8話 街の外れにて
翌朝。アリシアはノヴァリスの門をくぐり、街道を歩いていた。
夜露に濡れた土の匂いが漂い、空気はまだひんやりとしている。
太陽は昇りはじめたばかりで、街の石畳を黄金色に染めていた。
彼女はこの街に留まるつもりはなかった。
ただ、昨日の占い師の言葉が胸の奥に残っている。
――街の外れで、商人を助けなさい。
信じたわけではない。
けれど、どうしても気になってしまう。
馬鹿げていると思いながらも、足は自然と街の外れへ向かっていた。
◆
ノヴァリスの外れは、中心の活気ある通りとはまるで違っていた。
人の姿は少なく、倉庫や小屋がぽつりぽつりと並び、街道沿いには干し草の山や木材が積まれている。
前線の街に比べれば平和で、静けささえ感じられた。
だが、アリシアは胸に手を当て、静かに息を吐いた。
心臓を締めつけるような痛みが、また波のように押し寄せてきたからだ。
「……はぁ……」
人に見せるわけにはいかない。
顔にはいつも柔らかな微笑みを浮かべ、痛みを押し隠して歩みを進める。
そうやって一年間、ずっと旅を続けてきた。
◆
そのときだった。
「……っ、た、助けてくれ!」
かすかな叫び声が耳に届いた。
アリシアの身体が反射的に動く。
声のする方へ駆け出し、倉庫の影を覗き込んだ。
そこには、小さな荷車を背にした商人が座り込んでいた。
周囲を取り囲むのは五匹のゴブリン。
濁った目を光らせ、粗末な武器を手にじりじりと迫っている。
商人は棒切れを振り回して必死に抵抗していたが、恐怖で腕が震え、力になっていなかった。
「大丈夫です。今、助けますね」
アリシアは声をかけ、腰の剣を抜いた。
銀の髪が朝日にきらめき、碧い瞳に冷たい光が宿る。
◆
最初に飛びかかってきた一匹の棍棒を軽く受け流し、すれ違いざまに喉を斬り裂く。
ゴブリンは呻き声も出せずに崩れ落ちた。
残る四匹が怒声を上げて一斉に襲いかかる。
アリシアは一歩も退かず、冷静に構え直した。
二匹目が短剣を突き出す。
半歩下がってかわし、剣の腹で手首を叩き落とす。
武器を失ったその胸に、迷いなく刃を突き立てた。
三匹目と四匹目は同時に飛びかかってきた。
アリシアは身を沈めて攻撃を避け、体をひねりながら剣を横薙ぎに振るう。
二匹の身体が弧を描いて地に転がった。
最後の一匹は仲間の死に恐れをなし、叫び声を上げて背を向けた。
アリシアは追わなかった。
剣を軽く払って納め、深く息を吐く。
胸の痛みは消えていない。
だが、この程度の魔物に力を解放するまでもない。
◆
商人は呆然と立ち尽くしていたが、やがて膝をつき、震える声で言った。
「た、助かりました……! 本当に……ありがとうございます!」
アリシアは優しく微笑み、声をかけた。
「もう大丈夫ですよ。怪我はありませんか?」
「え、ええ……大丈夫です。命拾いしました……」
商人は涙を浮かべ、胸に手を当てて何度も頭を下げる。
アリシアは少し恥ずかしそうに視線を逸らしながらも、穏やかな声で続けた。
「無事でよかった。怖かったでしょう?」
「……はい。でも、あなたのおかげで……」
商人の声は震えていたが、そこに安堵の色が混じっていた。
◆
やがて商人は立ち上がり、真剣な眼差しで言った。
「どうか、お礼をさせてください。本当に、何かせずには気が済みません」
「そんな、お気持ちだけで十分ですよ」
アリシアは微笑んで首を横に振った。
けれど商人は譲らず、言葉を続ける。
「実は……私はこの街に来て、装備の修繕をお願いしようと思っていたのです。とても腕の立つ修繕屋がいると聞きまして。もしよろしければ、その方のところへご案内させてください」
「修繕屋さん……?」
アリシアは小首をかしげた。
ただの職人の話に思える。
けれど、なぜか胸の奥に小さなざわめきが広がった。
――街の外れで、商人を助けなさい。
昨日の言葉が脳裏によみがえる。
偶然にしては、あまりにも出来すぎている。
胸の痛みがまた強くなり、アリシアは思わず胸元を押さえた。
それでも表情を崩さず、柔らかな笑みを浮かべる。
「……それなら、ご一緒させてもらってもいいですか?」
そう告げる声は穏やかで、優しさに満ちていた。
痛みは消えない。
けれど、確かに何かが動き始めている――アリシアはそう感じていた。




