第35話 今日も、雑用
数か月後。
王都学院の朝は、以前と変わらず静かだった。
人は増え、物も増えた。
だが、動きは整っている。
通路は自然と空き、
声は短く、
判断は速い。
*
「おはようございます、アルトさん」
倉庫前で、新人の雑用係が頭を下げる。
まだぎこちないが、目はしっかりしている。
「おはよう」
アルトは、穏やかに返す。
*
「これ、どう思いますか?」
新人が、少し迷いながら箱の配置を指差す。
以前なら、
皆がアルトの答えを待っていた。
だが今は違う。
アルトは、箱ではなく、その新人を見る。
「どう思いますか?」
「……少し、通路が狭いです」
「じゃあ?」
「広げます」
自分で動く。
自分で決める。
*
数分後。
通路は整い、作業は続く。
誰もアルトを振り返らない。
それが、当たり前になっていた。
*
レオン=フェルディスは、その様子を少し離れた場所から見ていた。
「文書化は、完了しました」
隣に立つクラウスに告げる。
「安全基準、正式採用」
「アルト・レインの名は?」
「記載していません」
クラウスは、わずかに口元を緩める。
「正しい判断だ」
*
アルトは、倉庫を一周する。
床を見る。
棚を見る。
人の流れを見る。
(……問題なし)
それを確認して、頷く。
*
昼休み。
訓練生たちが笑いながら話している。
「昔は、もっとバタバタしてたらしい」
「今は、楽だよな」
「誰かが決めてくれるわけじゃないけど」
その言葉に、アルトは少しだけ耳を傾ける。
*
夕方。
新人の雑用係が、再び声をかけてくる。
「アルトさん」
「はい」
「……もし、間違えたら」
一瞬、迷う。
「どうすればいいですか」
アルトは、少し考えてから答えた。
「止まればいい」
「……止まる?」
「今、危ないかどうか、考える」
それだけ。
新人は、ゆっくり頷いた。
*
作業終了。
事故、ゼロ。
混乱、なし。
報告は、簡潔だった。
*
夜。
宿の部屋で、アルトはいつもの反省会をする。
(今日は、新人がよく考えていた)
(俺がいなくても、大丈夫そうだ)
(……いいことだ)
紙を閉じる。
*
窓の外。
王都の灯りが、静かに揺れている。
大きな戦いも、
派手な事件もない。
それでも、確かに世界は回っている。
*
アルトは、布団に横になり、小さく呟いた。
「……今日も、雑用だな」
それでいい。
誰も困らず、
何も壊れず、
静かに一日が終わる。
それが、彼の望みだった。
そして――
世界は今日も、静かだった。
ここまで読んでくださった皆さま、本当にありがとうございました。
本作は、
「強い主人公が活躍する物語」ではなく、
「何も起こらない一日を作る人の物語」を書いてみたい、
そんな気持ちから始まりました。
派手な戦闘も、大きな陰謀もありません。
主人公は最後まで自分を過小評価したままですし、
世界を救った自覚もありません。
それでも、
誰かが考えるようになったこと。
誰かが止まれるようになったこと。
誰かが自分で決められるようになったこと。
それが、この物語の“変化”でした。
「いなくても回る世界を作る人」
そんな在り方があってもいいのではないかと、
静かな願いを込めています。
連載という形で物語を書くのは、簡単ではありませんでした。
読まれること、読まれないこと、数字に揺れることもあります。
それでも最後まで書き切れたのは、
ここまで読み続けてくださったあなたのおかげです。
本当に、ありがとうございました。
もしこの物語のどこか一行でも、
あなたの心に残っていたら、それだけで十分です。
またどこかで、
静かな物語をお届けできたら嬉しいです。




