ベルネア家の役割
レイシアはそんな兄に陰鬱な視線を向ける。
「悪かったよ。そんなに堪えると思っていなかった」
「お兄様は、私を何だと思っているのですか」
「年の離れた妹」
ディランはそう告げるとスープをすくって冷まし、レイシアの口に運ぶ。レイシアは口を開け、素直に飲み込む。
数口をそうして食べた後、レイシアは恐る恐る聞く。
「陛下は、私を罪に問われますか?」
ディランはきょとんとした後、真顔で言う。
「陛下は王弟殿下が亡くなられる事を、殿下の生前から知っておられたよ。当時の皇太子妃……王妃殿下が未来視をお持ちだからね」
この国の誰もが知っている話だ。国政を支える上でも重要な能力で、誰もが認める王妃だ。
「当時……一年以内に婚約したら死は回避できない。婚約は待つようにと忠告をなされたのに王弟殿下はその一年を待たずに婚約に踏み切られた。だからレイシアを悪く思っておられない。安心しなさい」
「でも、陛下は代償を支払われたと」
「代償は、王弟殿下の婚約者だから」
「……へ?それは普通なのですか?」
「当然だと思うが。王弟殿下が王妃殿下の予言通りに婚約を先延ばしにしていたのに急かしたのは婚約者だ。更に言えば、決闘をするように頼んだのも彼女だ。婚約者が死ぬかも知れないと言われても自分の気持ちを優先させた彼女は王弟殿下を利用しただけで愛していない。これは王弟殿下の愛情を愚弄する行為だ。陛下は未だに怒っておられる」
「代償になるって……」
「聞かない方がいいね」
微妙な間が空く。
「とにかく陛下はお前を悪くは思っておられない。逆に心配しておられたよ」
「心配……ですか?」
「お前の力は狙われる。願いが叶う力なのだから」
レイシアは思わず叫びそうになったが、ディランが開きかけの口にスプーンを突っ込んだ。レイシアは、スプーンに入ったスープの感触に口を閉じごくりと飲み込む。
「お前の強い思いは、口にする事で悪魔に届く。……気を付ける事だ」
レイシアは目を見開き、ディランはスプーンを皿へと戻す。
「陛下が心配しておられた理由は分かるね?」
レイシアは頷く。
「父上が異国を転々としていたのは知っているだろう?」
「はい」
「地獄にも魔族の系譜が幾つか存在し、別の国には別の系譜で半魔の国が作られている。……平民の行き来は簡単でも、貴族の行き来は制約付きの書類を提出し、互いの国で認可が出るまで半年かかるとされている」
レイシアが覚えている限り、父がそんな書類を書いていた記憶はない。
「どの国でも魔族にも存在を許容される。ベルネア侯爵家に生まれた者の持つ最大の特徴だ。だから父上はどの国でも情勢を調べ、各国の情報共有を助ける存在として重要視されていた。しかしお前の様に強い願いを叶えられる程の能力は無かった。この兄にも無いぞ?」
見慣れない言語や名前の手紙で、父の葬式にお悔やみの手紙が大量に届いていた。ディラン曰く、それは酒の取引をしている商人達だけでなく、他国の王侯貴族からの物も多分に含まれていたらしい。
ディランの話から恐ろしい事実に気づき、レイシアは恐る恐る言った。
「私はどうなるのですか?」
ディランは口を暫くつぐんでから告げる。
「婚約の告知と同時に、お前の能力が魔法院で開示された。今やお前は王族をも殺せる存在と認識されてしまっている」
ディランは、そこで顔を引き締める。
「俺はベルネア侯爵家の当主にはなれるが、ベルネア商会の会長として王国の外に出る事ができない」
「どうしてですか?」
「今は教えられない。とにかく駄目なんだ」
苦々しく言うディランの顔は初めて見るものだった。
「そんな……」
レイシアは国外の事など知らない。王国の貴族令嬢としての教育しか受けていないのだ。
「お前しかいない。貴族でなくては入れない場所が多くある」
商人や密偵は平民で、各国の王族や高位貴族に面会する権利を持っていない。だからどうしても侯爵の肩書を持つ会長が直に見聞きした情報が必要なのだと。
ディランは続ける。
「他国との連携も国の状況も王族同士が手紙でやり取りして把握しているが、ベルネア家が定期的に見る必要がある。その役目をお前に担って欲しいのだ」
レイシアは、逼迫した雰囲気のディランに一言も発する事が出来ない。
「汚れた波と言う存在がある」
初めて聞く言葉だが、悪魔よりも酷い存在であるらしい事はディランの表情からも理解できた。
「汚れた波は、この世界に入り込もうとする怪異だ」
ディランは話を続ける。
「汚れた波に世界が浸食されない為、魔族は半魔を生み出した」
「浸食?」
「この世界の法則を書き換えてしまう怪異を我々は浸食と呼んでいる。人も動物も植物も……今の状態を維持できなくなる。人間の世界が無くなればやがて地獄も浸食される。この世界は元の形を失い、やがて消えるだろう。そうならない為には地上の国が団結して波から国を護らねばならない」
だから情報が必要なのだ。
「お兄様は、汚れた波をご覧になった事はあるのですか?」
「あるよ」
ディランは事もなげに言う。
「灰色と黒の入り混じった波が、空間に空いた小さな穴から扇状に拡がって滑る様に打ち寄せて来る。半魔は世界の境界線を少し越えられるから、その先で迎え撃ち浸食を防ぐ。……男性貴族の義務だよ」
「義務?」
「そう。どんなに遠方の地方領主でも社交シーズンにこちらに出て来るだろう?社交シーズンは王都に住む貴族の休息期となっている。王都に領地のない貴族が多く常駐しているのは、全員が汚れた波に対抗する兵力だからさ。貴族の使用人となっている下級貴族もその数に入る。だから、我々は同じ世界や国の中で争っている場合ではないのだよ。己の生まれ持った力を理解し、王の統制の元で汚れた波から国を護らねばならないのだから」
父は汚れた波と戦う際に新たに分かった事や他国の情報を持ち帰る役目にあった。ベルネア侯爵家は代々そういう使命を持った家と言う事になる。兄はその役目を何か事情があって果たせなかったのだ。だからレイシアは今ここに居る。
「女性は……戦わないのですか?」
令嬢も夫人も男性以上に魔法に長けている者が存在する。それなのに、この事実は女性の淑女教育に一切入っていないのだ。
「戦わない」
ディランは静かに言った。
「王国悪魔は愛する女性を危険に晒さない。だから隠し続けている」
教えられたレイシアは一体何なのか。知らない事も不公平、知る事も不公平。レイシアは思わず唇を噛みしめた。
「お前は特別」
ディランは優しい眼差しをレイシアに向ける。
「レイシアの魔法の腕は俺と同等だ。勝てる者の方が少ない。それに他の令嬢よりも知識は遥かに多いよ。俺はお前が旅立つ事を考えて教育してきた。他者と交流させなかったのは、勉強内容の異質さを悟られない為だ」
比較対象がない為、レイシアは今までの自分の暮らしがそれ程異質だと思えない。ディランの狙い通りともいえる。
「他国の貴族は、別系統の半魔だ。お前を結婚の相手にはまず選ばない」
「どうしてですか?」
「系統の違う半魔の間には子供が生まれない。過去幾度か婚姻が成されているが、一度として子が生まれていない」
ディランが言うには、始祖がかけ離れ過ぎているせいだという。
「だから、外国ではお前を結婚相手にと考える貴族は居ない。その中で仕事をする方が国内に居るよりも安全だ」
王族殺しすら可能な令嬢。王弟すら貴族の令嬢に操られ死んだ。卑劣な手段を使って手に入れようとする者はいくらでも出て来る。
「国外へ行く事で、国益と私の安全が確保できるという事ですか?」
「そうだ」
「しかし……私には外交のお仕事をする様な知識がありません」
「心配するな。ベルネア侯爵家の者は予備知識なしに国外に出るのが慣例だ。それはわざとだ」
「酷いわ」
レシアイが眉を下げると、ディランは頭を撫でた。
「可愛いレイシア。ベルネア侯爵家の血に宿る能力を信じなさい。お前なら大丈夫」