◇12
グロンダン侯爵家のご令嬢、アドリーヌ嬢がこちらに来た時から、私はソファーで寝ていた。何となく、いや、何となく、そのベッドを使いたくないというか、なんというか。
旦那様と二人で使うベッドではあるけれど、愛してもいないやつが使ってしまうのは……という旦那様への気遣いだ。一回使わせてもらっちゃったけれど。
けれど、おかしいな。
……軽く締め付けられるような感覚がするのだが。
何、この……大胸筋? 大胸筋よね、これ。いや、ちょっと待って落ち着け私。変態にも程がある。
耳を澄ませると、寝息が聞こえてくる。もしかして、と思いそっと視線を上げると……いた。旦那様が。
帰ってきてたんだ。けど……こんな大きな人が一緒にソファーに……いや、ここベッドだな。運ばれた? いや、そうじゃなくて。好きでもない人を抱きしめて寝てもいいのか。寝ぼけた? 寝ぼけたのか?
そぉーっと、旦那様を起こさないよう腕から脱出した。きっとお疲れのはずだし、間違ってしまったという罪悪感は残さないようにした方がいい。よし、朝ご飯の準備もしなくちゃ。
「あら、奥様。もう少し遅く起きていらしてもよかったのですよ?」
「ア〜ド〜ラ〜! ご飯作らなきゃでしょ〜!」
全くもう。何皆してニヤニヤしてるのよ。旦那様が帰っていたからって? ならなおさら私が朝ご飯作らなきゃ。言い出しっぺが朝寝坊だなんて笑えな……ちょっとリーファ、何笑ってるの。
変な視線を浴びつつもため息を吐き冷蔵庫を開けた。
とりあえず、あのご令嬢との件をお聞きしないといけないんだけど……食事中にでもこっちから聞こうか。いや、あの様子じゃご夫人達の方から言われそうだな。まぁ、とりあえず私は別邸を提案しないとな。
そして、途中で料理長に任せてすぐキッチンを出た。ここのメイドの制服から洋服に着替えないといけない。匂いは、準備してもらっていたお風呂に超特急で飛び込み湯浴みで落とした。
急いで食堂に辿り着くと、ご夫人達二人が座っていた。
「嫌だわ、遅刻だなんて。大公夫人のあなたがこれでは、こちらは恥ずかしいわ。家紋に泥を塗る気なの?」
いや、私5分前に来たのですが。そっちが早かっただけでしょ。旦那様は時間ぴったりに来るみたいだし。と、思っていたら……来た。けど……旦那様、かっこいいな。
騎士の制服かな? いや、赤がとてもお似合いすぎだって。上着は着てないけどさ、もし上着着たらもっと増しになるよね。
「叔母上、何故あなた方がここに滞在なされているのですか。許可を出した覚えはないですが」
「っ……」
……ん?
許可、出してない……?
耳を疑っていると、夫人の隣に座っていたご令嬢が口を開いた。
「スイランさんが呼んでくれたのよ。この国のことが全然分からないから、歳の近い私に教えてほしいって。だから昨日から滞在してたの。ね?」
「……」
「まだスイランさんはシャレニアの礼儀作法も分からないそうだし、レッスンも途中だったみたいなの。こちらの文化にもまだ慣れていないみたいだから、私が教えてあげてたのよ。スイランさん、伝えるの忘れちゃってたのね。私が教えてあげるべきだったわ。ごめんなさい、スイランさん」
……ご令嬢、私、そんなこと言った覚えが全くないのですが? まさかの記憶喪失再び?
「食事が終わったらすぐに帰ってくれ」
だいぶ冷たい声だ。けれど、このご令嬢と旦那様の関係を考えると……おかしいな。
「……そう、よね。私はここにいないほうがいいわよね。ごめんなさい、スイランさんのお役に立てればいいなと思っていたのだけれど、やっぱり、私はここにいないほうがいいのよね……ごめんなさい」
「……誤解を生むようなことは言わないでほしいんだが」
「あっ、ごめんなさい、そうよね。あなたとスイランさんは夫婦なんだから……」
旦那様はご令嬢を側室にするって言ってたんじゃなかったっけ? 気が変わったからこうなってるの? こんなに突き放すようなことを言っちゃっていいのだろうか。
私としては、別に側室がいても気にしないのに。そういったところを話し合えばよかったのかな。
けれど、その後二人の顔色が変わった事に気が付いた。さも、恐ろしいものを見たかのように、青ざめているような……
二人の視線の先にあるもの、それは、旦那様。少しビビりつつもそっと旦那様を盗み見ると……あれ? 私に向かって、微笑んでない?
じゃあ、二人のあの顔は?
「スイランちゃん」
「っ……は、はい」
いきなり私に話しかけられたから、つい驚いてしまう。
「昨日の結婚式で疲れていただろうに、目を向けてあげられなくてごめんな」
……何故私は、旦那様に謝られているのだろうか。
「今日であらかた仕事に片が付くから、数日は休みが取れると思う。だから、その日は夫婦の時間にしよう」
あ、はい、分かりました……
その会話を見たお二人は驚いていたけれど、そのタイミングで、アドラが私が作った料理を運んできてくれた。
……あれ? 今度は、旦那様が少し驚いてない……?
「ほ、本当に大公家の料理は素晴らしいわね! とても美味しそう。これが毎日食べられるなら、幸せだわ。ね? アドリーヌ」
「は、はいっ!」
それを他所に旦那様を盗み見ると……あの日のような、微笑を浮かべていた。「いただきます」と、カトラリーを持ち料理にナイフを入れる。今日のメニューはスパニッシュオムレツなんだけど……どうだろうか。
おにぎりが美味しかったみたいだけど、少し不安に思いつつも凝視してしまう。
「……うん、やっぱり暁明王国の料理は美味しいな」
あっ……
嬉しかった。ただ、素直に嬉しかった。あの言葉たちはただのお世辞だと思っていたけれど……ただ単に。
けれど、その言葉で、ご夫人達は顔を見張っていた事にも気が付いた。
これが暁明王国の料理で、旦那様が美味しいと認めたからだと思う。
「オ、オリバー? 何言ってるの……?」
焦る二人を見ようとせず、どんどん食事を進める旦那様。そして夫人達は私を睨みつけるけれど……
「この卵料理、好きだな。暁明に行った時の食事にも出たけれど、また食べられて嬉しいよ」
「……ありがとうございます」
あの時の、おにぎりを食べた時のような顔が、重なる。作って良かったと思えた、あの顔だ。
よかった。食事に興味がないって聞いてたから、ちゃんと好きだって言ってくれる事が余計嬉しい。
そして、遠くに見えたアドラも……嬉し泣きをしているように見えた。それくらい、嬉しかったんだと思う。照り焼きチキンを作った時に聞いた話を思い出すと、その涙の理由も分かる。
「ごちそうさまでした。美味しかったよ、スイランちゃん」
「あ、ありがとうございます……」
「ゆっくり食べてて、俺は準備してくるから」
でも、夫婦問題の件は……? 今言われると思っていたのに、全く会話に出てこなかった。
私、別邸に行くことを提案したいんだけど……一体どうなってるの……?
「伯母上達は、食事を終えたらすぐにお帰り下さい。嫁いだばかりの妻にあなた方の気遣いまでさせたくはありませんから」
「っ……」
……まただ。夫人達が青ざめている。ちらり、と旦那様を見るとまた私の方を見て微笑んでいる。……なんか、おかしい?
じゃあ、と席を立つ旦那様の背中を見つめていた。あの、話し合いは?
全くよく分からないまま、旦那様がいなくなった食堂で食事を再開しようとしたけれど……冷たい声が私に刺さってきた。
「あなた……何をしたの」
肩を震わせ、顔を真っ赤にする夫人が私を睨みつける。何をした、と言われると答えづらいな。おにぎりをあげた、で合ってる?
すると、テーブルを両手で叩き勢いよく立ち上がったご夫人。驚きはしなかったけれど、素っ頓狂な顔をしそうになってしまった。侯爵夫人がそんな行動を取っちゃってもいいの? 高位貴族のご夫人よね。
「弱小国の王女のくせに、生意気ね……! そんな貧乏な国、その気になればいつでも潰せるのよ!」
と、思っていたけれど……ほぅ、潰せるだなんて、それは脅しですか。
「貴方の悪いうわさが社交界に広まれば、貴方の国にまで悪影響が出る。あなたの国に社交界なんてものはなかったでしょうけれど、この国の社交界はすぐに噂が広まり誰の耳にも届いてしまう。さぁ、外交官に陛下直属の秘書官、そして国王陛下にまで届いてしまったら、どうなるかしら?」
「……」
「私は高位貴族の侯爵夫人だわ。社交界でも影響力はある。そんな私の話を鵜吞みにするなんて者はいないわ。それに、私達グロンダン侯爵家は王族派よ。そして、同じく王族派で一番力のある家は私の甥が当主を務めている。社交界で、王族派の派閥の者達を統治しているようなものよ」
なるほど、確かにそれもそうだ。けど、統治とまでいくか。何とも大きく出たな。私はこの国の社交界は分からないけれど……何となく、信憑性を感じない。
まぁ、社交界は恐ろしいところでもあるらしい事は分かっているけれど。
「どうせ、この結婚もあなたの国から頼み込んで成立させてもらったんでしょ。暁明は弱小国だから、大国であるシャレニアの後ろ盾が欲しかった。そうでしょ? でも、こちらにメリットがなければたとえ切っても問題はない」
けれど……母国を馬鹿にされて黙っているような奴はいない。
私の大好きな家族が、国民達が住む素敵な国を、弱小国だのなんだのと貶されて黙ってはいない。
堪忍袋の緒が、ぷっちーんと切れるような音がした。
私は、食べ進めていた手を止め、ナイフを夫人に向けた。まぁ、これは食事ではルール違反ではあるけれど……夫人を煽るにはちょうどいい。
「……――あなたは、誰に向かってそのような口を聞いているのかしら?」
正直姫様激おこモードはやりたくなかったけれど、これは私の腹の虫が収まらない。それに、お父様の耳に入れば大変な事にもなるし。
「嫁いだ側だからと目を瞑っていたけれど、家族であってもあなたは侯爵夫人、私は大公妃であり元王女よ」
私のこの態度に、視線に、一瞬だろうが怖気付いたようだ。だが、まだこちらが優勢だとでも言いたげな顔を見せてくる。
まぁ、これはお母様から学んだことではあるけれど……お母様を完全に怒らせたらこんなもんじゃない。私だった事を感謝してもらいたい。もしこれ以上ふざけた事を言えばお母様を召喚するぞ、いいのか?
「弱小国の王女が何よ、大公妃の地位にいたとしてもそれはただの肩書き。貴方にそんな力量も立派な後ろ盾もないのだからあってないようなものでしょ」
「へぇ、まだ言うのね。よほど、暁明と喧嘩がしたいみたいだけれど、それはやめておきなさい。完全に負けるのは間違いないわ」
「何よ、強がっちゃってみすぼらしい」
「弱小国という品格のない言葉を使えば自分の価値を下げることになると分かっていないようなご夫人が勝てるとでも?」
「はっ! 庶民同然の貴方に分かるように言ってあげてるのよ! この気遣いが分からないなんて、育ちも悪いのね」
育ち、ねぇ……私、貴方より年上なんですけど。前世を入れれば。
「なるほど、では一から説明してあげないといけないわけね」
「……」
睨み散らしてくるが、私には痛くも痒くもない。
「まず一つ、シャレニア王国が暁明王国と貿易を始めたのは約2年前。暁明は閉鎖的で島国であるから船でしか行くことが出来ない。そして、シャレニアから暁明までは船で約5日間」
そう、障害物もあるため一直線で行くことはできないから、それだけの日数がかかってしまうのだ。
「さて、行き帰りの出来るような頑丈な船と燃料はこの国にあるかしら」
「何よ、シャレニアを馬鹿にしてるの? シャレニアの技術を舐めないでもらえる?」
「あると言うのね。だけど、正解は……ない、よ」
何故それを暁明の王女である私が知っているのかと疑っている様子だが、そりゃ分かるに決まってる。
「確か、国が管理する国立病院が今建設中と聞いたわ。医療技術も発展途上。それは、まだ貿易をしていなかったルシアン王国との繋がり、そして最短で医療品を運ぶ事が出来る海のルートが確保出来たから」
そして、その国は私達暁明と貿易をしていたから、こちらとの繋がりを持ちコンタクトを取る場が出来たから。
「ルシアン王国とシャレニア王国の位置を考えると、貿易するには海のルートを通る方が最短だし、他国を通る際にかかる関税も必要ない。さて、ではその繋がりを確保出来る場を設けてもらったのはどこの国で、貿易に特化した船はどこで手に入れたのかしら?」
「それは……っ」
暁明の船製造の技術はきっと世界一だ。そりゃ、海域の広さで言ったら暁明が世界一なんですもの。そして、小さな国でありながら、何百年も続いている国。では何故そこまで続いているのか。
「話を戻しましょう。シャレニアだけでは暁明にたどり着くことが出来ない。なら、暁明と貿易をしている他国にお願いするしかない。貿易をしているということは、暁明の船も行き来しているからよ」
「っ……」
「こんなに大きな国が、わざわざそこまでして暁明とコンタクトを取りたい理由は何でしょう?」
夫人の様子を見るに、分からないらしい。でも、この話の信憑性が高い事を理解したようだ。対するご令嬢は……あぁ、分かってないな。
「シャレニアには、化石燃料があるわよね?」
「ま、さか……再生可能エネルギー……?」
「はい、正解」
「燃料……?」
「シャレニアには化石燃料があるけれど、それはいずれ枯渇する。燃料がなくなれば、国を運営する事は叶わない。なら、他から輸入しなくてはならなくなる。そして、我々暁明王国には、環境汚染のない再生可能エネルギーがある」
「……再生可能エネルギー……?」
おっと、ご令嬢には少し難しかったようだ。
「環境に優しく、一生尽きることのないエネルギーの事よ。その燃料を求めて、そこまで暁明と友好関係を結びたかった。私と旦那様の結婚も、この関係を確かなものにするためにシャレニアから提案されたものよ」
地球では色々と問題視されてはいたけれど、暁明のエネルギーはそれよりも発展しているようで問題ないらしい。なら、恩恵を受けたいに決まってる。
こちらとしても、シャレニアとの貿易と、繋がりを持つのは国にとっても利益になると国王陛下が(一応)判断しこの結婚が成立した。
「う、嘘よ……そんなの……」
「それなら、旦那様に直接お聞きなさい。旦那様の言葉なら、信じられるでしょうしね」
ご夫人は、この結婚の重要さを理解したようだ。青ざめた顔をしている。けれど、ご令嬢は不思議に思っているような様子でもある。きっとこの話はデマだと思っているのだろうか。
でも、この件がきっかけで離婚なんてことしちゃったらこの関係が無かったことになってしまう。そうなれば国王陛下が黙っちゃいない。そして、暁明王国もだ。
さて、となると旦那様との話し合いはどんな結果になるだろうか。




