サカイ君と不思議な草
僕の名はサカイ。と、いってもマチャアキじゃないよ。こう見えても、魔法大学四年生さ。
ある日、近所の公園を散歩していた僕は、三人の色黒の外人たちに呼び止められた。
「なにか必要ですか?あなたが欲しい物何でもありますよ」
頭にターバンを巻き、口髭をたくわえた色の黒い若者が達者な日本語でそう言ってきた。
「何でも願いを叶えられる、魔法の薬はありませんか?」
僕が瞬時に『黒い三賢者』と名づけた外人の一人が、残念そうなジェスチャーをしながら答えた。
「ゴメンナサ~イ、本日は売切れてしまいました。その代わり、過去、現在、未来を透視する事ができる不思議な草がありま~す」
「不思議な草?」
僕が尋ねると、黒い三賢者たちはお互いに目配せをし、そのうちの一番下っ端と思われる青年が、公園のゴミ箱の脇の草むらから黒いセカンドバッグを引っ張り出してくると、鋭い眼で辺りをキョロキョロと見回しながら2センチ四方の小さなビニール袋を中から取り出した。
真空パックのようにピッチリした袋の中には、緑色の乾燥した草の塊りが入っていた。
「これを煙草に混ぜて吸うと、音楽や景色がとても綺麗に感じ、また味覚が鋭くなってどんなものでもおいしく食べれます」
「へえ!そいつはすごいな」
「拒食症患者の治療にも使われています。あなたの友人に拒食症の人はいませんか?」
「一人います」
僕は、シンナー中毒の痩せた後輩の姿を思い浮かべた。
「ぜひその人に、吸わせてあげてください。5グラム一万円で~す」
「そいつは高いな」
「イラン産の上物ね。冷やかしなら、帰ってくれ」
黒い三賢者は、僕が金を持っていないことに気づくと、素っ気ない態度でシッシッと手で追い払う仕草をした。
頭に来た僕は、公園の隅の公衆電話から110番し、駆けつけて来た警官に連行されてゆく黒い三賢者を見送った後、ゴミ箱の脇の草むらに隠してあったセカンドバッグをかっぱらった。
その日の夜、早速シンナー中毒の後輩の馬面君を、僕のアパートに呼び出した。馬面君はシンナーをたっぷりと含ませたマスクの下から長い顎を突き出し、フラフラとした足取りで部屋に入ってくると、すぐにマスクを剥ぎ取り、
「やっぱりシンナーは、二ールじゃないとな」
と言いながら、ポケットから取り出したビニール袋にリポビタンDの瓶からシンナーをドボドボと注ぎ入れ、「ス~ハ~ス~ハ~」と吸い始めた。
五分ほどそうした後やっと人心地ついたのか、三白眼と化した目で改めて不思議な草を観察した。
「なんで~、種と枝ばっかりじゃね~か。こんなもんで一万円もとんのか、ほとんどボッタクリだな」
馬面君は口を歪めて嘲笑うと、ほぐした草をでっかいパイプに詰めてプカプカと吸い出した。
「吸い込んだら、息を止めなきゃ駄目だよ」
僕が、黒い三賢者に教わった吸い方を伝授しようとすると
「ッセ~ナ、そんな事ぐらい分かってるよ」
と、きわめて不機嫌な声で答えてから胸一杯に煙を吸い込むと、「ウ~ン」と唸りながら目をギュッとつむり額に青筋を立てて息を一分間ほど止めた。
「オ~ッ!きたきたきた!」
真っ赤に充血させた目を見開き、驚愕の表情を浮かべた馬面君が僕の方を見た。
「来たって、べつにキミ以外に誰も来てないぜ」
僕がそう答えると、馬面君はいきなりゲラゲラと笑い出した。
「馬鹿やろっ!誰か人が来たとか、そう意味じゃね~よ」
「きたきたきたは、キタモリオ」
「ばかっ!その北じゃね~よ」
馬面君は、腹を抱えて爆笑した。
「だけど、たまにはクサもいいね。シンナーにはかなわね~がな」
上機嫌な笑顔を浮かべる馬面君を見て嬉しくなった僕の口から、思わず鼻歌がこぼれた。
「♪待ちぼうけ~待ちぼうけ~ある日せっせと野良稼ぎ~♪」
「何だよ、待ちぼうけって……だいいち今どき、野良稼ぎしてる農夫なんかいるのかよ!」
馬面君がブフフフ~ッと吹き出す。
「♪そこに兎が飛んで出て~ころり転げた木の根っこ~♪」
「ヒャ~ハッハッ!なんて間抜けな兎なんだ!」
フローリングの床に転がった馬面君は、身をよじりながら笑い転げた。
「ギャ~八八ハッ!わ、笑いが止まらね~、誰か助けてくれ~」
顔を真っ赤にして、目から涙を流しながら笑い続ける馬面君に僕が話しかける。
「いつもクールな君が、こんなに笑うなんて驚いたよ」
「馬鹿やろっ!こう見えても俺は怒ってんだ」
怒鳴り声を上げた馬面君は、自分で自分のセリフにおかしくなったのか、またしてもゲラゲラと笑った。
「なんでこんなにおかしいんだよっ!チクショー!」
目から涙、口からは大量の涎を流し、笑いながら泣いていた馬面君は、フローリングの上でヒクヒクと体を痙攣させやがて動かなくなった。
「あ~、なんか猛烈に腹が減ってきたぞ」
突然身を起こした馬面君が、唐突に叫んだ。どうやら不思議な草の食欲を増幅させる力が作用し始めたようだ。
「あ~っ、メチャクチャ腹減った。おい、ノケゾリじじいのとこからなんか出前取れよ」
ノケゾリじじいとは、馬面君が来た時にいつも利用する富田庵という蕎麦屋の店主の爺さんの事で、出前に来てドアを開けたとたん、部屋中に充満するシンナーとお香の臭いに「ううっ」と呻き声を上げ、必ず身を反らせる事からその仇名がついた。
「でも、今は夜中の三時だぜ」
「馬鹿っ、蕎麦屋ってのは今頃から起きて、昆布や鰹節の出汁取ったりして、仕込みしてるもんなんだよ!」
豆腐屋じゃあるまいしと思いながらも、盛んに空腹感を訴える馬面君に根負けした僕は電話の受話器を取った。
「おかめ蕎麦と鍋焼きうどんとカツ丼大盛で!」
フローリングにぶっ倒れ、死にそうな声を絞り出す馬面君に、僕は残念な報告をしなければならなかった。
「オカミさんが出て、親父さん、足が痛くて歩けないから出前に行けないってさ」
「ふざけんなっ!」
飛び起きた馬面君は、すでに切った受話器を取り上げ再び富田庵に電話を掛けると
「足が痛えんじゃねえんだよっ!」
と、金切り声で絶叫すると、ガチャンと受話器を叩きつけた。それでも気がすまなかったのか、馬面君は夜が明けるまで五分おきに電話を掛け、同じセリフを叫んで受話器を叩きつける作業を延々と繰り返した。
結局午前十一時を回った時点で、ピザ屋に特大のピザを宅配してもらい事なきを得た。
「呪うなよ?」
部屋の隅にうずくまり、ピザを貪り食う馬面君に僕は声を掛けた。
「エッ?」
「ノケゾリじじいを恨んで呪うなよ、と言ってるんだ」
「呪ったりするもんか」
ポカンとした顔で、馬面君が答える。
「早く足が良くなって、また出前できるようになることを願ってるよ……」
それか三日後、どうやらノケゾリじじいは死んじゃったらしくて、富田庵の前を通ったら葬式の花輪がたくさん並んでいたのには心底驚いた。