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シャイン

作者: Hz

一面のヒマワリと青い空。わたしはその夢を一生忘れないと思います。できることなら、もう一度見たいです。


 やわらかい光だった。

 表現するならそれは、そう、かつて夢で見たヒマワリ畑。そこで感じたひだまりとよく似ている。



 黄色と青と緑の世界。ボキャブラリーが貧困な俺には、そうしか表すことができない。

 真っ青な空には雲ひとつなく、髪を乱す風は解放感に満ちている。

 自分の背丈よりも大きい虫取り網をぎゅっと握りしめて、半ズボン姿に白いTシャツといういでたちで、俺は立ち尽くしていた。

 その夢を見た当時、俺は丁度小学三年生だった。

 暑い夏でも寒い冬でも髪型は坊主。枝のように細い足と腕。あばらもくっきりと浮いていた。

 そして、当時人気だったファミコンなどのゲームには見向きもせず、外を駆け回って虫をつかまえていた。

 虫取り網を持って。

 「なんで虫カゴ持ってないんや」とよく言われたが、「いいんや」とへらへら笑っていた。捕まえられるだけでよかった。とって満足したら、すぐに放してやった。それが好きだった。



 虫取り網を持って。

 虫カゴは持たないで。

 俺はしばらく立ち尽くしていた。そして目が覚めた。ヒマワリ畑と青い空だけが広がる数分間の夢だったけれども、その夢は今でも鮮明に焼き付いている。



 今見ている夢もまったく同じシチュエーションだ。あの時の感じと。

 ただ、目が痛くなるような黄色いヒマワリ畑も、思わず叫びたくなるほど清々しい青い空も、ない。

 目の前は、真っ暗だった。

 でも確かに感じる。やわらかな光、そして……両手に握りしめている虫取り網。

 虫取り網。狂ったように虫をとりまくったあの頃を思い出す。少しだけ、虫捕りには嫌な思い出がある。

 


「なぁケンちゃん」

「なんなんダイやん?」

「健ちゃんさ、俺とリョウヘイと、どっちがええん?」

「え、どういうことなん?」


「俺な、リョウヘイ嫌いやねん」

「なんで?! ダイやんとリョウヘイと、仲、悪いん?」

「違う。リョウヘイな、ケンちゃんばかりとるやん。家で陰気にゲームばかりしてる奴らと違って、ケンちゃん、おもろいもん。いつも俺らが知らんもの、教えてくれるやん」

「知らんものって、この前茂みに落ちてたエロ本のこと?」

「まぁそれもあるけど。ケンちゃんはなんか……輝いてるねん」

「照れるわ……ダイやん」

「だからリョウヘイももっと一緒にいたいねん。俺かって、ケンちゃんといっしょにいたいねん。知らんかった? 俺らケンちゃんと遊ぶ約束取り付けるたびに喧嘩になるねん。競争やねん」

「…………」


「なぁケンちゃん。俺と、リョウヘイと、正直どっちがいいん?」

 ――――――――「僕と、ダイやんと、どっちをとるん?」



 そんなの選べない。

 そう言って二人とも離れてしまった。

 それ以来、俺は虫捕り網を封印した。外に出かけることはあっても、虫捕り網はもっていかなかった。手ぶらでぶらぶらして、ダンゴ虫を転がしたりしていた。


 あの時どう答えればよかったのだろう。

 今でも時々考える。リョウヘイと答えたら、もしくはダイやんと答えていたら、俺はひとりぼっちにはならなかったのかもしれない。

 中学校に上がる頃に両親の都合で遠くに引っ越した俺は、リョウヘイともダイやんとも仲直りできないまま、大人になった。

 あの頃と比べたら肩幅は二倍以上になったと思う。足も長くなった。体重も増えた。


 俺は苦いものを口の中でたぷたぷさせながら、おとなに、なった。

 寝るときと風呂とトイレとご飯の時以外、片時も離れることのなかった虫捕り網。ソイツに心というものがあったら、寂しくなって夢にソイツが出てきたのかもしれない。



 今この夢もそうだろうか。

 硬いスーツを着て、神経質に働く俺を、虫捕り網はまだ恋しがってくれているのだろうか。



 大人になった俺は、虫捕り網を両手で握りしめて立っている。やわらかな日だまりを瞼で感じながら、「で、どうしろと?」という思いでいっぱいだ。

 瞼を開ければいいのだろうか。

 でも瞼を開けた後の世界が、残酷だったら、どうする?


 今俺の頭の中では、ヒマワリと青い空がどこまでも広がっている、それはそれは綺麗な光景が作り上げられている。でもそれは確かなものじゃない。絶対じゃない。


 考えろ。考えろ。

 瞼を開けるか、開けないか。



「ケンちゃんはさ、僕とダイやんと、どっちをとるん? どっちがすきなん?」

「そんなん決められへんわ。リョウヘイは星のこと教えてくれるし、ダイやんは植物とか詳しいもん」

「はぐらかすのやめてや。食べ物に好き嫌いがあるように、ケンちゃんも好き嫌いあるやろ?」

「ちがう、俺、どっちもすきや」



 どっちも。

 どっちも。

 幼い俺達は激しく傷つけあった。嫉妬を刃に変えて、お互いを切り裂き合った。いつかみんな心も身体もボロボロになって、朽ち果ててしまった。

 どっちも。そんなの叶うハズない。

 瞼を開けるか開けないか(ウインクは、開けるという選択に入るとしよう)どっちもできるハズがない。

 だから、どちらかを選ぶしかない。



「俺、どっちもすきや」



 そこは真っ白な世界だった。上を見ても、下を見ても、白。影すらできない白。

 しろ、シロ、白。両手で握りしめている、懐かしい虫捕り網。


 そして目の前にいる、俺。



「はっきりせえやケンちゃん」

「そうやで。ケンちゃんがはっきりしてくれやんと、片付かへんねんで」

「リョウヘイか、俺か」

「ダイやんか、僕か」

「どっちがすきなん?」


 

 細い枝みたいな足、無垢な瞳、頭皮が見えるほど短く刈りあげた坊主頭。

 あぁ俺だ。あの時の、俺だ。

 虫捕り網は持っていない。白いTシャツに半ズボンという格好でただ立ち尽くしているだけだった。真っ直ぐな目が真剣に俺を見つめている。何かを訴えているのだろうか。

 視線を下に移して思った。拳をぎゅっと握りしめている。今にも折れそうな細い身体で、強く握りしめた拳がプルプルプルプル震えていた。

 

 ゆっくり、近づいていく。

 もうあの頃とは違って、Tシャツと半ズボンという姿で泥だらけになって遊んだりはできないけれど。お腹がすいたら食べる、眠たくなったら寝る、なんて自由はできないけれど。嫌な嘘ばかりついたり、下手なお世辞をする毎日だけど。

 あの頃の俺と比べたら、大人になったと思う。

 強くなったと、思う。


 俺を、抱きしめた。

 幼い俺を、抱きしめた。

 小さくて細い身体は腕をすり抜けて砂のように崩れてしまいそうだったけれど、確かにその身体は温かかった。



「どっちもすきで、ええねんで」

 抱きしめる腕に力をこめた。強く強く抱きしめた。

「白黒ハッキリつけやんでもええねんで。コンクリートみたいな灰色でも、黒ゴマプリンみたいな灰色でも、ええねんで。いまはただ、迷ってて、ええねんで」

 抱きしめた。

 これ以上人を強く抱きしめたことはないかもしれない。きっとこれからも、こんな思いで人を抱きしめることはないと思う。


 幼い俺は泣いていた。俺の腕の中で、嗚咽を零しながら泣いていた。

 その嗚咽を聞きながら、何度もその坊主頭をなでてやった。

 



 

 目が覚めた。漫画みたいにバチッと音が鳴ったのを感じた。途端に目覚まし時計のけたたましい音が部屋中に響き渡り、驚いた俺は布団から畳へ滑り落ちてしまった。

 夢だった。これは夢だと自覚しながら夢を見たのは初めてだったかもしれない。なんとも奇妙な、でも胸の奥の思いものがスッと取れたような、素晴らしい夢だった。


 急いで会社へ行く支度をする。歯磨きをして、顔を洗って、寝癖を整えて、スーツを着た。朝食はコンビニで買って、会社についてから食べればいい。

 次から次へとやることがある忙しい朝、鏡に映った俺を見て、思った。


「いまはただ、まよってればええねんで…………か」


 俺はまだ、迷っていていいんだろうか。

 というか、ゴールはどこにあるんだろうか。


 考え込んでいる暇はなかった。時計の針とは残酷なもので、あっという間に時間がたつ。鞄に必要なものをつめこんで、鍵を持って靴を履いて、外へ出た。

 燃えないゴミの日。アパートのゴミ置き場にはゴミ袋がたくさん置いてある。ブロック塀の上にはいつもの猫がいて、目が合うとニャーゴと呑気に鳴く。



 これでいい。迷っているのか分からないし、ゴールなんて見つける気もないけれど。これでいい。

 あの頃は全てが輝いていた。目に映るもの全てが愛おしくてたまらなかった。虫はどうして八本足と六本足がいるんだろう、テントウムシにはどうして益虫と害虫がいるんだろう、そんな不思議で溢れていた。

 でもそれが幸せだった。何も考えず、何も思わず、ただただ目の前にあるものだけを目指して走り続けていた。

 いいじゃないか、大して充実していない人生だって。それもまたひとつの人生なんだから。どれだけ金を手に入れたって、愛されたって、結局はその人次第で人生が変わるんだから。

 どっちもすきでもいいじゃないか。どっちも嫌いでもいいじゃないか。独りでもいいじゃないか。それもまたひとつの人生なんだから。



 シャンと背筋を伸ばした。深く息を吸い込んで、空を見た。此処はヒマワリも咲き誇っていないし、真っ青な空が広がっているわけでもない。排気ガスにまみれたきたない空と、煙草の吸殻が捨ててあるパンジーの植木鉢が並んでいるだけだ。

 それでも、それを美しいと思えるのなら、その人は幸せじゃないのだろうか。迷路を楽しむか、楽しまないかで、その人の人生はだいぶ違ってくると思う。


「うしゃ、今日も会社員として頑張りますか」


 小声で自分に言った。今日もそれなりに幸せにいられたらいいな、とも思った。コンビニを発見したのでそちらに足を向かわせることにする。

 すれ違ったOLから良い香りがした。通りかかった小学生の軍団が元気よく挨拶をしてくれた。風が気持ち良かった。目があった後輩が笑いかけてくれた。

 少しだけほんの少しだけ、スーツが軽く、柔らかくなったような気がした。



ヒマワリは漢字で書くと、向日葵って書くみたいです。綺麗だと思いませんか。

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