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異世界奴隷が目指すもの!  作者: 芳井食品(芳井暇人)
四頭竜の軍旗を掲げて
101/162

マディーナ篭城戦 2 ――将軍達の憂鬱――

 ◆


「あわわわ! 防がれちゃったよぅ! どうしよう、カイユーム!」


「防がれちゃいましたね」


「どうして? どうしてなの!?」


 メタトロンの第二射が防がれた事に、マディーナ城壁上を浮遊するジャンヌが慄いていた。そんなジャンヌに白い眼を向けるのは、弟子のカイユーム。

 カイユームは闇隊ザラームを敵中に放ち、その理由を承知している為に慌てるような事は無い。


「そりゃあ、敵軍の主力が魔法兵団ですから。いくら師匠のメタトロンでも、一度見せれば防ぐせしょうよ。それにウィルフレッド直属の、ええと――白狼騎士団ホワイトウルフスっていうのも、全員が魔法戦士だそうで」


「あああっ! そういえばそうだった! だから僕も流石に一人じゃ勝てないなぁって、思っていたんだよ! そもそもあのウィルフレッド! アイツのいけ好かない事といったら!」


 所詮ジャンヌの記憶力は鶏と比べても遜色ない程度なので、興味の無いことなど、ばっさばっさと忘れ去るのだ。


「師匠、そんな事よりメタトロンを、もう一度お願いします。ハールーン軍の動きが鈍い。ここは援護を」


「ぐえっ! ちょっと、首が絞まって死んじゃうから、縄をひっぱらないでよ! でへへ」


 カイユームは太い縄の一方を輪にしてジャンヌの首にくくりつけ、もう一方を左手で持っている。

 ジャンヌのカチューシャは現在犬仕様なので、こんな扱いが丁度よいのだろう。

 カイユームが縄を引っ張ると、ジャンヌから嬉しそうな悲鳴が上がった。一応これは逃走防止用でもあるのだが、ある意味ではジャンヌの御褒美である。


「うへへ。でも、やるかぁ。カイユームにご褒美も貰ったし! 充填率は――八十、九十――よし、いけぇっ!」


 ジャンヌは陶然とした顔で、自身の左右に展開した魔導砲メタトロンに魔力を再び充填すると、狙いを定めて光弾を放つ。

 しかし、やはりウィルフレッド軍の直上に半透明の結界が現れて、メタトロンのエネルギーは霧散した。


「ダメだねぇ、これは数の暴力だよぉ」


「ほら、師匠! 休まず続けるっ!」


「あ、まって! あっちからも光がっ! あれもメタトロンだよっ!」


「あっちにも師匠級の変態が?」


「むぅ? メタトロンは変態専用魔法じゃないよ! 大体、カイユームと同じ位の結界が張れる敵なんだから、メタトロンを撃ててもおかしくないでしょ!」


「はぁ……。我は紡ぐ。世界に遍く精霊たちよ。わが下に集まり喧騒を奪え。四公は我と共に安寧を築き、民草の生命を守らん――四公の防壁(デュークス・ウォール)


 ふざけた会話を交わしていた師弟だが、流石にメタトロンの攻撃をその身に受けるつもりはないようだ。

 ジャンヌがジットリとした視線をカイユームに向けると、諦めた様子で呪文の詠唱を始めた赤縁眼鏡の金髪美女は、右手に持った漆黒の杖を水平に動かした。


「で、でっかいよ! なんなのさ、この壁はっ! って……カイユーム、それ、禁呪じゃないか! そんな魔法、どこで仕入れたのさっ!?」


 眼前に展開された巨大な壁に目を見張るジャンヌは、弟子の力に驚愕の舞を踊る。

 奇妙に細かく揺れるジャンヌの動作に苛立ちを禁じえないカイユームだが、今は魔法の顕在化に全力を尽くさねばならず、つっこみを入れられない事がひたすらに悔しかった。

 ともかくカイユームが生み出した黄金の壁は、雲をつく程の高さを誇り、左右は地平線の彼方まで続いているのではないかと思える程の威容を誇る。

 当然ながらハールーン軍もその内側に収容して、メタトロンを完璧なまでに防いだのだから、誰一人文句はなかった。


「……昔、師匠の机の中にあった本から……。まあ私の力では、もってあと数秒ですが」


「あっ、そうか。僕も禁呪を使えばよかったんだ……禁呪だからって使わなかったら、すっかり忘れていたよ。あはは」


 カイユームは巨大な壁が消えると同時に、闇色の杖でジャンヌの頭を強かに、二度、三度と殴りつけた。

 ふざけた踊りを見せられた恨みの分も当然篭っているが、それだけではない。


 ”ガン””ゴン””ゴイン”


「カラッポですか? 貴女のここは、カラッポなんですか? ええ? どうなんです?」


「い、痛いよ、痛いよ、カイユームぅ――えへへ」

 

 ◆◆


 ネフェルカーラはアカバの港街を重要視していた。それ故、ここだけは住民の避難だけでなく、ハールーンが残した二万と共に街を防衛する指揮官を派遣する事にしたのだ。


 アカバは元来、自主独立の気風が強い土地である。その点を考慮したネフェルカーラは、自らが出向くべきか? とも考えたが、上将軍アル・アーミルが軽々しく動く訳にもいかない。どうしたものかとネフェルカーラが首を捻ると、


「俺に任せてくれませんかね。一応、アカバは俺の地元なんでさぁ」


 白い歯を見せてニヤリと笑ったロスタムが、力強く胸を叩いた。


  そういう訳で会議の翌早朝、アカバの街には「ロスタム将軍が総司令官として赴任する」という情報に加えて「戦時下、住民はマディーナへ避難せよ」というネフェルカーラの命令が駆け巡ることとなった。


「ちっ。ロスタム……将軍、か。そんなもんで、小さく纏まりやがって。兄貴め」


 この情報を聞いて露骨に顔を顰めた男は、ハイレディンという名の若者だ。彼は今年二十歳になる”漁師”――というより”海賊”だった。

 彼は幼い頃から海が好きで、為に、港町を飛び出して、奴隷騎士マルムークなどになったロスタムの事が許せないのだ。もちろん、それだけではない複雑な思いも心中を去来するが、寡黙なハイレディンは決してそれを口にしない。

 ただ海が好きだったハイレディンは今、三十隻のガレー船団を指揮するアカバ暗部の黒幕にまでのし上がっており、彼の意思は即ちアカバの意志となるのだった。


 そんな事とは露知らず、住民を避難させ、防衛すべく意気揚々とアカバへ向かったロスタムと五百名の奴隷騎士マルムーク達。

 ロスタムはアカバに到着すると、軍の駐屯地を抜けて、すぐさま政庁へ向かう。

 政庁は、元を辿ればフローレンス貴族の館だ。それをマディーナ太守が派遣した執政官ハーシブが住み、執務する邸へと改築したもので、街のほぼ中心にあった。


「街の中に入るのは随分久しぶりだが、まったく変わらんなぁ」


 馬に跨り望郷の念を募らせるロスタムは、陽光で輝く額がとても眩しかった。

 思えば共に奴隷騎士マルムークへ志願した仲間達は既に皆、砂漠に屍を晒している。


「地元なのに、もう俺の事を知ってるヤツなんていねぇのかなぁ」


 しみじみと呟きながら、額を”ぺしり”と叩いたロスタムは、その時、不意に前方を人に遮られた。


「俺達から海を取り上げようってぇのは、気にいらねぇな、ロスタムさんよぉ」


 なんとロスタムがアカバの政庁に入る直前で、住民の代表が直訴に現れたのだ。それは筋骨隆々とした色黒の男で、いかにも海の民、といった体である。


 直訴されるロスタムは騎馬に跨り、五百名の先頭だ。

 何となく見覚えがある目の前の男に、暫し首を傾げたロスタムは、とりあえず説明をした。


「ん? ――そうじゃねぇ。そんなつもりはねぇよ。ここはもうじき戦場になる。だからここは俺達に任せて、てめぇらはマディーナへ避難してくれって話だ。執政官からも聞いただろう? ええと、お前……誰だっけかなぁ?」


「されたさ。でもな、ここは俺達の生まれた街だ、誇りもある。それを成り上がりの将軍風情が偉そうに――出て行け、俺達にまかせろ、だと? 大体、駐屯している兵だってニ万程度だろうが。それで、どうやってここを守ろうってんだ。大体アンタ、弱虫のロスタムだろうがっ!」


 瞬時に怒りが湧き上がる性格のロスタムは、目尻を一気に吊り上げた。

 ロスタムはかつて、~虫呼ばわりされたことは、ある。

 だが、それは「水虫のロスタム」だ。決して、「弱虫」などではない。

 実際、ロスタムの靴を履いて足の痒くした者は多数いたが、喧嘩で負けたことだけは無いロスタムであった。


「なんだとっ! 俺は弱虫じゃねぇ! 水虫だっ! 大体、テメェは誰なんだよっ!」


 下馬して褐色の男の胸倉を掴んだロスタムは、少しだけ後悔した。

 なんというか身長差がありすぎて、胸倉を掴んで凄んでも、まったく視線が合わないのだ。褐色の男はロスタムよりも、どうやら二十センチ以上、背が高い。

 いっそ、角で刺してやろうか! とも考えたロスタムだが、それでは住民を敵に回してしまうだろう。それより、実際のところ背伸びをしても相手の鼻の穴に角が届くかどうか、それも怪しいところだった。


「俺だよ、ハイレディンだ。水虫のロスタムさんよぉ」


 ハイレディンの言葉で、漸く昔を思い出したロスタムは、


「俺も連れて行けぇ! ロスタム兄ちゃんの馬鹿ぁ!」


 と喚く、褐色の子供が脳裏に浮かぶ。

 ロスタムがこの街を飛び出したのが、十四年前のこと。自分の胸元までも背が届かなかった子供の胸元にしか、今は自分は届かない。

 溜息交じりのロスタムは苦笑しつつ、ハイレディンの胸倉から手を放す。


「ああ、大きく、なった、な?」

 

「ふん、別に思い出して欲しくもねぇ。野郎共、水虫将軍を畳んじまえっ!」


 ハイレディンは口元を歪めて、巨大な拳を振り上げる。

 すると周囲から一斉に飛び出した、百を下らないであろう海の男達。彼等はその手に思い思いの武器を持っていた。

 政庁へ続く目抜き通りには、樹木も建物も多く、彼等が身を隠す場所には事欠かなかったのである。

 それでもロスタムの連れいている部下には、数の上で及ばない。にも拘らず飛び出してきたということは……。


(なるほど、全員がテュルク人かよ……)


 こうなれば、奴隷騎士マルムークを動かしてみた所で双方に被害が及ぶだけである。

 ならばと腹を決めたロスタムは、めいっぱい重心を下げると、最初の敵を掴んで投げた。その後は、なし崩し的に喧嘩である。

 

(でも、どうしてこうなった? 他の街はいざ知らず、ここだけは死守せよと、ネフェルカーラさまに厳命されたのに……住民を避難させて、街を守るだけの簡単なお仕事だと思ったから志願したのに! ていうか、地元だから安心してたのに!)


 悩みで目を白黒させたロスタムは、振り下ろされる斧を額で割った。突き出される槍は、やはり額でいなす。

 いつの間にか住民達に反乱を起こされている感のあるロスタムは、このままではマズイと感じ、部下達に命令を出した。


「おう! てめぇら、住民の皆さんに手ぇ出すんじゃねぇぜ! コイツらこそ、俺達が守るべき奴等なんだからよぉ!」


 実に丁度よいタイミングで聞こえたロスタムの命令に、奴隷騎士マルムーク達は胸を撫で下ろす。

 見れば将軍であるロスタムが、既に戦っているのだ。こうなれば戦闘に参加せざるを得ない、と考えていた奴隷騎士マルムークの百人長達だった。


了承マーシ! ロスタム将軍(アミール・ロスタム)!」


 とりあえず、ならず者に見えても相手は民間人である。斬り込まずに済んだ奴隷騎士マルムーク達は後退し、街路で縦列のまま方形陣を作った。

 あまりに整然としたその動きに、ロスタムを囲む荒くれ者も、それを遠巻きに見ている住民達も、それぞれに息を呑む。

 何より、たった一人で百人からの荒くれ者を相手にして、息さえ乱さないロスタムに、皆が驚嘆していた。


「てめぇ! 何なんだ、その頭ぁ!」


「石だ! わはは! 斧より硬いぞ!」


「あの野郎! 頭で剣を折りやがった!」


「わはは! いくらでも掛かって来い! 俺は両手を使わん! それでも、もし俺が負けたら、とっとと出て行ってやるぞ!」


 一方で、多くの荒くれ者に囲まれたロスタムは、ちょっとだけ楽しくなっている。

 先日の戦いは聖騎士相手に消化不良だったし、これからの任務も防衛戦闘。もしかしたら、敵が攻めてこないかもしれない。

 そうなると、運動不足が心配なロスタムは、今日こそめいっぱい暴れたくなった。


「上等だ! 俺の剣を受けろ!」


 曲刀を閃かせて、ロスタムの首を狙ったのはハイレディンだ。


「おおうっ! 危ねぇ! 殺す気かよ!」


 ロスタムは上体を逸らして曲刀を交わすと、たたらを踏んで後ずさる。それだけ相手の剣圧が凄まじかったのだ。


「両手を使わないなんて舐めた態度が気に入らん。ロスタム、俺を倒せたら話くらいは聞いてやる。いい加減に剣を抜け」


「ハイレディン、てめぇ! ロスタム”さん”だろぉが!」


「ふん。俺を倒せたら、そう呼んでやるよ」


 ハイレディンは豪腕にモノを云わせて、大振りの一撃を狙う。

 しかしロスタムはハイレディンの斬撃に合わせて、小さく曲刀を閃かせた。

 勝負は一瞬で、それも呆気なく終わる。

 ロスタムはハイレディンの刃を逸らすと、手首を返して太陽光を反射させただけだ。銀の刃が太陽を反射して、思わず目を瞑ったハイレディンの首筋に、ピタリと刃を押し当てたロスタム。


「剣筋がまだまだ粗いぜ、ハイレディン。わっはっは。なんなら、ロスタム兄ちゃん――って昔のように呼ぶかぁ?」


「――くっ」


「か、頭が負けたぁ!」


 ロスタムがハイレディンを圧倒して見せた事で、周囲の状況はまったく変わった。

 住民達が海賊に「退け、逃げろ!」と言い始め、奴隷騎士マルムーク達に頭を下げている。


「聞け、お前たち! 俺はロスタム! 十数年前までこの地に住んでいた者だ! 俺は別にお前たちの気風を潰しに来たわけじゃない! ただ、生きて欲しいが為に、ここに来た!」


 曲刀を収め、大音声を発するロスタムに皆の視線が集まった。

 

「ロスタム? ロスタムって、あのロスタムか?」


「そういや、ロスタムだ。まさか、将軍になっていたなんてなぁ」


「ああ、アイツ、生きていたのかぁ!」


 どうやらロスタムの事を記憶している者も幾人かいたようで、次第に彼を歓迎する人々が現れる。


「ふん、最初っからそうやって堂々と名乗ってくれよ、ロスタムの兄貴。アンタ、昔言ってただろう。”俺は剣で天下を獲る”って。そんで将軍にまでなったってのに、なんで堂々と凱旋しねぇんだよ」


 濃紺色の瞳に懐かしさを宿したハイレディンが、曲刀を捨てながら言う。


「あん? そんなこと言って、俺、出て行ったっけか?」


「そうだよ。俺ぁ昔、そんな兄貴に憧れてさ。でも、海が好きだったし、奴隷騎士マルムークになるにゃあ、歳が足りねぇしよ。それで、海賊団を作ったんだ。兄貴が陸なら、俺は海だ! ってな。そんでよ、ここに来る兄貴がだらしなかったら、俺がフローレンスからこの街を守ろうと思ってな」


 ぽかんと口を開けたロスタムは、照れた笑顔を浮かべながら、ハイレディンの肩を叩く。


「なんだよ、おい。結局街を守るなら、目的は一緒だったんじゃねぇか」


「ああ……そうだよ。なあ、兄貴。今度はよ、いや、これからはよ、俺も一緒に戦っていいか?」


「そう、だな……いいぜ。お前くらい強けりゃ大歓迎だ! でもな、もう、俺は天下を狙っちゃいねぇぞ?」


「ああ、別に、そりゃ構わねぇよ。俺だって流石に状況くらいわかる。ただ、俺は兄貴の為に働きてぇだけだ」


「そりゃ、ありがとよ」


「……っと。そうだ、こういうのは最初が肝心だったな。確か、将軍位を持っていれば、独自に奴隷騎士マルムークを持つことも許されるんだろう?」


「ん? ああ、上限は決まってるがな……」


「だったら、俺を兄貴の奴隷騎士マルムークにしてくれ」


 暫く和やかに立ち話をしていたハイレディンは、いきなりロスタムに跪く。それは紛れもなくロスタムの奴隷騎士マルムークになる事を意味する所作だ。

 無論、ロスタムも既に将軍位にあるので、奴隷騎士マルムークを所有することは可能である。しかしロスタムは躊躇った。


(で、出来れば幼女の奴隷騎士マルムークが欲しいのに……なぜ、こんな厳つい男が……)


「頼む、兄貴」


 ハイレディンの眼光は鷹の様に鋭く、ロスタムの不埒な思考を見透かしているかのようだ。


「わ、わかった。以後、俺に仕えろ」


 結局、ハイレディンの眼光に耐え切れなくなったロスタムは頷く。


 その後、早速ハイレディンを伴い、ロスタムはアカバの政庁へ入ると、執務室の椅子へどっかりと腰を下ろす。

 そして自身の苦労と似たようなものを同僚達が味わっていないだろうかと、一人心配しつつチャイを啜った。


(それにしても、他で撤退を指揮しているヤツら、大丈夫かなぁ。俺の様な苦労をしていなけりゃいいけど……)


 こうしてアカバの支持を得たロスタムは、住民の内、女性と子供を合わせて四万人をマディーナへ送り、アカバ駐屯軍二万と合流して合計二万五百の兵力を手にした。加えて海の荒くれ者三千名もこの後、彼の支配下となりアカバ防衛戦に参加する。

 さらにアカバの成人男子、その約半数である一万人程が、義勇軍としてロスタムの指揮下に入った。

 これにはネフェルカーラも喜び、ロスタムに手作りムハンマーを送った。しかし味の方はとても残念で、食べたロスタムの顔は暫くの間、蒼白だったという。


「ところでロスタム将軍。ワーリスなる者が、将軍を尋ねて参っておりますが。何でも五〇万ディナールを貸している、とかで。追い払いましょうか」


 執務室の主たる権利を追われた執政官ハーシブが、慇懃な態度でロスタムに報告を齎す。

 その時、ロスタムの額からは冷や汗が”ぽたぽた”と零れ落ちたのだった。


 借金は若さゆえの過ちだと思いたいロスタムは、その全額をスルタンに押し付けて、この日、事無きを得たのである。


 後に奴隷朝と云われるシバール帝国。その建国の礎となる将、ロスタム獅子奮迅の働きの影に「なぁ、五〇万ディナール」というシャムシールの呟きがあった事は、意外にも世に知られていない事実であった。


 ◆◆◆ 


 東方の住民を避難させるという命を受けたジャムカは、シェヘラザードをヘラートへ送り届けたその足で、マディーナ東方の拠点、ムテナへ下りる。

 現地には治安維持の為に駐屯している千名程の奴隷騎士マルムークがおり、指揮官はナスリーンという名の千人長だった。


「あらぁ、住民の避難ですってぇ? 今更なのねぇ。マディーナで何か不思議な動きがあったらしいけれど、後手後手よねぇ……こんなことだからぁ」


 ナスリーンはジャムカが飛来したという情報を部下から齎されると、昼過ぎになって漸く寝台から起き上がる。

 彼女の動きに呼応して、二人の若い奴隷騎士マルムークもそっと寝台から身体を起こす。

 そう、彼女は昨夜、好みの部下を二人、自らの寝所へ招き、とてもとても楽しんだのである。もちろん、酒も浴びるように飲んだ。

 よってナスリーンは若干重い頭をふらつかせながら、ゆっくりと、寝台の上で衣類を身に着けてゆく。

 

 と、その時だった。

 開け放たれた窓から、猛威を振う風が部屋を襲い、寝台の天蓋から垂れる薄布が捲れ上がってあられもない姿のナスリーンが晒される。


「ジャムカ将軍が、中庭でお待ち……だったのですが、竜でこちらまで、来られたようですね」


 苦笑しつつ跪く美形の部下に水差しを投げつけようかと思ったナスリーンは、しかし我慢した。何故なら彼女の眼前には、怒りで顔を紅潮させた第四夫人――ジャムカが竜の上から見下ろしていたのだから。


「どういうつもりだ、千人長ナスリーン!」


 竜から器用に室内へ移ったジャムカは、下着姿のナスリーンを詰問する。

 ナスリーンは、深緑色の髪と同色の瞳を持った美女だ。出自は砂漠民ベドウィンの土が族、その姫巫女だそうだが、真実は不明。何しろ姫巫女といってもシャジャルとは違い、その地位を証明する民などいないのだから。

 しかも年齢が二十九歳ということで、そろそろ周囲から「いつ結婚するのだろう?」と思われている、切ない存在だった。そもそも、三年前から二十九歳なのだから、本当の歳なら既に三十を越えているのだが。


「どういうつもりと仰られましても、私の仕事は治安維持でしてぇ」


「通達はされているはずだ! なぜ、民を率いてマディーナへ向かう準備をしておらんのか!」


「ああ、先ほど聞きましたぁ。それよりあたし、二日酔いなんで、ちょっと声を小さく――頭に響くんですよぉ」


「貴様ぁ! ふざけておるのか! 首を刎ねるぞっ!」


「……ふざけているのは、そっちでしょう。大体、マディーナ防衛の為といって、数日前にベフルーズ将軍を招集したばかりで。

 もう、あたし達は敵が攻めて来たら、適当に降伏でもすればいいのかと思ってましたからぁ。実際、ここより東はそうするんでしょ? ことさら民を守るフリをする必要なんて、ないと思いまぁす」


 ナスリーンの口調はふざけていても、内容は正論に違いない。

 対してジャムカは唸るが、彼女は元々クレイトの将。こんな部下には、下手な小細工を弄するべきではないと、体感で学んでいた。

 何しろ口を憚らない部下というのは、常に捨て身なのだ。だから強いし、真実を求める。その上で心服させる事が出来たなら、随分と頼りがいがあるのが、この手の部下だった。

 

 ジャムカは一呼吸おいてから、自らの心に沿って言葉を並べる。ナスリーンの奥底に届く事を願えば、そうするより他無かった。


「負けるつもりならば、な。だが、我等は勝たねばならんし、勝つつもりだ。そして、街は再建出来るが、人の心はそう容易いものではない。

 ここより以東が攻められたなら、確かに降伏せよ、という命令を上将軍アル・アーミルは下された。だが敵は恐らく、そこまで手を広げる事などなかろう。少なくとも、マディーナを本気で包囲するつもりならば、な」


 ジャムカの説明を聞きながら、悠然と身支度を整えたナスリーンは、頬に指を当てて首を傾げる。


「随分と千人長如きに、喋ってくれますのねぇ?」


「ここの長は、少なくとも貴様だ。貴様を動かさねば、オレの任は達せぬ」


「――へぇ。ジャムカ将軍はあたしを頼る、と?」


「それしかないではないか。竜で脅して住民を追い立てろ、とでも貴様は言うのか? いくらオレが野蛮なクレイト――」


 不貞腐れたように見えるジャムカが一瞬、目を伏せた。

 それを見逃すナスリーンではなく、為に、ジャムカの言葉を遮る。

 恐らくジャムカは、自らを卑下している。それはクレイトに生まれたからだ――そう直感したナスリーンは、自身の境遇とジャムカを重ねて、僅かばかりの親愛を感じた。


「――民を、マディーナへ連れて行けば良いんですね。わかりました、あたしも武人ですから、やりますよぉ。将軍の命令ですし。ただ、一つお願いがあるんですけれど、いいかしらぁ?」


「ん? なんだ?」


 ジャムカは眉を顰める。

 どうも、目の前の女が苦手の様な気がしてきたジャムカだ。


「んふふぅ。あたし、ベフルーズ将軍には嫌われてましてぇ。ま、あたしの私生活――主に性生活かしら? が、乱れているせいかもしれませんがぁ――そういうところに目を瞑ってくれる将軍であれば、あたし、力になれると思うんです」


 左右に侍る部下を払いのけると、ジャムカに近づくナスリーン。彼女はジャムカにしな垂れかかると、頬にそっと口づけをする。


「な、なな! 何をするかっ!」


 頬を掌でゴシゴシと擦るジャムカは、何故か顔が赤くなる。


「あら? 第四夫人と言いながら、随分と可愛いわぁ」


「ま、間に合っておる! オレはシャムシール陛下だけで十分だ! 愛人など、しかも女の愛人などいらぬ!」


 ジタバタと暴れて壁際に逃げ去ったジャムカは、肩で息をしている。


「ふふっ。勘違いをなさらないで下さい、願いというのは他でもない。――この任が終わりましたら、あたしをジャムカ将軍の直属にして頂きたいのです」


 ジャムカの脳内は、今まさにパニックだった。

 それでもジャムカは考えを巡らせて、なんとか事態を乗り切ろうと必死である。声を上擦らせつつもジャムカは、なんとか言葉を発した。


「な、なんだとぉ? 分かった! よかろう! 一人の脱落者もなく、見事マディーナへ住民を避難させてみよ! 途中で盗賊の類に襲われてもならぬ! それが叶えば、オレの直属にしてやる! ――ただし、そのかわり――」


「はい、なんですかぁ?」


「我が命を破らば、自刃せよ。その程度の覚悟もなしに、上官を侮辱し配属を変えろと願ったのなら、現時点で百人長へと降格だ!」


 人差し指をナスリーンに向けたジャムカは、会心の表情だった。

 混乱から立ち直り、見事、ナスリーンに一矢酬いた気分のジャムカである。


「あら? あらあら? よかったぁ。当然、やりますわ。ジャムカさま。これから、よろしくお願いしますわね」


 しかしナスリーンの返答を聞くと、怖気づかせて提案を引かせようと思っていたジャムカは、口をパクパクとさせて唖然とした。

 目を細めて笑うナスリーンは、本当に嬉しそうだ。少しだけ小皺が気になる彼女だが、それさえなければ完璧な美女である。


 それにしても、不思議なことがあるものである。なんと、ジャムカも実はロスタムと同時刻に、


(どうしてこうなった?)


 と、考えていたのだから。


 窓から見える光景はドゥラの巨大な顔が殆どで、街の様子など窺う事が出来ない。

 ジャムカは焦っていた。

 外に視線を逸らして気分を変えたかったが、そんなジャムカにドゥラが現実を突きつける。


「グルルルル! (ジャムカさま。これは今時珍しい豪気な女! 期待出来ますな! 良き部下になりましょうぞ!)」


 ジャムカにとって、事はそういう問題ではなかった。豪気なら何でも良いという訳ではないのだ。

 何しろ明らかに、この女は淫乱。そんな者を部下にしたとシャムシールに知れたら、それこそ大変だ。

 しかし、何が大変なのだろう? 別に問題は無いような気が……。そこまで考えた所で、ナスリーンの口調が変わる。


「皆に伝えなさい、行き先はマディーナへ変更よ。ウィルフレッド卿には、”ごめんなさい”とでも伝えて頂戴」


「はっ! はっ? ナスリーンさま。今、このような場で、そのような事を……」


「今だから、いうのよ。ジャムカ将軍。もう少し貴女の来るのが遅れたら、あたし、民を率いてフローレンスへ亡命しようと思っていたの。それくらい、今回、上層部のマディーナ防衛は、様子がおかしいわ」


 再びジャムカは口をパクパクとさせる。


(ナニコレ? もしかして、この街はマディーナを裏切るつもりだったのか? いや、違う。将軍がいなくなった数日で、この女が容易く街を掌握し、その上で……?)


 ジャムカは驚きを込めた目で、ナスリーンを見た。高貴な色香を纏わせつつも、下賎の物言いが違和感のある彼女に、警戒感を露にしたジャムカだった。


「貴様、裏切るつもりだったのか? それなら許さぬが」


「――どのような軍略も、国家の為にある。だけど、それで犠牲になるのは常に民。あたしは民を守る為に奴隷騎士マルムークをやっている。だから、たとえ上将軍アル・アーミルの命令だろうが、民の事を一切考えずに出て行ったベフルーズ将軍の命令だろうが、知ったことじゃないの。

 あたし、民が犠牲にならない戦争なら、いくらだって力を尽くすわ。でもね、捨て置かれた民を守る為なら、国だって売るわよ?」


 ナスリーンは答えをはぐらかす。

 だが、それでもジャムカの心にナスリーンの言葉は響く。

 クレイトにいた頃、ジャムカは”民”など雑草と同程度のものだと考えていた。

 しかし、シャムシールの考えを聞いたことで、ジャムカの意識は変わっていたのだ。


「我が王は、民の為に国がある、と、考えておられる。オレもまた、その考えに倣いたい」


 一瞬だが曲刀に手を掛けたジャムカは、己を恥じて苦笑する。

 そんなジャムカの姿に何かを見出したナスリーンは、まるで妹を見るような視線で微笑んだ。


「ふふっ、将軍がそう思われるのであれば、あたしの忠誠は不動のものとなります。さ、マディーナであたし達の到着を、安んじてお待ち下さいな」


 もう、ジャムカの中でナスリーンは、淫乱なだけの女ではなくなった。真実、その力を試してみたくなったのだ。その上で、民の安全にも考慮する。だからジャムカは、懐から笛を一つ取り出した。


「竜笛だ。これを吹けば、ドゥラが来る。当然、オレも駆けつける。お、お守りだ。きっと無事に、マディーナへ来い。そして、それをオレに返せ」


了承マーシジャムカ将軍(アミール・ジャムカ)


 ふわりと片膝を付いたナスリーン。彼女はジャムカの心情がよく分かった。それと同時に、クレイトを遠くはなれて挫けず、腐らず、前を向いて生きる彼女を眩しくも思う。

 何より、今までナスリーンの上官であった者達は、皆、酷かった。ある者は権力欲の権化であったり、ナスリーンの寝所に忍び入ってくる者があったり。

 直近の上官もその口であった。

 だが、今のナスリーンは、程度の低い将軍など寄せ付けない実力を持っている。無論、実力は隠しているが、強引にその身を奪われそうになれば、自衛の為に力を晒さねばならない場合もあると云うものだった。ナスリーンは男好きだが、誰でもいい、という訳ではないのだから。

 それにしても、「橙色の鎧を纏うジャムカは、まるで太陽のようだな」と、鬱屈した思いを抱え続けていたナスリーンにはこの時、思えた。

 こうしてナスリーンは、とりあえずながら、仰ぐべき主君を見つけたのである。


「ところでナスリーン。お、お、夫は何人おるのだ?」


「へ? 居ませんが?」


「ふ、不埒ものぉ! そんな事では、い、い、いかんぞぉ!」


 そして、最後に聞きたかった事を聞けたジャムカは、再び顔を真っ赤にしつつ、窓から飛び出しドゥラに乗る。

 呆気に取られたナスリーンはしかし、三日後、見事、一人の脱落者も出さずにマディーナへ入城したのだった。

 ちなみにジャムカは夜毎、呼ばれもしないのにナスリーンの様子を見に行ったのだから、主従の絆はいやが上にも深まったのである。


 ◆◆◆


 マディーナ南方の住民を避難させる任を帯びたザーラは、クーファという街で住民全員に”魅了チャーム”を掛けた。

 これにより周辺を説得する手間が省けた為、容易く二万人からなる住民達の移動を開始させる。

 途中、山賊に襲われるという出来事もあったが、やはり”魅了チャーム”で乗り切った。


「なぜ、これ程までに”魅了チャーム”の効果が上がっているのかしら? 有力者達だけで十分だったのに、全員だなんて……」


 民を率いて馬上で首を捻るザーラの頭には、ピンとはったネコミミが乗っている。

 ザーラが後ろから膨大な視線を感じて振り返ると、誰もが口々に呟いていた。


「「ザーラにゃん、可愛いにゃん」」


「あの変態魔術師……! 何が魔力増幅用カチューシャよ! これ魅了チャーム専用じゃないの!」


 この時、最も容易く任務を果たしたザーラの心労は、その実、誰よりも多かったという。

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