32話 朝露の裂け目
戦いの熱が、森を包んでいた。
光と闇のぶつかり合いが終わるたびに、土は抉れ、木々が裂け、焦げた匂いが立ち込める。
黒炎が地面を這い、まだ燻っている。
その中心に、アリシアとオークが対峙していた。
息が白く揺れる。
朝靄の中で、二人の輪郭がゆらゆらと溶けて見えた。
オークの体を包む黒い魔力が、少しずつ薄れていく。
闇の圧が緩み、空気が動き出す。
アリシアは剣を構えたまま、呼吸を整えた。
「……魔力の流れが弱まっています。」
その声は落ち着いていたが、警戒は解かれていない。
敵が完全に力を失うまで、一瞬の油断も許されない。
オークは膝をつき、荒い息を吐いた。
黒い蒸気が口元から漏れ、焦げたような匂いを残して消える。
その姿は、もはや戦士というより、ただの壊れた器だった。
エルシオは、少し離れた位置からその様子を見つめていた。
(……今なら、視えるかもしれない。)
息を整え、静かに目を閉じる。
そして――スキルを発動した。
視界が変わる。
世界が淡く光を帯び、色の奥に潜む「構造」が見える。
それは人でも物でも同じ、“欠け”の在処。
オークの輪郭の中に、ひとつだけ鮮やかな“光の点”があった。
胸の奥――心臓の少し下。
そこに、ひび割れたような歪みが見える。
(あそこだ……!)
エルシオは息を呑んだ。
けれど、その声を発するより早く、アリシアが一歩前へ踏み出していた。
「終わりです。」
剣が朝の光を受けて輝いた。
刹那、空気が震える。
アリシアの動きは目で追えないほど速く、
白い軌跡が一直線に走った。
金属が軋む音。
闇が裂ける音。
光が貫く瞬間、オークの胸から黒い霧が噴き上がる。
オークの巨体が、ゆっくりと後ろに倒れた。
地面が震え、静寂が戻る。
焦げた風の中、アリシアは剣を下ろした。
白光が収まり、刃が元の銀色に戻る。
「……終わりましたね。」
アリシアの声は穏やかだった。
だが、エルシオはまだ目を逸らせなかった。
倒れたオークの身体から、黒い煙が漏れ出している。
――その煙の中に、“声”があった。
低く、嗄れた、だが確かに意志を持つ声。
《クク……さすがは勇者。》
空気が凍りつく。
アリシアの目が鋭くなる。
《だが……その力も……昔ほどではないな。》
黒煙が蠢き、オークの体から離れていく。
その姿は風に流され、朝の光の中に溶けていった。
《次は……本体が相手をしてやろう。
我らが魔王様に、貴様の残り火を捧げるためにな……。》
その声が途切れた瞬間、
オークの体が完全に崩れ落ちた。
灰が舞い、風がそれをさらっていく。
静寂。
ただ、鳥のさえずりが戻ってきた。
アリシアはしばらくその灰を見つめていたが、やがて剣を鞘に収めた。
「……魔王……。」
その声は静かだが、どこか悔しさが滲んでいた。
エルシオは黙って頷く。
彼の視界には、さっきまで見えていた“ひび”の残光が、まだかすかに揺らめいていた。
朝靄が薄れ、森の緑が露わになる。
夜明けの光が二人を包み、
戦いの余韻だけが、静かにその場に残った。




