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梁上の君子・石川五右衛門  作者: ウィザード・T
第八章 三増峠に思いのたけを
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異世界の住人

「そうだ!俺様が石川五右衛門だ!」


 その男は大舞台にふさわしい名乗りを上げ、秋の緑と黄色が混じった街道を極彩色に彩らんと欲した。


「謀られたか…!いつの間に…!」

「猪武者なら聞いたことあるけど、猪忍者なんて聞いた事がねえよ!」

「だから言っただろう、こ奴らはもう忍びではなくサムライだと……」

「殺!」

 

 もっとも、敵はそんな舞台の台本など真っ当に読む存在ではない。

 それこそ台本にない筋書きを勝手に追加し、自分の思う通りの筋書きを作ろうとする。もちろんそんなごり押しが実を結ぶ訳もない。


「てめえはどこまでも無粋だな!そんなんだから俺様に出し抜かれるんだろうが!」

「忍びに粋は無用!」

「俺様さえ殺せばすべてうまく行くとか言うおめでたい頭しやがって!」


 半蔵正成は小太郎に背を向け、後ろから来た宿敵に向けて刃を放つ。


 小太郎との戦いでは決して振りかざさなかった、毒の刃。


 懐から次々取り出された針は、石川五右衛門と言う存在を屠るためだけに宙を舞う。

 だが石川五右衛門と言う存在は、武士ではない。



「せっかく二対二で公平にやろうと思ったのによ、てめえのせいで全部台無しじゃねえか!」


 状況が悪くなればすぐに逃げ出す事の出来る恥知らずであり、それこそ武士の真逆の存在だった。

 元々サムライが嫌いで嫌いでしょうがない五右衛門が相手ならば、たやすく読めたはずの行いだった。


「一対一の何が悪い……!」

「そうですよねっ!」



 だが正成も正就も、石川五右衛門と言う存在を知らなさ過ぎたと言うか知りたくなかった。

 知れば知るほど自分が汚れる気がして耳を塞ぎたくなり、小田原の後は半謹慎状態だったとは言え所在さえも詳しく確かめようとしていなかった。本多正信殺害と共に解放されたもののそれでも情報は極めて乏しく小田原にて配下を暴れさせたのも蘆名領で匿われていると決めつけての行いであり、そうでないとは欠片も思っていなかった。


 実際それは正解であり、不正解だった。



「蘆名政宗はただの武士…ただの大名…ただし何もかも一流だっただけ。石川五右衛門と付き合う事は出来ても抑え込む事などできるはずもない……」


 自分を正就に丸投げして追いかけようとする正成に対し、小太郎は背中に手裏剣を投げ付ける。

 正成は振り返って足を止め、手裏剣を弾く事しかできない。当然、五右衛門は遠くへ行く。


「言うなればよそ者である蘆名政宗如きに左右されるほど忍びとは弱い物か?彼の能力ならばいずれこの地に根を下ろすが今ではまだ我の方が強いし、五右衛門も我が匿っている以上大きな事は出来ぬ。領内で盗みも働いていぬしな」

「減らず口を叩くな!」

「蘆名政宗とて五右衛門をどうにかできるほどの力はない……そうして貴様は永遠に会えぬ五右衛門を追い続け、その命尽きるまで五右衛門の巣と見なした場所を食い荒らす……その間に病や事故により五右衛門が死なぬとは限らぬと言うに」

「正就!こ奴はもはや五右衛門に身も心も奪われた!八つ裂きにせよ!」

「了解!」


 それでも結局、正成のやる事は変わらない。

 この世の絶対悪を、例え自分一人になっても狩ってやると言わんばかりに。


 我が子を置き去りにし、父は一人、行く。


「クククククク……寂しいか小僧。悲しければ泣け。怖ければ泣け。誰も咎めぬ…」

「拙者自身が咎める!」

「では行くか……!」


 そして残された息子に対し、父が言う所の絶対悪の眷属は命を奪いにかかる。


 物悲しいはずなのに重苦しさはなく、そしてやけに穏やかな秋風が吹いた。










「うおお……」


 できる限り抑え込まれたはずの口から、勝手に漏れ出す声。


 この世の全てを救えるのは、自分だけ。


 まだ仲間がいるはずなのに、そこまで思いつめる事が出来ていた。


(例え、この身が滅んでも、安寧など与えぬ………!)


 懐をまさぐりながら、走る。今すぐにでも、兵器を繰り出せるように。

 街道でありながらも山深い道を走り、たった一つの悪魔を求める。

 

 常人離れしたその力は文字通り鍛錬の賜物であり、若い時から自分の体をいじめ抜いた結果でもある。本多忠勝のように決して筋骨隆々ではないが細く引き締まった無駄のない肉体はある種の芸術であり、上杉謙信がこの世を去ったのと同じ四十九と言う年齢からくる衰えなど全く無縁だった。だが謙信がそんな年で死んだ原因の半分は酒であり、女を絶つ代わりのように浴びるように飲んでいた酒量が体を蝕んだ事に由来する。

 そして半蔵もまた、しかりだった。


「こざかしい!」


 急ブレーキをかけさせられた半蔵の目の前には張られた一本の綱と、転がっているまきびしがあった。あまりにも古典的なそれだが、気勢をそぐには悪くはない。刀で綱を斬ってやると、丸太の代わりのように木の枝が降り注ぐ。うっかり刺さらない限り痛くはないだろうが、それでも癇には触る。

「これほどの陥穽をとっさに作れるのならば……!」

 

 紛れもない、天才。

 それが道を踏み外すなど、一体何の因果があったと言うのか。


 もし天才ゆえに道を踏み外してしまったのならば、悲劇でしかない。

 道を誤った存在を誰も正せなかった不覚。そして、責務。


 伊賀忍びの長として、果たすべきを果たさねばならぬ。



 だと言うのに!



「裏の裏を掻く気か!」



 わざとらしく草で隠された落とし穴。引っかかってくれと言わんばかりの囮を顧みる事なく、街道を少し離れて木に飛び移り、その間を飛ぶ。枝の揺れる音さえせず、全ての技を注ぎ込む。


「むん!」


 その甲斐あってか、逃げる男の背中を捉えた。ここぞとばかりに一撃を放つが、射程距離が足りていないはずなのに飛び上がって逃げる。

 しめたとばかりに木から飛び降り、わざとらしく音を立てて着地。その体勢のまま、再び足を動かす。

 敵は動こうとしない。

 そのまま、こちらを見据えている。

 用意がある事は間違いないが、それでも逃げ回られるよりずっと都合がいい。




「ようやく観念したか…!」


 そう、石川五右衛門。


「それはてめえだろ」

「どこに逃げる?西に行けばそこは徳川領。誰も貴様を許さない」

 相模の南西は伊豆だが、西は駿河だ。伊豆は北条氏照の縄張りだからまだいいとしても、ここから伊豆へ向かう道など半蔵も五右衛門も知らない。それこそ良くて運任せであり、最悪駿河や甲州、信濃へ行ってしまう事もある。四年前真田昌幸に上田城で敗北した事もあり支配は不徹底だが、それでも南信もまた十分に徳川領だった。


「貴様は伊賀忍びの全てを汚し、この世の全てを自分の財貨にせんと欲している。貴様がいる限り秩序は永遠にまとまらず、争いの世は止まぬ。邪なる知を捨て、ただ主のために滅私奉公する事こそ忍びの習い」

「その先にいったい何があるっつーんだよ!」

「そんな事を気にする必要などない!」

「オサムライサマはいつもそうじゃねえか!自分たちの利益のために平気で死ぬ!偉い奴が平気で死ぬもんだから偉くない奴はのうのうと生きていられなくなる!殺し合いなら勝手にやってろ!」


 五右衛門の言いたいことが、半蔵には本気でわからない。まるで自分たちが平気で死のうとする事自体が庶民を苦しめているみたいに言われても、それはまったく自分が責任者だからとしか言いようがない。


「どこの世から、来たと言うのだ……!」

「てめえと同じとこからだよ!」 

「貴様は人ではない!」


 あまりにも無責任。自分がどれほどの存在であるかも全く認識せず、自儘に振舞いその名前から逃げようとする。どういう形にせよ広まった名前からは逃げようもなく、それこそ生涯付き合わねばならぬ業だと言うにちっとも反省の色を見せようとしない。

「貴様は己が欲望のために」

「んなもんは全員同じだろ!源頼朝だって足利尊氏だって、みんな自分の欲望のために国中の連中を引っ搔き回した!そして俺様よりずっと人を殺した!金だって奪った!いったい何の差がある!」

 舌を動かすのをやめない輩に刃を投げるが、届く事はない。弾かれるではなく上に飛ばれ、二の矢・三の矢も共に凌がれる。

「拙者を討とうが結果は変わらぬ、いずれ黄泉の閻魔が地獄へと貴様を誘う!」

「そんな事が怖くてんな真似ができるか!てめえこそ大好きなゴシュジンサマを裏切っておいてよくもまあのほほんとしてられるな!」

「今は貴様に呪われ、弱気の虫に心を占められている!貴様を首にした暁には、必ずや元のご主君様に戻られる!」


 その一撃と共に、今度は自ら斬り込まんとする。

 五右衛門は動かず、腰に付けていた袋の紐を切る。

 そして半蔵が二本の手裏剣を投げながら斬り込みにかかると同時に、五右衛門は袋を投げ付ける。

 厚手の布にくるまれた、黒い物体。


 火薬球か。


 それにしては火種がない。


「ええい!」


 半蔵は右ひじでその物体を叩き落とし、手裏剣を弾いた反動で体勢が崩れている五右衛門へと斬りかかる。

「てめえ、ついに狂ったか!」

「貴様の狂気はもはやこれまでだ!」

 動揺の色を隠せない五右衛門の首目がけて、振り下ろされた刀。

 


 これまでの人生の全てを込めての一撃。


 正義は勝ち、悪は滅ぶ。


 新たなる時代を開くはずの一撃。







 そう、新たなる時代を開くはずの、一撃。







「間に合ったか!」


 だがその一撃が五右衛門の首に届く前に、半蔵は地面を転がらざるを得なくなった。




 一本の槍が、自分の肉体を目がけて飛んできているのに気付いたからだ。




「遅せえじゃねえかよ!」

「松風が本当に優しくてよ、小田原の皆様の亡骸を運んでたらこうなったんだよ……ま、いいじゃねえの」


 五右衛門とどこかで見た男が話す中、半蔵の目は全く別の所に向かっていた。




 自分を狙おうとした、槍に。







(—————蜻蛉切ではないか!)

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