疲れたと言いたげに、両手を広げて肩を竦めるアエリノールには、責任感の欠片も感じられない。
駄目だろう、総司令官!
そう思ったら俺の瞼が完全に開いた。窓に目をやれば、既に青空が広がっている。
あの日、ファルナーズ、サクルの両名と添い寝をして以来、どうにも完全な朝方生活に戻れない俺は、起床時間が少し夏休み的になっていた。なので最近は朝方寝て、昼前に起きるという生活サイクル。出来ればあと三時間位は寝たかった。
なのに!
ていうか、アエリノールは窓から入ってきたのか。いやでも、どうやって開けたんだ?
「アエリノール、どうやって窓を開けたの?」
「ん? 魔法だよ」
ああ、そうか、アエリノールも何でもアリなんだなー。このチート馬鹿がー。
そう思いながら、俺は再び寝台の中へ潜る。もうちょっとだけ寝たいのだ。第一、今日はいよいよヘラート救出の軍を進発させるのだから、寝不足は勘弁してもらいたい。
「ああー! わたしも寝るっ!」
そういうと、アエリノールは俺の寝台に身体を滑り込ませる。
せめて鎧を取って欲しいと思いながらも、眠たいので俺は文句を言わなかった。
「ふぎゃああ!」
アエリノールが滑り込むと、潰れた猫の様な声が俺の足元から聞こえる。なにこれ、恐い。俺は今まで、不思議生物と寝ていたって事だろうか。
俺は一気に掛け布を捲ると、アエリノールの足元で蹲る白髪の美少女を見つけた。
「やあ、シャムシールちゃん! おっはー! 昨日は凄かったねっ! 僕、もう足腰立たないよっ!」
とりあえず裸で飛び上がったジャンヌ・ド・ヴァンドームを窓から投げ捨てると、俺は軽く印を結び、魔法を起動させる。
印とは手話のようなもので詠唱の代わりになるのだが、使い方は人それぞれ。俺は最近、印の便利さに気付き、大体の魔法を印で発動出来るよう、練習していた。
ちなみにジャンヌは、
「わし、無詠唱でもいけるでぇ。一応、聖女やさかいなぁ。今まで黙っとって、悪かったなぁ」
と、似非関西人風に言っていた。
その時のカチューシャは、ハゲのヅラである。
ともかく俺は、ジャンヌの足腰が立たない理由を知らない。
アレは時間を止めて、阻止しても阻止しても俺の寝室に忍び込む厄介なクリーチャーだ。
俺は慎重に狙いを定め、投げ捨てたジャンヌに向けて掌を翳す。滅せよ。
”ドドドドドドドン”
幾つもの光弾をジャンヌへ向けて放ち対象を沈黙させると、俺は頬を流れる汗を拭った。爽やかな朝だ。
そういえば、昨夜もジャンヌをこうやって追い出した気がする。そりゃあ、足腰立たなくなるかもしれないな。
窓から振り返った俺は、寝台の中にいるアエリノールへ声を掛けた。
「なあ、アエリノール。君は東方軍団の総司令官だ。今すぐ戻ってその責務を――」
「すぅ――すぅ――」
聞いちゃいねぇ。なんなら、寝た。
まあ、疲れているんだろう。
実際、勝利を収めているし、ヴァルダマーナとパールヴァティを味方に引き入れてくれた功績は大きい。それにサラスヴァティも配下に加えたと聞いているし……。
そう思えば、自然、アエリノールを労おうという気持ちに俺はなった。
鎧も脱がないまま寝たら、痛いだろうに。
そう思った俺は、掛け布を捲るとアエリノールの鎧に手を掛ける。
寝返りを右に左にとうたせながら、マントを外し、鎧を外す。
下から現われたのは濃紺の衣服で、これも少し汚れている。
とはいえ、これを脱がすとこの下は下着だろうから、多少抵抗を感じるが……。
しかしアエリノールは、寝苦しそうにもぞもぞと動いている。
まあ、どうせ妻になるんだし、脱がしてもいいよね!
というか、欲望に負けた俺は、アエリノールの胸元に手を掛ける。
「うん、小ぶりながら、中々の弾力」
「う、うぅん……シャムシール……撫でて……」
アエリノールの衣服をはだけさせていると、悩まし気な彼女の声が漏れた。
ほんのりと頬が上気して、息遣いが粗くなっているのは、胸をこちょこちょしたせいだろうか。ドキドキする。
しかし、アエリノールは「うふふ、うふふ」と寝言で笑ったりもしていた。
なるほど、アエリノールは俺を拒絶しないだろう。だけど、まだまだ頭を撫でられる方が好きなんだな。そう思ったら、これ以上彼女を変な目で見る事が出来なくなった。
俺はアエリノールのいる寝台に潜り込むと、彼女の頭をそっと撫でてやる。
「うふふ、うふふ」
眠りながらも嬉しそうなアエリノールは、やっぱり可愛かった。馬鹿だけど。
「お、おほん! え、えへん!」
俺がアエリノールの頭を撫でていると、部屋の隅で蒼いアバヤドレスを身に纏った、蒼髪の女性が此方を見つめていた。
ま、まさか俺はこの状況で、アエリノールにちょっとアレな事をしていたのか?
誰だ! 侍女か? さっきから気配は感じていたが、アエリノールのおっぱいに気をとられていた! まずいぞ、まずい! これじゃ俺がまるで変態王じゃないか!
ていうか、彼女はだれだ? 髪の色はシャジャルのようだけど、金色の瞳が妙に威圧的だ。でも、足を妙にモゾモゾさせているところを見ると、俺とアエリノールを見てちょっとだけ興奮していたとか?
それにしても、なにやら冷気が漂ってくる。
ここはマディーナ、常夏のオアシス。なぜ、エアコンもないのにこれほど涼しい空気が?
「――くしゅん! あ、忘れてた! 紹介するね、シャムシール! あそこにいるのが、サラスヴァティ! 一応、わたしの権限? で、わたしの部下にしちゃったけど、シャムシールと戦いたいんだって! それで連れてきたのっ、うふふっ! って、あれぇ? わたし、なんで服が脱げてるの?」
その時、自分のクシャミで目を覚ましたアエリノールが、飛び起きて説明をしてくれた。彼女は慌ててはだけた胸元を隠し、首を傾げている。
そう、それは妖精さんの仕業だよ、ハッハー。って言おうと思ったら、アエリノールは上位妖精。そんな言い訳は通じないな。
「紡ぐ――極寒の公妃よ――」
うむ、それよりも、だ。俺と戦いたくてサラスヴァティさんは、ここにいるのか。どおりで禁呪の詠唱が聞こえてくると思ったよ。寒くなってきた訳だ!
俺は勢いをつけて部屋の隅に行き、サラスヴァティの柔らかい唇を手で塞ぐ。これ以上ここで、呪文を唱えさせる訳にはいかないのだ。
「戦いたい、というのはわかった。だが、俺も王だ。いつでもどこでも、という訳にもいかない。まして君はアエリノールの部下になったんだろう? 場所を弁えてくれ」
俺の手を払いのけると、サラスヴァティが顔を真っ赤に染めて言い募る。
「だ、だって! わらわを無視して、二人でまぐわいを始めるからっ! わらわだって、この場で戦ってはいかんということ位、わかっておるわ!」
間近で見れば、サラスヴァティはなんとも言えない美しさだった。
金色の瞳はどこか天使を思わせて、白皙の頬はひんやりと冷たい。卵の様な輪郭に高い鼻筋と小さな口がバランスよく配置されていて、蒼い髪は上部こそぼさぼさだが、他は真っ直ぐ背中に伸びている。胸も、中々上品な形をした一級品だろう。
俺はうっかり、そんな美人の口を、無造作に塞いでしまったらしい。
サラスヴァティは、いよいよ目に涙を溜めながら、悔しそうに吐き捨てる。
「それなのに、それなのに! アエリノールとまぐわっておるというのに、お主はわらわにも手を出した! この獣めっ!」
いやまて。俺はアエリノールとまぐわってないし、サラスヴァティ、君に手をだしてもいないぞ。それなのに獣扱いって、流石の俺も凹んじゃうからな。
「いや、それは誤解――」
「あー! シャムシール! わたしのおっぱい触ったでしょう!」
なぜここで、そんな事実に気付いてしまうのだ、アエリノール。
「別にシャムシールだからいいけど――」
あ、いいんだ。許されるんだ、俺。
「うわああああん! 淫獣どもおおお!」
しかし、そんな行為を許してくれない人もいた。なんとサラスヴァティは、壁をぶち破って外へ出てしまう。獣から淫獣にクラスチェンジした俺は、少し悲しい。
だが、壁から飛び出したはいいが、どうやら彼サラスヴァティは飛べないようで、地上へ向かってまっさかさまだ。
――あれは、馬鹿なのでは?
と、アエリノールに視線で訴えてみるも、総天然色おバカ色に染まったアエリノールの事。見事、頭上にクエスチョンマークを浮かべて首を傾げていた。
俺はやむなく機動飛翔を唱え、サラスヴァティをお姫様抱っこで救出する。
「は、放せ、放せぇ! お主の子など、身篭りとうないっ! ア、アエリノールもアエリノールじゃ! お主の様な淫魔にわらわを会わせるなどぉぉ! 友だと思っておったのにぃぃ!」
顔をポカポカ殴られながら、淫獣から淫魔へクラスチェンジしたらしい俺は、サラスヴァティに話しかける。それにしても、破竹の勢いでクラスチェンジできるな、俺。
「まあ、戦っただけじゃ妊娠しないと思うから、心配ないと思う」
「うう……ひっぐ。ほ、本当か? 今、お主に触れられているが、これも平気か?」
「うん、この程度なら、ね」
「ひぃぃ! 嫌じゃ! 早くわらわを放すのじゃ!」
なんだろう。俺は一体どんなヤツだとサラスヴァティに認識されてしまったのか。ともかく第一印象は最悪なんてもんじゃないな、これ。
再び部屋に戻ると、何故かジャンヌ・ド・ヴァンドームも戻っており、俺は美女三人に囲まれる事になってしまった。といってもサラスヴァティはアエリノールの背後に隠れ、時折唸るだけなのだが。
「ぐるる! 必ずお主を倒してやるぞ!」
「とりあえず戦うというか、試合ということでよければ落ち着いたらやってもいいけど、今日はこれから出陣だから、やめて欲しい」
「そうだね、神族の人。シャムシール王に挑むなら、まず僕を倒してからにするんだね!」
俺の前にしゃしゃり出たジャンヌは、シーツを身体に巻きつけただけの格好だ。ある意味では魅力的だが、彼女の性格がそれを台無しにする。
俺は再びジャンヌを投げ捨てようと持ち上げたが、今度は頑なに抵抗するジャンヌ。
「ま、待って! ぼ、僕だって最近悩んでるんだ! 僕は僕自身を百合キャラだと思っていたんだけど、どうやらただの僕っ子に成り下がったみたいで! だからこれ以上キャラの濃い子が出てきたら、僕の立場が……だからここらで一つ活躍を……! そして妻にっ!」
「ぐるるっ! お主も淫王の後宮の一員かっ! よかろう! 倒すっ!」
俺はやっぱりジャンヌを投げ捨てた。
最近のジャンヌは、確かに俺の妻達に手を出そうとすることが減った。だが、その代わり俺にばっかりちょっかいを出してくるのは、そういう事だったのか。非常にメンドクサイ。
そもそもジャンヌも今後はシバールの為に戦ってくれるというから、何か役職をあげようとしたら、全ていらないと断られた。
じゃあ、どうしたいんだ? と聞いたら、
「シャムシール王の抱き枕として、頑張る所存! 働きたくないでござる!」
とか意味が分からない事を言っていた。
結果、毎夜、俺の部屋に侵入するのだから本当に迷惑だ。もしかして本当に、俺の妻になりたいのだろうか……。
いや、それより俺、淫魔から淫王にクラスチェンジしたな。サラスヴァティの中で、俺は一体どこまでいってしまうのだろう? いっそ淫神を狙いたい。だけどもそんな俺は、童貞です。くすん。
ともかく俺は寝衣から着替える為、アエリノール達を執務室に下がらせると、ホッと一息つく。
思いがけず早起きをするハメになったが、まあいいか。
――いや、よくない。
俺は着替え終わると、壁にぽっかりと開いた大穴を見つめ、一人額に手を当てるのだった。
◆◆
執務室に入ると、部屋の隅にある長椅子でアエリノール、ジャンヌ、サラスヴァティが横に並んで座り、談笑をしていた。
一応アエリノールは上将軍な訳で、ネフェルカーラと並ぶ国の重臣なんだが、女子会みたいになっていていいのだろうか。
いや、それを言ったらジャンヌはアレで神々に列聖されたという聖女の一人。
即ち現界において神の代理人たる権利を有するのだから、一番偉いのはアレか?
いや、でもアレは現在俺の抱き枕だからして……。もしかしてアレと仲良くしていたら、神様のペット達を喰ったことを許してもらえるかもしれない。名案か? いや、迷案だろう。
ううん、ともかくサラスヴァティ――彼女の処遇が問題になってくるな。味方だか敵だかよくわからない状態だし。
俺が少し考えながら執務机の前にある椅子に座ると、アエリノールが細眉を吊り上げてつかつかと歩み寄ってくる。
そして机に両手を”バンッ”と付き、怒り始めた。
「肌に触れたんだよ! 裸だって見たんだよ! もう、責任とってジャンヌちゃんを妻にしなよ! じゃないとジャンヌちゃんが可哀想じゃない!」
俺はアエリノールの主張に、瞼を二度、三度と瞬いた。
「でも、そうするとアエリノールの相手をする時間が減っちゃうよ?」
俺の言葉に、あっさりと狼狽するアエリノール。
「やっぱり駄目だよ! ジャンヌちゃん!」
「ええ! アエリノールちゃん! 頼りにならないよっ!」
ふふ、何だかんだで、アエリノールの操縦法を身に着けてきたぜ。
よろよろと部屋の隅へ歩くアエリノールを見て勝利に酔っていると、慌しく執務室の扉が開く。
俺はとても嫌な予感がした。
この部屋の扉を、ノックもなしに開ける人物などただ一人しか居ないのだ。
「シャムシール! またしても浮気するとは、もはやおれと共に暮らすしかないなっ!」
面倒が漆黒の服を着て現われた。ネフェルカーラだ。
あの日、ファルナーズ、サクルと共に入浴したせいで、俺はネフェルカーラに浮気者扱いされている。
実際、ファルナーズが「身篭るかもしれぬ! わしはシャムシールの子を身篭るかもしれぬぅ」なんて目をグルグルした状態でネフェルカーラに言ったものだから、もう大変だった。
サクルは幸い骨に戻っていたけど、意味深にお腹を擦って、ジャムカやカイユームに俺は酷く冷たい目を向けられたものだ。
ただ、サクルの場合は単なる食べすぎだと思うんだけどな。
ともかく俺はネフェルカーラに必死で事情を説明し、何とか許してもらったのである。
「で、侍女はなぜ湯を交換したのだ?」
「若さゆえの、過ちです……」
こんな会話を交わしたのも、つい先日のことだった。
「誤解だ、ネフェルカーラ!」
全身に怒気を漲らせたネフェルカーラは、魔力を解放しつつ室内を歩む。
足元の空気が揺れて、室内を異様な熱気で満たしてゆくようだった。
この様に、サラスヴァティはおろか、アエリノールさえ顔を引き攣らせている。
「ネフェルカーラちゃん……熾天使の力を完全に扱えるようになったんだね。でも、やたらと解放しないで欲しいかなぁ」
そんな中、白い抱き枕がブツブツと言っていた。
確かに今のネフェルカーラから感じる圧力は、今までの比ではない。
俺が全力を出したとして、きっと優劣付け難いほどの魔力を持っている程だ。
だとすると、危ない。もしネフェルカーラが本気で怒っていたならば――
「いたいいたいいたい! ネフェルカーラ、ごめんなさい。爪がおでこに食い込むから、いたいいたい! 脳が漏れる! 漏れる!」
「明日から、おれが一緒に寝る! いいな!」
「はい」
俺はネフェルカーラの言葉に、折れた。
あのままでは、命を取られていたであろう。危ない所だった。
「ちょっと、ネフェルカーラ! それはあんまりよ! わたしだって一緒に寝たい!」
抗議の声を上げるアエリノールは、しかし悔しそうだ。
力の差が歴然なのだから、それもそうだろう。
「ほう? ならば、おれを力尽くで排除してみるか?」
「くっ! その力……一体何なの? 少し前まで、わたしと変わらない位だったのに……」
「僅かばかり修行をしてな。何、もとより貴様等と違い、自然と強かったおれが修行したのだ。この程度の力、すぐに身に付けられる……ふははは」
ネフェルカーラを睨み悔しさに震えるアエリノールに、何故か救いの手を差し伸べる白髪の抱き枕は、とても良い笑顔で言った。
「アエリノールちゃんも、もっと強くなれるよ。元々が上位妖精だし。せっかく戻ってきたんだから、僕が色々教えてあげるよ! でもその代わり、おっぱい揉ませてね!」
駄目だ……この抱き枕は腐ってやがる。何が僕っ子に成り下がった、だ。しっかり百合な変態路線じゃないか。
「え? でもジャンヌちゃんはシャムシールのちゅっちゅ用抱き枕じゃ……」
おい、アエリノール。さり気なくジャンヌの肩書きを、おかしなモノにするのはやめろ。
「そう、僕こそがシャムシールのちゅっちゅ用抱き枕、ジャンヌ・ド・ヴァンドームさ! ”倒錯の魔術師”とも”純白の聖女”とも言われていてる、ね!」
何が聖女だ。お前の場合は”純白の性女”だろうが。あと、ちゅっちゅ用を定着させようとするな!
「あ、貴女がヴァンドーム? う、うん、お願いするわ!」
アエリノールもつっこめよ! 問題あるだろう、ジャンヌの言葉は! ていうか、ジャンヌ・ド・ヴァンドームってことに今気付いたのか? どこまで馬鹿なんだ、アエリノール。ジャンヌちゃんって自分で言っておきながら……。
「わらわも、鍛えてもらってよいか? どうも、今の力ではそこの二人に勝てる気がせぬのじゃ」
長椅子に座っていたサラスヴァティが立ち上がり、ジャンヌの手を握るアエリノールの横に立つ。
きっとサラスヴァティもネフェルカーラの力を見たからだろう。
サラスヴァティがネフェルカーラだけでなく、俺にも鋭い視線を投げつけていた。
あれ? もしかしてネフェルカーラのアイアンクローを、俺が結界で防いでいた事、バレちゃったかな? でも、防がないと本当に脳が漏れてたと思うもん。仕方がないじゃない……。
「ま、任せてよ! こんな美女二人を弟子にできるなんて、ちゅっちゅ用冥利に尽きるよ! ハァハァ! サラスヴァティちゃんは、お尻を触らせてもらおうかなぁ!」
なんていうか、ジャンヌをもう一度捨てた方が良い気もするが、皆が強くなるのはあり難い。痛し痒しというものだろうか。
「ふん。修行なり何なりをするのもよいが、これより我が軍は出陣するのだぞ。アエリノール、貴様、ここへ戻ったからというて、休めるなどと思っておらんだろうな?」
「何言ってるのよ! シャムシールと一緒だったら、あっちの世界だって行ってやるわ!」
あっちって、どっち? やっぱりアエリノールがいると、疲れる。
俺はネフェルカーラとアエリノールの口論の合間に、鎧を身に着け冑を被った。
そういえば、今日は出陣だ。あまり長々と遊んでいる時間はない。
俺は武装を整えると、纏まらない話に割り込んで、こう言った。
「そろそろヘラートへ向けて出陣する。アエリノールもガイヤールを駆って参加しろ。サラスヴァティはアエリノール付きの奴隷騎士として従軍せよ……ネフェルカーラが本来ここに来た理由は、準備が整った――そういうことだったんだろう?」
「ついでに浮気者の夫を窘めようとも、思っておったがな」
俺はネフェルカーラの言葉に苦笑しつつ、部屋を後にする。
もしもサラスヴァティが嫌だというなら、その時は今ここで実力差を見せつけようかとも思ったが、どうやらその必要も無さそうだ。素直に従う八つの足音を聞き、俺は安堵した。
「シャムシール王。わらわはお主を認めない。妻は、一人であるべきじゃ。じゃからお主の性根、いずれわらわが正すとしようぞ!」
暫く歩いていると、後ろからサラスヴァティの声が聞こえた。
別に俺のせいでこの状況になっているんじゃないんだけどなぁ……そう思ったが、あえて答える事もないだろう。
「一介の奴隷騎士風情が、王に向かって大層な口を利くものよ」
ネフェルカーラが俺の後ろで、サラスヴァティを窘めている。
先ほどの迸る魔力を見せられた後とあってか、サラスヴァティはネフェルカーラに表立って反発したりしない。彼女は、まるで叱られて伸びる子のような返答をした。
「ふんっ、ならばすぐに武勲を挙げ、将軍になってみせるわ! さすれば王と口を利くのも構わなかろう!」
なにやらサラスヴァティの目的が逸れた。
なんていうか、それって物凄く俺の役に立ってくれるって宣言しているようなものじゃ……。しかも、凄く俺の側に近づきたいみたいになってるけど、いいのか、サラスヴァティ。
「ふはは……ならばやってみよ」
ほら、ネフェルカーラが笑ってる。
完全にオモチャを手に入れた感じになってるよ。でも、ま、これでサラスヴァティもちゃんと奴隷騎士をやってくれるみたいだし、結果オーライかな。
――さて、これでアエリノールの持ち込んだ問題は片付いた。あとはシバールの問題を片付けるとしよう。
今やウィルフレッドもプロンデルと合流し、ヘラート包囲に参加している。マディーナを落とせない以上、軍を分ける意味を失ったからだろう。
だけどジーンが補給路を断った以上、奴等が本国へ戻るのは時間の問題だ。いかにナセルでも、合計で四十万にも及ぶ大軍を維持するだけの食料を確保出来るはずも無い。
ならば、俺が成すべき事は、いよいよナセルとの決戦だ。
ナセルはサーリフの仇。
ドゥバーンの軍とマディーナの軍、そしてヘラートの守備兵で三方より包囲すれば、兵力でも勝る此方が圧倒的に有利となる。
俺は漆黒のマントを翻してアーノルドの背に跨り、大空へと舞い上がる。
空にはアーノルドを含め四頭の竜がいて、眼下には十万の精鋭と、彼等が掲げる四頭竜の軍旗が翻るのだった。