第30話 小さなトラブルは、夜に来る
その日の夜、王都学院は静まり返っていた。
昼間の喧騒が嘘のように、人影はまばらだ。
灯りの落ちた訓練場、鍵のかかった倉庫。
本来なら、何も起きない時間帯。
*
――だが。
北側倉庫の奥で、かすかな音がした。
木が、軋む音。
重いものが、ずれる音。
*
「……気づいた?」
巡回中の補助員が、小声で言った。
「今の、箱の音だよな」
「誰かいる?」
松明を掲げ、慎重に近づく。
*
箱の積み方が、わずかに変わっている。
昼間の配置とも違う。
だが、完全に崩れているわけでもない。
(……意図的だ)
誰かが、そう感じた。
*
「止めよう」
「いや、触る前に確認」
「順番、決めよう」
昼間に身についた動きが、自然に出る。
*
だが、その瞬間。
別の棚で、箱が傾いた。
「っ――!」
誰かが、足を止める。
誰かが、声を上げる。
「下がれ!」
「一回、距離取ろう!」
箱は、床に落ちた。
だが、人には当たらなかった。
*
大きな音が、夜の倉庫に響く。
それでも、混乱は起きなかった。
全員が、止まる。
確認する。
次を考える。
*
「……アルトさんが、いない」
誰かが、ぽつりと言った。
だが、続けてこう言い直す。
「だからこそ、だ」
「考えろ」
「今、何が一番安全か」
*
十分後。
倉庫は、再び静かになった。
被害は、箱一つ。
怪我人、ゼロ。
*
その頃。
別棟の小部屋で、レオン=フェルディスは報告を受けていた。
「夜間、軽微なトラブル発生」
「人的被害、なし」
「配置に、不自然な変更あり」
レオンは、ゆっくりと目を閉じた。
「……来ましたね」
「外部、ですか」
「ええ」
*
「反応は?」
「判断、適切」
「混乱、なし」
一拍置いて。
「“雑用係不在”でも、
最低限の耐性は確認できました」
だが、レオンの表情は硬い。
「ただし」
「?」
「これは、“試し”です」
「次は?」
「……もう少し、巧妙になるでしょう」
*
同じ夜。
王都の外れ。
「どうだった?」
影の一人が、低く聞いた。
「……失敗だ」
「事故は?」
「起きなかった」
短い沈黙。
「人は?」
「動いた。考えた。止まった」
影は、面白そうに息を吐く。
「……なるほど」
*
「次は、どうする?」
「焦るな」
地図の上、王都学院を示す印に指を置く。
「“彼がいない時間”を、
もう少し観察する」
*
翌朝。
アルトは、何も知らずに学院へ向かっていた。
(……今日は、何も起きてないといいな)
いつも通りの気持ちで、門をくぐる。
*
倉庫に入ると、少しだけ空気が違った。
皆が、少し疲れている。
だが、どこか自信もある。
「おはようございます」
「おはようございます、アルトさん」
声は、落ち着いていた。
*
「昨日の夜、少しだけありました」
補助員が、簡潔に報告する。
「箱が落ちました」
「怪我は?」
「ありません」
それを聞いて、胸を撫で下ろす。
「……よかった」
本心だった。
*
「アルトさんがいなくても」
「なんとか、なりました」
そう言われて、少しだけ笑ってしまう。
「それなら、十分です」
*
そのやり取りを、少し離れた場所で見ていたレオンが、
心の中でこう呟いた。
(……彼は、
“守る側”になる気はない)
(だが、
“守られている側”が、増えている)
*
アルトは、いつも通り倉庫を歩く。
通路を見て、配置を見て、何も言わない。
(……問題なし)
それを確認して、満足する。
だが世界はもう、
“何も起きない”を維持するために、
静かな綱引きを始めていた。
――第1章・中盤、完。
本話もお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも続きが気になる、と感じていただけましたら、
ブックマーク や 評価 をお願いします。
応援が励みになります!
これからもどうぞよろしくお願いします!




