33話 静けさの中で
戦いの終わった森は、どこまでも静かだった。
朝靄はすでに晴れ、木々の葉からこぼれる露が光を反射している。
あれほど荒れた地面にも、すでに小鳥たちの声が戻っていた。
アリシアは鞘に収めた剣を背に回し、深く息を吐いた。
胸の奥でまだ、微かに震える。
それは恐怖ではない。――戦いの名残、そして、魔族の気配の記憶。
隣を歩くエルシオは、ほとんど言葉を発さなかった。
焦げた木々の間を歩く彼の靴音だけが、やけに鮮明に響く。
「……街に戻りましょう。」
「はい。」
二人は並んで森を抜けた。
朝の光が強くなり、緑のトンネルを照らす。
その光の中で、エルシオの表情はどこか沈んで見えた。
やがて街の石畳が見え始める。
ノヴァリスの門番が彼らを見つけ、驚いたように駆け寄ってきた。
「おい、二人とも無事だったのか! 森の方から爆音が聞こえたぞ!」
「……少し、魔物に遭遇しました。でも、もう心配はありません。」
アリシアが静かに答えると、兵士は胸をなでおろした。
だが、エルシオはその会話のあいだもずっと無言だった。
視線は地面に落ち、拳を握りしめている。
街に入ると、活気のある声が戻ってきた。
露店の呼び込み、子どもの笑い声、焼き立てのパンの香り。
すべてがいつも通り――それが、逆に彼の胸を締めつけた。
(……俺は、何もできなかった。)
あの時、アリシアが戦っていた間、自分はただ見ているだけだった。
スキルを使おうとしても、魔力の渦に呑まれて視えなかった。
結局、助けられることも、守れることもできなかった。
ふと、前を歩くアリシアが足を止めた。
彼女は振り返り、穏やかに微笑む。
「……顔に出ていますよ、エルシオさん。」
「え?」
「少し、自分を責めているような顔をしていました。」
エルシオは思わず目を伏せた。
アリシアは優しく続ける。
「戦いというのは、誰にでもできることではありません。
それに、あなたは戦わずに“見抜く”。――それがあなたの強さです。」
その言葉は、慰めではなく、本心だった。
だが、エルシオの胸の奥では、別の感情が燃えていた。
(それでも……)
自分の力で、彼女を守りたい。
ただスキルを使うだけじゃなく、
あの光の中に立つ彼女と“並んで立てる”自分になりたい。
「……僕、強くなりたいです。」
小さな声だった。
けれど、それは確かに“決意”の響きを持っていた。
アリシアは少し驚いたように目を瞬かせたあと、
静かに頷いた。
「……いい言葉ですね。
なら、少しずつ教えてあげます。剣でも、体の使い方でも。」
「えっ……アリシアさんが?」
「ええ。旅の途中、時間があるときにでも。」
彼女は微笑んだ。
その笑みは陽だまりのように温かく、
戦いの記憶を静かに包み込んだ。
エルシオの胸に、ほんの少し希望が灯った。
それはまだ弱い光だったけれど、確かに消えない火だった。
風が吹く。
街の鐘が鳴る。
新しい一日が始まる音が、彼らの背を押していた。
――二人の旅は、まだ始まったばかりだった。




