42話 封印
「……今の、聞こえましたか?」
小さく呟くと、隣で目を覚ましたアリシアが顔を上げる。
「声? いえ、何も。夢ではありませんか?」
「……そうかもしれません。でも、外が光って……」
二人はそっと外套を羽織り、宿を出た。
夜の空気はひんやりと冷たく、村の通りはひっそりと静まり返っている。
遠くの森の方角に、淡い青の光が揺れていた。
「……昼間の祠のあたりですね」
「行ってみましょう。」
足音を忍ばせて向かうと、木々の隙間から光が滲み、空気がかすかに震えている。
近づくにつれ、ぼんやりと人影が見えた。
祠の前で、数人の村人が集まっていた。
手には桶を持ち、その中の水が淡く輝いている。
村人たちは無言のまま、順番にその水を石壇へと注いでいた。
水が触れるたび、地面に描かれた古い紋様が淡く浮かび上がり、青白い光を放つ。
その光はやがて祠全体を包み込み、薄く脈を打つように明滅した。
「……アリシアさん、これは……?」
「これは……まさかとは思いますが、封印を解く儀式だと思われます。」
「封印を? どうしてそんな……」
「わかりません。けれど、見てください。封印の陣を囲むように、解放の陣が組まれています。そしてあの水には魔力があります。
強大な封印を少しずつ緩めるように、大量に注がれている……。」
村人たちは祈るような表情を浮かべながらも、どこか無機質だった。
光に照らされた横顔は虚ろで、まるで誰かに操られているようにも見える。
やがて最後のひとりが桶を置くと、光がゆるやかに沈んだ。
石の紋様は完全には消えず、中心にひとすじ、微かな青い筋が残る。
それはまるで、封印の“綻び”のように見えた。
村人たちは言葉ひとつ発せず、その場を離れていった。
静寂だけが残る。
「……魔族が封印されているのになぜ……?」
アリシアがぽつりと漏らす。
「まさか、村全体が……?」
「断定はできません。けれど、確かに封印が緩められました。」
エルシオは一歩前に出た。
石壇の表面には幾重もの線が走り、中央の部分だけが淡く光っている。
その光は、今にも消えそうで――けれど、確かに生きていた。
「……この模様、どこかで……」
無意識に、指先が石壇へと伸びる。
その瞬間、指先に冷たい感触が伝わった。
「待ってください、エルシオさん!」
アリシアの声が響いたが、もう遅かった。
触れた場所から一筋の光が走り、祠全体が一斉に輝いた。
ゴウッ――!
風が吹き荒れ、青白い光が夜空に柱のように立ち昇る。
地面に刻まれた紋が明滅し、空気が重く震えた。
「な、なんですか、これ……っ!」
「封印が……開いていきます!」
アリシアが前に出て、剣を構える。
祠の奥から、低く響く唸り声が漏れた。
それは長い眠りの底から、誰かが呼吸を取り戻すような音だった。
石が割れ、破片が宙に舞う。
封印の中心が裂け、そこから赤い光が滲み出す。
やがて、光の中に“人の形”が浮かび上がった。
赤い髪が闇を照らし、金色の瞳がゆっくりと開く。
空気が一変し、夜の冷たささえ遠のく。
「……外の、空気……ずいぶん薄くなったな。」
声は穏やかで、落ち着いていた。
怒りも、憎しみも感じられない。
ただ、長い眠りから目覚めた者の静かな戸惑いがそこにあった。
アリシアが剣を構えたまま、低くつぶやく。
「……封印が、完全に……解けてしまいましたね。」




