「最悪こいつ殺しちゃえばよくね?」と思うようにしたら人生ラクに生きられるようになった
「なぁ、なんでこんなミスしたの? なぁ、なんで?」
「申し訳ありません……」
「謝らなくていいよ。理由を聞いてるんだよ。なぁ、なんで?」
脂ぎった顔の上司が俺をネチネチと責めてくる。
理由を言えば、今度はそれに対して「なんで?」され、しばらくこんな問答が続く。
まるで拷問だ。上司は俺を鞭で打ち、できた傷に熱した油でも浴びせるような作業を楽しんでいる。
さっさと終われと心の中で舌打ちする。
だけど俺は最近、こんな拷問のダメージを軽減する方法を思いついていた。
その方法とはずばり――
(最悪こいつ殺しちゃえばよくね?)
と思うことだ。
もし、俺がこの上司を殺そうと決断したら、それは実現できるだろうか。
おそらく、かなり高い確率で実現できる。
俺は特別体を鍛えているわけでも、人殺しの訓練を受けたわけでもない。
だけど、人間なんて頭を思い切りブン殴れば案外簡単に死ぬんだ。
たとえば、後ろから不意打ちで、なにか硬くて重い物で後頭部を殴れば、こんな中年親父ひとたまりもないだろう。
もちろん、一発じゃ難しいだろうから、何度も殴ることを考えないとな。トドメを刺す前に誰かに止められたらオシマイだ。
だから、たとえばオフィス内なら上司以外誰もいない時のトイレ、オフィス外なら人気のない夜道。こういう時に上司を後ろから、消火器やらガラスの灰皿やら大きめの石やらで殴れば、大ダメージを与えられるはず。
あとは倒れたところを何発も殴るなり、あるいは踏みつけるなりすれば、きっと殺せる。
最低でも後遺症ぐらい残るだろう。
とはいえ、オフィスで殺せばすぐ事件は発覚するし、外でやった場合も今はどこにでも監視カメラがあるから、俺はすぐ捕まるはずだ。
でも、殺人で捕まっても、一人ならせいぜい懲役十年から十五年で済むと聞いたことがある。
裁判で「パワハラがつらくて……」なんて涙ながらに訴えれば、情状酌量だってされるかもしれない。
もちろん、刑務所に入ったらその後の人生は大変になるかもしれないが、ここは日本だ。なんだかんだ、そういう人間がやり直せる道はいくらでもあるはず。
なんなら『私が上司を殺した理由』なんて本を出版して、印税で大儲けしちゃったりして。
というか、人一人の人生を奪っておいて自分は生きられるって時点で、その後の人生なんてボーナスステージみたいなもんだしな。
ようするに、いわゆる「普通の人生」を棒に振る覚悟さえあれば、俺はいつだって上司を殺せるってことだ。
さあ、今日にでも実行してやろうか。
――なぁんて考えてるけど、もちろん妄想に過ぎない。
刑務所に入ったら、自由に食事もできなくなり、酒も飲めなくなり、ネットだってできないはずだ。これはかなりつらい。特別仲がいいわけじゃないけど、親兄弟にだって迷惑がかかるしな。
ようするに、俺に上司を殺すつもりなんてさらさらない。
でも、やろうと思えばいつでもできる。と思えば人生ラクに生きられる。
そういう心構えってことさ。
そうこうしてるうちに、ようやく説教が終わった。長いんだよ、ボケ。
どうにか今日も無事、一日を終えられそうだ。
***
ある日の会社終わり、今日も上司にはネチネチと責められた。
とことん相性が悪い。異動願いとか出そうかなぁ。ウチの会社でそういうのが聞き入れられてるの見たことないけど。
こんな夜は居酒屋に行くに限る。それも会社の同僚が絶対来ないような居酒屋に。
たまたま飛び込んだ店は、なかなかいい店だった。
汚らしいが、賑やかで、知らない客同士でも気さくにおしゃべりできるような雰囲気だった。
俺もビールや焼酎を飲みながら、他の客とバカ話を繰り広げる。
そうこうしてると、俺はある中年男とサシ飲み状態になった。
背は低く、頭髪は薄く、よれよれの背広姿でいかにも冴えないサラリーマンという風貌。
「兄ちゃん、今日はおごりだ。飲みなよ」
「どうもー!」
安月給の身でこれはありがたい。
たまにこういうことがあるから、俺は人と触れ合える居酒屋を好んでるところもある。
話題は次第に、仕事なんてストレスばかりだよなという方向に移っていく。
酔っ払って口が軽くなってたのもあってか、俺はつい自分の“心構え”を話してしまう。
「……とこう考えると、あのネチネチ野郎への怒りも抑えられますよ」
中年男はカカカと笑う。
「最悪殺せばいいか、いい考え方だ」
「ど、どうも」
褒められるとは思ってなかったので、俺はちょっと戸惑う。
「だけど、まだまだ甘いなぁ」
「え、どういうことです?」
「だってさ、実際には殺してないわけだから。やっぱりその場しのぎに過ぎない」
「そりゃそうですけど……それしたら人生終わりじゃないですか」
すると、中年男はぬっと顔を近づけてきた。
「俺はやってる」
「……へ?」
「ムカつく上司、同僚。取引先、親戚、友人。ああ、あと俺を蔑ろにした女房に子供……。みんな殺してやった。今までに十人ぐらいやったかな」
冗談だと思ったが、中年男の眼差しにはそう感じさせない何かがあった。
俺は動揺を悟られないよう、空笑いする。
「ハハ……バカな。そんなことしてたら、あんたはとっくに捕まって、死刑のはずだ」
「そりゃやり方が下手ならの話だ。そうだ、せっかくだし兄ちゃんにはやり方を教えちゃおうかな」
「え……」
俺は中年男から“やり方”を聞いた。
内容はあまりにも衝撃的だった。こんなやり方があったなんて。
これなら何人殺しても絶対バレないし、警察にだって疑われることはない。
なんていうか、ミステリー物に登場する名探偵たち。彼らがみんなで知恵を出し合って完全犯罪な殺人方法を考えたら、こんな方法になるんじゃないかという印象を受けた。
「おおっと、喋りすぎちまったな」
「いえ……」
「ところで、兄ちゃんはプロ野球見る?」
「人並みには……」
その後しばらくはとりとめのない話をして、俺たちは別れた。
「じゃあなー、兄ちゃん!」
「ええ、さようなら……」
終電近くまで飲んで喋ってしまったが、俺の酔いはすっかり覚めていた。
***
次の日も朝っぱらから、俺は会社で上司から呼ばれた。
いつものように脂ぎった顔で、俺をネチネチ責め立てる。
「君の仕事ぶりからは、必死さが感じられないんだよ。必死さが」
「必死にやっているつもりですけど……」
「どこらへんが必死なの? 言ってみ? 必死って死に物狂いって意味よ? とてもそんな風には見えないんだけど」
「すみません……」
「謝らなくていいって。君のどこが必死か説明してくれればいいから」
ふと、昨夜の中年男の顔を思い出す。
俺は「最悪こいつ殺しちゃえばよくね?」でずっと我慢してきたけど、現状を変えるなら本当に殺した方がいいに決まってる。
教わった“やり方”はしっかり覚えている。そう難しくないし、教わった通りやれる自信はある。
俺の中で何かが充満していく。
さあ、今日にでも実行してやろうか――
完
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