第31話 前に出ない、という決断
その日の王都学院は、いつもより静かだった。
(……人はいるのに、音が少ない)
俺は中庭を横切りながら、そんなことを思った。
倉庫も訓練場も、特に問題はなさそうだ。
通路は確保されている。
配置も安定している。
誰も慌てていない。
(……よし)
雑用係としては、満点だ。
*
「アルトさん」
声をかけてきたのは、レオン=フェルディスだった。
今日は、いつも以上に表情が引き締まっている。
「少し、お時間いいですか」
「はい」
案内されたのは、学院の奥にある小さな会議室だった。
窓は閉められ、机の上には書類が積まれている。
*
「まず、安心してください」
席に着くなり、レオンはそう言った。
「事故はありません」
「……それは、よかったです」
本心だった。
「ですが」
「はい」
「外からの問い合わせが、増えています」
嫌な予感が、少しだけ胸をかすめる。
*
「どんな問い合わせですか?」
「“誰が、この安定を作っているのか”」
レオンは、淡々と続ける。
「具体的には」
「あなたの名前が、頻繁に出ます」
「……そうですか」
正直、嬉しくはない。
*
「そこで、決めました」
レオンは、はっきり言った。
「あなたを、前に出しません」
「……はい?」
一瞬、意味が分からなかった。
「取材、視察、公式な場」
「すべて、私が遮ります」
「それって……」
俺は、言葉を探す。
「迷惑じゃないですか」
「いいえ」
即答だった。
*
「あなたは、“雑用係”です」
「はい」
「前に出る必要はありません」
「……」
それは、ありがたい話のはずだった。
*
「なぜ、そこまで?」
つい、聞いてしまう。
レオンは、少しだけ考えてから答えた。
「あなたが前に出ると」
「はい」
「人は、“答え”をあなたに求めます」
それは、最近よく感じていることだった。
「ですが」
「?」
「あなたが前に出ない限り」
「……」
「人は、“考える”しかありません」
その言葉に、胸の奥が少しだけ軽くなる。
*
「それで、現場が回るなら」
「はい」
「それが、一番いいです」
本心だった。
*
「ですから」
レオンは、最後にこう言った。
「あなたは、今まで通りでいてください」
「雑用をして」
「反省会をして」
「何も起こらない一日を、作る」
……ずいぶん、変な依頼だ。
*
「分かりました」
俺は、素直に頷いた。
「目立たないのは、得意です」
「知っています」
レオンは、少しだけ笑った。
*
会議室を出ると、廊下の向こうで訓練生たちが片付けをしていた。
「通路、先に」
「順番、決めよう」
「急がなくていい」
誰も、俺を見ていない。
それが、少し嬉しかった。
*
その日の雑用は、軽い巡回だけだった。
見る。
歩く。
問題がなければ、何もしない。
(……問題なし)
それを確認して、満足する。
*
夕方。
レオンは別室で、別の会話をしていた。
「……本当に、前に出さないのか」
「はい」
「危険では?」
「いいえ」
彼は、静かに言った。
「彼は、“前に出ない”ことで、
世界を安定させています」
*
夜。
俺は宿で、いつもの反省会。
(今日は、特に何もなかった)
(相談も、少なかった)
(……いい日だ)
紙にそう書いて、頷く。
*
同じ夜。
王都の外れで、こんな声が漏れていた。
「……本人が、出てこない?」
「ああ」
「囲えないな」
「だが――」
低い笑い声。
「守られている、ということか」
*
俺は布団に入り、目を閉じた。
「……明日も、雑用だな」
前に出ない。
目立たない。
何も起こさない。
その決断が、
世界を静かに分け始めていることを。
俺は、まだ知らなかった。
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