36話 魔法について
森の入口近く、小さな丘の上。
夕陽が沈みきるころ、アリシアは足を止めた。
「今日はここで野営にしましょう。森の中に入るのは、夜が明けてからがいいです」
「……はい。あ、火は僕が……」
エルシオが慣れない手つきで木の枝を積み上げようとするが、枝がうまく組めずに崩れ落ちる。
アリシアは小さく笑い、膝をついた。
「ふふ、もう少し枝の先を細く折るといいですよ。風が通らないと火がつきませんから」
「あっ……なるほど。こうですか?」
アリシアが火打ち石を打ち、青白い火花が散る。
少しの煙のあと、乾いた枯れ葉がやがて小さな炎を宿した。
そして数分後には、焚き火が柔らかく夜の闇を押し返していた。
エルシオは、燃える火を見つめながら静かに息をつく。
ノヴァリスを出た時から、世界は少しずつ広くなっている気がした。
目にするもの、耳にする音、どれもが新鮮だ。
「アリシアさんって、旅慣れてるんですね」
「まぁ、もう何年も放浪していますから。慣れというより、体が覚えただけです」
彼女はそう言いながら、背から剣を下ろした。
鞘に包まれた銀の刃が、焚き火の光を反射して鈍く光る。
火の粉がぱちぱちと弾ける音だけが響く。
やがてエルシオが小さく口を開いた。
「アリシアさん……少し、聞いてもいいですか?」
「もちろん。何でもどうぞ」
「魔法って、どうやって使うんですか?」
アリシアは少し驚いたように眉を上げ、やがて微笑む。
「魔法ですか。……説明するのは少し難しいですが、魔法は“魔力を形にする力”です。
誰にでも扱える可能性はありますが、コントロールが難しい。
魔力が多ければ強力な魔法を放てますが、扱いきれなければ自分が傷つくこともあります」
そう言って、アリシアは焚き火に向かって手をかざす。
指先から淡い光が広がり、火の中に一瞬だけ花のような模様が咲いた。
「今のも、魔法ですか?」
「ええ。火の魔力を少し操っただけ。……魔法は、訓練すればある程度は誰でも使えます」
エルシオは感嘆の息を漏らす。
神秘的な光が彼女の指先に消えると、再び焚き火の赤が夜を染めた。
「魔法には六つの属性があります。火、水、風、土、光、そして闇。
それぞれに性質があり、得意不得意もあります」
アリシアの声が、焚き火の音に溶けていく。
「火は破壊。水は癒やし。風は速度と切断。土は防御。
そして、光と闇――この二つだけは少し特別なんです」
「特別……?」
アリシアはこくりと頷く。
焚き火の炎が揺れ、彼女の瞳の奥で金色に反射した。
「光の魔法は、“物体に力を宿す”ことができます。
たとえば、剣に力を与え、切れ味や耐久を高める。盾に加護を与え、防御を上げる。
物に宿すことで効果を発揮する、いわば“器を強化する魔法”です」
アリシアは自分の剣を少し抜き、刃の根元に光を纏わせる。
まるで命を得たように、剣が淡く脈動した。
「……すごい。まるで生きてるみたいですね」
「ふふ。ですが光魔法はあくまで“器”に宿るだけ。
“魔法そのもの”に宿すことはできません。
だから、火球に光を混ぜたりはできないんです」
「じゃあ、闇の魔法は……?」
アリシアは少しだけ表情を引き締めた。
「闇は、その逆です。
“魔法そのもの”に干渉できます。
たとえば火球を闇で包めば、燃えながらも影を生み、光を奪う炎になる。
魔法をねじ曲げ、変質させることができるんです」
「つまり……光は形あるものに、闇は形のないものに?」
「そう。光は“物”を守り、闇は“魔”を侵す。
この二つは正反対の存在でありながら、互いを必要としています。
世界の均衡は、常にその狭間にあるのです」
エルシオは静かに息を飲んだ。
焚き火の赤が彼の瞳に映り、火の粉がゆらゆらと空へ消えていく。
「……アリシアさんの光の魔法は、すごく綺麗です」
「ありがとうございます。でも、綺麗なのは今だけです」
アリシアの声が少しだけ沈んだ。
火が小さくなり、風が冷たくなる。
「光は、いつか必ず闇に飲まれます。
それでも私たちは、光を求める。……それが、この世界の理です。」
その言葉は、夜の静寂に溶けていった。
炎がゆらめき、木々の影が揺れる。
エルシオは黙ってうなずき、再び焚き火を見つめた。
世界は、思っていたよりも広くて、複雑で、美しい。
そう感じながら、彼は静かに目を閉じた。




