44話 肩慣らし
夜の祠を包む静寂の中、三人の間に張りつめた空気が流れていた。
風は止み、森の闇が息を潜める。
赤髪の魔族――レギウスは、軽く肩を回しながら小さく息をついた。
「……五百年ぶりに空気を吸った気がするな。」
月光を受けた金の瞳が、静かにアリシアを捉える。
「敵意はありませんね?」
アリシアの問いに、レギウスは口元をゆるめた。
「今のところはな。……ただ、久しぶりに体を動かしたくてな。」
その笑みには、どこか楽しげな色が混じっていた。
アリシアはわずかに警戒を強める。
「……何をする気ですか?」
「せっかく勇者が目の前にいるんだ。軽い運動に付き合ってもらおうか。」
言葉と同時に、レギウスの周囲の空気が震えた。
見えない魔力の圧が広がり、地面の砂が音もなく舞い上がる。
エルシオが思わず息を呑む。
「エルシオさん、下がってください!」
アリシアが言い終える前に、地面が弾けた。
レギウスの姿が一瞬で消え、次の瞬間、拳がアリシアの眼前に迫る。
「くっ……!」
アリシアは反射的に剣を構え、拳を受け止めた。
衝撃が腕に走る。鋭い風が頬を裂き、二人の足元の土が跳ね上がった。
「悪くねぇ動きだ。」
レギウスが口角を上げる。
「五百年も寝てた割には、勘が戻るのが早ぇ。」
アリシアは歯を食いしばり、わずかに距離を取った。
「封印されていたはずなのに、どうしてそんな力が……」
「さあな。……まぁ今の俺の実力はレベル3程度か……まぁまぁだな。」
その軽口に、アリシアの眉がわずかに動く。
「ふざけているのですか?」
「いや、むしろ真面目な方だぜ?」
アリシアは剣を掲げた。
「――《ルミナアーク》!」
金の光が走る。眩い閃光が夜を照らし、刃先に神聖な輝きが宿る。
レギウスは真正面からその一撃を受け止めた。
火花が散る。
しかし、アリシアの光が触れた瞬間――薄く、霧のように掻き消えた。
「……!? 光が……消えた……?」
「効かねぇよ。」
レギウスが拳を軽く振ると、空気が揺れる。
「俺のスキルは《魔力阻害》。魔力を纏った攻撃は、ほとんど通らねぇ。」
「魔力阻害……そんなスキルまで……」
アリシアは悔しげに唇を噛んだ。
「やめておけ。魔力を無駄にするな。
封印されてたが、力はお前とほぼ互角。スキルを使っていないお前には敵わないだろう。」
アリシアは目を細め、静かに構えを取り直した。
「……だからといって、退く理由にはなりません!」
次の瞬間、二人の足元が弾ける。
光と闇がぶつかり合い、森に衝撃波が広がる。
だが、戦いはその一瞬で止まった。
「やめてください!!」
鋭い叫びが夜を切り裂く。
祠の入口から、松明を持った村人たちが駆け寄ってきた。
「その方は……その方は敵じゃないんです!」
「お願いです、戦わないでください!」
アリシアの動きが止まる。
レギウスは魔力を収め、ふっと笑った。
「……敵じゃない、ね。お前らも面白いことをする。」
金の瞳が一瞬だけ光を宿す。
「ま、いいさ。久々に動けたしな。」
アリシアは剣を下ろし、息を整えながらレギウスを見つめた。
「……この村、一体何を隠しているの……?」
誰も答えなかった。
ただ、夜風だけが祠の周りを冷たく撫でていった。




