第32話 公式視察
その知らせは、朝一番に届いた。
「本日、王国監査局による公式視察があります」
学院内に通達が回る。
倉庫担当も、訓練場も、一瞬だけざわついた。
(……視察?)
俺は、掲示板の前で首をかしげる。
別に、特別なことはしていない。
雑用はいつも通りだ。
*
「アルトさん」
レオン=フェルディスが、静かな声で呼ぶ。
「今日は、通常業務で構いません」
「視察、ですよね?」
「はい」
一拍置いて。
「あなたに、直接の面談要請が来ています」
「……え?」
嫌な予感しかしない。
*
「断りました」
「……断ったんですか」
「ええ」
レオンの声は、落ち着いていた。
「理由は?」
「“業務に支障が出るため”」
嘘ではない。
面談なんてされたら、雑用が止まる。
*
「でも」
俺は少し迷ってから言う。
「必要なら、出ますけど」
レオンは、首を振った。
「必要ありません」
「……」
「あなたは、“何も起こらない状態”を作る人です」
「はい」
「前に出た瞬間、それが崩れます」
その理屈は、なんとなく分かった。
*
午前。
監査局の一行が学院に到着した。
黒い外套。
無駄のない動き。
無駄のない視線。
その中央に立つ男が、一歩前に出る。
「クラウス=ディルヘイムだ」
声は低く、よく通る。
*
「目的は単純だ」
クラウスは、レオンに向かって言う。
「この異常な安定の原因を確認する」
「異常、ですか」
「事故率が理論値以下だ」
淡々とした物言い。
*
「アルト・レインに会わせろ」
「お断りします」
即答だった。
空気が、一瞬で冷える。
*
「理由は?」
「彼は、雑用係です」
「知っている」
「雑用を止めれば、現場が乱れます」
クラウスは、目を細めた。
「そこまでか」
「はい」
*
その頃、俺は倉庫で箱を動かしていた。
(……今日は、少し緊張してるな)
人の動きが、いつもより硬い。
だが、問題はない。
「通路、少し広げましょう」
「はい」
それだけで、空気が少し緩む。
*
別室。
「直接確認できないのか」
クラウスは、不満を隠さない。
「彼は戦闘能力を持つのか?」
「特筆すべきものはありません」
「では、なぜ――」
レオンは、静かに答える。
「彼は、“正解を教えない”」
「……?」
「だから、皆が考える」
クラウスは、わずかに眉を動かした。
*
視察は、数時間で終わった。
事故、ゼロ。
混乱、なし。
問題点、特になし。
*
帰り際、クラウスは一度だけ振り返った。
「……会えないのか」
「ええ」
レオンは、譲らない。
*
その日の夕方。
「視察、終わったんですね」
俺が何気なく言うと、レオンは短く頷いた。
「問題ありませんでした」
「それは、よかった」
本心だった。
*
夜。
俺は宿で反省会。
(今日は、少しだけ空気が固かった)
(でも、事故はなかった)
(……問題なし)
紙にそう書く。
*
同じ夜。
馬車の中で、クラウスが呟いた。
「……前に出ないのか」
「はい」
「ならば」
窓の外、遠ざかる学院を見つめる。
「“いない前提”で、観察を続ける」
*
俺は布団に入り、目を閉じた。
「……明日も、雑用だな」
視察も、監査も。
俺には関係ない。
ただ、何も起こらない一日を作るだけ。
それが、俺の仕事だ。
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