異国の夜
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門を抜けた先は、マディーナとは全く別の都市が広がっていた。とはいえ、夕方近くになっても未だ乾燥した熱波が頬を掠めることに変わりはない。暑いものは暑いのだ。
街は、全体的に白が基調になっているようだった。
しかし、それは色彩の少なさを意味するものではない。
屋根は、赤や青、時には桃色のものまであるし、街路のいたるところには南国の樹木が植えてある。
石畳の路面の隅には排水溝があり、下水が流れているようで、マディーナの様に異臭がする区画もないようだ。さすが、滅亡寸前とはいえ一国の首都である。
だが、大聖堂を目指して目抜き通りを歩いているのだが、左右に立ち並ぶ商店は活気がない。
訝しげに俺がきょろきょろとしていると、ネフェルカーラが声をかけてきた。いつになく、物憂げな口調が、その美しさを更に妖艶にする。
「みな、怯えているのだ。いつ、シバールに攻められるのか。いつ奴隷騎士に蹂躙されるのか、とな」
異教徒にとって俺たちは、悪魔にも等しい存在であるらしかった。むしろ、異教徒曰くの悪魔と共存している社会こそが、シバールという「聖帝」を頂く連邦国家なのだ。それは、恐怖の対象にもなるだろう。
そして大聖堂のある区画は、その異教徒に対抗する王が座す場所。王城にも程近い、最高級区画である。
「この格好だと、悪目立ちしそうだよぉ?」
ハールーンが、珍しくまともな事をいった。
確かに、ネフェルカーラを除き、各人の衣服は実にみすぼらしいし、駱駝だってやる気の欠片も見当たらない。砂漠を歩く時はこれでも良かったが、街中でこれは拙いだろう。
一旦は宿屋にでも入り、身なりを整えてから、明日、改めて大聖堂に行くことにしたのだ。
大体、何だかんだといつの間にか夕暮れ時である。
空にはたまに竜が飛び、双頭の鷲が大きな影となって舞っている。それに改めて唖然とするが、それよりも、しっかりと空腹になっていたのだ。
なにしろ、朝、粗末なかちこちのパンとチーズを食べただけであった。砂漠を踏破するのに、なんたる粗食! と、腹も立ったが耐え抜いたのである。
宿屋では、それなりに広い二階の部屋を取った。
大きな窓が南側にあり、それを開け放つと涼やかな風が取り込める。麻のカーテンが”ふわり”とゆれると、その先に覗くオロンテスの街並みが、夜の中で輝いていた。
居場所が変わっても、それ程景色は変わらないんだなぁ、なんて、ちょっと俺も感傷的になったりした。もっとも、日本と比べれば大分差はあるけどね。
部屋には、高床式ベッドが二つあった。
よーし、久しぶりにふかふかの布団で寝られるぜ! と思ったが、俺とハールーンは床で寝ろ、との事だった。くすん。
なぜ、シャジャルがベッドを使うのだ。妹の分際で。
部屋の確保を済ませると、次は食事だった。
部屋に食事を持ってくることも可能だということだったが、ここはあえて一階にある食堂に行くことにした。情報収集も兼ねるのだ。
全員がテーブルにつくと、皆、それぞれに注文を始めた。
羊肉と豆のスープ、それにベーコン、パン等とが次々と運ばれてくる。どれも、牢獄では食べられないものが多く、俺もハールーンも晴れやかな笑顔で舌鼓をうっていた。
そんな中、ネフェルカーラは、陶器のグラスに注がれた赤い液体を、煽るように飲み干す。
「ふぅー。沁みる! 沁みるぞ!」
え? 何してるの、ネフェルカーラ。
俺たち奴隷騎士に酒はご法度だった。なんでも「聖典」に書かれているから駄目なんだそうだ。そして「聖典」を守護するのが他ならぬ「聖帝」である。
まあ、「聖帝」から見ればネフェルカーラも末端だから、あんまり関係ないのかもしれないけど。
でも、それにしたって「聖典」なんて知らなかったかの如き飲みっぷりである。
流石に目にあまったのか、ハールーンがすかさず注意した。
「ネフェルカーラさまぁ。それ、お酒でしょお?」
「悪いか?」
悪びれず、ハールーンに答えるネフェルカーラ。
「ふん、ハールーン。ここは何処だ?」
「オロンテスぅ」
「ならば、ここで飲まねば逆にあやしいだろうがっ。お前も飲めっ!」
「わぁーい」
ハールーン。羨ましかっただけか。差し出された別のグラスに、なみなみと赤い液体を注がれて、歓喜の笑みを浮かべるオレンジ髪の馬鹿野郎である。
そんな時、”どかどか”と足音高く食堂に入ってきた一段があった。
全員が青いチュニックを身に纏い、黒いズボンを履いている。腰には彫金も煌びやかな長剣をぶら下げて、どうやら上級騎士のようである。
何しろ、食堂の主らしき人物が、うやうやしく頭を下げているのだ。
あ、でも、上級って程でもないか。ここは庶民的な店っぽいし。
「これはこれは、オットー男爵。いつもありがとうございます」
光り輝く頭頂部をもった店の主人が、ハールーンよりも背が高いであろう人物を店内の奥に招き入れる。
場所は、俺たちの席の近く、通路を挟んで横の席に彼等は通されていた。
此方も四人、あちらも四人。
だけど、男女比がちょっとおかしい。こっちは二対ニだけど、あっちは一対三なのだ。羨ましいぞ。しかもこっちは、一人が男女で一人が子供だ! くそう! 参ったか!
……それはともかく、一番偉そうな、服の上からでも筋肉盛り上がりまくりなのが奥の席に座り、燭台の灯りに照らされている。
その男の正面に、中々に美人な赤毛と栗毛の女騎士が座った。だけど、一番俺の目を引いたのは、偉そうな奴の隣に座った女騎士だ。
黄金の髪色に蒼い瞳、細長い玉子型の輪郭に柔らかそうな桃色の唇だ。もう、めちゃくちゃ美人だった!
彼女は、俺の右斜め前方に座っている。
俺は、不覚にも見とれてしまった。いっそ凝視せんばかりの勢いだ。
「う、うおっほん」
隣で、無粋な咳払いが聞こえた。
ほろ酔い加減のネフェルカーラさんだ。もう、コイツ、勝手に正面のハールーンと盛り上がってろよ、とか思ってたのに、なぜ俺を気にするのか。
俺の正面では、シャジャルが一生懸命にナツメヤシを頬張っている。彼女はもはやデザートに突入したようだ。
ていうか、なんか栗鼠みたいな子だ。口にモノを詰め込み過ぎて目を丸くしている。
「アリエノール。どういうことなのだ、昼間の魔物騒ぎは? 結局、そんなものはいなかった、という事なのか?」
「はい。ですがその騒ぎに紛れて、不審な四名が進入したことは間違いがないようですね」
オットー男爵とか言う偉そうな騎士の問いに、金髪碧眼美女騎士が答えている。アリエノールって名前なのか。心にメモっとこう。ときめく程に、美しい。俺は、奴隷になる場所を間違えたのではないか?
「兄者……」
おっと、ナツメヤシを食い尽くしたシャジャルが、蒼い目をじっとりと俺に向けている。
兄は、敵情視察に勤しんでいるのだよ……。と、念じつつ、白い歯を見せてシャジャルを黙らせる。
納得したのか、シャジャルは頷くと、席をたった。
「シャジャル、どこへ?」
「ふわぁ……寝ます」
ネフェルカーラーの問いに、簡潔に答えたシャジャルである。
目を擦りながら階段を上る様は、何だかんだいってまだまだお子様のようであった。
「シャムシールは飲まないのぉ?」
トロンとした瞳を艶かしく輝かせて、俺を見つめるハールーン。
お前。仕事をする気はあるのか?
俺は確かに金髪美女に見とれているが、大事な事を聞き逃したりはしていないんだぞ!
あれ? 大事な事って、俺たちが早速お尋ね者になったってことじゃないの?