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異世界奴隷が目指すもの!  作者: 芳井食品(芳井暇人)
四頭竜の軍旗を掲げて
105/162

かくて喜劇の幕は上がり……

 ◆


 全軍をマディーナへ収容すると、既に東の空が白み始めていた。

 今日、死んだ者の数は、千人を下らない。両軍合わせれば、万にも届くだろう。

 月明かりが照らす砂漠の砂は荘厳でも、やがて日に晒されたならば、途端に現実を突きつけられる。

 マディーナの周辺に散らばった無数の死体は、胡狼アブン・アーワシャーヒーン、はては飛竜ティンニーンの餌となるのだ。

 それにしても敵の損害は、その殆どがパヤーニーの殲滅魔法による。あれ程の事が出来るなら、最初からやってくれればいいのに、と思った俺は、頭を振った。


 ――いや、逆にあれ程残酷にやる必要があったのか?

 執務室に戻った俺は、窓辺で白みかけた空を眺めるネフェルカーラに問いかけた。


「パヤーニーはなんで、最初からあの魔法を使わなかったんだろう? それに、あの魔法じゃないとダメだったのか?」


「機を、見ていたのであろう。かの者は、生前、戦の天才と呼ばれておったからな。事実、今回も決定的な場面で敵に打撃を与えた。あれは――あの時でなければ、これ程の効果を齎しておらん。それに、誰もあのような殺され方を望む者はおらん。――名誉もなく、無様で――実に惨めな死に方だ。だからこそ、敵に対してもっとも効果があるといえよう。今頃生き残ったフローレンス軍は、皆震え上がっておろうよ」


 振り返ったネフェルカーラは朝日を背に浴び逆光となり、その表情も読めない。

 しかし元々、敵に対しては何処までも冷酷になるネフェルカーラだ。あれは当然のことと、パヤーニーの行動に納得しているのだろう。


 俺は改めて「戦争」というものを、考えた。

 敵にも家族が居ただろう。恋人が居たかも知れない。それを俺の命令で殺してゆく。

 いや、仮に命令しなかったとしても、全てはスルタンである俺の責任だ。

 だからこそ俺は、なるべく戦場に身を置きたいのかもしれない。何しろ自分が戦場に居れば少なくとも、安全な所に居ながら他者の血で平和を勝ち取る、そんな本当の塵屑にならなくて済むと思えるのだから。

 確かにパヤーニーがやった事は、俺が勝利を収める為に必要で、さらに今後を見越せば有効な一手だ。しかしその事実を嚥下しようとすれば、良心が、まるで喉に詰まった小骨の様に、俺の感情を刺激するのだった。


 ネフェルカーラは再び外に目をやり、もう一言付け加えた。


「パヤーニーはお前の為に、恐怖を体現するつもりであろう。あれは、そういう男だ」


 俺は机に置かれた”チャイ”に手を伸ばし、瞼を閉じる。

 俺の為に恐怖を体現するとか、正直勘弁して欲しい。

 いや、冷静に王として考えれば、おちゃらけた事をしつつも、要所を締めるパヤーニーのような存在はあり難い。まして、自ら進んで汚れ役を買うなど、殊勝な心がけでもある。


 ――しかし、しかしだ。


 俺は適度なところで、王様を引退したい。魔王的な存在になっては、それも不可能になってしまうではないか。

 もちろんシバールの戦乱は収めるつもりだし、その上で経済の発展と奴隷の解放は政策として成し遂げたいが、よく考えればこの戦に勝つと、俺が引退出来るチャンスが巡ってくるのだ。


 俺は、考えに考えた。

 仮初でもいい。フローレンスを押さえ込み、適度なところで停戦なり休戦なりの協定を結べば事は済む。

 東方はアエリノールがアーラヴィーを攻略して、防波堤を作る。そうすれば、現在内戦中のクレイトが国内を統一しても、容易に手出しが出来なくなるはずだ。それに、内戦が終わってすぐ外征に出るほど、クレイトも愚かではないだろう。

 やはり俺が引退するチャンスは、ここしかないのだ。


 ――ああ、そういえば、丁度良い機会だ。そういう気持ちを、ネフェルカーラに伝えておこう。元々、俺がどんどん出世してしまう理由は、ネフェルカーラのせいでもあるし。


「なあ、ネフェルカーラ。俺はさ……」


 俺は”チャイ”を一口啜ると、立ち上がってネフェルカーラの側に行く。

 言葉を選ぶ為に少しばかり間をおくと、緑眼の魔術師は振り返って微笑を浮かべた。


「わかっておる。お前は、”元の世界”とやらを探したいのだろう」


 そうか、ネフェルカーラは俺のスマホを見たんだった。だが、今となっては日本に帰る意味も無い。

 そりゃあネトゲはやりたいし、スノボだってやりたい。だけど正直言って、今の方がリア充なのだ。

 親父の死後、俺を一人で育ててくれた義母ははだって、今更、俺という足枷など無いほういいだろう。

 俺が居なければ義母ははは親父の財産を使って勝手気ままに生きられるだろうし、美人だから再婚だって容易なはず。

 ――もしも日本で待っている人が、シャジャルのような妹だったら、俺は絶対に帰りたかっただろうが……。

 ともかくネフェルカーラの言葉に、俺は首を横に振った。


「いや、それはもういいんだ」


「では、なんだ?」


「――俺はスルタンとしてフローレンスを追い払い、シバールを平定しても、聖帝カリフになる気はない」


 首を傾げるネフェルカーラに、俺は大きく息を吸ってから宣言を始める。


「ほう……聖帝カリフになる気は無い、と。では、どうしたいのだ?」


 不思議そうに俺を見つめるネフェルカーラは、俺の言葉を復唱し、顎に指を当てた。


 よし、言え、言うんだシャムシール。

 俺の決意をネフェルカーラに叩きつけてやるんだ!

 スルタンにはなったけど、これ以上先へは、一歩たりとも進んでなるものか! 俺はここ止まりで、あとは田舎暮らしをするんだ! と。


「俺には、この世界でまだ見ていない土地がある――だから」


 そう、俺はまだ見ぬ田舎で暮らしたい。

 俺は胸に片手をあてて、万感の思いを込めると、言葉を紡ぐ。


「ま、まさか……シ、シバールだけでは足らぬと申すか!? なんと豪気な……!」


 ネフェルカーラは一歩下がって窓辺に片手を付き、もう一方の手を額に当てた。

 なにやらショックを受けているようだが、目まぐるしく瞳を動かし、なにやら計算をしている様子にも見える。

 ん? 豪気? 豪気かな? まあ、スルタンを辞めるなんて、ある意味では豪気だよな。


「とにかくフローレンスをここで押さえ込めば平和になるし、東ではクレイトが内戦中とくれば、俺の役目はスルタンじゃなく、別にあるんじゃないかなと」


 とにかく俺は、言葉を続けた。

 ネフェルカーラは、僅かばかりの汗を頬に浮かべている。

  

「――でも、ネフェルカーラだけには俺、付いて来て欲しくて」


 これは別に、言い訳なんかじゃない。

 俺は心から、田舎でネフェルカーラと共に暮らしたい。

 パラディン一家に、少しだけ憧れたのだ。

 俺もパラディンのように、家事もこなす一家の大黒柱になれたらな、と。

 だから引退後は小さなネフェルカーラに約束した通り、彼女を妻にして田舎に引き篭りたかった。

 ……いや、そもそもネフェルカーラが付いて来てくれれば、だけど。


 ネフェルカーラは無言だった。

 しかし、暫くすると両肩を震わせて、ついで哄笑を上げる。


「ふむ、なるほど。ふはははははは! 確かに西のフローレンス、東のクレイトと並び、皇帝イムベラートールを称するという手もあるか……!

 そしてこのおれに、お前が覇王となる右腕になれ、と? ふはははは! 今更愚問! 当然だろう、おれもお前と共に、この世の全てを統べようぞ……! ふははははは!」


 ……あれ? ちょ! おかしいって、ネフェルカーラ! その方向じゃないよ!

 俺の眼が、みるみるうちに”点”になる。

 どこで何を間違ったら、そんな解釈になるんだ?


「いや、俺は神々にも目を付けられていそうだから……!」


 ここはもう、神だ。困ったときの神頼みだ。

 流石に天使であるネフェルカーラなら、神に逆らおうとは思わないだろう。

 あれ? でもイズラーイールは堕天したって言ってたから、ネフェルカーラも結局、堕天使?


「ふはははは、なるほど! シャムシール、お前、神にも鉄槌を落とそうというのか、面白い! よかろう、堕天しようではないかっ! おれは何処までもお前と共にあるぞ、妻ゆえになっ!」


 えええ? ネフェルカーラの気持ちは嬉しいけれど、そこに鉄槌落としたら絶対にまずいでしょ!

 ……これは何とか抑えないと。

 ”わたわた”と両手を無闇に動かしても、何一つ解決しない現在の俺。それでも何とか、ネフェルカーラを真っ当な道へ戻したい。


「ま、まあ。それは追々で。今はほら、大陸が荒れているから、これをね……」


 どっちかといえば、今は大陸よりもネフェルカーラの方が荒れ狂っている。だが、それを言っても詮無いことだ。


「ふは、ふはは、ふはははは! 神々は追々、か、そういう心づもりであったとは、呆れた野心よ! それ故にユウセイと同化を果たし神々にも匹敵しうる力を得て、ここへ還ってきたのだな!

 ふむ……ともかもく、まずは荒れた大陸を三分するとしようか! これはよい、これはよいぞっ! ふははははは……!」


 ――もうダメだ、諦めよう。

 俺の言葉はネフェルカーラの耳に入ると、その全てが覇王化するらしい。

 何かを言うたびに悪化するのなら、もう何も言わない方がいい。

 俺はネフェルカーラの中で、真教国を破壊し、それを土台として神々にも挑む覇王となった。そして俺の右腕たるネフェルカーラは今、激しく燃えている。

 

「シャムシール! おれはまだまだ強くなる。みておれよ! ふはははははっ!」


 ネフェルカーラは哄笑しつつ、部屋を去った。

「大陸三分ならば、魔国をも切り従えるか」なんて恐ろしげな言葉が聞こえたが、聞かなかった事にしよう。


 このままだと、俺は皇帝イムベラートールになっちゃうのだろうか? 

 憧れのスローライフは何処へ旅立ったのだ? もう、メンヒ村で一生を過ごせばよかった……。

 俺は皇帝イムベラートールになって得する事を、頑張って思い浮かべてみる。


 お小遣いの値上げくらいは、可能だろうか?

 これは微かな希望だが、小遣いが増えれば露店でケバブを沢山買える。って、超大国の皇帝イムベラートールが露店で買い食い出来るかよ!

 ささやかな夢は潰えた。

 ダメだ。他はまったく良いことが思い浮かばない。


 逆に悪い事なら、いくらでも浮かんでしまう。

 皇帝ともなれば、酷くすると暗殺だってあるだろう。実際、ローマの歴代皇帝は暗殺された方が多かったって言うし……。

 ナポレオンなんて民衆に歓呼で迎えられた帝位なのに、終わってみれば島流しだ。

 最後は太って禿げて……俺もあんな風になっちゃうのか。もう、絶望だ。挙句に未来の教科書で、鼻毛とか付け加えられちゃったりして――ああ、もう、死にたい、鬱だ。


 ……はぁ。


 内心の絶望をよそに、鮮やかな朝焼けが窓から見える。

 俺は気を取り直すために、新たな”チャイ”を淹れて、椅子に座る。


「まあ、先の事は、先になったら考えよう」


 とまあ、あっさりと気分転換に成功した俺はきっと、鬱にならない人なのだろう。それはそれで、凹む。

 そんな具合で朝日に目を細めつつ、優雅に”チャイ”を飲んでいると、扉がノックされた。

 

「入れ」


 俺の声で扉を開けたのは、外で警護を担当するサクルだった。

 彼女は現在、骨ではない。


「一応、人目に付く場所ではなるべく人の姿でいるように」


 と、俺が言い含めた結果パヤーニーが渋々、護衛の間限定で、サクルの為にシェフターリを十個程用意してくれた。

 つまり俺の見事な作戦は功を奏し、愛らしいサクルをついに側に置く事が出来たのだ。うっしっし。

 ともかく桃を片手に扉を開けたサクルは、武器も持たずに警護を……っておい! それは警護になってない! 桃を食べているだけだ!


「へいか。ジャムカしょうぐんと、パ、いらした」


 しかもパヤーニーの名前を短縮して、「パ」呼ばわりをする、激しく自由なサクル。だけども可愛いから全て許そう。可愛いは正義だ。


「ぬう! 余はパヤーニーである! 断じて”パ”ではない! もう、シェフターリをやらんぞ!」


「シェフターリ、ほしい。ゆるせ」


 とりあえず珍妙な会話が一段落すると、俺の前で平伏したジャムカとパヤーニー。

 彼等はそれぞれに意見があって、俺の下を訪れたのだという。


「陛下、敵は弱っている。オレに追撃の許可を!」


 少しだけ目の下に隈を作りながら、橙色の鎧もそのままに片膝を付くジャムカはやる気マンマンだ。


「余は反対だ。今行けば、手痛い逆撃に遭おう。何といったかな? ドゥバーンとやらも余と同じ意見なのであろう?」


「し、師匠はそんな事を言いに来たのではあるまい! 黙っていてくれ!」


 パヤーニーは土下座と言ってよい有様で平伏しているが、これは俺に対する畏怖ゆえのことではない。

 なるべく太陽の光を避けようとして、姿勢を低くしたらこうなっただけだ。それが証拠に、尻を突き出し両手を伸ばして床に伏せるさまは、何処までも人をイラっとさせる。

 なんだかそんなパヤーニーを見ていたら、俺は無性に踏みたくなった。


「お、おお? へ、陛下、何をなさる。余は踏み台では……」


 あ、うっかり踏んでしまった。


「俺もパヤーニーの意見に賛成だな。ジャムカ、目の下に隈が出来ているぞ。疲れているんだろ? 一端休め」


「なっ、なっ! 疲れてなど! 大体、昨夜のオレは無様すぎた! 敵将の一人も討ち取れず! 部下に手間を掛けさせただけなどと!」


「だからといって、功を焦ってどうなる? それでジャムカが死んだら、俺はどうすればいい? ましてドゥバーンにも話を聞いたんだろう。彼女は軍師なんだから、その意見は尊重すべきだ」


 俺はジャムカの前にしゃがんで、彼女の頬を軽く撫でる。柔らかい頬と、少しだけごわついた髪が対照的だった。


「ドゥバーンとは、オレが直接話した訳ではない。カイユームが状況を伝えたら、ドゥバーンが追撃は控えよ、と言ったそうだ。

 だが、いかなドゥバーンと云えども、遠方にいて何がわかるのだ? 頼む、陛下、オレを追撃に……!」


 頬を染めたジャムカが、上目遣いで俺を見つめる。しかも、俺の手に自分の手を重ねるなんて高等テクニックまで使って! もう、俺の心がぐらつくから、やめてくれ!


「優れた軍師は、例え何処にいようと軍略を巡らせることが出来る。だが、軍師は所詮、軍師。将を抑えること能わず。将の抑えは、将の将たる王にしか出来ぬもの……」


 ”ぺったり”しているパヤーニーが、それらしい事をいう。まともな姿勢なら、きっと説得力も増すのになぁ。

 だが俺はパヤーニーの意見を入れて、ここはジャムカを抑えることにした。この際、パヤーニーの姿勢は問わないこととする。


「ジャムカ、今は大人しく休め。兵だって寝ていないし、無用な追撃で兵も将も、俺は失いたくないよ」


「じゃ、じゃあ、陛下も一緒に休んでくれ。そ、そ、添い寝でいいから! その前に、湯浴みも一緒に……」


 もう、頬を真っ赤に染めたジャムカは、頭から湯気が出そうになっている。そんなに恥ずかしいなら、言わなければいいのに。

 だが、俺も徹夜の身。流石に眠い。ジャムカと一緒に寝るのもいいかな、と思ったが、湯浴みまで一緒にしたら、逆に目が冴えてしまうだろう。悩む所だ。


「ところで陛下、余の話なのだが?」


 揺れる俺の下心が大分ジャムカに傾いた所で、パヤーニーの妙に美しい声が耳元で聞こえた。

 振り向けば、皺だらけの干物が俺に顔を近づけている。朝でなければ、とてつもなく恐ろしい光景だ。

 いや、朝であればこそ、皺がより一層際立って気持ち悪い。


「な、なんだ?」


 俺は飛び退って自分の椅子に戻ると、大仰に聞く。

 俺が椅子に座ると、パヤーニーも立ち上がった。どうやら太陽の光が眩しかったらしいパヤーニーは、ローブのフードを被る。それで普通に振舞えるなら、最初からそうしていて欲しかった。


「実は、アズラク城の牢に捕えているファルナーズ――前太守が、数日前より食を断っておるそうで。何でも、シャムシール陛下が戻られるまで何も口にせぬ、というてな。当初は、ネフェルカーラさまの計らいにより元気だったのだが……今では彼女の言も信じぬ有様。余が思うに――」


 俺はパヤーニーの話を聞いて、多分目を丸くしたと思う。

 慌てて俺は部屋を飛び出すと、群青玉葱アズラク城へ向かう事にした。寝るのは、ファルナーズの様子を見た後にしよう。

 だが――ファルナーズと会えば、俺は彼女に処分を言い渡さなければならない。そう思うと、途端に足が重くなるのを自覚した。


「あっ! シャムシールさま! オレと添い寝を!」


呆気に取られていたのは、ジャムカだった。彼女は慌てて俺の後を追い、声を掛けてきた。


「また今度っ! 敵の追撃は……駄目っ!」


「駄目って……オレは子供ではないのだが……ま、ま、まあよい。添い寝の約束は出来た事だし」


 だが、多分ジャムカも眠かったのだろう。俺の言葉を聞くと諦めたように立ち止まり、与えられた部屋へ戻ってゆく。


「ふっ。帝王は、皆の為に生きておる。ジャムカ、陛下はお主のモノでもあり、またファルナーズのモノでもあるのだ。であれば、ここは一つ、余が、添い寝を――」


「師匠は棺に帰れ」


 パヤーニーはジャムカにあしらわれると、悲しげに去ってゆく。

 パヤーニーはその実、気遣いのミイラかもしれない。今も俺の下に来た理由はファルナーズの件と……多分、ジャムカを踏みとどまらせる目的だったのだろうから。

 ちなみにパヤーニーの部屋は地下にあり、その名も「薔薇の間」というのだが、とどのつまりは遺体安置室の事だ。なのでパヤーニーは、本当に棺へと帰ったのである。


 ◆◆


 俺が早足に廊下を歩いていると、後ろからサクルが追いかけてきた。

 

「わたし、ごえい」


 サクルは相変わらず桃を頬張っているが、一応、奴隷騎士マルムークとしての平服を着ているし、曲刀を腰にぶら下げていた。サクルの外衣は左肩部分に髑髏と曲刀の意匠が施されていて、これが所属を示すものとなっている。


「アタナトイ、このえ、だよ?」


 指で左肩を指し、何故か疑問系でサクルは言った。


 確かに俺も、たった一人で移動するのは如何なものかと考えて、サクルと行動を共にすることにした。

 それに一人でファルナーズの処分を考えていたら、それこそ凹む。サクルを見て、和みながら群青玉葱アズラク城へ行く位が丁度良いだろう。

 だから俺はサクルと連れ立って黒甲将軍カラ・アミール府の廊下を歩き、出口へと向かう。


「何処へ行くのです?」


 しかし、黒甲将軍カラ・アミール府の前庭へ抜ける階段を下りていると、反対に上ってきたカイユームとすれ違う。

 すれ違うというか、俺が階段を降りようとしたら、横にずれてカイユームが闇隊ザラームの部下と並び敬礼を向けてきたのだ。

 それだけなら俺も頷きながら先を急ぐだけなのだが、あろう事か、カイユームは声を掛けてきやがった。


「ファルナーズが心配だから、見に行くんだよ。サクルは護衛だ」


「……では、私も護衛に」


「いやいや、カイユームは忙しいだろ!」


「では、不死隊アタナトイの百人でも……」


「せっかく一難去った街を、別の恐怖に落とす気かよ!」


 提案を二つとも断ると、カイユームは眼鏡の内側に涙を湛える。

 朝日に照らされて美しい眼鏡――ではなくカイユームは、仕方なく階段を上ってゆく。

 反対に階段を下りた俺は、馬丁に傅かれて漆黒の馬を用意された。


「いや、すぐ側だから歩きたいんだが?」


「何をおっしゃられまするか! 陛下が徒歩でなど、断じてなりませぬ! そのような事があれば、私めが上将軍アル・アーミル閣下のお叱りを受けてしまいまするぅ」


 そういう馬丁を無視して、俺は”光速化スピード・オブ・ライト”を使い、サクルを抱えて前庭を駆け抜ける。

 ごめん、名前も知らない馬丁さん、ネフェルカーラに怒られてくれ。

 漆黒の体に黄金の装飾が施された馬なんかに乗ったら、明らかに俺だとバレるだろう。群青玉葱アズラク城へ行くまでの僅かばかりの道すがら、俺は市井の民として街を目にしたいのだ。馬上から民を見下したい訳じゃない。


 黒甲将軍カラ・アミール府の門へ辿り着くと、二人の奴隷騎士マルムークが慌てた様子で俺に片膝を付く。


「へ、陛下! どちらへ?」


「アズラク城だ」


「ご、護衛は」


「わたし、ごえい」


「い、いやしかし、このように小さな娘が護衛では……」


 門衛は俺と比べてもそれ程変わらない程の長身と、五割増しの筋肉を持っている。そんな二人がサクルを見れば、如何にも頼りなく見えるのも道理だ。

 だがサクルは桃を宙に放ると、拳を握り、渾身の一撃を地面に放つ。


”ドォォン”


 地鳴りがして、一瞬だが体が揺れた。

 加えて三メートル四方の土が吹き飛んだのだから、門衛達は納得するしかなかったようだ。


「こう見えても、彼女は不死隊アタナトイの副長だから」


 俺が説明をしていると、サクルはすまし顔で、再び桃にかじりついていた。


 黒甲将軍カラ・アミール府から群青玉葱アズラク城へ向かう道は、二通りある。

 一つは重臣たちの住む高級住宅街を抜けてゆく道で、もう一つは目抜き通りを抜けて市場バザールを通り、広場を越えて城へ向かう道だ。

 この二つ、実は距離なら然程かわらない。だが住宅街を抜ける道は入り組んでいる上に、無駄に高低差もある。そのくせ奴隷騎士マルムーク達が警備を厳重にしているせいで、俺の顔がばれるかも知れないという茨の道だ。

 ならば市井の暮らしも見たい俺は、市場バザールを抜ける道を選ぶしかなかった。


 早朝とはいえ、日が昇り始めると、野菜売りや魚売りが市場バザールには現われていた。

 昨夜は敵襲があったというのに、マディーナの民は逞しい。


「兄さん! 妹さんとの朝メシに、魚、どうだい!?」


 おお、サクルが俺の妹に見えるのか。

 俺は露店に顔を出し、並べられた魚を見比べる。

 オアシスで取れた淡水魚だからなのか、背びれがオレンジ色のケバケバしい魚やザリガニ、果てはカエルなんかが並んでいた。

 やはり戦時とあって、アカバから運ばれる魚が無いせいで、やや品揃えが悪いようだ。何しろハムールが並んでいないのだ。

 ハムールとは、中々に大きな魚で、一メートル程度のものならざらにいる。肉が無ければハムールが食べたい俺にとって、マディーナ暮らしの友と言えるお魚だった。


「悪いが急いでる。買ってやりたいが……」


「そうかい、また今度な……って、お前さん、奴隷騎士マルムークかい? 死ぬんじゃねぇよ? 

 ――危なくなったら、そうさな、王さまに守ってもらいな。なんってったかな? シャムシエルさま、だっけな? えらく強ぇらしいからなっ!」


 俺は頷き、店を後にした。

 しかし庶民よ、俺の名前を間違えているぞ。シャムシエルって、俺はウナギみたいな使徒じゃないやい。


 とはいえ、昨夜の攻撃でマディーナが受けた損害が特に無いようで、俺は安堵した。

 割れた城壁の代償として、敵軍が大きく後退したことも街の人々を活気付ける原因になっているのだろう。


 とりあえず、良かった。


 俺がそんな思いで目抜き通りを歩いていると、サクルがトコトコとついてくる。

 左手には常に食べかけの桃を持っているが、それは肉体の持続時間を延ばすために必要なのだろう。

 桃を食べながら周囲を見回すサクルは、懐かし気に目を細めていた。


「まちなみ、かわらない」

 

「サクルは、ずっとマディーナにいたの?」


 俺は後ろを振り返り、辺りを懐かしそうに眺めるサクルに声をかけた。

 ――しかし、返事はない。


 辺りは早朝の喧騒が始まっている。

 戦時下だからこそ鍛冶屋は槌音を響かせ、文官は慌てて登城する。そんな中で、俺は無視されたようだ。

 心に冷たい風が吹きぬけた。

 マディーナは暑いのに、おかしいな……。


 茫然と佇む俺の耳に、威勢の良い女子の声が飛び込んでくる。

 サクルの返事も、このくらい元気だったらなぁ。

 あ、返事とか、無かったっけ……。


黒甲王カラ・スルタンが居られる限り、マディーナは安泰だ! さあ、さあ、昨夜の勝利、余韻の冷めないうちに見てっておくれよ、シャムシール王の常勝物語! 今なら朝の割引さっ! 一人五〇ディナールのところ、三〇ディナールでいいよっ!」


 俺が視線を声の主に向けると、それは劇場の客寄せだったらしい。

 十三、四歳の褐色肌を持つ愛らしい女子が、大きく手を振って劇の宣伝をしている。

 どうやら物語りの主役は俺らしいが、道行く子供や若者が興味を示し、次々と大きな天幕の中へ入ってゆく。

 何だか気恥ずかしいぞ。


 その様を、サクルはじっと見ている。


「わたし、みたい」


 無視された俺は、そ知らぬ顔のサクルに観劇をせがまれた。

 サクルの瞳が輝いている。

 その様に凹んでいた心も、一気に膨れた俺だ。それに、なんと今はお値打ち価格。なにしろ今、劇を見るならば中銀貨二枚分お得なのだ。

 これならばサクルの分を支払っても、一日十ディナールのお小遣いしかない俺だって、十分にやっていけるだろう。ふふっ、何しろ俺の所持金は今、膨大だ。なんと百五十ディナールもあるしな。

 それに、俺も俺の活躍物語をちょっとだけ見たい。


 俺は意を決して、劇場の天幕をくぐる事にした。


「みよっか、サクル」


「やった。へいか、すき」


 サクルが俺の手を握り、頬を寄せてくる。

 これは役得であろう。喜びで俺の鼻の下は、留まる所を知らず伸びた。


 演劇の内容は、可も無く不可もなく、俺がオロンテス攻略で功績を立て、将軍となるまでの立身出世物語だった。

 もちろん俺役の人は、常に黒い鎧を身に纏っている。

 サーリフの死は多少脚色されて、彼は死して後、精霊王ジンとなる運命を背負う。

 ちなみに物語のヒロインはネフェルカーラで、脚本の提供もネフェルカーラということだった。あの馬鹿、一体なにをしてくれてるんだ……。


 だが、劇を見ていて一つ、よかったことがある。それは、サーリフが精霊王ジンになるくだりで、ファルナーズの処分を決める事が出来たからだ。


 一度死んで、生まれ変われる。


 これをファルナーズに応用すれば、少なくとも妙な罰に処すことはない。

 もっとも、これをファルナーズが受け入れてくれなければ……。いや、いい。これ以上は、彼女に会ってから考えよう。


 劇場を後にすると、やはりサクルはトコトコと付いて来る。

 しかし観劇前と後で、明らかに変わった点があった。

 目を輝かせて劇を見ていたサクルは、そのままの視線を俺に注ぎ始めたのだ。


「へいか、すごい」


 サクルが俺の周りを、踊るように回る。

 これは劇中のネフェルカーラの仕草なのだが、だとするとこの後にする事は……キスかっ!

 期待に胸が躍る俺の良心は、本日臨時休業だ。


「おい、貴様等、何者だ! ここで何をしておる。不審な奴らめっ!」


 サクルの手を引き寄せ、劇中の俺とネフェルカーラの様に……等とやっていたら、あろう事か治安を維持する奴隷騎士マルムークの誰何を受けてしまった。


 うむ。広場で踊る俺達は、確かに不信だろう。


「わたし、サクル。おしゃまな女の子」


 サクルは動きを止めて、誰何をした奴隷騎士マルムークに答える。


「お、おう、そうか」


 奴隷騎士マルムークはサクルをくまなく見回し、何となく頷く。

 おい、そこのおしゃまな女の子は、曲刀をもってるぞ! 何なら奴隷騎士マルムークだ! 気づけ! お前の目は節穴かっ! と、言いたい所をぐっと堪えた俺は偉い。

 まあ、この感じなら素通り出来るだろう。警察に呼び止められて、自転車を確認される程度に余裕だぜ。

 俺は奴隷騎士マルムークに、笑顔で答えてやった。


「俺、ユウセイ。おしゃまな男の子」


 眉を顰めた奴隷騎士マルムークは曲刀を抜き放つと、俺の前に突き出した。


「……お前、怪しいぞ。前太守の第ニ近護、その残党ではあるまいな? 取り調べる、アズラク城まで来てもらおうか」


 任意同行であろうか? だが、断れる雰囲気ではない。

 まあ、どうせ群青玉葱アズラク城には行こうと思っていたので、付いていくのは構わないが……サクルは護衛として、この状況を何とかしてくれないのかな。


「わたし、へいかと、うんめい、ともにする。つま、だから」


 どうやらサクルも、任意同行に応じるようだ。って、おおおおい! サクル! さっきの劇でネフェルカーラに感情移入しちゃったのか?

 まあ、ちょっと嬉しいから、それはそれでいいけど。


 それよりも、ううむ。軍である奴隷騎士マルムークが警察的な活動をすると、強引になるみたいだな。やっぱり治安維持や犯罪捜査なんかは、専門の別部隊を組織すべきだろう。この分じゃ、怪しいってだけで市民にも色々無茶をしていそうだ。

 丁度いいから、取調べなんかも経験してみるとしようかな。どうせ俺、スルタンを引退、出来そうもないし……。


 こうして俺は見事、群青玉葱アズラク城へ連行される事になったのである。

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