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呪鎖の勇者と修繕師の眼  作者: ソルト
プロローグ
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4話 帰宅

 街の灯が見えてきたとき、エルシオは胸の奥から大きく息を吐いた。

 喉の奥に残る血の匂い。枝を握りしめた手は汗で濡れ、まだ震えが止まらない。

 ゴブリンに襲われ、死にかけた――そんな現実感のない体験を、どうにか振り払うように足を速めた。


 石畳の門をくぐると、いつもの街の喧騒が耳に戻ってくる。

 パン屋からは香ばしい匂いが流れ、行き交う人々の笑い声が聞こえる。

 それら全てが、つい先ほどまで味わっていた死の恐怖を遠ざけてくれた。



 家の扉を開けると、温かな灯りが迎えてくれる。

 石壁に反射する橙色の光が、冷えた体を包み込むようだった。


「おかえり、エル」


 テーブルに帳簿を広げていたミレナが、顔を上げて微笑む。

 四つ年上の姉。幼い頃に両親を失った自分を育ててくれた人だ。


「……ああ、ただいま」


 声が少し掠れた。

 平静を装うつもりが、胸の鼓動の速さまでは隠せない。


「随分遅かったのね。外に行ったんでしょ?」

「うん……。小屋を見てきただけさ。梁が傷んでたけど、大工に任せれば十分」


 努めて軽く答える。

 本当は、帰り道に魔物に襲われて死にかけたことを話したかった。

 けれど口を開けば、恐怖に呑まれて震えてしまいそうで――何も言えなかった。



 ミレナは帳簿を閉じ、スープ皿をテーブルに置いた。

「夕飯、冷めちゃったけど。ほら、食べなさい」

「ありがとう」


 匙を持つ手がわずかに震える。

 温かいスープが喉を通り、胃に落ちると、張りつめていた体が少しだけ緩んだ。


 ――だけど。


 頭の中では、あの瞬間が何度もよみがえる。

 ゴブリンに覆いかぶさられたとき。

 死を覚悟した一瞬。

 脳裏に焼き付いた“確信”。


 ――そこを突けば、倒れる。


 今まで道具や建物にしか効かないと思っていたスキル〈弱点看破〉。

 それが、生き物に通じた。


 ならば――人間にも?



 スープを飲み干す頃には、胸の奥のざわめきが抑えきれなくなっていた。

 目の前の姉を見つめる。

 暖かな微笑み。その姿に救われながらも、どうしても疑念を拭えない。


 確かめたい。

 けれど、もし本当に効いてしまったら――。


 心臓が早鐘を打つ。

 恐怖と好奇心がせめぎ合い、やがて恐怖を押し退けた。


 エルシオは静かに目を閉じ、スキルを発動する。



 見えるわけじゃない。

 色や線が浮かぶわけでもない。


 けれど、分かる。

 意識が自然と一か所に引き寄せられる。


 ――左足。膝。


 そこが弱い。

 突かれれば簡単に崩れる。

 そう強烈に理解できてしまった。


 息が詰まる。

 心臓を握られたような感覚。


「エル? どうしたの、ぼんやりして」


 ミレナが首を傾げて覗き込む。

 その瞬間、エルシオは慌ててスキルを解除した。


 視界に浮かんでいた“確信”が消え、目の前にはただの姉の姿だけが残る。



 思い出す。

 ミレナが幼い頃に足を怪我したことを。

 転んで大怪我を負い、何日も寝込んだ。

 その痕が今も残っているのだろう。


 〈弱点看破〉は、その古傷までも見抜いた。


 偶然ではない。

 間違いなく、人間にも作用する。


「……怖いな、これ」


 小さく漏れた呟きは、自分にしか届かない。


 この力は、人を救うことにも使えるだろう。

 だが同時に――人を傷つけるためにも使えてしまう。


 その事実が、何より恐ろしかった。

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