石田三成の名前を盾に
「既に書状は蘆名政宗の下へ届いたはず!
三日以内に天下の大罪人を引き渡せば貴公を天下の武士と認め関白殿下にも深く忠義ありと申し述べる、もしそれを怠ればその方は謀叛人であり今年が終わるまでにその首と胴は離れていると!」
六月九日。
駿府城にて、本多忠勝は兵たちを前に演説を行った。
後ろには福松丸(武田信吉)が座らされており、忠勝の隣には大久保彦左衛門が控えている。
「この国の民にとって何が必要か!何が不必要か!その答えはあまりにも明白である!にもかかわらず蘆名政宗はその不必要、いや害毒とでも言うべき存在を用い我らが忠臣酒井小五郎様を殺めた!
いや、それはあくまでも徳川家内の恨みつらみである!
より大きな存在を、その男は手にかけた!そう、関白殿下の腹心!石田治部少輔殿である!」
石田三成とか言うほとんど没交渉な存在の名前を堂々と振りかざす忠勝の顔には迷いなど全くない。
大義名分にされている石田三成がどう考えているかなど全く無視である。確かに無念を抱えているかもしれないが、それを知る由もその気も忠勝には全くない。あるとすれば服部半蔵だが、その半蔵が何をしていたか。
(お館様に巣食う弱気の虫があそこまで凶悪だったとはな……)
忠勝は心底から嘆いていた。
本多正信とその家族や部下たちをほぼ皆殺しにし三男の忠純のみを自分の息子たちと共に激しく刀剣を振らせているが、それでもなお家康は石川五右衛門を真剣に討伐する気がないらしい。
とっくの昔に石川五右衛門を討伐した暁には忠勝自ら腹を切りすべての権利を家康に返すぐらいの覚悟はできている。忠勝はその旨を記した書状を実は正信在世の頃から何通も家康にやっていたが、梨の礫だった。
実は家康自身、伊達政宗と言う人物を好いていなかった。
あまりにも荒々しく、好き放題暴れ回り周囲の人間に害を与える。それで雑兵であったり才覚がなかったりすればそれまでだが、残念ながら政宗にはどっちもあった。それゆえにその存在は肥大して世の中を振り回し、多くの人間に無駄に打撃を与える。あるいは生み出す物も多いかもしれないが、それ以上に世の中が傷つく。乱世の終わりかけには不要な存在。
家康のその人物評に忠勝は当然の如く感じ入り、そんな存在と石川五右衛門が結び付いている現状に危機感を覚えた。
「蘆名政宗に関白殿下並びに対し謀反の心ある事未だ明白、ゆえに豊臣家家臣徳川の名をもって成敗し関東に入封される諸大名の道を清めん—————」
家康に五右衛門討伐を無理強いする一方で、秀吉にはこんな書状を送り付けていた。
それを止める人間など誰もいないのが、今の徳川家だった。
※※※※※※
「蘆名政宗とて所詮は侍であり人です。まもなく、恥を覚え天下の凶賊の首を持ち込んでまいります」
「その信仰はどこから来る?」
浜松城の本丸屋敷にて、家康は平岩親吉と言う目を爛々と輝かせた存在の熱弁を聞かされていた。信仰とか言うおおよそ理論的ではない単語を聞かされても親吉の目はちっとも輝きを失わず、むしろ余計にきらめき出す。
「今、世は戦乱の時を終えようとしております。時に治極まる時乱起こり、乱極まる時治に入ると諸葛孔明も申し述べておりました」
「だから何が言いたい」
「ですからもはや乱を極めた時代の象徴である石川五右衛門とか言う存在はこの国に、いやこの世には不要でございます。地獄の閻魔大王に送り返してやるべきです。ああ地獄すらお断りかもしれませぬがな」
「で、事成れれば死ぬ気か。五右衛門と同じ所へ行くのか」
「一向に構いませぬ。お館様のみが天に上るためにこうしているのですから」
話せば話すだけ親吉の笑顔が明るくなる。平たく言えば他人の悪口なのだがそれを聞きとして話す有様と来たら今まで生きてきて一番幸せそうでこれを邪魔すれば邪魔した瞬間悪人になれそうだった。
「では聞くが、なぜ正信を説こうと思わなんだ?」
「あれは腰抜けと言うよりただ血を見るのが怖いだけです。ずいぶんと調子のいい事でも言っていたのでしょう、血が流れる量は少ない方がいいと」
「正信は真面目に物を言っていたのだがな」
「ええ……?」
そして家康が正信の事を評価するとあからさまに顔を歪める。
好き嫌いではない、単純に不可解。なぜそんな男を評価するのかと言いたげなほどの、それこそ物の怪にでもあったような時の顔を家康に見せつける。
「馬鹿者!世には多数の人間がいる事をお主はわからんのか!」
「美辞麗句を並べ立て主君の機嫌を取る事には達者なくせに後は何も出来ぬ人間のがいる事もそれがしは存じておりますが」
「弥八郎がそうだというのか!」
「それがしは石田三成の事を言っているのですが?」
少しばかり激高しようとすると揚げ足取りに走り、主君の顔が熱くなるのをむしろ喜んでいる。不可解に思う事はあっても決して怒る事はなく、親吉が笑顔を絶やす事は全くない。
「石田三成と言う人物はそれこそ小利口小才子であり、此度北条征伐を命じられた際に一軍の司令官を任され無駄に張り切り、最後の最後までええかっこしいをやめないままあの世へと旅立ってしまいました。これこそ美辞麗句を並べ立て主君の機嫌を取る事には達者なくせに後は何も出来ぬ人間だと思われますが」
「違う。石田三成は世の中の理を重んじすぎる余り戦場と言う名のすぐ状況が変わりかつ予想外の事態が起き続ける環境に対応できなかったのだ」
「お館様は虫下しをお呑みになられるべきですな」
そんな親吉の人物評に対し家康が反論すると親吉の顔色はようやく曇るが、口はちっとも減らなかった。それどころか急に上から目線になり、家康の自尊心をいたく傷付けにかかる。
「何……」
「平たく申し上げれば、お館様は弱気の虫にやられているのです。それも心の臓の奥深くまで」
そして家康が少しばかりひるむや、ここぞとばかりに迫るその有様は借り物ではなく本当の親吉の言葉であり、親吉の上にいる人間の言葉だった。
「そなたは正信がその虫を可愛がっていたとのたまう気か」
「そうですそうです、ようやくおわかりいただけましたか」
「そなたの主人は誰だ」
「お館様でございます」
この上なく噓くさい、いや完全な嘘なのに何の曇りもない。
そんなだから忠勝は親吉を家康に付けたし、大久保兄弟らを見張らせている鳥居元忠もおそらくまったく同じ穴の狢。
「ならば今すぐ忠勝を呼び出せ。わしへの謀反により処断すると」
「どうして左様に石川五右衛門をお守りなさるのです。お館様は何か弱みでも五右衛門に握られているのですか」
「五右衛門などどうでも良い」
「それは盗人の跳梁跋扈を許すと言う事です、それこそ弱気の虫の証です」
「わしは徳川家の当主なるぞ!徳川と言う御家の中で最大の権力の持ち主ぞ!」
「それが石川五右衛門の跳梁跋扈をお認めになるのですか?二〇〇万石近い、天下第二の御家の当主が、石川五右衛門に好き勝手しろとお命じになると?」
「そんな訳はあるまい。盗みに入って来たら捕えて斬るまで」
「では我々の下に来ぬ限りは永遠に放置すると言う事ですか、それこそ我々が五右衛門を認めていると言う何よりの証左でございましょう、ああ嘆かわしい嘆かわしい……!」
—————狂っている。
親吉は間違いなく、まったく真剣に物を言っている。その上で、全く会話がかみ合わない。
「この!」
そんな力を持った狂人に対し何をすべきか。
その手段に思い至った家康はすぐさまその手段を行使せんとした。
「五右衛門侵入!」
その手段に対し平岩親吉と言う狂人はすぐさま手段を講じ、仲間を呼び集め家康を取り囲む。
自分が鍛えたも同然とは言え、あまりにも手早い行動。
刀を握るどころか一発殴る事さえもできないまま、家康はすぐさま座らされる。
「少なくとも五人、あくまでも石川五右衛門とやらを守らんと欲する天魔を見張れ。良いか、これからはお館様と寝食を共にし天魔を一歩たりとも近づけるな」
「はっ!」
親吉の決意の言葉と共に、家康は自分に与えられた最後の機会もなくなったのを認めざるを得なくなった。
おとなしく何も言わず着座した家康に対し、親吉の言葉通りに残った五人は親吉と同じ目をして、同じ笑顔をしていた。




