マディーナ篭城戦 5
◆
俺は腰の剣を手に……。
ん?
俺は腰の剣を……。
あれ?
俺の腰に剣が……。
ないいぃぃ!
そういえば、過去世界のDIYハウスに剣を置き去りにしてきてしまった。
どうりで、眼前のイケメンがニヤついている訳だ。
「剣で、私を倒してもらおうかな」
むう。どこまでも嫌なヤツだ。
だが、この期に及んでは、流石の俺も「やっぱり炎でやっつけちゃうよー!」とは言えない。
俺は、ぐったりしているネフェルカーラの腰帯をさぐる。しかし、そこにあったのは鞘だけで、剣は無かった。気を失った過程で、ネフェルカーラは剣を落としたのだろう。
「んっ、んんっ」
腰をごそごそと触っていたら、ネフェルカーラが俺の首に両腕を回す。
なんだ、コイツ。本当は意識があるんじゃないのか? 心配して損した! 俺の、自分と敵に向けた怒りをどうしてくれるんだ!
ともかく俺は、槍で戦っていて剣を必要とはしていないだろうハールーンに借用を申し込む。
「ハールーン! 剣をかしてくれっ!」
「無茶いわないでよぉ! こっちも大変なんだからぁ!」
うむ、そうか、大変か。
って、ハールーンと戦っている赤毛の男を、俺はつい最近見たぞ? 確かアモンとか云う上位魔族じゃなかったっけ?
「ひいいぃぃ!」
うん、間違いない。俺を見て、激しく怯えているものな。
俺を見て身を翻そうとしたアモンの身体を、ハールーンの槍が貫く。
ほらみろ、ヤツは弱い。所詮アレは、なんちゃって上位魔族だ。ハールーンが苦戦する方がおかしい。
「どこが大変なんだよ! 早く剣を投げてくれー!」
実はこんな事を叫ぶ俺は、既に黄金の輝きを失っていた。
最上位の機動飛翔を発動させ続ける事も困難なほどに魔力を消費したようで、俺の身体は翼も失っている。
つまり金髪イケメンさんが”剣”といってくれて、少し助かったかもしれないのだ。
だって、この状況では、どうせ禁呪を放てないもの。
ハールーンはさらに、槍を回転させてアモンを両断すると、素早く腰の剣を俺に投げて寄越した。
その間にも金髪のイケメンが、俺に向かって槍を幾度も突き出している。
いっそ、ネフェルカーラを盾にしようかな? とも思ったが、そんな事をすれば後で怒られる。
だから仕方なく、通常の”機動飛翔”に”光速化”を上乗せして、俺は敵の攻撃を凌いでいた。
ハールーンの投げた曲刀を手に取ると、ネフェルカーラが俺の頬にキスをした。
おい、顔の薄布、いまちょっとだけ外しただろ? 意外と動けるだろ、ネフェルカーラ。そう思ってつっこみを入れたかったが、意外とイケメンは強い。真面目にやらないと、怪我をしてしまいそうだ。
「余裕だな、シャムシール。ヤツがウィルフレッド、そして竜は地竜――地底に潜り、自在に城壁さえ越える厄介者だ。ヤツ等を倒せば、戦局が覆る。出来るか?」
ネフェルカーラの、うっすらと開けた瞼から覗く緑色の瞳は潤んでいる。それを横目で見た俺は、何も言えなくなった。彼女の表情からは、様々な感情が滲み出ている。少なくとも、心配を掛けたことは間違いないのだから。
とはいえネフェルカーラが言うほど、俺に余裕なんてない。
ましてネフェルカーラに雁字搦めにされて、目の前の敵と戦うって、ある意味では拷問だ。
ていうか、ネフェルカーラ、無傷じゃない? 俺にしがみ付いて、なにしてんの、あんた。
「出来るか、っていうか……ネフェルカーラ、気が付いたのなら、ちょっと離れてくれないか? 戦いづらいんだけど」
「む? おれは気絶中だ。残念ながら、身動きがとれぬ。ぐぅ……」
おい、今度は寝たふりか。
俺は辺りを見回して、”戦局”とやらを観察する。
たしかにマディーナの城壁から粉塵が立ち上り、敵兵が今にも市内へなだれ込みそうだ。
それも、この場所に将軍達が集まっていることが原因の一端だろう。しかし、ここに強敵が多数いる事も事実だった。
「ハールーン! 兵を纏めて城壁を守れっ!」
「え? でもぉ、ウィルフレッドはぁ?」
「俺一人で何とかなる! 心配するなっ!」
俺は、唯一手の空いたハールーンに命令をする。有無を言わせない口調を心がけたつもりだ。
これに対して、心配そうな眼差しを俺に向けた朱色髪のイケメンは、何も言わずに頷いた。
ウィルフレッドは幾度も俺に突きを繰り出すが、紙一重の差で俺は曲刀を閃かせて回避してゆく。
多分これは、パラディンと行った修行のお陰だろう。
相手をよく見れば、無駄な動きを減らす事が出来るのだ。
それにしても、左手でネフェルカーラを抱えたまま戦うのは、かなりしんどい。
たまに足を絡めるネフェルカーラは、むしろウィルフレッドの味方なのではあるまいか?
「ネフェルカーラ、ホントに離れてくれない?」
「ぐぅ……。(美女を眠りから覚ますのは……愛しき男の接吻だと……昔から相場が決まっておろう……むにゃむにゃ)」
俺は今、とてもネフェルカーラを殴りたくなった。
今、明らかに片目を開けて、ブツブツと言っていたのだ。
何が「むにゃむにゃ」だ。
二千年近く成長しないネフェルカーラの脳みそは、ある意味、奇跡の産物に違いない。
だが、邪魔なネフェルカーラを引き剥がす為、俺は意を決して彼女の口元を露にし、そっとキスをした。
「……私と戦っているというのに、貴方という人は……」
俺は横目に呆れ顔のウィルフレッドを捉えるが、これも仕方の無いことだ。
ランドマスターが咆哮を上げると、ウィルフレッドと共に俺へと迫る。
「無粋。邪魔立てするな」
俺から少しだけ唇を離したネフェルカーラは、左手をウィルフレッドに翳すと、透明の壁を作った。
それから再びネフェルカーラは、唇を突き出している。
「いや、もうしたし。明らかに目覚めてるし」
「なっ! ちょっとではないか! 軽くではないか! もっとこう、濃厚な接吻というものがあろう!」
ネフェルカーラの結界に弾かれたウィルフレッドが、黄金の槍を翳して再び迫っていた。
「とにかく、後だ! ネフェルカーラは全軍を纏めて、戦線を修復してくれ! マディーナが落ちたらまずいだろ!」
「ふむ、それもそうだ。では、シャムシール。今宵を楽しみにしておるぞ」
こうしてネフェルカーラは俺から離れると、まずジャムカに加勢した。
それからジャムカにニ、三の指示を与えて別の戦線に投入すると、自らは黒い翼の生えた女と激しい攻防を展開する。
その際、暫くの間ジャムカがほんのりと頬を染めて、俺をじーっと見ていた。
どこで覚えたのか知らないが、ジャムカのように前髪ぱっつんの女子が上目遣いをすると、破壊力が増す気がするのは、俺だけだろうか。
うん、つまりジャムカは可愛いってことだ。
「いつまで余所見をしているっ、シャムシール王っ!」
ウィルフレッドが放つ渾身の突きを、俺は身体を開いてかわす。同時に、竜の頭を蹴り飛ばした。
その直後、ウィルフレッドの背後へ回ると、袈裟懸けに曲刀を振り下ろす。
跳躍して攻撃を避けたウィルフレッドを無視して、俺はそのまま走り、竜の首を跳ね飛ばした。
地面を潜る竜なんて厄介な敵、いつまでも生かしておくつもりはないのだ。
「ランドマスターッ!?」
上空から悲痛な叫びが聞こえるが、知ったことじゃない。
俺は左手を上へ翳して、空へ無数の光弾を撃つ。これを避けた所で、ウィルフレッドを斬ってやろうと考えたのだ。
「反撃魔法!」
しかし俺の思惑通りには進まない。
俺の攻撃はどうやら、そのまま弾き返されてしまったようだ。
だが、それも問題にはならない。
俺は全ての光弾を避けて、ウィルフレッドに肉薄する。何しろネフェルカーラを抱えていなければ、全てを紙一重でかわすなど、造作もない事だ。
ていうか、パラディンの修行は、どれだけスパルタだったのだろう。ウィルフレッドの槍技が凄まじいことは理解できるが、パラディンの方が遥かに恐かった。
「うぐっ!」
俺は黄金の槍を避けながらウィルフレッドの懐に入り込み、曲刀を水平に払った。するとウィルフレッドの戦衣が裂けて、すぐに赤い血が噴出す。
「回……複」
小さく動くウィルフレッドの口元を見て、回復呪文だと覚った俺は更なる迫撃を仕掛ける。
肩へ一撃入れると、ついで右胸を突いた。
止めに、刀の柄をヤツの頭上へ振り下ろし、もはや飛ぶ力を失ったウィルフレッドを地上へ叩きつける。
仕上げはそのまま俺も落下して、ヤツの首と胴を切り離せば終了だ。
俺は、勢いをつけて落下する。
だがしかし、ウィルフレッドを庇うように現われたのは、大盾をもった巨体の男だった。
男は盾を頭上へ翳し、俺の曲刀を受ける気のようだ。
俺は勢いをつけて大盾を斬りつけた。すると、凄まじい火花を散らして互いの武器が砕け散る。
もしもいつもの魔剣だったら、きっと盾ごとコイツを切り裂いていたのに……そう思えば、少し残念だ。
「う、うぐっ……ぐっ……」
だが、大男が守ろうとしたウィルフレッドは、全身の骨も砕けて、手足もあらぬ方向へ曲がっている。それに腹部の傷も肩の傷も右胸の傷も、どれをとっても致命傷になり得るものばかりだ。いっそ、止めをさしてやった方が情けといえたかもしれない程に、悲惨な状況だった。
イケメンも、こうなっちゃ台無しだな。
俺は脳裏に、酷く冷酷な感想を浮かべた。
「シャムシールちゃんっ! どいてっ! 千の剣」
俺がウィルフレッドを見つつ、大男と対峙していると、上空からジャンヌが迫ってくる。
「ジャンヌ・ド・ヴァンドーム! 性懲りもなくっ!」
俺は折れた剣を構え、迎撃体勢を作る。
ウィルフレッドも厄介だったが、ジャンヌも厄介な相手だ……って、あれ?
ジャンヌはさっきまで大男と戦っていたよな?
「今の僕は、ジャンヌ・ド・シャムシール! キミの妻だよ! でもっ、僕にキミの破廉恥な欲望をぶつけるのは、後にしてくれないかっ! 後でならっ、後でならいくらでもぉ……! ああ、興奮してきちゃったぁぁああ!」
いやいや。
なんでお前が俺の妻に?
このツルペタ星人は、一体何を言っているんだ? でも、外見だけなら何処までもロリ可愛いジャンヌ。俺はかつて辺境の魔剣士と……はっ、いかん、いかん。
とりあえず俺は大男から距離をとって、ジャンヌの攻撃を回避した。
大男の鎧には無数の剣が刺さり、いっそハリネズミのようにも見える。だが、それでも瀕死のウィルフレッドを庇うあたり、どこまでも忠誠心に厚いのだろう。
「ウィルフレッドさま、少々ご辛抱を」
ハリネズミと化した大男はウィルフレッドを小脇に抱えると、高速で飛び退る。
思わず呆気に取られた俺は、対応が遅れてしまった。
だが、これによりネフェルカーラと対峙していた女も退いたのだから、この場での勝利は確定したといえるだろう。
城壁上での戦闘は続いているが、俺がこのままの姿でいて良い訳も無い。
俺はネフェルカーラを呼ぶと、鎧と魔剣が保管されている場所へ案内してもらうことにした。
◆◆
魔剣と鎧は、黒甲将軍府の自室にあった。
だったら別に案内される必要も無かったじゃないか! とか思ったが、ネフェルカーラと話したい事もあったので、丁度良いだろう。
「俺が久織悠聖だと、いつから知っていた?」
「むろん、最初から、だ」
俺は黒甲将軍府の廊下を歩みながら、ネフェルカーラに聞いた。
もう、思いっきり緑眼を泳がせているネフェルカーラは、間違いなく嘘をついている。
俺は一つ、カマをかけてみる事にした。
「ふうん。ユウセイとの約束を破って、俺の第一夫人になろうとしたのかぁ」
「なっ、なっ! あれはそもそも、幼き日の戯言! ……ではないが、もう、会えぬと諦めておった。おれが大人になって、一体何年が過ぎたと思うておるのだ」
うろたえるネフェルカーラは、あっさりと白状した。
その後すぐに”ぷい”と顔を背けたネフェルカーラは、珍しく可愛らしい。
小さな頃のネフェルカーラなら、頭を掴んで強引に振り向かせるのだが、今の彼女にそれは出来ない。だって、恐いもの。
「――どうして俺がユウセイだと分かったんだ?」
「ああ、それはな、これだ」
ネフェルカーラは懐から俺のスマホを取り出すと、徐に電源を入れた。
「これでお前の正体……存在の謎が解けたのだ」
ていうか、なんでネフェルカーラは電源を入れられるんだ。
そもそも、どうして使い方が分かった?
いや、そんな事よりも、俺の動画を見たという事は……まさかエッチな動画も……。
「ああ、そうそう。なにやら破廉恥な映像がいくつかあってな。不愉快だったので、消しておいた」
――おお、おお。運命の神は、俺を見放した。
俺は廊下に片膝をついて、天井を仰ぐ。
あの動画を確保するのに、どれほどの時を費やしたことか。
「落ち込んでおるのか?」
「い、いや、全然」
「で、推察した結果、今のお前はシャムシールであり、ユウセイである、とおれは考えたのだ」
俺は再び立ち上がり、扉を開けて自室へ入った。
そこでネフェルカーラは自らの推論を語り、俺は涙と共に渋々納得をする。
「――という訳でな。そんな事よりシャムシール、先ほどの続きだが」
俺が悲しさを紛らわす為に、さっさと鎧を身に着けようとしていると、ネフェルカーラが俺の腕を掴む。それから口元を覆う布を外すと、身体を俺の正面に向けた。
多少煤で汚れていても、ネフェルカーラの美貌は多分、世界一だ。そんな彼女に正面から見つめられては、俺といえどもドギマギする。
「アエリノールとは、したのだろう。いや、それだけではない。シェヘラザードやジャムカとも」
あいつ等、言いやがった!
という怒りが脳天に走ったが、考えてみれば言われて困る事でもない。
「ラ――」
「ネフェルカーラッ!」
危ない。
「ラ」なんて言い始めるネフェルカーラは、「雷撃」する気マンマンだろう。
俺はネフェルカーラを抱きしめると、その唇を唇で塞ぐ。
舌と舌を絡めると、ネフェルカーラの体からは力が抜けてゆき、時折、甘い吐息が漏れる。
「はぁ……雷撃」
”ドンッ”
結局、電撃が俺の身体を駆け抜ける。
何が気に障ったのかは知らないが、唇を離した途端にこれだった。
「こ、ここ、こんな恥ずかしいことを、おれを一番にせず、アエリノールと最初にっ! 許さん、許さん、許さんっ! おれは千年以上も待ったのにっ!」
だが、頬を赤く染めながら怒る緑眼の魔術師は、今まで以上に美しかった。
それから俺とネフェルカーラは武装を整え、再び戦場へ戻る。
何しろネフェルカーラも剣を失っていたし、衣服もボロボロになっていたのだ。
それにしても、なんで俺の部屋からネフェルカーラの服が出てくるのだろう? その辺が不思議だった。
◆◆◆
俺がアーノルドに乗って戦場へ戻ると、奴隷騎士側から歓声が上がった。
さらに、ネフェルカーラの声が伝わると、敗色の濃かった戦場が、一挙に立ち直る。
「敵将ウィルフレッドは、既に黒甲王が撃退した。皆、この戦は我等の勝利である。この上は陛下の御前にて、残敵の掃討に励めっ!」
この声に最も奮起したのは、パヤーニーだったかも知れない。
クレアに絡みつきつつ、唇の無い口を彼女の頬に押し当てていたパヤーニーは、すぐさま眼光を鋭くした。
いや、眼光といっても、基本的には濁っているが。
「陛下のご帰還、何より。さて、ではサクル、マーキュリー! 我が桃を与えるっ!」
言うや否や、パヤーニーは腹部に手を入れて、二つの桃を取り出した。
桃は宙に放られると、サクルとマーキュリーの方角へ飛んでゆく。これは恐らく、パヤーニーがコントロールしているのであろう。
「クレアよ」
「ひ、干物めっ! き、貴様に名乗った覚えなど無いっ!」
「ふん。お主の身体をあれほど堪能したのだ。記憶如き、読み取れるわ」
「なっ、くっ!」
相変わらず誤解を招くような物言いをするパヤーニーだが、さっきのセクハラ行為には意味があったらしい。
「悲しき過去が踏み誤らせた道、ということだな。お主の弱さを責めはせぬ。故に、我が妻になれ」
いやいや、パヤーニー。お前は一体、何を言い出している。ここは戦場で、お見合いパーティーをしている場合じゃないぞ。
「……馬鹿、なの? どうして私が干物の妻になんてならないといけないのよ!」
「ふむ、お主の好みであろう? 余も金髪であるし、美貌である。何より心が美しいぞ」
当然、目を白黒させるクレア。それから、もちろん怒り出す。
「誰と、一体誰と比べてモノを言っているのっ!?」
なんだか、俺もクレアに加勢したい気持ちになる。
「だれと? それは当然ウィルフレッドであろうが。それに我が妻となれば、お主を呪縛から解き放つなど造作もないこと。何しろ余は、不死王――死せし者の支配者なれば」
パヤーニーの言葉を聞いたクレアの顔は、一瞬だが青ざめた。
だが、すぐに切り込んだクレアは、パヤーニーの腕を両断する。
「ぎゃあああああ! 余の腕がぁぁああ!」
中空で暴れるパヤーニーは、切り落とされた腕が地上へ落下する様を見つめ、涙を零す。相変わらず、やかましいミイラだ。
しかしパヤーニーが残った腕を動かし、手首を回転させて人差し指を上へ向けると、砂の大地、それから城壁上へ無数の杭が現われた。
杭は岩であり木でもあった。それらは大小様々だったが、地から天空へそそり立つように生えて、人を貫く事だけは共通している。
「……なんてな。残念だ。冥府を彷徨うがよい――クレア」
無数の杭は全てがパヤーニーの力で制御されているらしく、見事に敵だけを捕らえて串刺しにしてゆく。
辺りには悲鳴が満ち溢れ、絶望の叫びが木霊する。
その様に俺は嫌悪感を覚えたが、横にいるネフェルカーラは薄く笑っているようだった。
「これが我等に楯突くものの末路なれば、良い教訓となろう」
突如出現した杭に、何とか反応を示したクレアは、全身を貫かれることだけは避けたようだ。けれど、腹部に大穴を開けている。よろよろと地上に下りたクレアは、もはや戦闘能力を失ったのだろう。
「ウィルフレッド卿も負傷されて、後退されました。指揮権をクレア伯へ譲ると!」
「そう。だったらこの戦、負けよ。すぐに退却を。私だって、もう戦えないわ」
地上に下りたクレアは、すぐに馬上の人となる。だが、そこでウィルフレッドの負傷を聞くと、憮然として退却を命じていた。
後方へ下がるクレアは馬上から血を滴らせて、砂塵の中に消えてゆく。
見送るパヤーニーの表情は干からびていて読めないが、どこか安堵しているように、俺には見えたのだった。
一方で、パヤーニーに桃を貰ったサクルとマーキュリーはピンク色の光に包まれて、再び肉体を取り戻している。
「みなぎる、わたし、やる」
瑞々しい桃を食べたサクルは、柔らかい肌を取り戻し、両手で斧を構えなおす。
前回とかわらず、スミレ色の瞳が愛らしいサクルだ。もう、ずっとこのままの姿でいて欲しい。骨になんて、戻ってくれるな!
マーキュリーの方は微妙で、大胸筋をぴくぴくさせて遊んでいる。
どちらも青いマントを翻す騎士と対峙しているが、肉体を取り戻した途端に敵を圧倒し始めた。
他はといえば、遠方で巨大な魔力をぶつけ合う、カイユームとアリスがいる。
俺がカイユームを助けに行こうかと思ったところで、ジャンヌが参戦した。
「アリスッ! どうしたのさっ! クレアが心配なのは分かるけど、僕はキミの師匠だよっ! 蹴りに帰ってきてよっ!」
「ジャンヌさま。ワタシはマスターの命令に従うダケ。アナタハ敵デス」
「師匠、やはりアリスの様子がおかしい。これは隷約などではなく、もっと別の、禍々しい力で……」
アリスの打撃によって罅の入った眼鏡を捨てると、懐から新しい眼鏡を取り出したカイユーム。
ジャンヌはカイユームの言葉よりも、そんな眼鏡に気をとられて話を聞いていないらしい。
それにジャンヌは、たまに俺をチラ見する。だが、主に顔より股間を見つめるジャンヌの狙いは、やはり俺の女子化なのだろうか。
「ところでカイユーム……キミは眼鏡、何個予備を持っているんだい? シャキーン! ちなみに僕のカチューシャは、七〇ニニ個さっ! これは新作だよっ!」
ジャンヌの新作は、黒色で禍々しい角型のオブジェが付いている。
「へえ。そんなに、持ち歩けるものですか? 私は五個しか持ち歩きませんが。それにしても、そのカチューシャ、素敵ですね」
カチューシャの角部分を指で突付きながら、カイユームが興味を示す。
なんというか、この師にしてこの弟子あり、といった感じだ。色々と置いて行かれたアリスは、小首を傾げながら、メイド服を風に靡かせている。
「そうでしょ! これはね、シャムシール二号! これをつけるとねぇ……光剣。ふふ、接近戦をしちゃおうかなぁって気分になるんだよ!」
「気分だけ、ですか……」
「それで十分だよ! 妻の嗜みだからねっ!」
「なっ! 私ですら、まだ愛人に過ぎないのにっ! 師匠が妻ですってっ!?」
もっとも、此方の決着も着かなかった。
戦力的にはアリスを圧倒していたはずのジャンヌ達は、途中から口喧嘩を始めたのだ。
その間にアリスは退却命令を受けて、悠々と後退していったのである。
ていうか、だからなんでジャンヌが俺の妻に? いつ、そんな話が……。それにカイユーム。俺がいつ、お前を愛人にした……。
こうして潮の引くように、フローレンス軍は後退していった。
もっとも、目ぼしい敵将を討ち取ることは叶わず、決戦が持ち越されたと言っても過言ではない状況だ。
それでも俺は全軍をマディーナへ撤収させると、久しぶりに諸将の顔を見て、漸く安心することが出来たのだった。
俺が居ない間に誰かが死んだりしていなくて、本当に良かったと思う。