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呪鎖の勇者と修繕師の眼  作者: ソルト
プロローグ
19/47

19話 旅立ちの朝

夜のノヴァリスは、しんと静まり返っていた。

 昼間の喧騒が嘘のように消え、通りには風の音だけが響いている。

 街灯がひとつ、またひとつと消えていくたびに、夜が少しずつ深まっていった。


 エルシオは修繕組合の事務所で、最後の確認を終えた。

 依頼の引き継ぎも済み、帳簿を閉じる。

 短く息を吐くと、胸の奥で何かが区切られたような気がした。


 明日からは、修繕屋ではなく“旅の仲間”として歩く。

 それがどんな旅になるのか、彼にはまだ想像もつかない。

 けれど、決めた以上――迷いはなかった。


 夜風にあたりながら家へ帰る道すがら、ふと空を見上げた。

 星がいくつも瞬いていて、その中に流星がひとすじ走る。

 それを見た瞬間、自然と浮かんだのは、あの言葉だった。


 ──「この“鎖”を……解く旅に、私と一緒に来てほしいんです。」


 アリシアの声が、耳の奥で何度も響く。

 あの真剣な瞳を思い出すだけで、胸の奥が熱くなる。


「……断れるわけ、ないよな」


 小さく呟くと、自分でも驚くほど穏やかな声が出た。

 剣も盾も持たない自分が、戦いに向かうなんておかしい。

 けれど――彼女を放っておくことだけはできなかった。



 翌朝。

 まだ夜明け前の淡い光が、窓の隙間から差し込んでいた。

 エルシオは自然と目を覚ました。

 昨日のうちに荷物の準備は済ませてある。

 今日はもう、出発するだけだ。


 部屋を出ると、パンの香ばしい匂いが漂ってきた。

 キッチンではミレナが朝食の支度をしている。


「おはよう、エル。……思った通り、早いわね」

「姉さんこそ。早起きしてくれてたんだ、ありがとう」

「当たり前でしょ。……弟の旅立ちの日なんだから」


 ミレナはふっと微笑み、湯気を立てるスープをテーブルに置いた。

 椅子に腰を下ろし、二人で向かい合う。

 いつも通りの光景のはずなのに、どこか少し違って見えた。


「本当に行くのね」

「うん。決めたよ」

「そう。……なら、何も言わない。止めても聞かないでしょ」


 ミレナは軽く笑い、カップを手に取った。

 その笑顔の奥には、寂しさと誇りが入り混じっていた。


「ねえ、占ってみようか?」

「え?」

「旅の運勢でも。……家族割で金貨一枚ね」


 エルシオは思わず吹き出した。

「姉さん、それ家族に優しくない割引だよ」

 二人の間に柔らかな笑いが広がる。


 けれど、笑いが収まると同時に、ミレナの声が少しだけ低くなった。


「冗談はさておき……。占ってみようか、本当に」


 エルシオは静かに首を振った。

「ありがとう。でも、やめておくよ。

 自分で決めたことだから――占いに頼ったら、逃げるみたいでさ」


 ミレナは目を細め、少しだけ頷いた。

「……分かった。じゃあ、せめてアドバイスだけ。

 “何かを見ても、恐れないこと”。

 あなたのスキルは“見抜く力”だけど、ときどきそれは怖い真実を映すこともある。

 でも、それを見ないふりをしたら、何も変わらないわ」


 エルシオは短く息を呑み、真剣な眼差しで姉を見た。

「……うん。覚えておくよ」



 出発の準備を整え、玄関に立つ。

 扉の向こうはまだ薄暗く、街の輪郭がぼんやり霞んでいる。


「気をつけてね、エル」

「うん。行ってくる」


 ミレナは小さく微笑み、手を振った。

 その仕草がどこかぎこちなく見えたのは、別れを隠していたからだろう。


 扉を開けると、冷たい朝の風が頬を撫でた。

 息を吸い込み、エルシオは街の門へと歩き出す。


 ノヴァリスの石畳が淡い光を反射し、遠くで鳥の鳴き声が聞こえた。

 街の外れ――そこには、待ち人の姿があった。


 銀の髪が朝日を受け、静かに揺れる。

 アリシアが立っていた。

 微笑みながら、まっすぐこちらを見ている。


「おはようございます、エルシオさん」

「おはようございます。……待たせましたか?」

「いいえ。ちょうど今、来たところです」


 二人は短く頷き合う。

 それだけで十分だった。


 ノヴァリスの門がゆっくりと開く。

 霧の向こうに、見たことのない世界が広がっている。

 エルシオは肩の鞄を軽く握り直し、足を踏み出した。


 彼の旅は、今日から始まる。

 そして、アリシアの“鎖”を解く物語も――。

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