第十一話 都市へ
メルキルエトへの短い旅路は続く。
ネシュの森を抜け、俺達は平坦な草原を歩いていた。メルキルエトに所属する冒険者が頻繁に利用するからか、草の踏み慣らされた歩きやすい道であった。
背後からは規則正しい車輪の音が聞こえている。俺は時折後ろを振り返りながら、彼女達が今もなお人間の形を保っていることを確認するのだ。
私達は人間だ、と魔女は言った。ふざけた話だと、俺は思った。
転移結晶が使えなくても、魔物除けが苦しくても、それでも心は人間なんだと言いたいのか? あんたらが俺みたいな得体の知れない男にも好意的に振る舞うのは、わざわざ人間の作ったルールに従ってまで都市に入りたいと願うのは、人間の真似をしていたいからか?
中身が魔物だとしても、人間の形をしていて人間の心を持つのなら、それは人間と言えるのだろうか。俺にはわからない。考えたこともない。加えて言うならば、心の底からどうでもいい。
だけど、転移結晶が彼女らを拒むというのなら、俺はそれを答えとしてもいいと思った。
この二人は人間ではないし、この結論に答え合わせはいらない。
重要なのは、魔女と邪龍に利用価値があるかどうか。そして、それを俺が利用できるかどうか。ただそれだけだ。
魔女の言葉に酷く興を削がれ、俺は質問を続ける気をすっかり失ってしまった。
それでも無言の時間は耐え難いもので、しょうがないから、先ほどから俺はずっとくだらない話ばかりを繰り返している。
「メルキルエトにはテレジア教の教会が沢山あるんだ。観光名所みたいになっているとこも……あ、お二人さんはテレジア教は知ってる? 転移結晶とその女神テレジアを崇拝してる宗教なんだけど」
「はい、知っていますよ。メルキルエトには信心深い方が多いんですね」
「今時どこの都市も似たようなものだよ。……お二人さんには、嫌な話だろうけど」
テレジア教はこの国で最も広く信じられている宗教団体だ。
人間を転移させる奇跡、転移結晶を主神テレジアの恩恵として崇めており、その性質を根拠に人類平等を理念として掲げている。
人類平等。言い換えれば、人類至上主義。
全ての魔物の根絶を目指すテレジア教は、魔女や従者の存在を、けして受け入れることはない。
「面倒事は嫌だから、メルキルエトでは絶対にバレないようにしてね。あんたらの正体」
「もちろん、そのつもりです」
「だったら邪龍に乗って飛んでくるのも控えて欲しかったなぁ」
「夜間にしか飛んでいませんよ」
「……見咎められたことは、一度もない」
「東方みたいな過疎地方ならそうかも知れないけどさ、ここ、南方だから。人口も多いからね」
まぁ確かに、なんの前触れもなく夜空を駆ける邪龍の姿なんて見た日には、まず自分の眼を疑うかもね。瞬きして目を擦って、そしたらもう影も形もなくなっているとくれば、取り立てて騒ぐ人間もいない……のかな?
不意に生温い風が吹いて、周囲の草をさわさわと揺らす。遠く前方に、ぼんやりとした明かりが見えつつあった。
「二人とも、あの光が見える? あれがメルキルエトだよ」
二人分の了承を背に受けながら、俺は胸元から一枚のカードケースを取り出した。人ならざる物を迎え入れるために用意した、偽物の身分証であった。
「そろそろ着くから、中に入る手順を説明しておくね。ってことで、はい」
「これ、なんですか? 金属製のカードのようですが」
「それね、行商人証。お二人さんはたった今から行商人です」
都市の外側は危険な土地だ。実力も適性もない者を何の理由もなく壁外に晒す訳にはいかないし、誰とも知れぬ者をおいそれと都市に入れるわけにもいかない。
移動なら転移結晶で事足りる世界において、大壁を経由する都市の出入りは、相応の能力と理由が強く求められる。例えば近くを彷徨く魔物を狩るとか、有用な資源を入手するとか、周辺の地理の把握や開拓とか、そういう感じの。
で、俺達はこれから壁外の資源を取り扱う行商人一行に成りすますってわけ。彼女達の荷車はお誂え向きの小道具だね。
「俺、一応そこそこの冒険者でね。護衛として壁外に出ていたって設定で行くから、お二人さんには俺を雇った行商人のフリをしてもらう」
「なるほど。それなら自然に都市に入れますね」
「ただし! その行商人証は一人分だし、男の名前で登録してあるからさ。行商人役は従者殿の仕事だ。魔女殿は荷車に隠れていてね」
「俺が、行商人……」
「……関所で多少の問答はあるだろうけど、従者殿、切り抜ける自信ある?」
無言。
二人分の歩行音、車輪の回る音、衣擦れの音。空が一段低くなったかのような重苦しい沈黙が、俺達を包みこんだ。
…………だよねぇ。
「……無理、だと思う」
「不安が無いと言えば、嘘になりますねぇ」
「従者殿、一言一言を大切に扱うタイプだもんね」
出会ってすぐの俺にも分かるほど致命的に会話が下手だもんな、この男。まぁ、会話なんて、邪龍に求めるものじゃない。
とはいえ、どうしたもんかな。口の利けない行商人だってことにでもするか? 行商人でその設定は不自然かなぁ。
悩んでいると、荷台に乗っている魔女が控えめな声を上げた。
「ええと、受け答えは私がしますので、詳細な設定を教えてもらえますか?」
「魔女殿を表には出せないよ。そんなワンピースで壁外に出る人間はいない」
「表には出ません。荷台からヨシュアさんに、それらしい答えをこっそりお伝えします」
「無理でしょ、雑な手品じゃないんだから。リスクが大きすぎる」
門番に聞き咎められたら即作戦が破綻するのに、そんな博打を打つことはできない。人類に仇名す極悪人としてしょっぴかれるなんて、絶対にごめんだ。
なんとか魔女に思い留まってもらわなくてはと、俺は慌てて代案を提示しようとした。そんな俺の焦燥とは対照的に、魔女は悠然とした態度を崩すことなくこう言った。
「グラウスさん、何か小声でヨシュアさんに指示を出してくださいませんか」
……試せと?
そんなこといきなり言われても、困るんだけど。
俺は肩越しに背後の同行者の様子を確認した。荷車を引く従者は、俺の五、六歩後ろを静かについてきている。俺はもう少し距離をとった上で、自分にできる最小限の声量で言った。
足を止めろ。
従者はぴたりと歩みを止めた。明らかに偶然のタイミングではなかった。風の吹く音よりも弱っちい俺の声を、確かに聞き取ってみせたのだ。
なんて異常な聴覚。こいつらの前で独り言を言うのはやめようと、俺は硬く心に誓った。まぁ、きょとんとした表情を浮かべている魔女の方には聞こえていなかったみたいだけど。
「オーケーわかったよ。従者殿の耳があれば、荷台から指示を通せるんだね」
「ええ。関所の問答は、私の方でなんとかしてみます」
そういうことなら、問題は無さそうだね。
ちょっと不安が残らないではないけれど、当初の予定通りメルキルエトに入れそうだと、俺はほっと胸を撫でおろした。そうして再び揚々と都市へ向けた足を踏み出したのだが、……荷車の音が、ついてこない。
何事かと後ろに向き直ると、先ほど足を止めた位置で微動だにせず立っている従者の姿があった。何か異常事態が起きたのかと周囲に目を向けるが、妙なものは何一つとして無いように見える。
じゃあなんでついてこないんだ? ……まさかね。
「……もう動いていいよ」
その言葉でようやく従者は荷車を引き始めた。そのまま何事もなかったかのように、それが当然とでも言うような態度で、立ち止まってしまった俺の目の前までやってくる。
従者の従は、従うの従か。
「……行かないのか」
「ええと、いや、うん。行こうか」
もしかして、邪龍になれと命令してたら、それにも従ってくれたのかな。
ちらりと過った好奇心に蓋をしながら、俺は視線を遠く輝く都市へと戻した。メルキルエトへの短い旅路は、もうじきに終わりを迎えるだろう。