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異世界奴隷が目指すもの!  作者: 芳井食品(芳井暇人)
四頭竜の軍旗を掲げて
100/162

マディーナ篭城戦 1

 ◆


 真暦一八五三年エスファンド月六日。

 聖暦一七五三年二月六日。


 上将軍アル・アーミルネフェルカーラの眼前で、シャムシールは消えた。

 しかし、それが彼の死を意味するものではないと、ネフェルカーラは寸でのところで気が付く。

 当日、何とかウィルフレッドを退けたネフェルカーラはアズラク城に緒将を集め、すぐさま会議を開いた。議題は当然、ファルナーズとジャンヌの処遇。それからシャムシールの消失についてである。


 集められた緒将はハールーンを筆頭に、ジャムカ、シェヘラザード、ロスタム。それから千人長格でも特別に参加させた者が、カイユーム、ザーラ、パヤーニー、アーザーデの四名だ。

 上座にはシャムシールの鎧が置かれ、その背後に四頭竜の軍旗を飾った会議室は、沈鬱な空気が流れていた。

 上座から見て左側の長机を前にネフェルカーラ、ジャムカ、パヤーニー、シェヘラザード、が座り、右側の長机を前にハールーン、ロスタム、カイユーム、ザーラ、アーザーデが座る。

 パヤーニーが女子に挟まれているのは、空気の読めない彼の我が侭によるものだ。


「余は、女子達の真ん中がよい!」


「ならば、師匠はオレの隣に座るとよい。おい、第五夫人。師匠をオレと挟むから、そなた、奥の席に座れ」


 何故かパヤーニーを師匠と呼び始めたジャムカが、シェヘラザードを第五夫人呼ばわりして指示を出す。先日あった美花ザフラ・ジャミール宮殿での出来事を根に持っているジャムカは、少しだけ執念深いのだ。

 シェヘラザードは苦笑したが別にパヤーニーを殊更嫌っている訳でもないし、ジャムカの気持ちも理解できる。何より酒さえ入らなければシェヘラザードは対人関係をなるべく円滑にしたいと考える、バランス重視の大将軍ライース・アルジャイシュなのだった。


「わかったわ。立場上、私は本来ここに居るべきではないのだし、ね。ここは第四夫人の指図に従いましょう」


 ふわりと着席したシェヘラザードの艶治な姿に、思わずホクホクしたパヤーニ。


「わはは。余、幸せ! まさに美女に囲まれた美男であるな!」


 ちなみにパヤーニーの眼は既に回復し、二つとも揃っている。その為、彼自身は自らの美貌に一片の疑いも持っていない。

 下半身にあるべきモノが装着されていないが、それはそれ。ミイラとしての魅力がその程度で失われるものではないと、パヤーニーは考えている。


「陛下がお戻りにならなかった場合、余が全てを受け継ぐのもよいな!」


 しかし調子に乗りすぎたパヤーニーは、失言した。これにより左右から同時に斬撃を受けて、首と胴体が切り離されてしまう。


「師匠でも、言ってはならぬことがある」


「そうね。初夜もまだなのに、私、未亡人になんてなりたくないわ」


 ごろりと落ちたパヤーニーの首を見つめる不敵な二人は、驚いた様に顔を見合わせる。


「ジャムカ将軍の剣、凄いわね?」


「この程度、へ、陛下の妻なれば当然の嗜み。それより、大将軍ライース・アルジャイシュの剣こそ、見事だったぞ」


「あら? 自信はあるけれど、貴女程の使い手に褒められると嬉しいわね。

 あ、そうそう。私の事は気軽にシェヘラザードって呼んで欲しいわ。同じくシャムシールの妻だし……でも、第四夫人が第五夫人を呼び捨てにするのは当然なのかしら?」


「……いや、以前からの非礼を詫びよう。これからはオレの事も、ジャムカで構わぬよ」


「そう? ありがとう、ジャムカ。よろしくね」


「こちらこそ……シェヘラザード」


 曲刀を手に微笑を交し合う二人の美女剣士を見上げて、カサカサ眼を”ぱちくり”させるパヤーニー。「なんてな! 冗談である!」と言う機会を、彼は完全に失ってしまった。

 所詮パヤーニーの冗談は笑えないので、彼が斬られるのは当然だ。しかし、今回はジャムカとシェヘラザードの間に友誼を芽生えさせたのだから、パヤーニーの功績は大である。

 もっとも、その功績を評価する者は誰もいないのだが。


「茶番はやめよ。皆、席につけ」


 珍しく現状に溜息をついたネフェルカーラが、騒動の元になった三人を緑眼で見据えた。

 ジャムカとシェヘラザードは一礼すると素直に着席したが、パヤーニーの方はそう簡単ではない。席にならば、すでに座っているパヤーニー。ただ、その首が転がっているだけなのだ。しかし、ネフェルカーラの発する威圧感は紛れもなく本物で、彼女を怒らせたら間違いなく「消される」、という恐怖心が勝った。

 

「せ、接合には時間が掛かりますゆえ、これで平にご容赦を……」


 両手で首を持ち上げると、長机の上に乗せたパヤーニー。


「……ぷっ。ぷくくっ!」


 ネフェルカーラの口元を覆う薄布が、揺れた。

 ネフェルカーラの笑いのポイントは、どこかずれている。彼女にとってパヤーニーの容姿は、そもそもが冗談のようなモノなのだ。

 何しろ、不死骸骨スケルトンを十体集めて彼女の前で踊らせたなら、半日は爆笑を続けるであろうネフェルカーラ。それ程に、ミイラや骨は彼女にとって”ツボ”だった。

 そして今回はそれだけでなく、


「そもそも、なぜ飛ばぬ」


 と、ネフェルカーラはパヤーニーに対してつっこみたかった。


「わざわざ手で頭を拾うなど、おれを笑わせたいのか!」


 そんな事を考えたネフェルカーラは、余計に現状が面白くなってしまったのだ。


 それで安堵したパヤーニー。今日はもう大人しくすることに決めた半熟のミイラは、これにて沈黙する。


 一同が席につくと、二つの長机の間に女性が二人、引き出されてきた。

 サクルとマーキュリーが縄を引いて彼女達を跪かせると、皆の様々な想いが交錯する。


 一人は銀髪で赤い瞳を持ったテュルク人の少女。白い二本の角がしなやかで美しい、今は亡きサーリフの娘だ。

 彼女――ファルナーズは武装を解かれ、今は青い絹衣を纏うだけであるが、それでも衣服に関して一定の配慮が為されているようだった。

 もう一人は白髪で紫眼の少女だ。こちらは大陸屈指の魔術師として声望も高い、ジャンヌ・ド・ヴァンドーム。

 たれ耳兎のカチューシャをした彼女はオドオドと周囲を見回しているが、それが全て演技であることを、ロスタム以外は皆、気付いている。


「すげぇ可愛い。ジャンヌちゃん」


 ロスタムは鼻息も荒く、ジャンヌの幼い容姿と、ペッタンコの胸を見比べる。

 ジャンヌの衣服は白いワンピースで袖が無い。だから、腕の隙間から胸が覗けるのではないかと考えて、机から身を乗り出した石頭将軍ラアス・ハジャル・アミールだった。


「ロスタム将軍、灰にしていいですか?」


 赤い眼鏡の淵を軽く抓んで横目で睨み、カイユームがロスタムを脅す。


「ふっ――なに、心配するな。俺ぁな、シャジャルちゃん一筋よ! 浮気なんぞしねぇ! だが……お前はだれだ?」


 ロスタムの返答は、シャムシールが居れば縛り首ものだっただろう。というより、シャジャル一筋でジャンヌに眼を奪われるロスタムは、有無を言わさずロリコンだ。

 つるりとした石のおでこを左手で撫でるロスタムは、胡乱な視線をカイユームに投げた。

 そもそもロスタムは女性化したカイユームを、ここで初めて見たのだから不思議なのも当然である。


「私はカイユーム。以前は故あって男の姿でしたが……」


「なあるほど! お前、”オカマ”だったんだなぁ! いいんじゃねぇか? ありのままの姿の方が、気持ちいいってもんだろう! 世間はいきなり女の格好して、なんて冷てぇ目で見るかもしれねぇがよ! まあ、俺ぁ気にしねぇ! 頑張れよっ!」


 カイユームの煌びやかな黄金の髪と、服の上からでも分かるふくよかな胸を幾度か見回し、大きく頷いたロスタムは盛大な勘違いをする。


(それにしても、最近の女装はすげぇなぁ! 俺もやってみようかなぁ!)


 もちろん、ロスタムが女装したらただの変態になる。

 今でもロリコン属性のあるロスタムがさらに女装属性までつけたら、もう手に負えないだろう。

 それにしてもロリコンであるロスタムは、完璧なまでにカイユームの美貌をスルーしていた。


「で、そこの骨共と、妙なミイラはなんなんだぁ?」


 ロスタムは石の額をペシペシと叩きながら、首をかしげている。彼は不死隊アタナトイを間近で見るのも初めてなので、不思議なのだ。


「あれなるミイラはパヤーニーという名で、不死隊アタナトイの長。そして不死骸骨スケルトン達は、小さい方がサクル、骨の翼がある方がマーキュリー……不死隊アタナトイの副長達だ。彼らは今後、シャムシールの近衛兵となる」


 ロスタムの疑問に答えるネフェルカーラの声は、事務的だった。

 この間にも、対フローレンス戦の細かな戦術を構築していかねばならない。

 戦況は想定以上に不利なのだから、自らの過ちを認めざるを得ないネフェルカーラだ。もはや笑っている場合ではないのである。


「わたし、サクル。おしゃまな女の子」


 サクルの自己紹介に対して、白骨化しているなんて「おしゃま」が過ぎるだろう! と思ったのはカイユームであり、彼女は古き友の切ない現実に涙した。


「おれ、マーキュリー。きんにくがじまん!」


 一片の肉さえ残っていないマーキュリーの栄えある記憶に、同情を禁じえないのは跪くジャンヌである。

 それにしても、不死骸骨スケルトンが発声可能になるほどの魔力を供給しているパヤーニーという不死公リッチーは、意外と凄い。そんな感心もこの時、ジャンヌはしていた。


「へぇ。頼もしい、と思っていいのかねぇ?」


 一応、感覚としては一般的なロスタム。彼らの禍々しさに一定の警戒感を抱きながら、ロスタムは骨達の自己紹介を受け入れた。しかし、ロリコンであるロスタムの方が骨達よりも内面は遥かに禍々しいのだが、それはこの際、置くとしよう。


「そんな事よりぃ、捕虜たちの処遇はどうするのぉ? 早く話を進めないと、フローレンス軍は明日、明後日にも攻めて来るよぉ」


 ここで今まで腕組みをしていたハールーンが、怒りを内包した言葉を発する。


「す、すまぬ、ハールーン。わしのせいじゃ。全てわしのせいで……だから、処刑してくれ。シャムシールのことも……何もかも……」


 両腕を後ろで縛られ、膝を付いて項垂れるファルナーズが頭をハールーンに向けた。その顔は瞼が腫れて、頬には涙の後が見て取れる。

 ファルナーズはウィルフレッドが退却してからもずっと、泣き続けていたのだ。

 牢に入れられてからも、ファルナーズは呪詛のように「殺してくれ……」と、言い続けていたという。

 ハールーンはそんなファルナーズから視線を逸らすと、拳を机に打ち付けて、ジャンヌの名を叫ぶ。


「ジャンヌ・ド・ヴァンドーム! 貴様の策略が現状を齎した! ファルナーズを操り、シャムシールを消し去って……! ボクは絶対にお前を許さないぞっ!」


「ハールーン、落ち着け」


 ネフェルカーラの声で、机を蹴ってジャンヌに掴みかかろうとする自分を抑えたハールーン。だが、ジャンヌは悪びれることなく反論した。


「……僕の思惑とは違った方向に状況が動いたんだ。僕はシャムシールを消すつもりなんてなかったし、だからこそ、ファルナーズには悪い事をしたと思っている。

 けど、確かに僕の責任さ。だから僕は、僕なりに責任を取ろうと思っているよ。第一、ここにいるのもその一環さ。逃げるつもりなら、いつでも逃げられるもの」


 ハールーンに向けていた視線を、ネフェルカーラへ移したジャンヌは微笑を浮かべた。

 ネフェルカーラは頷くと、周囲に向かって厳然と言い放つ。


「おれは、ジャンヌの言葉を奇貨と思う。それに捕虜二人に関して、おれは皆に意見など求めておらぬ。

 ――サクル、二人の縄を解け」


「あい」


 サクルは曲刀を抜き放つと、寸分狂わず腕と胴をしばる縄を斬った。

 斧だけでなく、サクルは剣技も達人であったようだ。まったく、その上美人なのに、骨だけになってしまうなんて……。シャムシールが居たら、きっと世の無常を嘆いたであろう。


「ジャンヌ・ド・ヴァンドーム。おぬしには黒甲将軍カラ・アミール府に一室を与える。出て行くも良し、留まるもよし、好きにせよ。どうせ我等が全員で当たっても、おぬしの逃亡など止められまい。

 それからファルナーズ。おぬしは独房に入って反省せよ。いかに隷約スレイブとはいえ、あれは心に隙がなければ掛けること能わず。

 ――ただし、太守の罪を裁けるはスルタンだけである。故に――シャムシール帰還の後、沙汰をする。

 精々――シャムシールの夜伽相手でも努められるよう、女を磨いておれ」


 ”はっ”っと顔を上げたファルナーズの頬は、赤みが差していた。

 言葉尻で歯軋りをしたかのようなネフェルカーラの声は、確かにファルナーズに希望を与える。

 もはやシャムシールの妻になりたいなどと、大それた希望は持たないファルナーズ。ただ、シャムシールに謝る機会を与えられれば満足だった。

 それを――第一夫人たるネフェルカーラが、


「シャムシールの夜伽相手でも努められるように」


 と、言ったのだ。

 もう「死にたい」とも「殺して欲しい」ともファルナーズは思えなくなった。


 ジャンヌはそんなファルナーズに視線を向けると、小さな声で、誰にも聞こえない様に言う。


「ファルナーズちゃん、キミを利用してごめんね。でも、許して欲しいとは思わないし、許してくれるとも思っていないよ。

 ただ、僕が言える事は――キミには今まで父や母の重圧があったんじゃないかな? それが心の隙間になって――だから、これからは、ただのファルナーズとして生きたらいいんじゃないかって、それだけ」


「別にわしは、おぬしの事など。全て、己が心の弱さゆえじゃ」


 ファルナーズの答えは、ジャンヌではなく自身に向けられたものであろう。

 それが分かるからこそ、ジャンヌもそれ以上は何も言わなかった。その代わり不意に動くと、ザーラの頭にネコミミカチューシャを乗せて、ニンマリと微笑んだ。


 二人がサクルとマーキュリーに従い退出すると、いよいよ今後の方策の話し合いが始まった。


「こ……これはにゃに?」


 ◆◆


 会議は紛糾し、深夜に及ぶことになる。

 誰もがシャムシールの帰還を信じていたが、同時に王の不在を隠すべきか、明かすべきかで意見が分かれたのだ。

 明かすべきだと主張するのはネフェルカーラであり、賛同者がジャムカ、パヤーニー、ザーラの三名。一方で隠すべきだと主張したのがシェヘラザード、ハールーン、カイユーム、アーザーデ、ロスタムの五名だった。

 普通に考えれば四対五だが、ネフェルカーラは我が侭なのだ。


「どうせ還ってくるのに、何故隠す必要がある? 第一、隠せば戦況が苦しくなった時、姿を見せないシャムシールが訝しまれて、いっそ士気の低下を招くであろうが」


 ネフェルカーラは、今後数週間で戦況が著しく悪化すると予測した。

 となれば、シャムシールが戦場に姿を見せない理由がない。不利な状況で理由も無く姿を見せない君主など、誰にとっても不要であろう。だからこそ最初から真実を話して、付いて来たい者だけくればよい、というのがネフェルカーラの考えであった。


「病とでも言えばいいじゃない……すぐにシャムシールが還ってくればいいけれど、そうじゃなかったらどうするのよ?」


 シャムシールの不在を隠すべきだと主張する筆頭は、シェヘラザードだ。

 彼女も戦況が悪化するであろうことは、理解している。だからこそ、下手に真実を末端にまで知られては、都合が悪いと考えた。

 それに良くも悪くも、現在シャムシールの領土は広大であり、なおかつ飛び地である。ならば、シャムシール不在を知った地域の有力者などが叛旗を翻さない保障など、何処にもない。

 つまりはネフェルカーラに、「穏便に事をすすめよ」、と言っているのがシェヘラザードだった。


「ネフェルカーラさま、ボクも隠すべきだと思うよぉ。マディーナやサーベはいいけれど、セムナーンは……つまり、アエリノールがシャムシールの不在を知ったら……。

 正直、ネフェルカーラさまにアエリノールが従うとは、思えないんだぁ」


「む? アエリノールが叛旗を翻す、と?」


 ハールーンの言葉に眼を丸くしたネフェルカーラ。彼女は少なくともアエリノールの誠実さを信じていた。


「いやぁ。多分、アエリノールの事だから――シャムシールを助けるんだぁ! って言いながら、作戦を放棄してこっちに駆けつけると思うよぉ。

 彼女、これからアーラヴィーを攻略に向かうんでしょう? それが反転してこっちに来たら、東方に軍事的空白が生まれて、大変な事になるよぉ」


 ハールーンが頬を指で掻きながら、どうにか説明をする。

 ハールーンにとってはアエリノールも上将軍アル・アーミルなので、彼女を卑下しないよう苦心したのだ。


「だが、ドゥバーンが言うには、シャジャルを付けたと――」


「シャジャルもシャムシールを兄と――。いや、何より、ボクがアエリノールと同じ立場でもぉ、多分、シャムシールの危機だと知れば、何を置いても駆けつけるよぉ」


 ハールーンの説明に、一同が頷いた。

 確かにそうだ。

 シャムシールが消えた――などと聞かされて、彼の下に駆けつけない将など、それこそ軍中に居ない。叛旗はともかく、全員がそんな有様になっては、あらゆる戦線が維持できなくなるであろう。

 ネフェルカーラさえ、細い指を顎に当てて考え込んでいた。


「ふむ。確かに、な。既に事情を知っているおれだから、このように考えたのかも知れぬ。よかろう、この件、秘匿せよ。よいな、ジャムカ、パヤーニー」


「はっ!」


 ネフェルカーラがひたすら恐いパヤーニーは、今日一番の良い返事をした。よく通る声が会議室に響く。


「第一夫人のよき様に」


 ジャムカはそんな師匠の態度を見て、ネフェルカーラへの敬意も新たに頷いた。


 ◆◆◆


 翌朝、シェヘラザードはジャムカが駆るドゥラの背に乗り、ヘラートへ戻った。

 これも昨夜の会議で決まった事である。

 

「シャムシールがただ病に倒れただけだと云うのなら、私がヘラートで防御の指揮くらいとらないと、ね」


「うむ、ドゥバーンが援軍を率いて間もなく到着するであろうから、それまでくれぐれも……」


 正直、シェヘラザードがヘラートへ再び入るということは、マディーナの防御戦を戦うよりも余程危険なことである。

 それをネフェルカーラは援軍の一人もつけられず、ただ彼女を送る事しか出来ないなど、歯噛みする思いであった。

 それでもシャムシールの不在を隠す以上、躊躇いなく現状の作戦を実行して行かねばならないのだから、仕方がない。


 シェヘラザードを送り出したネフェルカーラは各部隊に通達を出し、近隣諸都市の住民を全てマディーナへ収容するよう命令を下す。

 不本意ながら、野戦でフローレンス軍を破る事は不可能と判断した結果だ。

 それが為に、朝から不死隊アタナトイ以外の面々は、各所へと散って大忙しである。

 不死隊アタナトイが動かないのは当然で、もしも彼らが見知らぬ街へ現れたなら、誰しもが魔物と勘違いするであろう。だからこそのお留守番なのだ。


 この日、尤も過酷な任務を引き受けたのはハールーンだろう。

 迫り来るウィルフレッド軍を牽制しつつ、マディーナ内へ収容される民の護衛を、彼は三万の部隊で行っていた。

 突撃されればそれまでだし、ウィルフレッドが出てきても、ハールーンには勝ち目が無い。

 だから騎馬隊だけで陣形を広げ、あとは魔法兵に防御結界を展開させるだけの”こけ脅し”に徹したいハールーン。つまり、追われれば逃げる以外の道が無い、実に悲惨な囮なのだ。

 ただし、敵が下がればその分此方も追うし、矢も射掛ける。極めつけは騎竜したハールーンが折を見て敵陣深く進入、陣形を寸断するのだから、ウィルフレッドとしても確かに無視はし得ない存在である。


「お疲れ様です、ハールーン将軍(アミール・ハールーン)


 陣に戻りウィンドストームから下りたハールーンに、アーザーデが蜂蜜水を渡す。

 

「ありがとう、アーザーデぇ。でも、敵も様子見のようだねぇ、だから助かっているというかぁ――それでも、ウィルフレッドにもクレアにも届かないよぉ。こんな分厚い陣形、困っちゃうよねぇ」


 その時、ハールーンの足元に巨大な黒い影が生まれた。

 尋常ではない気配を察したハールーンは、慌ててアーザーデに声を掛ける。


「アーザーデっ! 逃げてぇ!」


 言うなりハールーンは、再び騎竜した。


 地面から盛り上がる様に現れた褐色の竜、そして金髪の貴公子。

 ハールーンは直感した。


(こいつが、ウィルフレッドかぁ)


「宰相閣下直々のお出ましですかぁ?」


「そう言う君は、ハールーン将軍(アミール・ハールーン)?」


 オレンジ髪の美丈夫と金髪の美男子は互いに竜を駆り、槍を構えると眼光を鋭くする。

 互いに竜をすれ違わせて槍を交わすも、技は互角。

 ハールーンはウィンドストームの優速にものを云わせてランドマスターの背後に出るが、しかしそれも束の間だった。

 地竜であるランドマスターは下降すると、一気に土中へ潜ったのだ。土の中ではウィンドストームと云えども追うわけにはいかない。


「逃げられたか……」


「私が逃げる? 何故ですか?」


 ハールーンが槍を置こうとした刹那、頭上から猛然と襲い掛かるウィルフレッド。高々と振り上げられた黄金の槍が、閃く。

 ハールーンは頭上に槍を翳して致命の一撃を防いだが、しかし肩に傷を負い、ウィンドストームの翼さえ切り裂かれてしまった。


「グオオオォ……」


 ウィンドストームから苦しげな悲鳴があがる。

 失速して落ちてゆくウィンドストームとハールーンに、ウィルフレッドの第二撃目が迫っていた。


「くっ! 炎槍ナール・ハルバッ!」


 苦し紛れに放ったハールーンの魔法は、ウィルフレッドの頬を掠める。


「ほう、いい魔法戦士だ。これ程の者を殺すのは、少し惜しい気もしますが……唸れっ! 神槍ブリュンヒルドッ!」


 ハールーンはウィルフレッドから視線を逸らさなかった。

 槍が黄金の軌跡を描き、自身に迫る――。

 ハールーンの極限にまで高まった集中力は、超高速で迫るブリュンヒルドの槍先を、自身の両目にくっきりと映し出す。


 ハールーンは折れた槍を捨てると曲刀を抜き放ち、ブリュンヒルドを打ち上げた。

 ――その刹那。

  

 ”ゴウッ”という轟音が鳴り、ブリュンヒルドが真ん中から二つに割れる。


「な? ブリュンヒルドを斬った? この力は……貴方も、”英霊体質”だったのですね……」


「知らないよぉ。でも、ボクはここで負ける訳にはいかない!」


 再び地中からランドマスターが現れて、ハールーンは一人と一頭に挟まれる。


「空を飛べるって、卑怯だよねぇ」


 アーザーデに魔法の援護を期待したいが、しかしウィルフレッドの力は圧倒的だ。ここで下手に援護を頼めばアーザーデを失う事になると考えたハールーンは、何とか一人でこの場を切り抜ける方策を探す。


 ”ドゥゥン!”


 ハールーンがウィンドストームに治癒魔法をかけつつ、敵の攻撃に備えていると、二条の閃光が後方から放たれて、ウィルフレッドの脇を掠めてゆく。そして彼方で弾けると、爆音と共に煙が立ち昇り、悲鳴が聞こえた。


「ふむ、これはメタトロン。――ジャンヌさまも我等の敵に回りましたか。いいでしょう。私としても、無辜の民を傷つける趣味は無い。今日の所はハールーン将軍、貴方とジャンヌに免じて、退きましょう。

 ですが――早く降伏する方が身の為ですよ。何せ頼みのシャムシール王は、もう居ないのですから」


「それこそ間違いだねぇ。シャムシールは、必ずボク達の下へ帰ってくる!」


「それはそれは、随分と信頼の厚いこと。それでは、また……」


 ハールーンは、ランドマスターに飛び乗り地中へ潜るウィルフレッドを、ただ見送る事しか出来なかった。

 何しろ破壊したはずのブリュンヒルドは何事も無かったかのように復活し、ウィルフレッド本人は無傷なのだ。

 対して自身は左の肩口に大きな傷を負って、流れ出す血が白い戦衣を赤く染め上げている。

 ウィンドストームの治癒を優先した為に、自身を後回しにしたハールーン。そして竜を治癒するという行為は、思いの他多くの魔力を消費した。


 ハールーンはウィルフレッドが去った事を確認すると、地上に下りる。そして意識を失う直前で、メタトロンの第二射が、完全に防がれる様を見た。

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