演者たちの茶番劇
土埃と鉄錆、それから、もっと生々しい何かの匂いが混じり合って鼻をつく。遠くでは鬨の声が上がり、近くでは重い鎧の擦れる音や、神経質そうな馬のいななきが聞こえる。戦場だ。見慣れた、そしてうんざりするほど変わらない光景が広がっている。少し離れた場所では、やけに喧騒が大きくなっている一団がいる。中央に陣取るのは、磨き上げられた白銀の鎧に身を包んだ騎士たち。あれが、この国の切り札、勇者騎士団とかいうやつらだ。周りを取り囲むように配置されたローブ姿の連中――教会の教導魔道士団とやら――が、騎士たちに向かって何やら呪文を唱えている。青や黄色の光が迸り、騎士たちの鎧に吸い込まれていく。祝福、というらしい。気合だけでなく、物理的に効果があるというのだから、この世界の魔法は便利なのか厄介なのか。
これから始まる突撃に向けて、ありったけの攻勢支援と、前面だけの防御支援を重ねがけしているのだという。重ねすぎると互いに干渉して威力が落ちるらしいが、そこは熟練の魔道士団、ギリギリの線を見極めて効果を最大化しているそうだ。なるほど、戦場の空気は異様な熱気に包まれている。まるで祭りの前のようだ。あの騎士たちも、そして貴重な魔道士たちも、一人育てるのに天文学的な費用と時間がかかる虎の子だと聞く。そんな彼らが、これから敵陣に突っ込むのだ。何人が無事に帰ってこれるだろうか。いや、そもそも突撃が始まる前に、今も散発的に飛んでくる矢や魔法で何人かは脱落するだろう。戦場が混乱すれば、直接戦闘に参加しない魔道士団にも少なくない被害が出るはずだ。人間同士の争いで、貴重な人材がこうも簡単に消耗していく。なんと無駄なことか。
「欲望は、理想や信念より強い。人は戦いを欲した時に止められない」
ふと、前世で聞いた誰かの言葉を思い出した。そんな哲学的な諦観に浸ってみたところで、俺の現実は何も変わらない。俺の仕事は、あの輝かしい騎士様たちの馬が落とした馬糞を片付けることだ。戦場のど真ん中で、シャベルを手に、だ。なんと卑小な存在だろうか。俺の身分は、いちおう傭兵ということになっている。実態は戦場の雑用係だ。奴隷よりはマシ、という程度の、あってなきがごとき身分。もちろん、剣も槍もまともに振るえない。弱いし、何より怖い。腕っぷしに自信があって傭兵になったわけじゃない。俺は孤児院上がりだ。そして、孤児院を出るまさにその日に戦争が始まり、そのまま徴兵された。運がいいのか悪いのか。傭兵になったところで、平時ならたまにある魔獣退治で危険な目に遭うか、誰にでもできる代わりに雀の涙ほどの賃金しかもらえない仕事しかない。食っていくのがやっとだ。その点、戦争があれば仕事には困らない。食いっぱぐれることもない。まあ、死ぬ確率も格段に上がるわけだが。
傭兵なんて仕事は、腕っぷし以外に取り柄のない連中か、俺みたいに行き場のない奴がやるもんだ。まともな頭があったら、まず選ばない。辞めたくても、次があるわけじゃない。乞食になるか、裏社会の下っ端になるか。未来なんてありはしない。孤児院上がりなんて、だいたいそんなものだ。孤児院。聞こえはいいが、あれは統治者にとって実に都合の良いシステムだ。社会がどう変化しようと、労働力や兵力として一定数の領民は確保したい。だが、余剰人員が出たら効率的に処分したい。そんな矛盾した要求を満たすための装置だ。親のいない子供たちは孤児院で最低限の衣食住と教育を与えられ、年頃になれば傭兵や下働きとして社会に送り出される。そして、その多くは戦争や危険な仕事で静かに消えていく。たまに才能のある者が出れば、貴族や教会がうまく取り込む。戦争が起これば、真っ先に使い潰せる安価な兵力だ。経済を支配する者たちにとって、孤児院は社会の安全弁であり、都合の良い人材供給源なのだ。まったく、地獄のようなシステムだ。このシステムから抜け出すには、よほどの幸運か才能が必要だ。戦場で手柄を立てて騎士に取り立てられる、なんて夢物語を語る奴もいるが、そんなのは万に一つの確率だろう。俺には無理だ。俺はただ、このクソみたいな現実の中で、どうにかこうにか生き延びるしかないのだ。
ちなみに俺の名前はリオン。なんの変哲もない名前だが、ま、それでいい。前世では北野裕一といった。富山育ちで、東京でSEからゲームディレクターに転職した平凡なアラフォー男だ。風呂に入っている時に死んだらしい。一人暮らしだったから、死体が見つかるまで数日かかっただろう。誰にも看取られずに逝った前世のことを思うと、何とも言えない虚しさが襲ってくる。そんな前世の記憶――どうやら転生というやつらしい――は、何の役にも立っていない。ゲーム制作の知識? この世界に電気もコンピュータもないのに何の意味がある。プログラムの考え方? 魔法と融合できればいいが、その素質すらない。恋愛経験? 貯めこんだコミュ障ポイントを使い切る前に死んだから、ほとんどないに等しい。唯一役立っているのは、「システム」というものに対する理解かもしれない。ゲームディレクターとして、ゲームシステムをデザインし、プレイヤーの行動を制御する方法を熟知していた。だからこそ、この世界の不自然さに違和感を覚えるのだ。
最も不自然なのは、「勇者と魔王」のシステムだ。約50年周期で魔王が現れ、世界に混乱をもたらす。その度に勇者が現れて、魔王と戦い、勝利を収める。これを勇者魔王システムと呼ぶ。世界の人々にとっては、周知の慣習だ。誰もが知っている。それなのに、なぜ誰も疑問に思わないのか?
「なぜ魔王は50年も待ってから現れるんだ?」
「なぜ魔王は必ず一人なんだ?」
「なぜ勇者は必要なんだ?」
こんな疑問を口にすれば、狂人扱いされるだろう。もしくは、神を疑う不信心者として処罰されるか。だが、ゲームシステムを作る側にいた俺には、この「勇者魔王システム」がいかに作為的なものに見えるか。まるで、世界の管理者が意図的に「勇者と魔王」という物語を演出しているかのようだ。何らかの目的があるのか、それとも単に娯楽なのか。いずれにせよ、それは人々の死や苦しみの上に成り立っている。俺の家族も、村も、そのシステムの犠牲になった。幼い頃、魔王出現の余波で村が魔物に襲われた時、両親は俺をかばって死んだ。その記憶は曖昧だが、多くの人が同じように犠牲になった。本当に必要なシステムなのか? むしろ欠陥ではないのか?そんな思いを抱えながらも、俺はただの雑用係として日々を過ごしている。馬糞を片付け、水を運び、死体を回収する。そんな中で、転機は突然訪れた。
***
「おい、そこの! 手を貸せ!」
突然の怒号に振り向くと、高級そうな鎧を着た騎士が、伏せた馬の下敷きになっていた。近くに敵兵の姿はないが、散発的に飛んでくる矢や魔法の流れ弾が周囲に落ちている。命令口調に反発を覚えつつも、見捨てるわけにはいかない。俺は手近のシャベルを放り投げ、馬の側に駆け寄った。
「こっちを押さえて、馬を落ち着かせろ!」
馬の頭を押さえつつ、鼻先に手を当てて呼吸を整えさせる。前世で動物番組を見ていた知識が、こんなところで役立つとは。馬が落ち着き、騎士が何とか這い出してくる。
「ありがとう。命拾いした」
近くで見ると、この騎士は普通の兵士ではなく、貴族だとわかる。鎧の紋章が第三騎士団のものだ。名を、バルド・フォン・シュタイナー男爵という。辺境伯騎士団の第3騎士団長だそうだ。
「いや、何も。傭兵の務めですから」
と俺は答える。
「どこの所属だ?」
バルドが尋ねる。
「孤児院上がりの雑用係です」
と答えると、バルドはしばらく俺を観察した。
「面白い目をしているな。何か感じるものがある」
俺は戸惑った。この世界の人々には、前世の記憶を持つ「転生者」がどう映るのだろう。
「馬を制御する手つきも悪くない。君、名前は?」
「リオン、と言います」
「リオン、だな。実はな、私は第3騎士団長として、情報収集や特殊作戦を担当している。君のような観察力のある人材が必要なんだ。興味はないかね?」
こうして俺は、雑用係から一転、バルド男爵の配下の情報調査員となった。身分は従者というところか。食事は改善され、宿舎も個室が与えられた。何より、前線から離れられるという安心感は計り知れない。
バルドは俺に情報収集の基礎を教え、小さな任務を与えた。敵地の偵察や、市場での噂の収集など。俺は驚くほど適性があったようだ。周囲を観察する癖があったし、前世のゲームディレクターとしての経験から、情報の構造化や分析が得意だった。そして数ヶ月後、バルドは俺に大きな任務を与えた。
「今度の勇者への支援として、君を推薦したい」
「勇者、ですか?」
「そう。勇者ジェレミー・ヴァンは、実は私の上官の息子だ。彼は優秀だが、少し……特殊な性格でね。彼のチームに、優秀な情報収集係として君を送り込みたい」
俺は考えた。これが「勇者魔王システム」の内部に潜入するチャンスかもしれない。
「了解しました。お役に立てるよう努めます」
バルドは満足げに頷いた。
「君なら期待できる。それに……もう一つの任務も頼みたい」
「もう一つ?」
「これは非公式だが……」
バルドは声を潜め、
「勇者チームの中で起きることを、詳細に報告してほしい。特に、教会の動きをね」
二重スパイのような役割だ。だが、これは「勇者魔王システム」を探る絶好の機会だ。
「承知しました」
こうして俺は、ジェレミー・ヴァン率いる勇者チームに合流することになった。
***
「情報収集係? 何の役に立つというんだ」
初対面のジェレミーは、俺を疑わしげに見た。彼は25歳くらいか。整った容姿だが、どこか退屈そうで、やる気のない眼差しをしている。
「バルド殿が推薦なさったなら、それなりの能力はあるのでしょう」
そう言ったのは、ジェレミーの隣に立つ女性、聖女アリシア・ノーレンだ。彼女はジェレミーの婚約者であり、勇者の力を引き出す聖女だという。清楚で敬虔な印象だが、ジェレミーを見る目は盲目的な愛情に満ちている。
「まあいい。使えなければ切ればいいさ」
ジェレミーの態度は冷淡だったが、アリシアの説得もあり、俺は何とか勇者チームの一員として認められた。チームにはほかに、教会から派遣された教導魔道士、ジェレミーの警護役の騎士たちがいる。
それから数週間、俺は勇者チームの動向を見守りながら、「勇者魔王システム」について情報を集めた。
教会の古文書を読み漁り、過去の勇者たちの記録を調べた。勇者と魔王の戦いは、確かに約50年周期で繰り返されている。だが、その詳細を見ると、いくつもの不自然な点がある。魔王の出現場所は毎回異なるが、常に人里離れた場所から突如として現れる。その性格や目的も明確ではない。ただ「世界に混乱をもたらす」と記述されるだけだ。勇者は必ず教会の託宣によって選ばれる。そして聖女の力を受けて戦う。だが、なぜ勇者だけがその力を増幅できるのか。その理由は書かれていない。
さらに不思議なのは、勇者たちのその後だ。魔王を倒した勇者たちは、一時的に祭り上げられるが、やがて静かに歴史から消えていく。政治的な力を持つこともなく、次の世代には忘れ去られる。まるで使い捨ての駒のようだ。
また、個人的に気になるのは、ジェレミーの態度だ。彼は勇者という役割を面倒がり、できれば責任を回避したいと思っている。アリシアへの態度も、彼女の熱烈な愛情に比べれば冷めている。彼にとって、勇者の称号は単なる重荷でしかないようだ。こうした違和感を抱えながら、俺たちは魔王討伐の旅を続けていた。
ある日、宿場町に立ち寄った時のことだ。俺は街の情報を集めるため、地元の蒸し風呂(この世界の簡易サウナのようなもの)を訪れた。前世からのサウナ好きは、転生しても変わらない。
蒸し風呂で汗を流していると、隣に老人が座った。
「若いのに蒸し風呂とはな。珍しいじゃないか」
「前から好きでして」
と俺は答える。その老人は飄々とした雰囲気を持ち、何とも言えない存在感があった。
「ほう。前から、ねぇ……」
老人は意味深に微笑んだ。
「転生者かい?」
「どうして……」
俺は息を呑んだ。
「わかるもんさ。私もこの世界のことをよく知っている。名前はマルコ。よろしく」
マルコと名乗る老人は、俺の驚きをよそに続けた。
「君は勇者チームにいるようだね。魔王退治に向かうのかい?」
「ええ、まあ……」
「勇者魔王システム……面白いものだよ。でもね、なぜそんなものが必要なのか、考えたことはあるかい?」
俺は慎重に言葉を選んだ。
「実は、そのシステムに違和感を覚えています」
マルコは嬉しそうに目を細めた。
「そうだろう? 君のような観察眼を持つ者なら、気づくはずだ。このシステムは……必要ないんだよ」
「必要ない?」
「そう。本当は魔王がいなくても世界は回る。でも、誰かがそのシステムを作った。あるいは……作ってしまった」
「作ってしまった?」
「世界の管理というのは、難しいものさ。巨大な存在であればあるほど、細部には気が回らない。時に欠陥が生まれる。勇者魔王システムは、そんな欠陥の一つかもしれないね」
マルコの言葉は謎めいていたが、ヒントに満ちていた。
「では、魔王は……」
「魔王も犠牲者さ。システムの駒として選ばれてしまった不運な魂だ。今回の魔王は特にね……」
その時、外から俺を呼ぶ声がした。蒸し風呂から出ると、チームの一員が急いで俺を探していた。
「敵の動きがあったぞ! すぐに戻れ!」
慌てて戻る途中、振り返るとマルコの姿はどこにも見えなかった。だが、彼の言葉は俺の脳裏に焼き付いていた。勇者チームに戻ると、重大な情報が入っていた。魔王の居城の場所が特定されたのだ。北方の山岳地帯、誰も住まない荒野の中に、突如として黒い城が出現したという。ジェレミーは溜息をついた。
「やれやれ、いよいよ決戦か。できれば誰かに代わってほしいものだが」
アリシアが彼の腕にしがみついた。
「大丈夫よ、ジェレミー。私がついているわ」
俺は彼らを見ながら考えた。魔王城に向かう。そこで何が待っているのか。そして、マルコの言葉の真意は何なのか。
***
魔王城は、想像していたよりずっと静かだった。外観は確かに不気味な黒い城だが、周囲に魔物の姿はなく、城への道も開かれている。まるで訪問者を待っているかのようだ。
「罠かもしれない」
と警護騎士の一人が言った。
「いいや、魔王は私たちを挑発しているのだ。早く終わらせよう」
とジェレミーは続けた。城内に踏み入ると、そこは驚くほど普通の城だった。暗く冷たいが、特に魔法的な仕掛けはない。私たちは緊張しながらも、中央の大広間へと向かった。大広間の扉を開けると、そこには一人の女性が座していた。黒い装束に身を包み、長い銀髪を持つ女性。その目は深い紅色で、まるで血のよう。だが、その表情には奇妙な諦めが浮かんでいた。
「ようこそ、勇者一行」
彼女の声は、想像していたより柔らかく、どこか悲しげだった。
「私が魔王ヴァルダです」
ジェレミーは剣を構えた。
「魔王ヴァルダ、お前の悪行は今日で終わりだ」
アリシアが祝福を唱え始め、ジェレミーの剣が青い光を帯びる。教導魔道士たちも詠唱を始めた。
だが、魔王ヴァルダは戦う素振りを見せない。むしろ、疲れたように微笑んだ。
「勇者さん、この茶番にお付き合いいただき、ありがとう」
「茶番だと?」
ジェレミーは戸惑った。
「そう、茶番よ。あなたも私も、システムの駒として選ばれただけ。この戦いに意味なんてないわ」
俺はヴァルダの言葉に衝撃を受けた。彼女の目に宿る諦観。その表情。その仕草。どこか、違和感がある。まるで……
「あなたも、転生者なのか?」
俺は思わず口にした。
ヴァルダの目が大きく見開かれた。
「あなたも……?」
その瞬間、俺は確信した。彼女も前世の記憶を持つ者。この世界に転生し、魔王として選ばれてしまった不運な魂。
「何を言っているんだ、リオン!」
ジェレミーが叫んだ。
「ジェレミー様、少しお待ちください」
俺は一歩前に出た。
「彼女、この"魔王"は、私と同じ転生者です。そして、このシステム全体が茶番だと言っている」
「転生者?茶番?何を言っているんだ?」
「勇者魔王システムは、必要のない欠陥システムだと思います。実は先日、マルコという老人から……」
「マルコ?」
ヴァルダが身を乗り出した。
「あの男に会ったの?」
「ええ、蒸し風呂で。彼が言うには……」
「彼こそが元凶よ!」
ヴァルダが叫んだ。
「彼は神なの。あるいは、神の一柱。世界の管理者。そして、この無意味なシステムを作り出した張本人!」
場の空気が凍りついた。
「馬鹿な……」
ジェレミーが呟いた。
「私は転生して5年。前世では川合貴子という19歳の女子大生だった。トラック事故で死んで、気がついたらこの城にいたの。そして、"魔王"として目覚めたわ」
ヴァルダはさらに続けた。
「私の中には常に膨大なエネルギーが渦巻いていて、それを制御するのに苦労している。おそらく、転生時にトラックのエネルギーも一緒に持ってきてしまったのかもしれない。そのせいで"魔王"として選ばれたのか……」
「ヴァルダさん……川合さん……」
俺は同情を禁じ得なかった。
「信じられるか、私は一度も外に出ていない。魔物を操ったこともない。だけど、世界中が私を恐れている。これこそマルコの仕業よ。彼は"魔王"という役を作り、私をそこに嵌め込んだ。そして、"勇者"という役も用意した」
アリシアが叫んだ。
「嘘よ!教会の預言では、魔王は世界に混乱をもたらす存在だと……」
「その教会こそ、システムの維持装置よ。彼らはマルコの意向を汲んで、このシステムを永続させようとしている」
ヴァルダが冷たく言った。議論が紛糾する中、突然、大広間に金色の光が満ちた。そして、見覚えのある老人の姿が現れた。マルコだ。だが、彼の周りには神々しい光が溢れ、普通の老人ではないことは一目瞭然だった。
「やあ、皆さん。面白い会話だね」
「マルコ!」
ヴァルダが憎悪を込めて叫んだ。
「ヴァルダ、君は私の期待を裏切らないね。そして、リオン君も……なかなか興味深い展開を見せてくれた」
マルコは穏やかに微笑んだ。
「あなたが……このシステムの創造主なのか?」
俺は問いかけた。
「創造主か。まあ、そう言ってもいいだろう」
マルコは肩をすくめた。
「世界の管理者として、様々なシステムを設計している。勇者魔王システムもその一つさ」
「なぜそんなものを? 多くの人が犠牲になっている!」
マルコは考え込むように言った。
「うーん、最初は……ミスだったかな。世界管理の中での小さな欠陥。でも、それが面白い結果を生み出すので、そのまま放置していたんだ。いや、もはや意図的に維持している、と言った方が正確かな」
「欠陥? ミス?」
ジェレミーが震える声で言った。
「私の人生を台無しにしたのは、神のミスだというのか?」
「おや、君も不満があるのかい?」
マルコは楽しそうに言った。
「面白いね。勇者、魔王、そして観察者(リオンを指して)。三者三様の反応を見られるとは」
アリシアは膝をついた。
「神様……これは試練なのですか?」
「試練?いや、単なる観察実験さ」
マルコはさらりと言った。
「生物が独自の意志で行動するのを見るのは興味深いからね」
「実験?」
ヴァルダの声が怒りで震えた。
「私たちは実験動物じゃない!」
マルコは首を傾げた。
「本当に?君たちは私が創造した世界の中にいる。私の設計した法則の中で生きている。その意味では、私の実験の一部と言えるのではないかな」
マルコの言葉に、場の空気が凍りついた。ヴァルダが立ち上がり、膨大なエネルギーを解放しようとした瞬間、マルコが指を鳴らす。ヴァルダの周りの魔力が急に消え、彼女は膝をつく。
「力を使わせないよ。でも、今回は特別に、魔王を倒さなくてもいい。システムを少し変えてみようか」
マルコは淡々と言った。そして、ジェレミーを見た。
「勇者君、君は魔王を倒さずに帰ってもいい。代わりに……この観察者に任せよう」
彼はリオンを指さした。
「なんだと?」
ジェレミーが驚いた。
「ええ、リオン君。君に決めてほしい。魔王を倒すか、彼女を生かすか。そして、このシステムをどうするか」
「俺に?」
俺は戸惑った。
「君は転生者で、このシステムの欠陥に気づいた。そして、魔王の真実にも到達した。君ならどうする?」
俺は考えた。これは罠か、それとも本当の選択肢か。
「システムを変えよう。魔王を倒す必要はない。ヴァルダさんは犠牲者だ。そして、勇者も同じく犠牲者だ。このシステム自体を終わらせよう」
俺は言った。マルコは楽しそうに笑った。
「面白い! では、君がシステムを変えてみるといい。私は少し引いて、観察しよう」
マルコは金色の光に包まれ、姿を消した。残された俺たちは、言葉を失った。
***
マルコの消失後、大広間には重苦しい沈黙が流れた。ジェレミーが最初に口を開いた。
「なんだ、これは……一体何が起きている?」
「神様が……システムを……」
アリシアは顔面蒼白で、言葉を繰り返すだけだ。
「信じられないわ」
ヴァルダが立ち上がり、自分の手を見つめた。
「私の力が……元に戻っている。あのマルコが去ったせいかしら」
俺はゆっくりとヴァルダに近づいた。
「大丈夫ですか、川合さん」
「貴子、でいいわ」
彼女は微笑んだ。
「あなたも転生者なのね。名前は?」
「リオン、前世では北野裕一といいました」
「同郷の者に会えるなんて……」
彼女の目に涙が光った。
「これからどうしますか?」
俺は問いかけた。
「わからないわ。でも、このシステムを変えたい」
彼女は強い決意を見せた。
「5年間、閉じ込められたような気分だった。誰も来ないし、私は城の外に出られない。そして、いつか勇者に殺されると思っていた……」
「殺す必要はないと思う」
ジェレミーが意外な言葉を口にした。
「正直、私も勇者なんてごめんだ。ただの貴族として平穏に暮らしたかった」
アリシアは混乱していた。
「でも、教会は……預言は……」
「マルコの茶番だ」
俺は言った。
「教会も、恐らくその仕組みの一部なんだろう」
議論は続いたが、やがて一つの結論に達した。
「勇者と魔王の決戦はなかったことにしよう」
ジェレミーが提案した。
「私は勇者を辞め、ただの貴族に戻る。ヴァルダは……」
「私はこの城を出たい。外の世界を見てみたい」
ヴァルダが言った。
「それなら、マルコの予想を裏切ることができる」
俺は考えを述べた。
「彼は私に選択を任せたが、結局は私たち全員の選択だ。システムを変えるのは、一人ではなく、皆の力だ」
計画が固まった。ジェレミーは勇者を辞め、魔王との和解を宣言する。ヴァルダは城を出て、リオンと共に世界を巡る。教会のシステムには、内部から徐々に変化を促していく。そして何より、この真実を広めることだ。勇者と魔王のシステムは神のミスから生まれた欠陥であり、必要のないものだということを。
「マルコは、私たちが何をするか見ているだろうね」
ヴァルダが言った。俺は応えた。
「ならば、見せてやろう。私たちは彼の実験台ではない。自分たちの意志で行動する存在だと」
***
王都への帰還後、事態は予想以上に動いた。ジェレミーは勇者を退位し、魔王との和解を宣言した。当初は混乱と反発があったが、教会内部の改革派が彼を支持し始めた。古い預言の中にも、「真の勇者は剣ではなく対話で魔を鎮める」という一節があったそうだ。
ヴァルダは、リオンと共に世界を旅することにした。彼女の持つ膨大なエネルギーは、魔王の力ではなく、世界を良くするための力に変わっていった。二人は転生者として、この世界の仕組みを調査し、より良い方向へ導くための活動を始めた。
アリシアは教会の改革派として、古い因習を見直す活動を始めた。彼女の純粋な信仰心は、神への盲従ではなく、人々を助ける力となった。
バルドは、全ての真相を聞かされ、驚きつつも二人の活動を密かに支援することを約束した。彼の情報網は、新たなシステム構築に大いに役立った。
時折、マルコの姿を見かけることがある。彼は遠くから観察しているようだが、直接の干渉はしていない。彼の表情は時に驚き、時に興味深そうに見える。
「彼は私たちを見ている」
ある日、ヴァルダがリオンに言った。
「見ればいい」
リオンは答えた。
「私たちは彼の予想を超える。"システムの欠陥"から生まれた私たちだからこそ、新しい道を切り開ける」
世界は少しずつ変わり始めた。勇者と魔王の対立ではなく、共存と協力の物語が語られるようになった。孤児院のシステムも、より人道的に改革された。かつて英雄と呼ばれた者たちは、今や真の英雄として、自らの意志で世界を変えていく。システムに縛られず、自分自身の選択で道を切り拓く―それこそが、真の英雄の証だと、リオンとヴァルダは信じている。その信念は、やがて世界を動かす大きな力となっていくだろう。
(了)