42 聖域における死骸調査
華奢で背の高い体格に、足元まである絹のような髪、水の国の人々と同じか、それ以上に色素の薄い肌。そして、初めて見る少し尖った耳……。
この世のものとは思えない美しさに引き込まれ、思わず息をするのを忘れそうになる。
すると、女性がチラリとこちらに視線を向けた。
その瞬間、金縛りから解けたように、私以外の全員が一斉に地面に膝をつき、首を垂れる。
慌てて私もみんなと同じように地面にしゃがみ込むと、頭上から穏やかでありながら、威厳のある声が降りてきた。
「よいよい、面を上げよ。今回の依頼を出したのは妾ゆえ、そなたらに挨拶をしに来ただけだ」
その言葉におずおずと顔を上げてみると、女性がこちらに気づき、柔らかく微笑んだ。
彼女は、少しずつ顔を上げていく私たちを待ちながら、ひとりひとりをゆっくりと見ていく。その背後では、後続の馬車から降りた侍女や従者たちが、少し離れた場所にテーブルやイスをセッティングしているのが見えた。
「ようやく全員顔を上げたか。皆の者、此度はよくぞ草の国・フォレスティアへ参った。国を代表して歓迎しよう。妾はこの国の『乙女』にして『女王』、ヴェルディエである」
やはりというべきか……女性は、この草の国の乙女だった。それどころか、この国を治める女王でもあるらしい。
では、あの馬車や、一団の中に見える旗に施されている意匠が、王家の紋章というものなのだろう。
気付いたアニーたちがまず固まり、恭しく頭を下げるはずだ。
「直接そなたらの人となりを見るため、わざわざ妾がここまで来たわけではあるが……それも、この聖域は我が国でも特別な場所であるがゆえ。ここでは、守ってもらいたい規則がいくつかある。それを今から説明するゆえ、心して聞くように」
ヴェルディエはそう言うと、準備を終えて後ろに控えていた侍女に目配せをした。そして、整えられたテーブルとイスの方へと向かっていく。
その後ろ姿を見送りながら、侍女の一人がこちらに向き直った。
「私はヴェルディエ様の侍女の、ベルカナと申します。ヴェルディエ様に代わり、私の方から、この聖域における規則について説明させていただきます」
一つ、この聖域にあるものを無闇に触らないこと。
一つ、この聖域にあるものを無断で持ち出さないこと。
一つ、この聖域の湖には決して入らないこと。
一つ、この聖域で知り得た情報を外部に漏らさないこと。
本来、ここは草の国の王族関係者以外は、立ち入ることすら許されない特別な場所らしい。それが今回に限り、特例として許可されているとのことだった。
あの死骸については聖域外のものであるため自由にしていいが、それ以外への行動は全て制限される。
「アレは、この聖域においても、私たちにとっても『穢れ』そのものです。だから、あなたがたに依頼しました。一刻も早く原因を調査し、穢れを取り除きますよう……。どうぞ、よろしくお願いします」
ヴェルディエを含めた草の国の一行は、聖域での規則等を告げると、承諾として頷いた私たちに向かって何やら呪文を唱え、早々にこの場を後にした。
一行の姿が、木々に埋もれて見えなくなっていく。音も次第に遠ざかって、そのうち聞こえなくなる。
そうして、この場に完全に静寂が訪れたところで、止まっていた時が再開したかのように、私たち全員が一斉にため息をついた。
「ぷはあ! まさか、女王自ら私たちを見に来るとは思わなかったわ……」
緊張で張り詰めていた空気が、一気に解ける。
誰もが驚いた様子で感想を漏らし、固まった体を解そうと、肩や首を鳴らしたり、大きく伸びをしている姿がそこかしこに見られた。
「あの人ら、用件だけ言って、さっさと帰って行ったな。よほど、あの穢れとやらと一緒にいたくないらしい」
一息ついたところで、エディが言った。
遠目に見える、魔物のものと思しき死骸。ここにいる間、草の国の人々は、あれを決して視界に入れようとしなかった。この美しく澄んだ聖域において、確かにあれは、あってはならない異物のように映る。
「てか、私たちに何か魔法をかけていったわね。大方、行動を監視する魔法か、制限する魔法でしょうけど」
アニーが自分の体を確認しながらそう言う。
ベルカナから告げられた規則にアニーが承諾の意を伝えると、彼女は何か呪文を唱え、その瞬間、その場にいた全員とノアラークの下に魔法陣のようなものが浮かび上がっていた。
ノアラークの中には、滅多に外に出ないジルと、完全夜型人間のエリックがいたが、彼らにももれなく何かの魔法がかけられたことだろう。ただ、魔法陣はすぐに消え、特に体に異常は感じない。
「王族しか立ち入りできないというのは本当なんでしょうけど……思いっきり釘を刺されたわねえ」
サリーの視線の先には、「湖の中に入れないなんて、ひどい。せっかく、聖域の生態を調査しようと思っていたのに……」と、ガックリ肩を下げる動物好きな面々の姿があった。
「まあ、僕たち雷は国の人間は、向こうにとっては要注意人物だろうしね」
「「それは、違いない」」
その場にわっと笑いが起きた。
この悪気のなさそうなみんなの様子を見る限り、草の国の人々の対応は正しかったと言わざるを得ないだろう。現に、ノアラークに乗って日の浅い私ですら、これまでにみんなのやらかしを幾度となく見てきたのだから。
「まあ、時間をかけたくないってことに関しては互いに一致しているようだし、さっさと依頼に取り掛かりましょうか」
アニーの一声で、全員の視線が転がっている死骸に向けられる。
やれやれという空気を漂わせながら、私たちはゆっくりとそちらへ足を進めていった。
……近づくほどに、その全貌が見えてくる。
最初は、全身が紫がかった黒色だったせいで、よく分からなかった。
けれど、次第にその姿が明らかになっていった。うずくまったような体勢のそれには、体を巻くほどの長い尻尾や鋭い爪、そして一対の羽のようなものがあるように見える。
子細に気付くたびに、頭の中の何かが呼び起こされるように、チカチカと痛む感覚が走る。
「おい……これ、もしかして……というか、どう見ても『ドラゴン』じゃないか!?」
誰かがそう呟いた。
ゆっくりだったみんなの足取りが、少し興奮したように早くなっていく。
私も、もつれそうになる足を押して、みんなに遅れまいと一緒にそれの元へと向かう。
……私、この子のことを知っているような、気がする。
そう虚ろな頭で確信したのは、目と鼻の先にまでそれと近づいた時だった。
少しずつ感じていた頭の痛みは抑えきれないほどにまで強くなっていて、どこからか流れ込んでくる寂しさや悲しみのような感情に胸が締め付けられ、心がかき乱される。
……これは、ちょっと無理かも……。
ふらつく頭でそう考えた時、不意に、それのすぐ近くに、別の『何か』があるのが目に入った。
周囲のみんなが、興奮した様子で頭の方からそれを見上げている中、私はふらふらとその輪を外れて、尾の方に向かう。
ズキッ……ズキッ……。
痛みが一層激しくなる中、それでも何かが俺を引き寄せている気がした。あそこに、何かがある……そう確信しながら。
ついには足を引きづるようになって、それでも尾の方に向かう私に、ロイドが気付いた。
「ニコラ!? おい、大丈夫か!?」
駆け寄ってきたロイドに、肩を支えられる。
そこでようやく、みんなが異変に気が付いた。慌ててこちらに駆け寄ってくる足音が、遠くに聞こえる。
「ロイド……あそこに、何かあるの。お願い……私、もう……ちょっと、無理」
それだけ告げると、私は意識が遠のいていくのを感じた。
力が抜け、倒れそうになる私の体をロイドがしっかりと支えてくれる。
そして、ロイドが視線を向けた先。
ドラゴンの死骸の足元には、人間の赤子ほどの大きさの卵が、ひっそりと隠れるように置かれていた。




