買い手がつきました
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二〇ニ〇年東京オリンピック。いや、別に正直そんなものに興味はない。でも、来年に迫った受験はとっても嫌。だから、逃避のために来年のオリンピック楽しみって言ってた。勉強しないために。だからって別にやることもなかったんだけど、ほら、ね、遊びたいから。遊び方とかわかんないけど。
とか、思ってたら――眩暈。
気がついたら、荒涼とした草原にいた。草原というか高原というか、とにかく乾燥した土と草、あとはごつごつとした岩が占める広大な空間。たまに潅木もちらほらとあるけれど、基本的には平坦。
空を見上げれば高くて蒼くて、細くて薄い切れ長の雲と鳶が絶妙に綺麗で。これなら空気もさぞやおいしいだろうなぁと思って、目一杯息を吸い込んでみた。上を見ながら。
そしたら、満天に矢。飛び交う矢。
むせた。びっくりした。
目を疑って、もう一回見る。そしたら、もう、空が一気に真っ黒。飛び魚の大群だと思った。いや、思いたかった。でも、目は正しい。信じられる。
やっぱり、むせた。
右と左から、矢が俺の上空を行ったり来たり。いや、間違えた。行ったものは返ってない。反対側で刺さってた。そうそう。わりと俺から遠くはないね。遠くないところで矢が刺さってた。人とか、馬とか。
そういえば、意識を取り戻したときに気がつくべきだった。地響きとか、人の大群とか。目の錯覚だと思った自分が恨めしい。
で、矢が刺さった何かからは、ものすごく血が出ているようです。「ぐわぁ」とか「うおぉ」とか雄叫びが聞こえてくるけど、俺としては条件反射で似たように叫んでみるくらいしか何も出来ません。それだって、やる必要はなかったと思うけど、びっくりしてそんなことしか出来なかった。
当然、状況が飲み込めるわけがない俺としては、携帯電話を探すわけですよ。やっぱ、位置情報を調べれば一発じゃないですか。場所がわかる! それに、矢が刺さった人がいるなんて、人道的に救急車を呼ばなきゃいけないし、警察とか来てくれたら安心。でも、こんな矢の飛び交う空間なんて、日本の中でもごく一部! 映画の撮影で、戦争のシーンを撮ってるに違いない! それが本命だね! うん、俺、絶賛混乱中!
はい。位置情報、出ました。俺ん家。そうそう。俺ん家、戦争してたんだよねー。すっかり忘れてましたー。って、んなわけあるか。次、一一〇。ぜひ、治安維持活動を、お願いしたい。国民がピンチです。でも、出ません。誰も出ません。コール音が鳴る辺りが奥ゆかしい。電波はあるのかい!
でも、ダメだね。一応、一一九にも電話してみたけど同じこと。
それにしても、左右は人の群。前後は岩と川。四面楚歌というのかな? いや、彼等が俺の敵だと決まったわけじゃない。もしかしたら、俺の歓迎式典かもしれないぞ。さようなら現世。いらっしゃいあの世、かも……って、それも嫌だ。
数分ばかり上空を黒々とした矢の大群が飛び交っていたと思ったら、今度は火。炎の球。しかもでかい。そんなものが今度は左右を飛び交っています。ファイヤーマ〇オの大群でも現れたか? 火が出せるようになるキノコがあるなら俺も食いたい! と思うのもつかの間、左右の人壁が徐々に狭まって、俺の思考もどんどん狭まってゆきます。発狂まであと五秒。
多分、発狂したと思います。怖すぎて。
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次に気がついたら、木の牢屋に入れられて、丸いお椀に妙な食べ物を入れられて、食べてから裸にされて、ここに連れてこられて現在に至っちゃうわけです。夢なら覚めてくれ。あ、途中、水で身体も洗ったっけ。
ここはテントを二つ繋げたような作りになっているらしい。俺が今いる方は、俺が立っているちょっとした舞台と、正面に見える客席。客席には、百人位はいるだろうか。奥の方は暗くてちょっと見えない。それと、俺たちみたいな素っ裸にされてるやつ等が控える後ろのテント。ちゃっかり牢屋仕立ての1Rだ。Rは牢屋って言うんだぞ。と、そんな二つのテントが連なっていた。
「ニ〇ディナール」
「ニ五ディナール」
百人からの群集の視線を、舞台に立って釘付けにする俺様。裸だから、あんまり見ないで欲しい。そして、舞台上、俺の隣の太ったターバン的なものを巻いたおっちゃんが叫ぶ数字と、それに答えるように群集から叫ばれる数字。これが意味するものは何であろうか?
むろん、天才的な俺様の頭脳を持ってすれば、なんとなく状況はわかる。
只今、俺様、絶賛売り出し中。
うん、やっぱり、状況をわかりたくなかった。あと、俺、天才じゃないっぽい。天才だったら脱出できると思うもん。
俺の右に立っているターバン的なものを巻いた、浅黒い顔の太ったおっちゃんは、つまり、俺の基本価格を言ったというわけだ。それに対して客が徐々により高い金額を言っていくんだな。うん。
……はやく言えよ。客。二五で止まるとか、まるで俺が価値なしみてぇじゃねぇか。
たしか、前の人がニ〇〇〇ディナールとやらで売れてたから……ちょ、俺、めっちゃ安っ! なんかそれ、凹むんですけど。ブタさんの気持ちが少し解る気がするんですけど。
これ、買われたら、俺、奴隷になっちゃうのかな……いや、すでに奴隷なのかな。
「三〇ディナール」
お、値段が上がった。
うん。おばさんがなんか言ってるよ。俺になにやら素敵な目線を送ってくれるけど無視しよう。ああ、でも両手を後ろで縛られてるから、あれ丸出し。もう、超見られてる。やめてくれ。生き恥。てか、三〇ディナールってなにかな。どのくらいの価値だろう。三〇円とどっちが上なのかね。いや、いくらなんでも俺、人間だよ。三〇円よりは上だろう。そうじゃないと……俺の価値が……
「じゅるり」
ちょっとおばさん。今、よだれ啜ったでしょう。何、前に出てきてるのさ。ああ、どうなるんだ。いやだ。とてつもなくいやだ。誰か値段を吊り上げてくれ。この人にだけは買われたくないし、飼われたくない。いや、そもそも帰りたい。奴隷になるのを俺は断固として認めないぞ! もう、腕の縄なんか切ってやる!
「うがぁ!」
お、切れたよ。すげえ、俺すげぇ。ちょっと暴れてみよ……だめだ。やっぱ駄目。左右と後ろから剣を持った人が出てきた。しかも、やつ等裸じゃねぇ。ふざけやがって。抵抗なんかして刺されちゃったら受験に響く。畜生。いや、正直、受験も嫌だ。奴隷とどっちが嫌かといえば、悩む。
ああ、今度は足も縛られた。なんと今度は金属製。鎖かよ。丁重に扱われてるね。俺様。
「一〇〇ディナール」
上がった。俺の価格が上がった。誰だ? 正面よりやや右のお姉さんだ。よし、いいぞ。お姉さんになら買われてもいい。むしろ飼ってくれ! 本望だ。奴隷として生きてやる! 貴女の為なら一遍の悔いも感じない!
「ニ〇〇ディナール」
ん。高騰し始めたの? いいよ、もう、俺はお姉さんに買われたい。ほっといてくれ。いや、違う、夢から覚めたい。これはきっと悪夢の部類だから。
「五〇〇ディナール」
「五五〇ディナール」
おお……。とうとう頭に角のあるお方まで出ていらっしゃった。そんな角で刺されたら、俺死んじゃう。お姉さんがんばれ! 五五〇ディナール! おお! お姉さん! 好きだ!
「一〇〇〇ディナール」
角ぉおおー! 俺にそんな価値ないよぉ! なんなの? 試し刺し用? そういうのやってないです。
「一〇〇〇ディナールです。これ以上の方はおられませんか?」
色黒ターバンデブが俺の横で大声を張り上げている。二度ほど手を”パン””パン”と叩くと、更に言葉を続けた。
「ありがとうございます! 今日からこの者はサーリフ様の所有物でございます!」
俺的には、なにもありがたくない。
色黒ターバンデブの前に黒髭角魔人が現れて、じろりと俺を見る。やめろ、下半身を見るな。それなりに劣等感を感じてるんだ。失礼なやつめ。
うん、しかし、よく見るとこいつはでかい。いや、あれではなく。黒髭角魔人が舞台に上がると、ヤツの角は俺の目線よりもはるかに高い。ていうか、俺の目線なんか、ヤツの肩くらいになっちまう! こいつはニメートル近くあるんじゃないかね。角含むで二メートル二〇センチ? って、おい。
嫌だ、嫌だ、こんなヤツに俺の操を捧げるなんてぇ……!
「ふむ。怯えてはおらんようだな。面構えも気に入った。俺はサーリフという。マルムークの指揮官をやっておる。その俺が買ったのだ。覚悟してもらうとしよう」
覚悟とか言ってる。うわあぁ。この人変態だぁ。まじ、俺そういうんじゃないです! 面構えとか気に入らないでいいです! 貞操は大事にするものです! てか、なんで俺、貞操の心配してるんだよぉ!
ていうか、マルムークってなんだよ?