41話 呼ぶ声
朝霧が薄く漂い、村の屋根に光が差し始めた。
鳥の鳴き声が静かな空気を切り裂き、遠くで水車がゆっくりと回っている。
「昨日の光……あれ、やっぱり気になりますね」
アリシアが宿の外で小さく呟く。
剣の柄を指先でなぞりながら、森の方角へ視線を向けていた。
「行ってみましょう。何かあるなら、今のうちに確かめた方がいいです」
エルシオも頷き、ふたりは朝食を終えると村を出て森の中へ向かった。
村の背後には、古い木々が密集した小さな森があった。
踏みしめるたびに、土がわずかに湿った音を立てる。
鳥や虫の声が減り、代わりに風が木々の間を抜けていく。
その静けさが、かえって異様に感じられた。
「……ここ、少し空気が重いですね」
「ええ。何か、ただの森じゃないような……」
数分歩くと、開けた場所に出た。
そこには、苔むした石の祭壇があった。
中央には円形の紋様、そしてその周囲に黒ずんだ染み。
エルシオがしゃがみ込み、手で触れる。
「……これは、血じゃありません。でも、何かの液体が……乾いてます」
「儀式に使われた跡でしょう。しかも、この文様……」
アリシアの表情が引き締まる。
彼女は剣を背に戻し、指でその文様をなぞった。
円の内側に刻まれた古い文字が、微かに魔力を帯びて光っている。
「見覚えがあります。これ、“封印陣”です」
「封印……ですか?」
「はい。魔族を封じるために使われる古い式。けれど、この形は……少し違います。
本来なら、中心に『鎮めの宝珠』があるはずなのに、ここにはそれがない」
エルシオは周囲を見回した。
草の陰に、何かが埋まっているように見える。
手で土を払いのけると、砕けた青い石の欠片が出てきた。
「これ……ですか?」
アリシアはその欠片を受け取り、光にかざした。
淡い青の輝きが一瞬、瞳に映り込む。
「間違いありません。封印の中枢部……けれど、壊されています」
ふたりの背後で、突然枝が折れる音がした。
振り返ると、村の青年が立っていた。
昨日、彼らを案内してくれたあの青年だ。
顔色は悪く、汗を浮かべ、目だけが異様に冷たい。
「……ここで、何をしているんですか?」
「すみません。この祭壇が気になって……」
「触れてはならないんです!」
青年の声が鋭く響いた。
その反応に、アリシアは眉をひそめる。
「なぜです? この封印は……危険なもののはずです」
「危険? 違う、これは守りの儀です。村を守る神を鎮めるためのものなんです!」
青年はそう言い残すと、足早に村の方へ去っていった。
残されたふたりは、しばらくその背を見つめた。
「……守りの神、ですか」
「どう考えても、そうは見えませんね」
アリシアは欠片をそっと地面に戻し、立ち上がった。
「封印が壊れたのなら、何かが――解き放たれようとしているかもしれません」
彼女の言葉に、森の空気がわずかに震えたように感じた。
村に戻る途中、エルシオが口を開いた。
「アリシアさん、今夜もこの村に泊まりましょうか」
「理由は?」
「……気になります。あの青年の様子も、それにこの封印も。
壊れたまま放置されているのは危険ですし、“旅の途中で少し休みたい”と言えば怪しまれないと思います」
アリシアは少し考え、頷いた。
「……確かに、もう一日だけ様子を見ましょう。今のままでは、この村を離れるのが不安です」
その夜。
宿の明かりが落ち、村全体が再び静まり返る。
遠くの森の方から、かすかな声が聞こえた。
――「……だれか……」
それは風の音のように微かで、しかし確かに人の声だった。
エルシオが目を開け、闇の中で息を呑む。
同時に、窓の外で青白い光がまた一度、ちらりと瞬いた。




