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魚人

ーーそれは、私が幼い時の話。

まだ善悪の分別も曖昧なくらいの時のこと。

その日私は小学校から帰って玄関で靴を脱いでいた。父の革靴が並べてあったので、あれっもう帰ってるんだ。と驚いた。父の帰りはいつも遅くて、夜中どんなに眠くても私は必ず起きて出迎えて「おかえり」を言うのが習慣だった。だからこんなに明るい時間に会えるのが嬉しくてつい気持ちが逸り、廊下を走ってリビングに直行した。それが最初の過ちだった。

私は気づかなかったのだ。父の革靴の横に並べられた、母のものとは違う、女物のパンプスに。

…そこからの記憶は、とても鮮明だ。

私は気づけば床に伏して泣いていて、優しかった父は鬼の形相で私の髪を乱暴に掴み、脅す。

「いいか、母さんには言うなよ」

相手の女はソファに座り、スマホを見ながらタバコを燻らせていた。子供が暴力に曝されているのに一瞥もくれない。

父のあまりの豹変ぶりに私は放心し、頷くしかなかった。後からわかったことだが、父は数年にわたり不倫をしていたのだ。

そしてその一週間後。妊娠のため入院していた母の病院から母が破水したと連絡が来た。その時父はいつも通りの父の顔をしていて、私はひどく安心したのをよく覚えている。怖い父はきっと幻だったのだ。家族思いの、今の父が本当の姿なのだと。

そうして作り上げた仮初の家庭に、妹が現れた。小さくか弱い、私の可愛い妹。

小さな柔い手を包みながら思った。この子のためなら私は今の「幸せ」を守り通そうとーー。




…、……

…………、…。


ーー遠くで声がする。いや、近いのかも?

長い夢から覚めるような心地で、ゆっくりと意識が浮上してゆく。耳が、ざあーざあーという一定の間隔で刻まれる音を拾う。まるで海のようなーー。

「…ん?…あれ?…生きてる?」

ふと、そんな声が右隣から聞こえた。今度はハッキリと近くに。その言葉を皮切りに一気に覚醒した。

それ、私の台詞だぞと。

声の主が気になり瞼を開けようとすると、睫毛が下瞼にくっついているのか剥がそうとすると痛い。少しうめくと喉から咳がごほごほと溢れる。肺に酸素を取り込む感覚に感動を覚えているといつの間にか目は完全に開いていた。痛い。生まれつきの長睫毛、気に入ってたのにな。

ゼーゼーハーハーと息を整えていると右隣から「びっくりしたぁ…」と恐る恐るこちらの様子をうかがう声が聞こえてきた。そういえばと辺りを見渡すとここはどうやら浜辺のようで。さらに声の方に視線をやると、そこには若干逃げ腰の成人男性の姿があった。身長は高く目盛りでも180cmは優に超えている。そして何より目を惹かれるのが、頭から伸びる珊瑚のような対の角と腰のあたりから伸びる爬虫類のような鱗を纏う尻尾?かわからないけれど、とにかく只人ではないことだけはその容貌からうかがえる。

でも、私を助けてくれたのはどうやら彼のようだ。私に対する好奇心半分怯え半分の姿勢から敵意をまったく感じられないのでそう判断した。

ひとつ咳払いをし、私は佇まいを直すと「助けてくれてありがとうございました」と言った。

「私の名前は咲希と言います」

「あっいえ、その、どう致しまして…。えっと、僕の名前はへレガル…です」

大きな体を縮こまらせてそう名乗り、ヘレガルさんは何故か目を合わせずに私と距離をとった。ハッと我に返り自分の服を見たが、幸いこちらの世界に召喚される際に厚手生地の民族服のようなものに着替えさせられていたため、白Yシャツで肌スッケスケということはない。なら顔?メイクは確実に全落ちだろうし…くっ鏡が欲しい!

私が羞恥に顔を赤くしていると、ヘレガルさんは「あの」と話しかけてきた。

「サキ…さんは、何で海底洞窟に居たの?」

「え?海底洞窟?」

「え?覚えてないの?」

お互いえ?え??と言いながら首を傾げる。言葉覚えたての原始人かな?じゃなくて、彼は今「海底」と言った?

「私、海の中に居たんですか?」

「う、うん。っていってもそんなに深くないけど。入り組んだ岩場に流れてきたから、最初見た時てっきり水死体が引っ掛かってるのかと思ってびっくりした」

「入り組んだ岩場…」

ええっとつまり、私の記憶違いでなければ、あの洞窟の地下水脈はこの海に通じていて、溺死しかけていたところをヘレガルさんが助けてくれたと。…ん?待てよ。

「ヘレガルさんはどうやって私を見つけてくれたんですか?」

「どうやってって…。それは普通に、ちょっと休憩したくていい感じの岩場で昼寝しようと思ったら、たまたま見つけたっていうか。ほら、僕魚人だし」

そう言ってヘレガルさんは長い尻尾?をゆらゆらさせる。蛇に似たそれは重厚だがしなやかに動く。複雑な色彩の光沢を帯びた鱗につい見惚れてしまった。それにしてもぎょじん…ええっと魚人?とは。

「魚人って、人魚とは違うんですか?」

「えっ、知らないの?人魚と魚人はぜんぜん違うよ。人魚は胴体から上が人間のヒトで、魚人は陸生と水生で変体する海獣だよ」

「海獣」

目の前で淡々と説明するヘレガルさんを思わずまじまじと見つめてしまう。角と蛇のような尻尾以外は至って普通の人間に見えるが、彼の言うことが本当なら今の姿は陸生仕様ということか。だとすると爬虫類より両生類に近いのかもしれない。召喚された際に神官がこの世界の種族のことをいろいろ説明していた気がするが、内容がファンタジー過ぎて「はえ〜」と気が抜けた感想しか出てこずあまり頭に入らなかった。もっと真剣に聞いておけばよかったな…。

後悔先に立たず。取り敢えずそれは後にして、なにはともあれ私はヘレガルさんに改めて向き直った。

「現状は概ね把握できました。重ねて、ヘレガルさん。助けてくださって本当にありがとうございました。何かお礼が出来ればいいんですが、あいにく身よりも手持ちも何も無くて。ですので何か、私に出来ることがあれば、可能な限りお手伝いさせていただきたいなと思うんですが…」

そう言うとヘレガルさんは何故か目を丸くして黙り込み、困惑したようにこちらを見つめてきた。初対面の、しかも先程まで寝込んでいた相手にいったい何が出来るんだと言う話かもしれないが、それ以外に礼を返す方法が無い。

暫く沈黙し、ようやく口を開いたヘレガルさんが発した言葉は意外なものだった。

「…僕、今、親戚のところに向かう途中なんだけどさ」

「ご親戚?」

「うん。ここからずっと離れた海に住んでる。それで、陸路も使わなくちゃいけないんだけど、僕、陸に上がるのすごく久しぶりで…たぶん四百年ぶりくらい…ちょっとひとりだと怖くて。だから、あの、もしよければ一緒に付いてきてくれないかなー…なんて」

もちろん無理だったら断ってくれてぜんぜん構わないから!と慌てて言い募るヘレガルさんに今度は私が驚く番だった。先ほどから情報量が多すぎる。四百年ぶりて。いったいこのひとは何歳なのか。そもそもその親戚のところに何をしにいくのか。訊ねたいことは山ほどあるが、助けてもらった身で質問攻めするのは気が引けるし、何よりこちらを怖がらせないようファーストコンタクトから謙虚な態度を貫く相手に強気に出るのは何か違うなと思った。

それに同行者がいるなら未知の世界も多少は歩きやすくなるだろう。情報収集をしながら優花と再会することを目標に旅をするのも良いのではないだろうか?

ヘレガルさんの事情がどうあれ、私もこのまま当てもなく彷徨うわけにいかないのだし、お互いメリットがあるなら悪くない提案に思えた。

「…ヘレガルさん」

「は、はい」

「私、ちょっと訳あってものすごく世間知らずでたくさんご迷惑をおかけすると思うんですけど、私も家族を…妹を探している最中なんです。彼女が見つかるまでの間でよければ、ぜひ同行させてください」

そう言い切ると、ヘレガルさんはぱっと顔を上げて私の目を真っ直ぐに見つめた。初めて彼の目をちゃんと見た気がする。夕日が沈む直前の水平線のような、不思議な色をしていた。

「ありがとう、すごい助かる!…あの、実はここだけの話さっき休憩してたって言ったけど、本当はこの辺で二週間くらい立ち往生してたんだよね!」

「二週間?そんなに?!」

「うん。最初は適当に通りかかった漁船の乗組員とかに声かけて一緒に陸まで付いていこうと思ってたんだけど『うわあ!化け物だ!』って矛やら槍やら網やら投げられちゃって…」

で、泣く泣く海中に引き返してどうしようか悩んでいたところに私と出会ったと。

「それはかわいそう…というかそんなに怖がられるくらい魚人って珍しいんですか?」

「さあ…数はそこそこいるはずだけど、陸に上がることが滅多にないから見慣れ無いんじゃない?人魚連中は変身魔法で脚生やして街にいるのをよく見かけるらしいけど」

「なるほど。となると、やっぱり今のヘレガルさんの姿だと街に出た時の人の反応が不安になりますよね。尻尾と角を完全に隠すことって出来るんですか?」

「出来なくはないけど、かなり集中しないと長時間はムリ」

しょぼんと項垂れるヘレガルさん。尻尾と角を隠すのがムリなら人間の私が彼のそばに居てフォローに回るのが現実的か。

「わかりました。私もわからないことだらけですけど、そこはお互い助け合って乗り切りましょう」

「ありがとう。かなり頼もしい…あの、僕も力仕事とか雨乞いなら役に立つと思うから、何かあれば遠慮なく言ってね」

「あまごい…いえ、わかりました。よろしくお願いします」

「うん。あ、あと僕のこと…よ、よ呼び捨てでいいよ。丁寧にされると、その、落ち着かなくて」

「はい…じゃなかった、うん。わかった、ヘレガル」

「…ん、サキ。これからよろしくね」

ふわりとはにかんだ笑みを向けられて、こちらの頬も思わず緩んだ。

謎だらけの同行者と今後どんな旅が待っているのか、不安は尽きないけれど。それでも彼と一緒なら、何とかなる…ううん、むしろ愉しい旅になりそうな、そんな予感がした。

登場人物


咲希(サキ)/24歳/地下水脈からパワフル生還を遂げた悪運つよつよガール。ヘレガルのことは大型犬に見えている。


ヘレガル/云千歳/親戚に召集されたので深海から渋々上がってきた魚人。人間に興味はないがサキのことはなんかちいさくてかわいいなと思っている。

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