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呪鎖の勇者と修繕師の眼  作者: ソルト
プロローグ
11/47

11話 言うべきか、黙すべきか

 刃に走る微細な筋を、光の角度を変えながら追いかける。

 鉄の匂い、油の匂い、磨かれた木台の手触り。

 この工房の、いつもの落ち着く気配――なのに胸の奥だけが騒がしかった。


 さっき視えてしまった。

 心臓の奥から四方へ伸びる、細く冷たい影。

 道具の疲労とは異質の、絡みつく“呪い”。


 机の向こうで、彼女――アリシアは静かに座っている。

 背筋を伸ばし、膝に手を置き、邪魔にならないよう気を配る仕草。

 表情はやわらかいのに、瞳の奥だけがどこか遠く、淡い痛みを隠しているように見えた。


(今、言うべきか?)


 喉がひりつく。

 〈弱点看破〉は、家や梁や金具のための目だ。

 人に向けるつもりはなかった。向けてはいけないと思っていた。

 けれど、視えてしまったものを、何も無かったように机の引き出しへしまえるほど、自分は器用でもない。


 言葉が、唇の裏で何度も形になってはほどける。

 「あなたの胸に鎖のような影が視える」――そんな風に告げたら、彼女はどんな顔をするだろう。

 驚くだろうか、怯えるだろうか。

 それとも、救いを求めるように縋ってくるだろうか。

 どれであっても、軽率に踏み込む権利を僕は持っていない。


 それでも、黙っていることが正しいのか。

 迷いは、刃の映す自分の瞳をさらに揺らがせた。


 工具を置き、意を決して顔を上げる。


「……あの」


 声が掠れた。咳払いをひとつ。

 アリシアが小首をかしげ、碧眼がまっすぐこちらを見る。

 澄んだ色。混じりけの無い、けれど底に微かな影を宿した色。


「……あの、体の調子は……どうですか?」


 一拍。

 彼女の睫毛が、ごくわずかに震えた。

 驚き――の微かな気配。

 すぐに、いつもの柔らかな微笑みがその揺らぎを覆い隠す。


「ええ。大丈夫ですよ。少し、疲れやすいだけで」


 大丈夫、という言葉は軽い。

 けれどその言い方は、痛みの重さを知る者の、やさしい嘘の手触りをしていた。


 胸がきゅ、と縮む。

 やはり、何かを隠している。いや、隠さざるを得ないのだ。

 普通の冒険者が持つ剣じゃない。

彼女の剣と立ち居振る舞い、そして胸に絡む影は――どう考えても、ただの旅人には見えなかった。


「そうですか……。失礼しました。お加減が悪いように見えたので」


「お気遣い、ありがとうございます」

 アリシアはそっと頭を下げる。仕草に刺々しさはない。

 むしろ、問いかけた僕の方が救われるような、柔らかな礼だった。


(言うなら、今だ――)


 視えたものを、言葉に変えるのは難しい。

 それが“呪い”であると断じる資格が僕にあるのか。

 僕は祓い手でも、神官でもない。ただの修繕の案内人にすぎない。


 それでも、彼女がここへ来たのは――

 ふと、姉の店先に掲げられた紙の文字が脳裏をよぎる。

 「悩みはありますか? はい、と答えてください」

 あの簡素な手順が、何人も何人もの道筋を変えてきたことを知っている。

 今日、行列の中に銀の髪を見かけたと姉は言うだろうか。いや、口は固い。誰のことも軽々しく語らない。

 けれど、彼女は導かれてここへ来たのかもしれない――そんな考えが、胸のどこかで灯った。


「……アリシアさん」


 名を呼ぶと、彼女は「はい」と目を細める。

 その返事に、決意がほどけていくのを感じた。

 今告げるのは、違う。

 準備のない告白は、ただの暴露だ。武器を構えぬ相手の前に刃を投げ出すのと同じだ。


「明日の夕方には、お渡しできるよう手配いたします。柄は補強、刃の根元は微調整。長持ちするように、信頼している修理屋へ」


「ありがとうございます。とても、助かります」


 ほんの少し安堵が混じった声。

 その“少し”が、どれほどの痛みの裏側から出てくるのか想像して、唇を結ぶ。


「代金は――先ほどの商人さんから“私の分に付けておいてください”と預かっています。ご本人の装備は数日。こちらは明日の夕方、店先でお渡しを」


「わかりました。夕方に伺いますね」


 立ち上がった彼女が、軽く腰をかがめる。

 扉に手が触れる。

 開きかけたドアの隙間から、春の光が一筋差し込んだ。


 その光の中で、振り向いた彼女の横顔が一瞬だけ強張ったように見えた――気のせいだろうか。

 「体の調子」を問われたあとの、わずかな警戒心。

 あるいは、ほんの小さな期待。

 どちらと断じることもできない、細く細く揺れる糸。


「では、また明日」


「はい。また明日」


 扉が静かに閉まる。

 工房に静けさが戻った。

 僕はしばらく、その閉じた扉を見つめて立ち尽くす。



 手の中の剣が、現実へ引き戻す。

 柄の革を測り、補強に適した厚みを帳面に記す。

 刃の根元、力の受け方。噛み合わせの誤差。

 仕事の段取りを一つずつ積むほどに、胸のざわめきは逆に輪郭を得ていく。


 視えてしまったものを、どう扱うべきか。

 “弱点”は、直すために視る。

 それが僕のスキルの、そして生業の唯一の正しさだ。


 ならば人も同じか――と問う自分と、

 いや、人は違う――と首を振る自分がいる。


 もし彼女が明日も笑って「大丈夫」と言うなら。

 それでも彼女の歩みに支障が出る兆しが視えたなら。

 言葉ではなく、提案で渡すことはできるだろうか。

 「剣の握りに負担がかかっています。持ち主の心臓に近い側へ衝撃が響いている」

 事実だけを並べ、彼女自身が“気づく”余白を残す伝え方。

 姉がいつもやっている、あの不思議な導き方に少しだけ似せて。


 それでも、どこまでが職分で、どこからが出過ぎた真似か。

 帳面の行間に迷いの跡が増える。


 夜支度の鐘が遠くで鳴った。

 修理屋へ回す注文書を書き終え、封をする。

 明日までにやれることは、準備だけだ。


 机の端に、彼女の剣をそっと置く。

 刃がわずかな光を受けて、淡く息をしたように見えた。


「……また明日」


 誰にともなく呟き、灯りを落とす。

 闇の中で、四本の細い影の像だけが、まぶたの裏にしつこく残り続けた。

 言うべきか、黙すべきか。

 答えの出ない問いを抱えたまま、僕は長い夜に入っていった。

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