【短編版】筆頭魔術師の筆頭様
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「【連載版】筆頭魔術師の筆頭様
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ローナ王国、特に魔術塔の中にはこんな不文律がある。
『筆頭様の筆頭様には手を出すな』
魔術塔に関わる人間、また王宮に勤める人間。とにかく筆頭魔術師リヒトール・ハイレンに関係する人たちは、その一言を念頭に置いているというのだから穏やかではない。
「なんなんですか、それは」
この春、新人魔術師として晴れて魔術塔入りしたクオンは、指導員である先輩魔術師フェインから、魔術塔のルールとしてまず最初にされたその話に、思わず首を傾げた。筆頭様はわかる。国内外に名高い魔術師、リヒトール・ハイレンその人以外にその名を冠する人はいないからだ。
しかし、リヒトール・ハイレンの〝筆頭様〟とはなんなのか。リヒトール・ハイレン以上に力のある魔術師は、国内はもとより、国外にすらいない。世界最高峰と言っていいその魔力量、使える魔術の種類、強さ、繊細さ、コントロール力……とにかく他者の追随を許さない実力を持った筆頭様は、その存在だけでローナ王国の国防に一役買っているほどなのだ。魔術師であればだれもが憧れる筆頭様。そんな彼の筆頭というのだから、さらに強いということだろうか。
「筆頭様の筆頭様には、筆頭様のお部屋に入れば会えるよ」
「ここにいるんですか⁉︎」
「いるいる、リヒトール様がいるときは必ずいる」
魔術塔にいるということは、魔術師なのだろうか。そう思って水を向けると、フェインから返ってきたのは、クオンの思いもしない返答だった。
「魔力のない普通の人だけど、ユーナ様がいないとリヒトール様は生きていられないから……」
色々あんだよ、とため息交じりにフェインはぼやいた。
◇
新人魔術師のクオンの毎日は忙しい。──主に雑用で。
魔術の研究などできるのははるか先、まずは諸先輩の手伝いから始まるそうで、それは前途洋々たる気持ちでいたクオンの心を折るには十分だった。全員が通る道だとフェインは言うが、悪しき慣習だとクオンは思う。これでも、魔術学校では主席だったのだ。魔術塔の採用試験だって高得点をたたき出したと、教師からは言われたのだ。それなのに──雑用!
ありえない、と口の中で文句を噛み殺し、クオンは預かった書類と試薬を持って階上に上がって行った。魔術塔では、階級が上がるほど上階の研究室が与えられる。新人のクオンは四級なので、入り口や食堂、応接間やらなにやらがある一階に部屋がある。人の出入りが多い階なので、集中するには向いていないフロアだ。三級が二階、二級が三階、一級が四階、特級の資格を持つ魔術師たちが塔の一番上、五階に部屋をもらっている。
一級魔術師のティモシー翁──魔術塔の最長老である塔主ターレンの次に年長の魔術師だ──の部屋に届け物をした後、階段に戻ったクオンは、戻るべき道ではなく、さらに階上をふと見上げてしまった。最上階には、塔主であるターレンの他には筆頭魔術師であるリヒトール・ハイレンしかいない。一級魔術師は二十人もいるのにだ。特級と一級の差は、それほどに深い。
クオンはまだ足を踏み入れたことのないその階に、魔術師でもない筆頭様の〝筆頭様〟はいるのだという。先ほど荷物を届けたティモシー翁だって、クオンからしたらすごい人なのだ。クオンの恩師の恩師である彼は、魔法薬の大家である。それくらい実績のある人でも最上階に部屋はないというのに、筆頭様であるリヒトール・ハイレンに乗っかって最上階に住んでいるなんてありえない。
『筆頭様の筆頭様には手を出すな』
指導員のフェインの声がちらりと脳裏をかすめたが、怒りに突き動かされたクオンの衝動を止めるほどの力はなかった。
〝筆頭様〟は魔力なしだという。そんな弱い存在なのに、自分よりも高いところにいるなんて──そんなの、許せるわけがない。
その日、腹の底から湧き上がる怒りに身を任せたクオンは、その〝筆頭様〟を探って引きずりおろそうと、昏い決意を抱いた。
◇
筆頭様の〝筆頭様〟は、ユーナという女性のようだった。魔力もない。女性ならば力も弱いだろう。それなのに筆頭様に囲い込まれるほど美しかったり、なにかに秀でたりするかと言えば、そうでもないらしい。茶色の髪に茶色の瞳。やや肉付きは悪いとはいえ、ほどほどの身長を持ち、愛嬌のある顔立ちをしていると言う。
そんなユーナは、筆頭魔術師リヒトール・ハイレンの幼馴染であるらしかった。辺境で育った平民である彼女に特筆すべきところがあるとしたら、〝リヒトール・ハイレンの幼馴染〟というところだけだ。彼女より魔力が強い女性も、美しい女性も、尊い女性も、裕福な女性もたくさんいる。なのに、単なる幼馴染という関係性を利用して魔術塔に居座るなど、他に類を見ない悪女ではないか。
そんな悪女は、筆頭様をたぶらかして、魔術塔の最上階にこもっていると言う。筆頭様の代わりに雑用をするわけでもない。筆頭様の秘書のように動いてはいるようだが、彼女はけっして筆頭様のいない場には顔を出さない。
何様だ、とクオンは思う。魔術学校を主席で卒業した四級魔術師のクオンですら雑用を押し付けられているのに、魔術師でもない存在が、ただ安穏と過ごしているだけとは!
『筆頭様の筆頭様には手を出すな』なんてルールを決めたのは、きっとその悪女に違いなかった。筆頭様の力を頼んで、いい思いだけする悪辣な女。なぜ他の魔術師たちがそんな身勝手なルールを受け容れているのかわからない。筆頭様の手前、遠慮をしているのかもしれない。
筆頭様の目を覚させなくては、と、クオンは思った。悪女から筆頭様を引き剥がして守るためには、どうしたらいいだろうか。魔術師の憧れの筆頭様。やはりかの方の隣には、完璧な女性が似合うだろう。美しき王女、力のある女魔術師……少なくともみすぼらしい平民悪女ではないことはたしかだ。
筆頭様に相応しい方を探そう。クオンは決意した。憧れのあの方に相応しい女性を探すのだ。悪女の呪いから目を覚ました筆頭様は、クオンのことを褒めてくれるかもしれない。
──優等生クオンの転落は、そんな夢想から始まった。
◇
リヒトール・ハイレンは魔術師である。たまたま魔術に適性があり、たまたま魔力量も多く、たまたまセンスがあっただけの男だと、リヒトールは思っている。
魔術は楽しかった。なぜなら、最愛のユーナが喜んでくれたから。孤児であった上に見た目も性質もパッとしないリヒトールが、生計を立てるのに魔術はちょうどよかったのもある。
自分が得意とすることで、大好きな女の子が喜んでくれて、その子と生きていく道を支えてくれると思ったから、リヒトールは頑張った。ユーナと魔術があれば満足なリヒトールは、ユーナとの将来を夢想して頑張った。頑張りすぎてしまった。
だから、筆頭魔術師と呼ばれて、魔術塔に閉じ込められたことは、リヒトールにとって人生最悪の出来事だった。
魔術塔に入った魔術師のうち、第二級以上の資格者は、基本的に国に仕えるために塔から離れて生きることは許されない。結婚して家族を持つことは推奨されているが──魔術師の子は魔力を持つ確率が高いので──魔術師本人は塔を拠点としなければいけないため、家族とは別居して過ごすのだ。
家族が欲しいリヒトールにとっては、唯一と定めたユーナと離れたくないリヒトールにとっては、それはとても耐えられないことだった。
魔術師の資格を手放し、塔から出て野良魔術師として生きようとしたが、初手から第三級の資格──しかも本来なら二級相当だったものを、例がないという理由から三級にされた資格だ──を持つリヒトールに、その道は許されなかった。
リヒトールは初めてそこでやりすぎたと悟り、誰よりも優先していたユーナから引き剥がされるとわかって──魔力を暴発させた。
過去に例を見ないほどの魔力が暴発したのだ。リヒトールを中心として、その地は吹き飛ぶと思われた。
だが──
「リヒト!」
その時の記憶が、リヒトールにはほぼない。だが、痛いくらいの魔力の圧と、そこに飛び込んできたユーナの姿と、自分を呼ぶユーナの声だけは覚えている。天使が舞い降りたと思った。もう自分は死んでいて、ユーナによく似た天使が迎えにきてくれたのかと、いや、ユーナこそが自分の天使だったのだと思ったのだ。
「ユーナ」
その手を取った瞬間、爆発しかけたリヒトールの魔力は消えた。スッと、跡形もなく、どこにも被害を与えることなく消えたのだ。
この時すでにリヒトールは魔力を使い果たして昏倒していたため、その後の話は、特例として指導員になっていた塔主ターレン・ファムル翁から聞いたものとなるが、自分の魔力は吸い込まれるようにユーナの中に消え、ほとんどなにも起こらなかったと言う。最初の風圧で倒れた木々と、吹き飛ばされた魔術師たちの打撲やかすり傷だけが、リヒトールの魔力暴走の痕跡だった。
ただ、その時にリヒトールの大半の魔力はユーナの中に収納されたようで、大きな魔術を使う際には、リヒトールはユーナに触れていないといけなくなった。
そのため、リヒトールにとってはありがたいことに、ユーナはリヒトールの魔力タンク兼精神安定剤兼魔力暴走のストッパーとして、共に魔術塔にいることが義務付けられた。ユーナの意思もリヒトールの意思も関係ない決定だったが、ユーナと離れたくないリヒトールにとっては僥倖でしかなかった。
唯一気になるのはユーナの気持ちだったが、ユーナはリヒトールのことを受け入れた時にすべて受け止めると誓っていたと言って、そばにいることを選んでくれた。
だから、リヒトールは常に最愛のユーナを手放さない。ユーナと離れると魔力が暴走しだすし、情けないがさみしさから涙が止まらなくなるのだ。
人間としてダメすぎるリヒトールを見捨てず、そばに居続けてくれるユーナは、やっぱり天使だと、リヒトールは今日も思うのだった。
◇
ユーナ・ハイレンはなんの取り柄もない町娘だった。孤児院の近くの食堂で生まれ育ったユーナは、売れ残り──という名目が使えるよう、店主である父はわざと多く作っていたのだが──の食事を孤児院に差し入れていた縁で、幼いリヒトールと出会った。
幼い頃のリヒトールは、誰にも懐かず、会話もできないような子どもだった。ボサボサの黒髪で目元を隠し、いつも俯いてぼうっとしてるだけの子ども。ひょろひょろとした体躯と言い返さない性格から、リヒトールは孤児院の子からも町の子からもいじめられていた。なぜ抵抗しないのかと尋ねても、無言で俯いてしまうような気弱なリヒトールに構うのは、弟妹が欲しかったユーナだけだった。
そばにいるうちに仲良くなったリヒトールは、光の魔術を見せてくれた。誰にも教わらずとも魔術を操るリヒトールの存在は稀有なものだったが、幼いユーナとリヒトールには関係なかった。きれいな力を操るのは、リヒトール自身がきれいだからだと、ユーナは思った。それを伝えた時、表情の乏しいリヒトールが笑顔になってくれたのは、ユーナが誇る思い出の一つだ。
ユーナとリヒトールが十になった頃、町の人にリヒトールの力がバレた。魔力を持つ子は珍しいと、リヒトールは領主様の後ろ盾を得て、ひとり魔術学校へ進んだ。
ユーナと離れたくないリヒトールは、はじめ泣いて抵抗したのだが、リヒトールの将来のためだとユーナが諭した途端、妙に真剣な声音で「その将来にユーナはいてくれるのか」と尋ねるものだから、ユーナは思わず頷いてしまった。リヒトールを宥めるためでもあったけれど、ユーナにとっても二人でいる時間は心地よかったので、まぁそういう未来もいいかなと思ったのだ。ユーナ自身もまだ未来のことを現実として考えられるほど成長していなかったせいもある。
だが、未来の約束を手にしたリヒトールは、そこから変わっていった。
手紙のやり取りの約束を取り付け、長期休暇には必ず帰ってくると言い残して王都へ旅立ったリヒトールは、自らの力を研鑽し、その才能を花開かせた。故郷で食堂を手伝いながらのんびりすごしていたユーナとは違い、リヒトールはどんどん手の届かないところへ行っていたのだ。
届けられた手紙を読むたび、またリヒトールが帰省するたびに、ユーナは開いていく距離を肌で感じていた。辺境の町娘にしか過ぎない自分に、魔術師として歩き出したリヒトールは釣り合わない。リヒトールが頑張っているのがわかるからこそ、笑顔で送り出そうと時間をかけて覚悟を決めていた。主席で表彰されるからという理由で、魔術学校の卒業式への臨席を再三拝み倒されなければ、多分王都へ会いに行くこともしなかったと思う。
あの日、リヒトールが魔術師の試験に合格して、そのまま魔術塔に招聘されることが決まったあの日。その場にユーナがいたのは正解かどうだったのかは、今でもユーナにはわからない。リヒトールの大事な魔力を奪ってしまったユーナを、リヒトールも国も手放せない。誰のためにもならない結末を、それでもリヒトール本人が喜んでくれたからこそ、ユーナは耐えられた。野いちごみたいな赤い瞳を輝かせて、一生一緒にいて欲しいとリヒトールが頼むから、ユーナは自分の存在を許すことができたのだ。
リヒトールをすべて受け入れ、彼の隣で、すぐに揺れがちなその心を守るのが自分の仕事だと、その日ユーナは思い定めた。
塔に入るにあたって、ユーナとリヒトールは結婚して家族になった。本来なら魔術師でないユーナに魔術塔に入る資格はないのだが、事情が事情な上、リヒトールの膨大な魔力を身に宿したこともあって、塔の扉はユーナにも開かれた。
さみしがりのリヒトールは、常にユーナが視界にいないと嫌がったから、その甘言にユーナは乗ってしまった。
リヒトールの住む部屋は、すぐさま新婚夫婦の家になった。リヒトールを甘やかすのがユーナの日常だったのもいけなかったと思うが、リヒトールの力に怯えたまわりの人間もまた、リヒトールの安定のためにユーナの身柄を欲しがったのが一番の理由だと思う。
誰も彼もがユーナとリヒトールが結婚することを望んだ時、ユーナはとても驚いたのだ。なにも持っていないユーナと、国からぜひにと請われるほどの力を持つリヒトール。本来ならリヒトールの相手には力のある魔術師を据えたかっただろうに、そんなことは誰一人として言い出さなかった──いや、言い出せなかったのだろう。他でもないリヒトールがユーナを望むが故に、ユーナはリヒトールの家族となって、魔術塔に住んでいる。
ユーナのことを面白くないと思う人は多いと思う。リヒトールの手前、そばにいることを許されているだけだと、ユーナは肝に銘じている。
だが、リヒトールの心を守れるのは自分だけだと、同じくらいユーナは信じていた。ああ見えて、リヒトールは繊細で泣き虫だ。ユーナがいなくても大丈夫だと何度言い聞かせても、ユーナがいない世界なら自分は生きていけないと大泣きするくらいのヘタレである。刷り込みも多いと思うけれど、他でもないリヒトールが望んでくれるなら、ユーナはユーナの持てるすべてを投げ打ってでもリヒトールのそばにいて支え続ける覚悟をしている。
なぜなら、リヒトールはユーナの初恋の相手であり、守るべき相手であり、かけがえのない家族だから。
◇
クオンは筆頭魔術師リヒトール・ハイレンに相応しい相手を探すと共に、筆頭様の横に居座る平民悪女を引き摺り下ろす算段を練った。
こう見えてクオンは貴族、しかも伯爵家の一員であった。上級貴族のうち、サルバドール侯爵家の末娘であるデライラに目をつけた。彼女はクオンの知る中で一番の淑女であったし、年若いためまだ婚約者も定められていなかったからだ。
デライラはクオンの母方の従妹だったから、婚約の打診もスムーズだった。まだ十一のデライラはともかく、叔母は筆頭魔術師との縁を喜んだ。後は悪辣な平民悪女を引き摺り下ろすだけだ。クオンはほくそ笑んだ。間違った道を正す自分の正義を、この時のクオンは信じて疑わなかった。
平民悪女ユーナは、自らの排除を恐れているのか、おかしなくらい人前に姿を現さなかった。元々筆頭様も部屋から出てこない人なので、それをいいことに最上階にこもりきりらしい。きっと幼馴染の情を盾に、筆頭様を囲い込んでいるに違いなかった。
出てこないならば、逆に平民悪女を呼び出して罠に嵌めようと、悪女の実家であるちんけな町の食堂を襲うためにひそかに人をやったが、無能ばかりを派遣されたのか、どいつもこいつも失敗ばかりだった。借金を被せようとしても失敗。関係者を誘拐しようとしても失敗。食事に毒を混ぜようとしても失敗。物理的に破壊しようとしても失敗。
冷静ならばおかしいと立ち止まるところだが、頭に血の昇っているクオンは止まれなかった。仕事がなければ、自らの手で破壊したいところだったが、さすがに先輩たちの手前、仕事はサボれない。
悪女ユーナの排斥に手間取っていたクオンだったが、重ねた努力を神が憐れんだのか、はたまた終わりを告げられたのか、ある日願ってもいないチャンスが回ってきた。五年に一度、王宮へ魔術師たちが呼ばれる日が来たのだ。さすがに研究室にこもりきりな筆頭魔術師も、この日は正装に身を包んで王宮へ向かわざるを得ない。
同じく正装に着替えながら、クオンは考えた。あの分不相応な〝筆頭様〟は、常に筆頭様を盾にするかのようにそばにいる。だが、彼女と筆頭様は異性同士だ。必ず筆頭様と離れる瞬間はくるはず。筆頭様の伝言のように呼び出せば、うかうかとやってきたりはしないだろうか。いやいや、その場でその無意味な首を物理的に斬ってしまえばコトは済む。自分がやっていることは国の大義であり、筆頭魔術師リヒトール・ハイレンの正義なのだ。責められるはずなどないだろう。
「待っててくださいね、筆頭様。必ず私が助けて差し上げます」
この時点で、誰か──たとえば指導員のフェインあたりがクオンの狂気に気づいていたならば、のちの悲劇は避けられたはずだった。
だが、悲しいかな、彼の暴走を止める人はいなかったのである。
◇
「ユーナ、可愛い」
正装姿のリヒトールの隣に立つ必要のあるユーナもまた、その日はめかし込んでいた。魔術師であるリヒトールは服装が定められているが、ユーナは違う。それをいいことに、リヒトールはユーナを心の赴くままに飾り立てた。
「ねぇ、派手だよこれ」
「ううん、ユーナ可愛い。いつもの格好も可愛いけど、俺の色に染まったユーナはまた別格に可愛い」
リヒトールの色──それは黒と赤なので、その色のドレスを纏ったユーナは、お世辞にも可愛いという雰囲気ではなかったが、リヒトールにとって「自分の色に染まった最愛のユーナ」であるだけで、それは最高の装いに見えるようだった。実際、ドレス姿のユーナを見てからのリヒトールと言うと、「俺のユーナ可愛い」しか言わない謎の生き物と化している。リヒトールは普段から同じようなことを言うが、その回数が段違いに増えたことからも、彼のテンションがおかしくなっているのがわかったユーナだった。
魔術師の正装と同じ、黒をメインとしたドレスは、凡庸な容姿のユーナをいつもより大人っぽく見せていたので、ユーナ自身としても嫌ではなかったが──なにより好きな人の色なので、もとより厭うわけもなかったが──だがしかし、このドレスは差し色の赤がとかく目立つのだ。リヒトールの野いちご色の瞳の色は鮮やか過ぎて、金の装飾に飾り立てられてはいるものの、基本的に黒一色な魔術師の正装の中では目立ってしまう。魔術塔にいる四級までの魔術師は四百人弱なのだが、それだけの人数が集まる中に混じりたくないと、ユーナは心底思った。場違いにもほどがある。なにしろ、ユーナは魔術師ではないのだ。
国王陛下をはじめとする王族の方の前に並ぶ、塔の魔術師たち。それを囲むように貴族の方々がいて、遠巻きに自分たちのような平民がそれを眺める。そんな構図を思い描き、ユーナはぞっとした。なにがあっても魔術師集団には混じりたくない。百歩譲って一緒に向かうのはいい。だが式典に参加するのはお断りだ。仕事とはいえ、実務が絡まない今回は、リヒトールがユーナに触れている必要はないのだから。
自身から離れる気のないリヒトールに、なにを言っても無駄なことはわかっていたユーナは、事前に頼まず現地でどうにか控え室に残ろうと心に決めた。
◇
魔術塔から式典の行われる王城前の広場──式典専用のここは、王族が立つテラスを背後に、魔術師団が簡単な実演を行うところを、貴族席と一般席それぞれ眺められると言う特殊な場所だ──に到着した一行は、現在揉めていた。もちろんそれは、ユーナを離したくないリヒトールと、離れた場所に逃げ込みたいユーナ、そしてできたら筆頭魔術師のみっともない姿を皆から隠したい上層部の皆様による揉め事である。
ユーナがいなくてもリヒトールは魔術が使える。式典で行うのは、国境の結界を張ったり範囲攻撃したりする大規模魔術ではないからだ。王族席であるテラスに結界を張り、光を散らせるだけの、リヒトールにとっては簡単極まりない魔術である。
「わたしがいたら、みんなびっくりするから!」
「夫婦が共にいることのなにが悪いのさ!」
「いやいや、リヒト、お仕事だからね? 普段許されてるのは、人目につかないからでしょう? わたしがいなくてもできる仕事で、かつ王国として大事な式典なのよ?」
「わかんない。ユーナがいないと無理」
「十の子どもじゃないのよ、リヒト。ねぇ、リヒトール・ハイレン! あなたは立派な大人で、この国の筆頭魔術師なの。わたしが隣にいなくても立派にお仕事ができること、わたしは知ってるわよ」
「ユーナが隣にいないなんて、そんなの仮定でもやめてくれ。ユーナがいないと生きていけない……」
甘えん坊でヘタレな夫の泣き言に、ユーナは困り果てた。普段なら聞き分けるリヒトールが、なぜか今日に限ってゴネたおすのだ。
「ちゃんと見てるわよ」
「やだ! なんで隣じゃダメなの」
大きな子どもを宥めている気分になっていたユーナに、救いの手が差し伸べられた。強制とも言う。
「もう式典のために観客が入ります! お願いですから聞き入れてください筆頭様!」
「〝筆頭様〟は私が連れて行きましょう。さぁ、どうぞあちらへ!」
筆頭魔術師の醜態を隠したい王宮の面々が、業を煮やしてユーナを引き剥がしにきたのである。ありがたい救いの手に、ユーナは乗った。「頑張ったらあとでご褒美あげるから」と、子どもの頃から幾度となく繰り返したセリフに、さすがのリヒトールも折れた。ユーナは今夜の睡眠と引き換えに、一時の平穏を手に入れるはずだった。
リヒトールからユーナを引き剥がした役人たちだって、まさかあんなことになるとは思いもしなかったのだ。
◇
ドレスアップしたユーナの可愛さに、リヒトールは不安になった。ユーナはこんなに可愛いのだ。ときめく人は大量にいるはずだ。隣にで立って夫であるアピールをするのは必要なことではないか。隣に立たなければ、ユーナが纏っているのがリヒトールの色だとわからないではないか。
そう思えば思うほどに不安に駆られる。こんなことは今までなかった。いや、一度だけあったか。そう、魔力暴走を起こしたあの時である。
リヒトールは自信がない。いくら強くなろうが、地位が高くなろうが、リヒトールは変わらない。ユーナがいないと立っていられないし、手を繋がないと頑張れない。ユーナと離れて魔術学校に通えていたのは、我ながら奇跡でしかない。
リヒトールの力がユーナによって吸われたのは、もしかしたら自分が望んだせいではないかとリヒトールは思う。ユーナに隣にいて欲しい浅ましい自分の気持ちが、呪いのようにユーナに襲いかかったのではないかとすら思う。
でも、手放せないのだ。ユーナは、ユーナだけは手放せない。いなくなったら生きていけない。リヒトールにとってユーナは唯一である。ユーナがいるからリヒトールは存在するし、ユーナより先に死ぬつもりもない。なぜなら、リヒトールからユーナを奪う人物が現れるかもしれないからだ。
(我ながらここまで不安定になるのはおかしい。何故だろう、なんでこんなにユーナから離れるのが怖いのか)
嫌だ嫌だと駄々を捏ねたが、ユーナに説き伏せられてその手を離したリヒトールは、じわじわと身を満たす不安感に焦れた。今日は式典だからと前髪を上げさせられているので、ぎゅっと寄った眉が目立つだろう。
とにかく早く終わらせよう。ユーナは貴族席の末端で式典を見ると言う。新人の四級魔術師が二人、警護についてくれると言うから安心していいはずなのに、なんだか一向に安心できない。ユーナにかけていた護衛術は、王城に入る時に解消させられた。なにかあっては遅いと訴えたのに、誰も彼もが安心していいと言うのは何故だ。あんなに可愛いユーナになにかあったらどうしてくれるのだ。
「目の前に誰よりも信頼する筆頭魔術師様がいるのに、なにかが起こるわけないよ、リヒトール」
あなたがいるから大丈夫だと笑うユーナに、結局折れたのはリヒトールだ。王国だってユーナの重要性は重々承知しているはずなので、彼女の警備は万全であるはずなのだ。
大丈夫だと、リヒトールは自分に言い聞かせた。
それなのに。
リヒトールの目の前で、ユーナの胸に赤い華が咲いた。
◇
鮮血をまき散らして倒れるユーナに、リヒトールは目を見開いた。だが、その瞬間にユーナを始点としてあたりが凍り付き、またそれと同時にユーナの胸から噴き出した血液が消えた。
そう、消えたのだ。リヒトールが魔力を暴走させるよりも早く、まるでなにもなかったかのように、ユーナの傷は消えた。治癒術というより、時を操るような魔術だった。
リヒトールは基本魔術である四大魔法は得意だ。火・水・風・土。それに加えて氷と雷、そして治癒術を操れる。だが、そんなリヒトールですら、時を操るのは無理なのだ。学校では、それを操れた魔術師は過去に一人しかいなかったと学んだ。
とすると、あれは治癒なのだろうか。だが、治癒では血液は消えたりしない。氷に守られるような位置にいるユーナは傷一つないし、また血痕すら見当たらない。
その混乱が、リヒトールの魔力暴走を抑えたともいえる。でも、なにより彼を押さえたのは、胸元を押さえ、しりもちをついたユーナが、びっくりしたように目を瞬いているせいだ。いつもと変わらぬその表情が、リヒトールの理性を引き起こす。
「なんだ! なぜ凍った!」
右手に小さな短剣を握り締めた魔術師が叫ぶ。ユーナの横にいるその男は、四級魔術師のローブを羽織っていた。ユーナの護衛に名乗りを上げた一人である。名前は知らない。リヒトールが興味を持つのはユーナと、彼に関わる一握りの人間だけだ。
彼は、凍り付いた下半身を溶かそうと躍起になっていた。短剣を持つ右手も凍り付いているが、彼以外の人間は足元が凍っているだけなので、リヒトールには最愛のユーナを害そうとしたのがこの男だとわかった。事実、反対側にいるもう一人の四級魔術師は、足首までしか凍ってはいない。
「おまえか」
地獄から響くような声が出た。ユーナが慌てたように立ち上がるのが見えたが、リヒトールが地面を蹴るほうが早かった。風魔法の力を借りて、一足飛びでユーナと男の下に移動する。
「ひっ」
「ユーナに手を出したのはおまえか」
指の一本すら触れていないのに、漏れ出る魔力で男が持つ短剣が塵芥と化した。真っ青を通り越して紙のように白く顔色を変えた男は、リヒトールから距離を取ろうとしたのか、後ろへのけぞる。動けなかったのは、腰から下が強固に凍り付いているからだ。
ひょう、と風が巻いた。リヒトールに理性が残っているので、風は男の周りだけを囲む。
「死にたいなら先に言えよ。いくらでも殺してあげるから。ユーナを巻き込むな」
「ちっ、ちが……!」
「なにが違うの、違わないよね?」
「待ってリヒト!」
歯の根も合わないくらいに震える男にうっそりと嗤って見せた時、リヒトールの背後でユーナが叫んだ。ぴたりと表情すら収めて、リヒトールは振り向いた。
「なぁに、ユーナ」
「こっちへ来て」
「はぁい」
先ほどの殺気は夢だったかと思うような笑顔で、リヒトールはユーナに対面した。自分を抱きしめようとするリヒトールの胸元を、ユーナはつかむ。
「あぃた!」
前髪を上げて珍しく露出しているリヒトールの額に、ユーナのデコピンがさく裂した。一般人のユーナの力だ、それほど痛くはないだろう。だが、お仕置きとして必要なことだった。ユーナが絡むと、リヒトールはすぐに暴走する。
「痛いよ、ユーナ」
「よく見て。まずあなたがすることは、無実のまわりの人の氷を溶かすことでしょう」
「溶かすのはいいけど、これ、俺がやったんじゃないよ? 勝手に溶かしていいの?」
ユーナはこの状況を、リヒトールの仕業だと思っていた。過保護に過保護を極めるリヒトールだ。護衛術を解かされたとしても、自分を守るためになにをしているかわからない。だから、斬られたと思った傷が瞬時にふさがったのも、それと同時に自分以外が凍り付いたのも、リヒトールの仕業だと思い込んでいたのだが──違ったというのか。
「リヒトじゃないの?」
「うん。うーんと、うん? あれ?」
展開された魔術の痕跡をたどるリヒトールは首を傾げた。ユーナは魔術が使えない。リヒトールの魔力を身体に収めるが、それを使うことはユーナにはできない。なぜなら、それはリヒトールの魔力だからだ。リヒトールとしては使ってくれて構わないのだが、使えないのだから仕方ない。
だがどうだろう。ユーナの中にあるリヒトールの魔力が減っている。そして、魔力は自分のものなのに、違う人物の痕跡がそれに乗っているのだ。他人の魔力を使うことはできないのに、誰かがリヒトールの魔力を使ってユーナを守った。
ユーナの中にいる、誰か。ユーナの胎に宿る、誰か。
「え、え? ほんとに? ユーナ?」
「なに、どうしたのリヒト! なにかあったの?」
焦るリヒトールに、ユーナもまた焦った。ユーナの背後で巻き込まれた立場の新人魔術師が顔を引き攣らせているのだが、その姿はリヒトールの目には入っていなかった。
リヒトールは目の前で不安な表情をする最愛の人を見た。どうしよう、嬉しすぎる。本当に?
でも、間違いないのだ。だって魔力から伝わるそれは夢ではないと、リヒトールに告げている。
「ありがとうユーナ!!」
「はぁ⁉︎」
状況が把握しきれていないユーナは、満面の笑みで抱き着いてくる夫に混乱した。なにがどうしてこうなったのだ。ついさっきまで、ユーナを害そうとしたそこの男に殺気を向けていなかっただろうか。無事でいてくれてありがとうと、そういうことだろうか。
混乱のさなかにいるユーナを大切そうに抱き上げると、リヒトールは凍り付いた犯人以外の氷を溶かした。他にも共犯者がいるかもしれないが、隣に自分がいるのだからユーナが害されるはずもない。
あっけにとられる観衆をよそに、リヒトールは先ほどまで自分の隣に立っていた塔主ターレン・ファムル翁の元へと足を運んだ。もう式典のことなど忘れ去ったリヒトールだったが、犯人の尋問のことだけは忘れていなかったからだ。一刻も早く塔の部屋でユーナの無事をたしかめつつ、この喜びを分かち合いたかったが、後始末を頼んでいかなければ面倒だとリヒトールは知っていた。
「先生」
リヒトールは、魔術塔の中でターレン・ファムル翁のことだけは尊敬していた。自分を導くのはユーナだったが、この老魔術師もまた、リヒトールに真摯に向き合い、彼を伸ばすのを助けてきた人物だったからだ。
「俺、あいつだけは許さないんですけど、今はユーナが優先なので、閉じ込めといてください」
「リヒトール……」
ため息をつくターレンに、けれどもリヒトールは容赦しなかった。
「先生」
「わかったわかった! だから魔術を展開しようとするな! 危なくてしょうがないわい!」
どうして教えてもいない脅し方も一級品なんだとぼやく師へ、リヒトールはにこっと笑って見せた。ユーナの前以外ではあまり笑わないリヒトールの笑みに、ターレンは面倒ごとを押し付けられたことを悟る。リヒトールはしばらく塔の部屋にこもる気だろうし、また、容赦なく断罪をするための下準備をお願いしたいということだろう。
言葉のない要望を感じ取ったターレンは、めんどくさそうに手を振ってリヒトールを追いやった。この危険人物をここにとどめておくのは望ましくない。王族も、貴族も、民衆もみているのだ。大騒ぎになるだろうのは目に見えているのに、それに新たな燃料を投下する気はない。
「ありがとう先生」
存外に素直なところを見せると、ユーナを抱えたままリヒトールはすたすたと歩きだした。得意な風魔法を使って重さを変えているのだろうとユーナは思ったが、口には出さなかった。リヒトールは頑固なのだ。ユーナのお願いはたいてい叶えてくれるけれど、彼女の安全や彼から離れることだけは頑として許してはくれない。現に危険にさらされた直後だ。刺激するのは正解ではない。
黙って退場する筆頭魔術師に文句をつける者も、疑問を呈する者もいなかった。それくらいに目の前で起こったことは衝撃的だったし、また見せつけられた実力──実際はリヒトールの魔術ではなかったが、観客からしたら一緒のことだ──におびえていた。
『筆頭様の筆頭様には手を出すな』
そのルールが魔術塔を飛び出し、王国全体に広がった瞬間だった。
◇
筆頭様の筆頭様殺害未遂事件は、目撃者多数であっという間に広がっていった。筆頭魔術師リヒトールの強さと怖さは国内外に改めて鳴り響いたし、また彼の最愛の妻に手を出すとこうなるという、いい例となった。
現行犯で取り押さえられた四級魔術師クオン・タイラーは、しばらくののちに極刑となった。表向きは国の式典を乱し、王族貴族民衆すべてを害そうとしたということだったが、まぁあの人が許さなかったのだろうな、と誰もが口には出さなかったがそう思った。彼の実家が男爵への降爵のみで許されたのは、ひとえに〝筆頭様〟の口添えがあったからだと、もっぱらの噂である。
魔術塔にこもりっきりのユーナの耳には、一連の出来事は端的にしか入ってこない。情報統制されているのだとわかっているので、彼女は必要以上に罰を与えないようお願いするしかできなかった。それもかなえられたかまでは確認できていない。リヒトールに訊いたとしても、彼は興味のない出来事にはものすごく淡白なので、何の情報も出てこないだろう。
そんなリヒトールは、現在ユーナと、ユーナのお腹の中にいる新しい命に夢中だ。
「君は生まれる前から親孝行で、優秀な子だねぇ。ユーナに似たんだねぇ」
「なぜわたし似になるのよ。あれだけの魔術を生まれる前から使えるなら、どう考えたってリヒト似でしょう」
「ユーナの命を守って、且つ俺の暴走を止めてくれるなんて、親孝行だと思わない? 早く会いたいなぁ。あとどれくらいで会えるだろう。あ、でも無理に成長して出てきちゃ駄目だからね。ちゃんと成長過程を踏んでから出てきてね」
時を操る可能性のある子どもである。お腹の中で無理に成長してもらっては困ると、リヒトールは慌てて言葉を重ねた。生まれたら全力で愛そう。自分の中での最優先はユーナだけれど、それと同じくらいに大切な存在になるはずだ。
筆頭様の筆頭様が増えるのは、あともう少し。
ユーナの出産に合わせて、魔術塔に魔術師たちの家族も住めるように変わっていきました。これには女性魔術師たちがことさら喜んだとか。
クオン君の実家は没落寸前まで追い込まれていますが、縁戚であるサルバドール侯爵家は無事です。表立っては動いていなかったので。ですが、動こうとしていた侯爵夫人は社交界に出れない状況にさせられたようです。デライラ嬢は無事。
タイトルだけ降ってきて放置していた作品ですが、手を付けたらヘタレヤンデレが降臨したのはびっくりです。寂しがり屋すぎて、最終的に子どもまで引き寄せたリヒトールの明日に幸あれ。
追記:書き終わって、会話文を極力削って短編に落とし込んだ感が強かったので、連載のリハビリ作品に仕立てようかと思っています。
もし短編版を読んで気になった方は、来週から連載版をアップしようと思うので、そちらもよろしくお願いいたします。結末は同じですが、ざまぁ(という名のヤンデレの復讐)部分ははしょらずきっちり書こうかと思っています。




