◇26‐2
そうして、お湯を入れたポットを乗せた台車がこちらに運ばれてきた。
まぁ、本当は私がしたいところではあるけれどこれ以上タリス夫人を怒らせるのはちょっと怖いからリーファにお茶を淹れるようお願いした。
皆さんは、新聞を見ているはずだ。紅茶の茶葉はティースプーン一杯、そして蒸らし時間は3分。台の上にあるのはふたの付いたティーポットで、3分を測るための砂時計。これで、これから出されるお詫びが何なのか分かった事だろう。
だけど、不思議に思っているはずだ。リーファは今二つのお茶を淹れている最中なのだから。けれど、ティーセットは人数分。じゃあ、そのお茶は?
「……夫人、見たところその茶葉は紅茶のようですが。淹れ方を間違っていますよ」
「そうでしょうか?」
……あーこわっ。人一人殺せるような眼光だわ。背筋が凍ってきた。ごめんねリーファ、巻き込んじゃって。
では失礼します、とリーファは淹れた紅茶を皆さんの目の前に並べた。
「えっ……」
「あ……」
その内の一人、そして私には、周りの人達とは違った柄のティーカップに、違うお茶。
彼女は焦った様子を見せた。何故、自分と彼女は違うお茶なのか。そして、周りの夫人達もその様子に困惑しているように見える。
「さぁ、どうぞ飲んでみてください。皆様に合ったお茶をご用意しましたので」
「っ……」
そして、私が一口飲んだ。うん、さすがリーファだ。とっても美味しい。
一番地位の高い私が口にしたのだから、周りの皆さんも飲まなければならない。そういうルールを作ったのは他ならぬ隣の方なのだから。
思った通り、皆さんホッとしたような様子だ。とても美味しく感じてくれたようだ。
私の目の前に座っている、同じお茶を振る舞われた夫人は、私が同じお茶を見てホッとしたようだ。そっと飲むと驚いているよう。
さ、タリス夫人はどうだろうか。そう思いつつ目を向けると……彼女は、私を冷ややかな目で見てから紅茶に目を移し、口を付けた。
「っ……」
「お口に合うかしら?」
何とも仕返しに聞こえるだろう。同じ茶葉だし。でも、これくらいいいよね?
「……とても良い腕前のようですね。ですが、最初の紅茶の淹れ方がこの国での常識ですわ」
「ですが、美味しい方が良いではありませんか。美味しく頂くのは食材に対する最大限の敬意ですから」
「……出されたものを飲まない事も敬意と言えますか?」
「あら、飲まないとは一言も言っていませんよ」
リーファが、ミルクピッチャー、ふたの付いた小さい入れ物、そしてスプーンのセットを持ってきた。小さい入れ物の中には、砂糖が入っている。最初に出してくれた渋い紅茶に、ミルクと砂糖を入れてスプーンで回す。
「それ、は……ミルクですかっ!」
「ミっミルクを入れるだなんてっ!」
そう、この世界には紅茶にミルクと砂糖を入れる常識はない。ミルクなんて子供の飲み物と思われているくらいだ。
だが、私がしたことは皆さんもしなくてはいけない。なんとも便利なルールだ。リーファが私と同じものを皆さんの前にも置いた。
渋い紅茶であっても、ミルクと砂糖を入れてしまえば何とか飲める。冷めた紅茶に冷たいミルクと砂糖。アイスミルクティーの出来上がりである。まぁ、ちゃんと淹れた方がもっと美味しいが。とはいえ、本当ならこれは飲みたくない。カフェインたっぷりだから。でも、出されたものはしょうがないし、しばらくはカフェインを摂るのはやめておこう。
「メイリス夫人はおやめくださいね」
「えっ?」
なぜ、〝私と同じお茶を出されていた〟メイリス夫人が、この紅茶を飲んでは駄目なのか。
私は、椅子から立ち上がり、彼女の方へ。そして、少し鏡彼女を見た。
「夫人は、何ヶ月でしょう?」
「あっ……4ヶ月でございます」
メイリス夫人は、今妊婦だ。それなのにカフェインを飲む? いや、ふざけるのも大概にしようよ。
「紅茶にはカフェインというものが含まれています。これではカフェインの摂りすぎになりますよ。めまいや不眠症などに繋がります。これを機に減らしてみてはいかがでしょうか」
近年、暁明王国が健康志向である事は周りの国も聞いたことがあるはずだ。なら、皆さんも信じてくれることだろう。
私はこちらに嫁いでこの国の大公妃殿下となった。なら、この国の食事事情にも貢献してみるのもいいかもしれない。私自身の危険回避が一番ではあるけれど。
「国の存続に一番重要なものは、出生率です」
「……それが何か」
「この国では、出産時に母親と赤ん坊の死亡率が高いそうですね。それに比べて、我が暁明王国はそれをはるかに下回っている」
いきなりその話を出されて、どういう事かと周りは不思議に思っているようだ。そして、隣のタリス夫人は怖い視線を送ってくる。
けれど、そんな視線は私にとって怖くもなんともない。
私は、メイリス夫人の肩に手を乗せた。
「妊婦がカフェインを摂ると、利尿効果などでつわりが悪化し貧血を起こす可能性もあります。そして、母体から胎児にカフェインが流れてしまえば、未成熟な体では排出できずに蓄積されてしまい影響が出てしまう。そうなれば、低体重で生まれてしまう可能性や、健康に影響する事もあります」
「そ、そんな……」
「じゃあ……」
「貴方がたの考え方、それによって生まれたルールは理解出来ます。ですが、立場を利用し強要する事はいただけないと私は思います。妊婦の方には紅茶ではなくカフェインの入っていないものをご用意する。上に立つ者には責任を、そして気配りや優しさを考える事も大切かと思います」
その言葉で、周りは静かになった。自分達がしてしまっていた事への反省はしてもらわないといけないし、これからどうあるべきかを考えてもらう必要もある。
これからは、強要するなんて事はさせないぞ。
そして、私は「驚かせてごめんなさいね」とメイリス夫人に一言声をかけ席に戻った。
「……確かに、国にとって出生率は重要なもの。人口減少がこれ以上加速すればいずれ経済が回らなくなる。ですが、大公妃殿下のおっしゃる事は俄かに信じがたい事です」
ほぉ、認めないとおっしゃるか。
「では、暁明の昨年の平均年齢、いくつだと思います?」
「……」
「69歳です。今の年長者は、85歳。シャレニアはいくつでしたっけ?」
周りも、それは本当なのかと言いたげだ。でもこれは事実。
「女性に歳を聞くのは失礼ではあるけれど……リーファ、あなたはいくつだったかしら」
「今年で36歳でございます」
その言葉に、周りは驚愕していた。それもそうだ、36歳にしては肌がつやつやで、まるで20代前半のように若々しいのだから。
「母国である暁明王国は人口の少ない小さな国です。ですが、それでも貿易大国と言われている理由。それは、一人一人が元気に働いてくれているからですよ」
その言葉に、タリス夫人は睨みつけていた視線を緩めた。
「……なるほど。国民からの信頼無くしては、人口の少ない国が成り立つはずがない」
「お分かりいただけましたか?」
「……えぇ。大公妃殿下のおっしゃる通りですわね。我々のしてしまった事への反省はする所存です。そして、社交界で広まっている事への対処も出来る限りすぐに行う所存です。申し訳ございませんでした」
と、立ち上がり頭を下げた。
まさかそこまでされるとは思わなかったけれど……認めてくれたのであればそれでいい。
「……ですが、社交界を管理するには飴と鞭が必要です。優しさとおっしゃいましたが、立場を持って周りを統率する事も重要。その優しさに漬け込むような者達が出てしまうなんてことはあってはなりません。ですから、それをお忘れなきよう」
「……えぇ、分かりました」
それもよく分かっている。社交界の秩序が緩めばやりたい放題となってしまうのだから、そこはわきまえなければならないところだ。
「ちなみに言うと、メイリス夫人にお出ししたお茶はルイボスティー。カフェインを含まないお茶であり、トイースト王国が産地です」
「というと、シャレニアと交流のない国ですわね」
「えぇ。そして、このルイボスティーにはアイチエイジング効果があります。肌の老化を防ぎ、質の高い睡眠も取れることでしょうね」
あら、皆さん興味津々かしら。まぁ、そうでしょうね。女性にとって嬉しい効果ばかりだもの。
「……大公妃殿下は、世の女性のためにここまでなさってくださいますのね。そんな殿下に感服いたしましたわ」
あら、タリス夫人にそんな言葉をもらえるとは思わなかったな。
「貴族の女性達の使命は、世継ぎを産む事。命懸けで世継ぎを産む事こそ、嫁いだ家を存続するためのお役目だと考えられていました。いわば、女性の戦いです」
……けれど、その満面の笑み。
何だか、嫌な予感が……
「これなら、ダルナード大公家は安泰でございますね。お世継ぎが誕生するのもそう長くない、という事でしょうか」
……ん?
「かの素晴らしい暁明王国の王族の方と、そしてシャレニア王国の軍事力を管理なさる実力者であり王族の血も受け継ぐ方の間に生まれるお子は、いわばシャレニア王国の宝も同然。そして、きっと優秀な遺伝子を持ってお産まれになられることでしょう」
「ぇ……」
「とっても楽しみですわ。ね? 皆さん?」
「そ、そうですね! 今から楽しみで仕方ありません!」
「きっと健康で優秀なお子がお生まれになる事でしょうね!」
「そうですわ!」
こ、この夫人……早口でなんて事を言うのよ……!
「大公妃殿下は女性貴族のお手本となるべき方です。お世継ぎの誕生、心待ちにしております」
お、世継ぎ……と、いうこと、は……
想像した瞬間、顔の熱がだんだん上昇していくのが分かった。いや、待って、いきなりはやめて、本当に。
「あら、いかがなさいましたか? お顔色が少々赤いようですが」
「……いえ、見間違いかと」
いや、そんなこと堂々と言われたらそうなるでしょ。やめてくれ。しかも手本ですって? じゃあさっさと世継ぎ作れってこと? いやちょっと待って、本当に。
「大公妃殿下が体調を崩されては一大事ですからね。早くお帰りになられたほうがよろしいかと」
「……そうします」
「本日は、美味しい紅茶をいただけて光栄でしたわ。また、お茶会にご招待させてください」
「……はい、招待状、お待ちしてますね」
紅茶は認めるんだ。でも……やられたな。やっぱり手強い、タリス夫人。
そうしてようやく、屋敷に戻ることが出来た。
戻れたはいいものの……頭の中はタリス夫人の言葉でぐるぐる回っている。これ、どうしたらいい……? だって、さっさと後継者作れって、大公妃は貴族女性のお手本になるべきなのだから健康で優秀な嫡男を産んでみせろって言われたって事?
タリス公爵家には、嫡男と次男がいらっしゃる。全員、タリス夫人がお腹を痛めて産んだ子供達だ。うわぁ、喧嘩売られてる?
私室のソファーで頭を抱えてしまっているけれど、とりあえず旦那様がそろそろ帰ってくるから……
「スーイラン、どうだった? 今日タリス夫人達とお茶……」
「わっ!?」
私の座るソファーの背もたれ側から、いきなりかけられたこの声に、だいぶ肩が上がってしまった。そして、その声が旦那様のものだとすぐに分かってしまい……
「……スイラン、何かあった?」
「あ、いえ、その……」
やばい、旦那様の顔が目の前にあると、ここに嫁いできた時の、結婚式後の、初夜の事が……
熱々の顔を目の前の旦那様からそむけたけれど……知らず知らずに私の横に座ってきていた旦那様にガシッと両頬を掴まれた。
「……ねぇ、スイラン。今日タリス公爵邸に行ったんだよね」
真顔な旦那様に、私はコクコクと小さく何度も頷く。やばい、なんか悟られた……?
待って、駄目だって、後継者だの嫡男だのそういう話は今はダメだって!!
「その顔、公爵邸で出した?」
「……」
……顔? え、顔……?
「出してないよね。ダメだよ、そんな可愛い顔周りに見せちゃ」
「……」
「分かった?」
「……はい」
「うん、いい子」
……顔? そっちなの? 悟られて、ない……?
そう思っていた時だった。真顔だった事と悟られていなかった事で油断していたから、いきなりキスしてくることを予測出来なかった。
「はぁ……可愛い」
そう呟きまたキスをしてくる。それは、まるで……あの日の、初夜でしたような、キス……
旦那様ストップっ!! と言いたいところではあったけれど、肩を押している手に力が入らず、旦那様は聞く耳持たずでどんどんキスを深めていき、ソファーに私を押し倒した。
「そろそろ夕飯だけど……ま、いっか」
旦那様のその満面の笑みが眩しすぎて何も言えない……けど……ま、いっかじゃないっ!!
「ストップ!!」
「……どうして?」
うぐっ……その顔は……というか、たれ耳見えてるから!! このわんこっ!! 顔が良いところまで入れて反則だって!!
あ~も~なんて事してくれてんだタリス夫人は!! 世継ぎを楽しみにしてる? いやいやおかしいって!! あ、まぁ、世継ぎは大切かもしれないけれども!! これは人それぞれというか、何と言うか……
「あの、その、ですね、旦那様の……食事管理!! そう、食事管理をちゃんとしようと思って! ほら、旦那様は身体が主本ですからちゃんと健康的になってお仕事をしてほしいと思ってるんです!! ですからちゃんと食事は摂りましょう!!」
「……」
う、わぁ……しょぼん、って……しょぼん、ってすっごく顔に出てる……しっぽ垂れてるし……! こ、これはずるい……
「……じゃあ、一緒に湯浴み」
……へ?
い、一緒に、湯浴み……?
「一緒に湯浴みしてくれるって約束してくれたら、今は我慢する」
ゆ、湯浴み……い、一緒に……? このわんこと? 湯浴み?
一緒に湯浴みか、ここで好きなようにされるか……あ、いや、この後の想像は……恥ずかしすぎてしたくない、けれど……このぶすっとした顔まで、イケメンとか……反則すぎる。
「どちらもなし、は……」
「やだ」
わんこぉ……そう来るかぁ……
けれど、次の瞬間。
「……しょうがないな」
「へ?」
「……スイランは困らせたくないから今日は我慢して、明日お休みだから明日たっぷりスイランを独り占めさせてもらうよ」
……ん?
あ、明日? 明日休みなの? 聞いてない……というか、明日たっぷりって……一体何を……
「楽しみだなぁ。じゃあ、今夜夜更かしして明日朝寝坊でもしようか。湯浴みも一緒にしようね」
それ、全部なんじゃ……というツッコミは、出来なかった。だって、その満面の笑みに勝てるほどのものは、私は持ち合わせていないのだから。
ずるい……ずるすぎる……




