34話 報告と、蠢く影
森を抜け、アルディナの街門が見えたころには、空はすっかり白んでいた。
戦いの余韻がまだ肌に残っている。焦げた匂い、焼けた草の感触、そして――魔族の声。
門の前では警備兵が慌ただしく行き来していた。
アリシアの姿を見つけた兵士が駆け寄り、驚いたように声を上げた。
「無事だったのか! 森の方で光が見えて、爆音まで聞こえたぞ!」
「はい。……少し厄介な相手に出会いました。」
その落ち着いた返答に、兵士は胸を撫で下ろしたが、眉を寄せて続けた。
「やっぱりか……最近どうも、モンスターの出現が増えてる。
街道沿いでも見たって話が絶えないんだ。」
「そうですか。」
アリシアの表情がわずかに険しくなる。
彼女の隣で、エルシオは黙って頷いた。
門を抜けると、街の喧騒が広がる。
石畳を歩く人々、屋台の呼び声、荷車を押す商人たち――いつもの光景。
だが、二人の胸の奥には、拭えない違和感が残っていた。
「……ギルドへ行きましょう。」
アリシアが静かに言う。
エルシオも頷き、二人は街の中央にある冒険者ギルドへと向かった。
建物の中は、昼間にもかかわらず人の声で賑わっていた。
依頼の掲示板を取り囲む者、報告を終えて酒を煽る者。
どの顔にも疲れと緊張が滲んでいる。
受付に並び、順番を待っていると、後ろから聞こえてきた会話が耳に入る。
「北の森でモンスターが暴れてるらしいぞ。」
「それだけじゃねぇ。喋ったって話だ。」
「まさか、魔族ってやつか?」
エルシオは眉をひそめた。
アリシアは何も言わず、前を見たままだ。
やがて順番が回り、受付で森での戦闘を報告する。
対応した女性職員は真剣な顔つきで記録を取りながら、時折小さく頷いた。
「……黒い魔力を纏ったオーク、ですか。」
「はい。そして人語を話していました。」
アリシアが答えると、職員の表情が固まった。
羽根ペンの動きが止まり、声を潜める。
「実は……ここ数日、似たような報告が届いているんです。
喋る魔物、異様に高い魔力を持つ個体……どれも通常のモンスターとは思えません。」
「……やはり。」
アリシアの声が低くなる。
職員は一瞬ためらった後、さらに小声で続けた。
「一年前、勇者が魔王を討伐して以来、こういう騒動はからっきしだったのですが、最近になって、また動きがあるようです。」
その瞬間、背後から低く通る声が響いた。
「……“動き”どころではない。各地で異変が起きている。」
二人が振り向くと、そこに立っていたのは筋骨たくましい中年の男だった。
鋭い眼光に、長年の戦場を生き抜いた者の重みがある。
ギルドマスターの徽章が胸元で光っていた。
「……ギルドマスター。」
アリシアが軽く頭を下げる。
「報告は聞いた。森で黒い魔力を操るオーク……いや、正確には魔族の憑依体だな。」
「……」
マスターは顎に手を当てて唸る。
「最近、各地のギルドからも同様の報告が上がっている。
人を襲うだけでなく、会話し、目的を持って動いているようだ。」
エルシオが小さく問う。
「……目的、ですか?」
マスターの視線が二人を捉えた。
「“勇者を探している”という話がある。」
アリシアの肩がわずかに動いた。
沈黙が流れる。
マスターはそれ以上追及せず、低く言葉を継いだ。
「魔王が倒れてから一年経つ。しかし奴らの支配は完全には終わっていなかったのかもしれん。北では、魔物の出現や魔力濃度が急激に上がっているとの報告もある。」
「……再び、世界が変わり始めているということですね。」
アリシアの声は穏やかだが、瞳の奥に静かな炎が宿っていた。
「情報が確かになるまで、ギルドとしては警戒を続ける。
しばらくは街の外に出るなと言いたいところだが……
君たちのような者を止めても無駄だろう。」
マスターの言葉に、アリシアは微笑を浮かべた。
「ありがとうございます。気をつけて動きます。」
報告を終え、二人はギルドを後にした。
外に出ると、空は茜色に染まり始めていた。
通りを行き交う人々の声が、いつもより少しだけ遠くに聞こえる。
エルシオは夕陽を見上げながら、そっと呟いた。
「……勇者を探している、か。」
アリシアは立ち止まり、柔らかく微笑んだ。
「大丈夫です。探させておきましょう。――今は、まだ。」
その声には、確かな覚悟があった。
そして風が吹き抜ける。
街の喧騒の中、どこか遠くで鐘が鳴った。
新しい闇が、静かに幕を上げようとしていた。




