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魔法使いの家~狼女ルイ~見鬼と座敷わらし

 魔法使いの家 

 次の金曜日の放課後、麻美は前に約束したとおり祐天寺さんのところに行こうと言い出した。

「やっぱり、こう言う事は、専門家に話を聞いたほうがいいと思うんだ」

「でも、麻美まで巻き込むのは気が引けるわ」

「何を言っているの。麻美は僕の大切な友達じゃないか」

「でも」

「それにボク自身も、専門家に相談する必要があるんだよ」

「どうして?」

「だって、ボク、梓に血を飲まれているからね。もしかしたら、僕も吸血鬼になっちゃうかも知れないし」

「あ、そのこと…」

「うん?どうしたの?」

「そのこと、すっかり忘れていた。大変、どうしよう」

「だからさ、僕もその祐天寺さんに会って、梓の事だけじゃなくて、自分の事も相談したいと思うんだ」

「わかった、電話してみる」

 梓は携帯に登録しておいた祐天寺さんの電話番号にかけてみた。スリーコールで落ちついた女性の声が電話に出た。

「はい、祐天寺心療内科クリニックでございます」

 誰だろう?看護師さんでもいるのだろうか?

「あの、柊と申します。祐天寺さんはいらっしゃいますか?」

「あら、梓ちゃん?」

「あ、はい、梓です。そちらはどなたですか?」

「あたしよ、あたし、わかんない?」

「え、ええと」

「ルイよ。忘れちゃった?」

「あ、ああ、ルイさん、まさかあなたが電話にでるなんて思わなかったので」

「まあ、相変わらず失礼な子ね。でもよかった、まだ生きているみたいじゃない」

 あなたの方がよっぽど失礼じゃない、そう思ったが言い返すのはやめた。どうせ口ではルイには敵わないし、当初の目的を忘れるわけにはいかなかったし。

「おかげさまで、元気といっていいのか分かりませんけど、なんとか無事です」

「そう?まあ、吸血鬼なんて、殺しても死なないような奴らばかりなんだけどね。というよりお前は既に死んでいる?ウフフ」

 ルイは相変わらず、配慮の欠片もないような冗談を言う。

「それで、祐天寺さんはいらっしゃいますか?」

「ああ?光ね、今日はお仕事で出かけているわ」

「あの、どちらに?」

「それは秘密。この仕事はクライアントの秘密厳守は絶対だもの」

「じゃあ、祐天寺さんは何をしに出かけられたのですか?」

「ああ、そうくるか。そうね、光はねえ、今日はエクソシズムの仕事をしているのよ」

「エクソシズム?」

「そう、まあ、ゴーストバスターでもいいんだけど、今日は憑き物落としだから、ええと、そうね、どっちかと言うとエクソシストのお仕事ね」

「はあ、そうなんですか」

「それで、梓ちゃんはなんの御用?」

「あの、祐天寺さんに折り入ってご相談したいことが…」

「ふうん、ヴァンパイア・ハンターに吸血鬼本人からの相談ってのも珍しいわね」

「あの、あたしだけじゃなくて、友達の事も相談したくて」

「友達?どういうこと」

 あの意地悪な狼にこんな事を相談してもいいのだろうか?一瞬迷ったが、麻美の事が心配だった。それで梓はそのまま説明を続けた。

「実はあたし、友達の血を飲んじゃったんです」

「おやおや、意外ともったわね」

「もった?」

「そう、吸血鬼化した人間は、普通は数日で人間を襲って血を飲み始めるのよ。あんたの場合は、二週間くらいもったという訳」

「…」

「あら?どうしたの?それで?」

「それで、友達も吸血鬼になっちゃうんじゃないかと心配になって」

「分かったわ、じゃあ明日の午前中にいらっしゃい。あ、でも来る前にかならず電話入れるようにしてね」

 ルイはそう言って唐突に電話を切った。全くマナーのなっていない狼だ。まあ狼なら仕方ないか。

「なんだって?」

 少し離れたところに立って待っていた麻美が近づいて聞いてきた。

「明日の午前中、電話してから来てくれって」

「オッケー、じゃあ明日は何時に行く?」

「あんまり早くても迷惑だろうから、あたしが九時に麻美の家に行って、それから一緒にいかない?」

「オッケー、じゃあそうしようか」


 翌朝、梓は約束の時間通りに麻美の家を訪れた。この間感じた嫌な感じ、鴇島の屋敷に拒否されているような違和感はまだあったが、取り敢えずノッカーでドアを打つ事はできた。樫のドアの向こうから応えるように犬の吠え声が聞こえ、すぐに麻美自身がドアを開けてくれた。

「おはよう梓、じゃあ行こうか?」

「おはよう麻美、すぐ出られるの?」

「うん、もう準備オッケーだよ」

 麻美はTシャツにジーンズの上下で、長い髪をまとめて、ポニーテールに結いあげている。そんな髪型にしたら咬み跡が分かってしまうのにと、梓が気にしていると、麻美はポケットから赤いバンダナを出して首に巻いた。

「こうすれば首筋の傷も見えないだろ?」

「あ、ああ、そうね」

「それにしても…」

「え?なに」

 麻美は梓を見つめ、小さく口笛を吹いた。

「梓って私服だと異様に可愛いね」

「そんな、可愛い?あたしが」

 梓は診察を受ける時に服を脱ぐかも知れないと考えて、脱いだり着たりしやすい服を選んでいた。生成りのブラウスに淡いピンクのフレアスカートを穿き、赤いラムウールのカーディガンを羽織っている。ボーイッシュな麻美と比べると、それなりに女の子おんなのこした服装なのは確かだ。ただし梓の首筋にも吸血鬼に咬まれた跡がはっきり残っているので、長い金髪は降ろしたままだ。


「ねえ、祐天寺さんの家ってどこにあるの?」

 玉砂利の道を歩きだしながら麻美が聞いてきた。

「住所からすると代官山駅で降りて旧山手に出て蔦屋の先の交差点を渡って、坂を下る途中みたい」

「ふうん。西郷山公園の近くだね。じゃあ、お天気もいいし、歩いて行こうか?」

「ええ、いいけど」

「ふふふ、ちょっとしたデートだよね?これって」

「え?ええ!デートって…」

「そう、デートだよ。嬉しいな、梓とデートできるなんて」

 麻美はなんだか浮かれている。

「麻美、ちょっと待って」

「うん?なんだい」

「あの、あたしたちって女の子同士よ」

「うん、それがなにか?」

「女の子同士ででかけるのもデートになるの?」

「うん、だってボクらはもうキスを済ませた間柄じゃないか」

「ま、まあ、それはそうだけど」

「そうそう、裸で抱き合ったし、ボクは梓のおっぱいも触っているから、Bも済んじゃってるわけだし」

「そ、そんな事もあったわね」

 梓は頬が赤くなるの感じた。そういえば、麻美の血を吸うと言う一大事があったので忘れていたが、そんな事もあった。麻美とはディープキスもしている。

「おまけにボクは梓に血まで吸われているし」

「ちょっと待って、それは麻美がいいよって言ってくれたからでしょう?裸でだきあったのだって、お風呂の中だし」

「フフフ、理由はどうでもいいのさ、ボクらはもうBまで行ったカップルなんだよ」

「う、ううん、そ、そうなのかな?」

「あ、それとも、ボクみたいなのじゃ不満だった?」

「不満て…」

「付き合う相手として不足だった?って意味だよ」

「不足だなんて思った事ない。でもあたしは麻美の事、友達だと思っていたから」

「思っていたから?」

「その、なんというか…」

「ボクが男じゃないから、友達以上の関係にはなれないってこと?」

 思い出した。麻美はこんな風になんでも直球な子だったんだ。

「ううん、あたしにとって麻美は大切な友達、そう、親友だと思うの」

「うん、そう思ってくれるのは嬉しいよ」

「でも、付き合うっていうのは、ちょっと違う様な気がするの」

「うん、わかった、じゃあ、親友でガールフレンドって事で手を打とう」

「手を打とうって、ええ?いいのかな?そんな風で」

「いいの、いいの、恋人が無理なら、お友達から関係を深めていけばいいんだもの」

 梓はなんだか麻美に胡麻化されたような気持ちになってしまった。

 全く頭のいい子って、これだから困る。

 でも女の子同士でガールフレンドってなんか違う気がする。

 心の中で、いいではないか、血を与えてくれる友達は大切にしておけよ、と言う声が聞こえた気がして、梓は思わず両手で耳をふさいでしまった。

「梓?どうしたの」

「ううん、なんでもない」

「そう?何か心配な事があったら、なんでもボクに相談してね」

「ありがとう、でもこれは麻美に相談できる様な事じゃないから…」

「そうなんだ?ちょっと残念かな」

 麻美の表情が一瞬曇った。だが彼女はすぐに頬笑みを浮かべ、梓の手をとった。


 麻美と梓はクルマの多い表通りを避け旧山手通りにでて青山通りを超えた。祐天寺さんの家は住所からすると西郷山から目黒川に向かう坂の途中にあるようだったからだ。

 だが麻美も梓も一応土地勘のある場所なのに、住所表示を見ながら歩いても、なぜか目的地である祐天寺さんの家に辿りつけなかった。

「おかしいな、このあたりのはずなんだけど」

「へんねえ、なんで見つからないのかしら?」

「あそこが西郷山で、そこが産能大だから…」

 麻美は携帯端末を取り出して、ナビゲーションを呼び出しているが、一向に埒があかない。

「あ、そういえば、電話してから来てって言われてたんだ」

 梓はルイの言葉を思い出して、自分の携帯を出した。祐天寺さんの家に電話する。

 今日は三コールも待たずに、祐天寺さん本人が電話に出てくれた。

「はい、祐天寺心療内科クリニックでございます」

 祐天寺さんの落ちついた優しい声を聞くと梓はなぜか凄く安心できる。

 でもなぜか、自分の声のほうは少し裏返ってしまう。

「もひもひ、ひ、柊です」

 やっぱりかんでしまった。

「ああ、梓ちゃん、今どこ?」

「今日は、あの、祐天寺さんのところに伺いたいと思って、いま近所まで来ているのですが、どうしても場所が分からなくて」

「ああ、ごめん、今日は休みなので他の来客が来ないように結界を張っていたんだ」

「結界?」

「そう、じゃあ、西郷山公園の入り口から入って、上の山の回りを右回りに二周してから、後ろ向きに七歩下がって、左に見えた建物にむかって来て、そこが僕の医院だから」

「二周して七歩下がる?のですか?」

「そう、下がる時は北斗七星の形に七歩戻るんだ。そうすれば、結界が一時的に開くから」

「はあ、分かりました」

 梓は半信半疑だったけど、麻美を伴って公園にはいった。入ってすぐの場所に芝生の丘みたいなのがある。

「山って、これの事かな?」

「そうなんじゃない」

「この山を右回りに二周してから七歩戻るんだって」

「ふうん、なんだかおもしろそうだね」

 梓と麻美は祐天寺さんに言われた通り、公園の芝生の山を回り始めた。一周目は気をつけていたけど、公園の左手に建物なんてなかった。二周目、公園の山の上で、小型犬が吠え始めた。麻美と梓がそれに気を取られていて、左手を見ていなかった。もうすぐ公園の出口に差し掛かると思って立ち止まり、柄杓の形に七歩戻って左を見ると、植え込みの奥に蔦に覆われた古い洋館が見えた。

 でもおかしい、さっきはあんな洋館なんて無かったはずなのに。


 その洋館はなんだか非現実的な感じがした。

 そこにあるのはたしかだけど、なんだか立体感に乏しく、風が吹いただけで揺らいだように見えたのだ。タペストリーに織り込まれた風景の中の家にも見えるし、家の写真を引き伸ばして下げてあるようにも見えるのだ。

「あれかな?」

「うん、そうみたい」

「さっきはこんな建物なんてなかったよね?」

「うん」

「これは本物かも知れないな」

 麻美が両手の人差し指と親指を組み合わせた四角い隙間から家を見て、興味津津という表情で言った。

「本物って?」

「だからさ、本物だよ。その祐天寺さんって言う人、本当の魔術師なんじゃない?こんな事が出来るんだから」

「魔術師?本業は精神科の御医者さんで、ルイさんは、医学博士で、ゴーストバスターでエクソシストだって言ってた。自分ではいかがわしい医者の端くれだって名乗ってたけど、あたしがそう言うとむっとするの」

「自分でいかがわしいなんていうんだ。まあ、どっちにしても、スーパーナチュラルな事をやる人だって事だよね」

 麻美とこそこそと話し合っている内に植え込みの奥にある祐天寺さんの家についた。

「おかしいよ、やっぱりここ」

 麻美が疑義を唱える。

「どうして?」

「だって、この位置関係だと、住区センターの敷地に入ってるんじゃない?」

「あ、そうか、たしかに変だよね」

 ドアの横には白くて小さい看板があった。

「祐天寺心療内科クリニック」

 こんな小さな看板では、患者さんなんて来ないんじゃないかと思うくらい地味な表示だ。近づいて見ると、その洋館はレンガの壁を持つ小さな正方形に近い建物だった。三角の屋根が乗っていてサンタクロースが好みそうな煙突まである。

 中央には木製の古びたドアがあり、左右にはアイアンレースの格子で覆われた縦長の窓がある。ドアの手前には、これもレンガを積み上げた低い階段があった。レンガの壁は蔦に覆われ、回りの木々の梢が覆いかぶさるように家を取り巻いていた。

 梓はドアの横にあった呼び鈴のスイッチを押してみた。

 リンゴーンと言う、ビックリするような大きな音がした。

「どうぞ、開いているよ」

 祐天寺さんの声がして、扉が自動的に内側に開いたけど中には誰もいない。

「お邪魔します」「しま~す」

 梓と麻美は小さな声でそう言うと扉の内側に入った。

「ああ、待って、扉を閉めると暗いから、今灯をつける」

 どこかで指を鳴らす音がして、壁のランプがともると、ドアが背後で自動的に閉まった。

 玄関からまっすぐ伸びる長い廊下が、点々と配置されたランプで順番に照らされていった。

 梓は祐天寺さんの家の扉をくぐったとたん、前にルイの言った意味が分かった気がした。確かに、ここで何かトラブルがあったら、掃除するのは大変な事だろう。

 祐天寺さんの家にあったのは、整然たる乱雑、あるいは秩序ある混沌とでも呼ぶべきような空間だった。

 何より梓が驚いたのは、玄関の左右の空間まで占めている長大な書棚だった。廊下と言わず、部屋と言わず、壁と言う壁は天井まで達する本棚で覆われていた。本棚には床から天井にまで雑多な本が詰め込まれていた。この家では人間は常に本に見降ろされ、見上げられて暮らす事になるだろう。

 もちろん来客も例外ではない。梓は壁中を埋め尽くす本が、いきなり自分の方に雪崩れて打って倒れかかってくるのではないかという微かな危惧を感じて鳥肌が立ってしまった。

 書棚に詰め込まれているのは、古今東西、あらゆる地域からランダムに集められた本に見えた。皮表紙や古い羊皮紙の書物があるかと思えば「宇宙人はそこにいる!」と言うような通俗的な書名の新書や、ラノベやコミックスと思しき可愛いイラスト付きの背表紙もちらほらある。さらに一体いつの時代の本だろうというような古書と、先週売り出されたばかりのバンパイア・コミックもほぼ同列に詰め込まれていた。洋書だけではなく、紐綴じ和書も大量に見られた。

 ほお、これはすごい、梓の中で、誰かが感嘆の声を上げたように思えた。

「スゴいね!祐天寺さんって、凄い読書家なんだね」

 麻美が瞳をキラキラさせて、そんな風に呟いた。彼女も相当な読書家なのは確かだ。ただし麻美の蔵書は今のところ彼女の部屋の壁の本棚に収まる量でしかない。それだって、普通の女子高生が持つ蔵書の量ではないが、祐天寺さんの蔵書は家中の壁という壁を書棚で埋めて、やっとおさまっているように見えた。


「こう言うのはね、読書家ではなくて書痴っていうのよ」

 そう言いながら暗い廊下の向こうから、誰かが歩いてくるのが見えた。ピンクのナース服を着た背の高い女性だ。声も聞き覚えがある。その落ちついたハスキーボイスは、確かに聞いた事があるのだが、現れたのは見た事もない美人ナースだった。暗い中で瞳がランプの光を受け緑色に光った。

「いらっしゃい」

 ハスキーなアルトの声がそういった。

「あの、もしかしてルイさんですか?」

 梓はちょっと気圧されながら訊ねた。

「そうよ、他に誰がいるというの?」

 梓に向きあったルイは野性味を帯びた緑の瞳を持つ凄い美人に見えた。

「あの、改めて初めまして。この子は友達の麻美です」

「初めまして、トキトウ麻美です」

 麻美が殊勝な様子で深々と頭を下げて挨拶した。

「初めまして、ルイといいます」

 人間の姿をしたルイは、麻美には礼儀正しかった。それにしても、ルイの美しさは彼女の自己申告以上だった。絶世の美女というのがこの世にいるなら、ルイこそその人なのではないかと思わせるような美人だったのだ。

 ルイはブルネットの髪を結いあげ、頭にはナース・キャップを載せていた。

 皺やたるみが全く無いツルツルの肌は、健康的な小麦色をしている。

 スタイルもいい。胸とお尻はしっかりとボリュームがあるのにウエストはすごく細い。ルイはそのナイス・バディの見本のような理想的な体型を、あつらえたように身体にぴったりしたナース服に包んでいた。超ミニのスカートから伸びた脚も長く美しい。こんな綺麗なナースに看病してもらえたら、死にかけの重病人でも元気になってしまうのでは、そんな風に思える看護師姿だった。

「着いて来て、光は奥の診察室にいるわ」

 モデル歩きで綺麗なヒップを揺らしながら廊下を進むルイ。その後ろ姿を見ながら麻美が言った。

「すっごい綺麗な人だね。梓の知り合い?」

「知り合いというか、人間として会うのは初めてなのだけど」

「うん?どういう意味」

「ルイさん、初めて会った時は狼だったの」

「ああ、彼女がそうなんだ」

 ルイの尖った耳がピクピク動いて、いきなり振り返った。

「内緒話はダメよ。もっとも家の前で話していた時から全部聞こえてたけどね」

「あ、別に悪口言ってたわけじゃないですよ。ルイさん、凄い綺麗だなって話していただけで」

 麻美が慌てて言う。

「当たり前じゃない。それにこのあたしに隠し事が出来る人なんていないわ」

 凄い自信!梓が関心していると、ルイが言った。

「自信だけじゃないわ。あたしに無礼な事を言ったり、変な事をしたりする相手には容赦しないわよ」

 梓は心の中を見透かされたような気分になってしまった。


「なるほど、やっぱりね」

 暫く歩いて行くと、麻美が回りを見回し、妙に感心したような口調で言った。

「どうしたの?」

 梓は何がなるほどなのだろうと思って麻美に聞きかえした。

「この廊下、さっき見た家の外観より、もっとずっと長いと思わないかい?」

「あ、そういえば…」

 それなりに歩いた気がするのに、未だに一番奥に着かない。

「縮地魔法が掛かっているのよ、この家は」

 ルイが当たり前の様に言う。

「しゅくち魔法?」

 梓はなんのことか分からない。

「そう、この家はちょっとした学校の校舎くらいの容積があるの。でもそんな大きな家を維持するのは経済的に大変だから、縮地魔法で、外側から見ると小さな四角い家に見えるようにしている訳。それも見せたい相手にしか見えない様にしてね」

「はあ、縮地魔法を応用した家ですか、それは凄いな」

 麻美が微妙な表情で頷いた。彼女はこの家が、外から見たより中が広い理由を理解できたようだ。梓の方はルイが説明してくれた事だけでなく、言葉の意味さえ分からない。

「麻美、どういう意味なの?しゅくち魔法って」

「うん、縮地っていうのは、元々移動のための仙術なんだ」

「せんじゅつ?」

「うん、仙人が使う術の事だね」

「ふうん」

 梓は仙人と言われても、ドラゴンボールの亀仙人くらいしか思い浮かばない。

 いつも無意識のうちに浮かんでくる心の中の声も今は沈黙している。

 梓の持つ仙人のイメージは、ツルツル禿げに白いひげを生やして、黒メガネでウミガメの甲羅を背負ったお爺さんのイメージだ。

「縮地術は、もともと遠くに移動するために術なんだ。間にある土地を縮めて、一足で遠くまでいけるような感じのね。SFに出てくるワープみたいなイメージかな?だけどこの家は縮地術を固定して、広いこの家の空間をせまい土地に収めているらしい」

 ルイが立ち止まり、振り返って微笑んで見せた。

「麻美さんと言ったわよね、あなた、よくそんな事まで知っているわね」

「ええ、そう言う魔法とか仙術とか好きなもので、でも本物を見るのは初めてです」

「あたしも詳しい仕組みまで知らないけど、光はこの家をわずかな厚みの中に押し込めているのよ。実際の厚みはあなたたちが見たのよりずっと薄いの。そうね、紙一枚くらいの厚みしかないみたい。だから招かざる客に見えなくするのも簡単だし、移動する時は巻き取ったり畳んだりして運べるし、好きな場所に家を置くことができるの」

「はあ、それをやったのは祐天寺さんなんですか?」

「そうよ」

 麻美の問いにルイが軽く答えて、また廊下を歩き始める。

「すごいな、本当の魔法使いなんだ」

「光はバチカンの法王庁から任命されたエクソシストで、宮内庁から称号をもらった陰陽博士でもあるの。英国立魔術学院の講師でもあるし、そのへんのマジシャンとはわけが違うわ」

「おんみょう博士?」

 梓はエクソシストや魔術の講師はなんとなくイメージが湧くけど、陰陽博士は聞いたことがなかった。

「そう。着いたわ、ここよ」

 ルイは梓の質問は無視して小腰を屈め廊下の突き当たりのドアをノックした。その仕草にはなんとなく祐天寺光への尊敬の念が現れているようだ。

「どうぞ」

 また自動的に開いたドアをくぐると、その部屋は落ち着いた調度で構成された居間のような場所だった。相変わらず壁には隙間なく書棚が嵌め込まれており、ぎっしりと本が詰め込まれている。本が一杯の状況は廊下と一緒だが、適度な広さがあるので、圧迫感は廊下ほどではない。

 皮製のソファとスモーキングテーブルの応接セットがあり、その奥に樫の机が置かれ、その向こうに祐天寺さんが座っていた。

 祐天寺さんの背後には、小鳥が飛び交う森が見える温室の様に大きなガラス窓があった。でもその光景が渋谷の西郷山ではないのは一目瞭然だった。森の後ろには、どこかの海の入江と雪をかぶった山脈まで見えたからだ。

「ヒュー」

 麻美が本当に口笛を吹いてしまう。

「梓ちゃん、いらっしゃい。元気だった?と言う挨拶はちょっと的外れかな」

「祐天寺さん、ご無沙汰しています。これはあたしの友達の麻美です」

「麻美ちゃん、初めまして、僕は祐天寺光、梓ちゃんの主治医かな?」

「あ、こんちは」

 麻美の挨拶はルイに対するよりそっけなかった。もしかして麻美ってイケメンには興味がないのかも。と言うことは、麻美って真正の百合なの?梓は気になって麻美の横顔を見つめてしまった。麻美はなぜか手を伸ばして梓の手を優しくとった。梓の事を心配してくれたらしい。梓が不安を感じて自分を見たと思ったのだろう。それはまるで梓の恋人みたいな態度だった。

「まあ、そのへんに座って。それで?今日はどんな相談事で来たんだい?」

 祐天寺さんは、机の向こうから出て来て、身振りでソファに座るように勧めてくれた。自分も一人掛けのソファに深々と腰を降ろす。

 麻美は梓の手を引いて三人掛けのソファの端っこに並んで座った。

 ルイが立ったままで聞く。

「なにか飲み物でも出すわ。紅茶とコーヒーどっちがいい?」

「あたしはいいです」

「ボクはコーヒーをお願いします」

 麻美は気軽な様子でルイに言った。

「梓はトマトジュースなら飲めるんじゃない?」

「トマトジュースねえ?あったかな」

 ルイはそう言って、部屋を出ていった。

「それで?」

 祐天寺さんは、最初に会った時に遊歩道のベンチでやったみたいに、座ったまま肘を自分の膝に乗せて手を組み、そこに顎を載せて、ゆったりした口調で聞いてくる。

「うんと、いろんな事があったんですけど、あたしとうとう我慢できなくなって、この子の、麻美の血を飲んでしまったんです」

「ふむ、予想はしていたけど、それは麻美ちゃんの同意を得て?」

「ええ」

「まあ、同意を得たならいいだろう。それでどうなった?」

「どうっていうと?」

「見たところ、麻美ちゃんには何の変化も起こってない様に見えるけど」

「え?ああ、そうですね」

「麻美ちゃんはどう?」

「ボクですか?そうですね、特に変化はないと思いますが、いや、待って変化はあったな」

「どんな変化があった?」

「えっと、身体能力が向上しているみたいです」

「どんな風に?」

「ボク、バスケをやっているんですけど、ダンクシュートが普通に出来るようになりました」

「ほう、それは凄いな。君の身長、一メートル八十は無いよね?」

「ええ、百七十五です」

「じゃあ、ダンクシュートが出来るということは、あのゴールって確か三メートルはあったから、君は少なくとも一メートルくらいジャンプできるわけだ。それって君の年代だとギネスかも知れないな。以前からそんなに跳べた?」

「いいえ、垂直飛びはせいぜい七十センチくらいです」

「いや七十センチでも凄いけど、今は一メートルだと三割増しで跳べるようになったわけだ」

「それはそれで、バスケの選手として嬉しいんですが…」

「他にはなにか変化があった?」

「ううんと、身体に脂肪が着くようになりました」

「脂肪が?皮下脂肪がかい?」

「そうですね、ええと、逆に内蔵脂肪は落ちてるみたいです」

「どうしてそう思った?」

「うんと、お風呂に入って鏡を見ていて、以前はおなかに腹筋が浮き上がってみえたんですけど、それが目立たなくなってるのに気が付きました。それで体脂肪が測れる体重計で測ってみたんです」

「どうだった?」

「以前は体脂肪率十パーセント台でした。でも今は二十パーセント台に増えています。でも体内脂肪は一ケタしかありませんでした。体重も少し減ってます」

「二十パーセントはスポーツ選手なら理想的だけど、それでも増えたんだね?不調はなにかない?」

「不調と言えるほどのことは、あ、今までは減量すると胸も小さくなっていたんですけど、今は、かえって大きくなってる様な…まあ少しだけですけどね」

 麻美は隣に座る梓の豊かな胸をそっと盗み見るようにしながらそう言った。

「ふうむ、と言う事は、麻美ちゃんに関しては、良い方の変化なのかな?」

「ええ、まあ、僕の理想としては、梓みたいな女の子っぽい身体が好みなので」

「うん、まあ、個人が思い描く理想像と、本当に健康的な状態にはギャップがあるからね」

「他になにかチェックした方がいい事はありますか?」

「取り敢えず、血液検査をやっておこう。ルイ、梓ちゃんと、麻美ちゃんから採血を頼む」

 祐天寺さんは、人数分のコーヒーやトマトジュースを持ってきたルイに言う。

「はい、じゃあ、一人ずつこっちに来てくれる」

「じゃあ、ボクからお願いします」

 麻美がルイについて部屋を出て行った。


 見鬼と座敷わらし

 梓はというと、麻美と祐天寺さんが話している間、不思議な子供がいるのに気が付いて、それがずっと気になっていた。なぜ、こんなところに子供がいるのだろう?

 その子は、女の子のようにも、髪を伸ばした男の子のように見えた。黒髪をおかっぱにして、丈の短い着物を来て、さっきから祐天寺さんの回りをちょこまかと歩きまわっている。

 それなのに、梓以外誰もその子を気にしている様子がないのだ。

「あの、その子、祐天寺さんちのお子さんなんですか?」

 梓は思い切って聞いて見た。

「子供?うちには子供はいないけど、というか、僕はまだ独身だよ」

「ちょっと待って、梓ちゃん、あなた、なにかが見えるの?」

 麻美の採血を終えたルイがこちらに戻って来ながら言った。血液はプレパラートになっていて、それを祐天寺に手渡した。

「ルイさんも見えるんですか?」

「う~ん、見えるというか、匂うというか、そこに何かがいるのは分かるけど…」

 ルイの言葉はいつもと違い、なんだか歯切れが悪い。

「ちょっと待って、梓ちゃんは、なにか見えてるの?」

 祐天寺さんが聞く。

「ええ、今、この部屋にはおかっぱ頭の、裾の短い着物を着た子供がいますけど…え?みなさん、見えてないんですか?」

 梓は眼の前を通り過ぎようとした女の子を優しく抱きとめて見せた。

「ほら、この子です」

 小さな肩を抱いて、みんなに差し出して見せる。女の子は少しじたばたしたが、梓の怪力の前では無力だった。すぐに諦めたようにおとなしくなる。

「参ったな、僕には見えない」

「あたしも見えない。なにかがいる匂いは感じるけど」

「どうしたの?」

 麻美が採血した腕を抑えながら、こっちに戻って来た。

「本当に見えないの?」

 女の子は、梓の手を振りほどき、祐天寺さんの座っているソファのそばに行き、彼が持っている血液のプレパラートを見ると、ギョッとした顔付きになり、そのまま部屋の隅に逃げていった。

 パタパタパタと子供が走り去る音だけが聞こえた。

「あ、行っちゃった」

「梓ちゃん、君は見鬼の能力があるみたいだね」

 祐天寺さんが、なぜか首を左右に振りながらそう言った。

「けんき?ってなんですか」

「見鬼っていうのは、幽霊とか妖怪を見ることができる能力がある人の事だ、鬼を見るって書いて見鬼」

「え?」

「実はこの家には、昨日東北の方で憑き物落としをやった時から、僕に付いて来た何かの気配があったんだ」

「なにかって、だって、あの子あんなにはっきり見えているのに」

 おかっぱの子は、部屋の隅に座りこみ、じっとこちらを伺っている。

「その子ってどんな感じなの?」

 ルイが梓の見ている方に向いて、鼻をスンスン言わせながら聞いた。あの子の匂いを嗅ぎ取ろうとしているんだ。

「おかっぱ頭で、赤っぽい裾の短い着物を着ています。着物の上には袖のない羽織、いえちゃんちゃんこみたいなものを羽織っていて、脚は素足です」

「それって、いわゆる座敷ワラシなんじゃない?」

 麻美が梓の真横にやってきて、梓と同じ方向を向いて言う。

「ダメだ、ボクも見えないや」

「アタシも見えないわ。でも梓ちゃんが言う着物の匂いはするのよね。さっき足音も聞こえたし」

「やれやれ、完全に見えているのは梓ちゃんだけか」

 祐天寺さんが溜息を吐くように言った。

「まあ、実害はないみたいだし、このままでもいいか」

「いえ、待って、このままじゃだめみたい」

 子供は、また梓のところまでトコトコやってきて、大きく口を開けて指差し、次におなかを押さえて見せた。

「あなた、おなかが空いているの?」

 その子はしきりに頷いた。近くで見ても、その子は普通の女の子にしか見えない。

「何か食べ物あります?この子おなかが空いているんですって」

「食べ物ね?待っていて」

 ルイが部屋を出ると、すぐにお盆の上の平皿に、海苔を巻いたおにぎりを三つ載せて帰ってきた。美人なだけでなく、ルイは家事も得意なようだ。

 そのまま皿を低いテーブルに置いた。

 おにぎりはしばらくそのままそこにあった。

「食べないの?」

 梓が少女に聞く。

 少女はテーブルのおにぎりをじっと見つめたまま、そっと梓の腕に触れた。

「取ってほしいの?」

 梓がそう言って、おにぎりを一つ取ると、梓が差し出すより早く、少女がおにぎりを掴んで部屋の隅に駆けていった。またパタパタパタと言う足音が聞こえた。

「みんなの前で食べるのは恥ずかしいのね?」

 梓は微笑んで、残りのおにぎりを皿ごと持ち上げて、少女に持って行ってあげた。

 少女も梓ににっこり微笑みかけると、両手を伸ばして皿を受け取った。

「驚いたな。今の見たか?」

「ええ、一瞬でおにぎりが消えたわ」

 祐天寺さんとルイが顔を見合わせて吃驚したような顔をしている。

「その子が座敷ワラシだとすると、ちゃんとお供えものした方がいいんじゃないですか?」

 麻美がそんな風に言った。

「ああ、そうだね。座敷ワラシならお供えものが必要だよね」

 祐天寺さんが頷く。

「これで一つ、懸案事項が片付いたわね」

 ルイがニヤリと長い糸切り歯を見せて笑った。

「ああ、まったくだ。さて、梓ちゃんの血液も採取して来てくれ、その間に麻美ちゃんの血液を見てみよう」

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