第8話 雑用依頼なのに警戒態勢が敷かれる
その日の朝、ギルドに着いた俺は、入口で足を止めた。
――人が多い。
いつもより、明らかに多い。
冒険者だけじゃない。鎧姿の騎士、腕章をつけたギルド職員、見慣れない魔導士までいる。
(……何かのイベント?)
嫌な予感がして、そっと掲示板を確認する。
『旧西倉庫・清掃および備品再配置
※本件は安全確認のため、騎士団立会いのもと実施』
……え?
俺は、紙を二度見した。
「立会い……?」
「はい」
いつの間にか隣に立っていたミレアさんが、疲れた笑顔で頷いた。
「昨日の会議のあと、“念のため”という意見が出まして」
「念のため?」
「アルトさんが関わる案件なので」
意味が分からない。
「清掃ですよ?」
「分かってます」
「危険な魔獣も、戦闘もないです」
「分かってます」
「……じゃあ、なんで?」
ミレアさんは、少しだけ視線を逸らした。
「“何も起きないこと”を、確認するためです」
「……?」
余計に分からなくなった。
*
旧西倉庫は、王都の外れにある古い建物だった。
老朽化しているが、すでに中身は空に近い。
なのに。
倉庫の前には、騎士が四人。
魔導士が二人。
ギルド職員が三人。
完全に、過剰だ。
「……あの、俺、掃除するだけなんですけど」
「承知しています」
騎士団の隊長らしき人物が、真面目な顔で答える。
「ですが、あなたが作業を行う以上、
“想定外”が起きないとは限りません」
「想定外って……埃が舞うとか?」
「その“埃”が、何を引き起こすか分からない」
……そんなことある?
俺は深く息を吐いた。
「分かりました。静かにやります」
「それが一番、難しいのですが……」
隊長は、なぜか重々しく頷いた。
*
作業は、いつも通りに始まった。
通路を確保し、崩れそうな梁を確認し、
埃が立たないよう、先に湿らせる。
ただ、それだけだ。
騎士たちは、妙に緊張した様子で周囲を警戒している。
魔導士は、魔力探知を展開したまま。
(……本当に、何も起きないよ?)
俺は心の中でそう呟きながら、床を拭いた。
*
十分後。
何も起きない。
三十分後。
やっぱり、何も起きない。
一時間後。
清掃は、半分以上終わっていた。
「……異常、なし」
魔導士の一人が、小さく報告する。
「構造安定、問題なし」
「魔力反応、ゼロ」
なぜか、周囲の空気がさらに張り詰める。
「……逆におかしくないか?」
騎士の一人が、ぽつりと呟いた。
「え?」
「いや、独り言だ」
俺は首をかしげながら、棚を元の位置に戻した。
*
作業終了。
倉庫は見違えるほど、すっきりしていた。
「……以上で、完了です」
「……完了、ですね」
隊長は、倉庫全体を見回し、深く息を吐いた。
「被害、ゼロ」
「はい。掃除なので」
「事故、ゼロ」
「気をつけましたから」
「想定外、ゼロ」
隊長は、少しだけ苦笑した。
「……“何も起きない”という結果を、
これほど重く受け止めたのは、初めてです」
「そうですか?」
俺は、素直に首をかしげた。
*
ギルドへ戻る途中。
ミレアさんが、隣を歩きながら言った。
「報告書、大変なことになりそうです」
「清掃の?」
「はい。“異常なし”って、何枚も」
……掃除なのに。
「でも」
彼女は、少しだけ声を落とす。
「“何も起きないこと”を作れる人って、
実はすごく少ないんです」
「そうなんですか?」
「はい。みんな、何かを起こそうとしてしまうから」
俺は、少し考えた。
「起きない方が、楽ですけど」
「その発想が、もう……」
ミレアさんは、途中で言葉を飲み込んだ。
*
夕方。
ギルドマスターに呼ばれた。
「アルト」
「はい」
「今日の件だが」
嫌な予感。
「評価は、非常に高い」
「……清掃ですよ?」
「だからだ」
重い声。
「“起きない”を作るのは、
“起きた後”よりも難しい」
俺は、返す言葉が見つからなかった。
「しばらくは、こういう依頼が増える」
「え?」
「君が関わるだけで、安心する者が多い」
それって――
「俺、掃除係ですよ?」
「そうだ。掃除係だ」
ギルドマスターは、真顔だった。
「だが、国にとっては――
“安全装置”だ」
……物騒だな。
*
夜、宿に戻る。
今日の反省会。
(警戒されすぎた)
(もっと地味にやるべきだった)
(次は、存在感を消そう)
俺は、真剣にそう思った。
その頃。
王都の別室では、別の会話が交わされていた。
「アルト・レインが動いたが、異常はなかった」
「……いや、“異常がなかった”ことが異常だ」
誰かが、低く呟く。
「引き続き、観測を続けろ」
「了解」
*
俺は布団に入り、天井を見つめた。
「……掃除、難しいな」
本気でそう思っているのは、
たぶん、俺だけだった。




