選択
越後に現れた男たちは、ずいぶんと薄汚れていた。
身ぎれいにしようにも先立つ物がなく文字通りの着の身着のままであり、その代わりのように眼だけは輝いていた。
そして、懐は妙な程に暖かかった。
「これほどの文があれば」
「信じぬ訳にはまいりますまい……」
「誰よりも信義厚きお方の跡目で生き写しと評判……」
上杉景勝。
彼だけが男たちにとって最後の希望だった。
佐野氏忠を殺したのは、石川五右衛門。
佐竹の偽軍勢、西で暴れた山賊、北で一揆をおこした農民。
それらを搔き立てあるいは作り上げたのがすべて、石川五右衛門の手先。
そして唐沢山城から器を盗んだのも、石川五右衛門。
それらを足の付かない道筋で売り捌き金に換えた事。
これらの事実をまとめ上げた書を、彼らは抱え込んでいた。
ちなみに最後だけは当て推量だが、正解だった。
全部正解だった。
「これらの証を……!!」
上杉景勝にぶつける。そうすれば石川五右衛門の非道さを思い知り、五右衛門を討つために立ち上がってくれる。
(何が独眼竜だ!あんな男の傀儡になって……!!)
間違いなく、五右衛門は蘆名政宗の配下となっている。いや、五右衛門が政宗を操っている。
でなければ北条の援軍とか言ういけ図々しい真似をして二人も将を殺しておきながら最後の最後で北条家を見捨て蘆名とか言う名前を得てまで北条を見捨てるようなことはしない—————。
だがそれを公開するには、あまりにも伝手がなさ過ぎた。
北条家本体は蘆名政宗に事実上降ってしまったし、前田利家以下の織田重臣とのつながりなどあろうはずもない。秀吉は石田三成を討たれているからまだ話も取り次げそうだったが、その秀吉が政宗の降伏を受け入れてしまった以上今更蒸し返すのも無理だろうし秀吉はとっくに大坂に帰ってしまっているだろう。
結局佐野遺臣たちが頼れるのは、西の真田・徳川・上杉か東の佐竹かしかなかった。だが徳川はあまりにも唐突に領土を割かれたのでまだまともな人員が入っておらず論外と言え、真田は本来の佐野当主と言うべき佐野了伯を抱えており、佐野氏忠とか言う北条家からの押し込まれた存在の家臣など受け入れるはずがない。そして佐竹は下野の西端に押し込まれていた遺臣たちからするとあまりに遠く、山賊同然の風体になってしまった人間が通れる距離ではない上に蘆名政宗の息がかかりまくっている住民たちしかいない以上通れっこない。上野も上野で遠いが、それでも常陸に行くよりは望みがあった。
「貴殿らが佐野家の家臣の方々ですか?」
そんな落ち武者たちを出迎えたのは、愛の印が付いた兜をかぶった男と百名ほどの兵だった。
「貴公は…!」
「直江山城守でございます」
直江山城守こと直江兼続。まだ三十ながら上杉の執政とでも言うほどに権威を持ち佐渡一国の支配を任された英才。
上杉景勝の側近と言うだけでも期待値は上がり、希望に胸が燃え出す。
「長旅でお疲れでございましょう。とりあえず一晩の宿を用意いたしました」
「誠にありがたきご処置……」
ゆっくりと下馬した兼続にわずかに遅れて頭を下げた落ち武者たちは、武器を兵たちを直江の旗を掲げた兵に預けながら屋敷に入った。
「ささ、皆様をおもてなしせよ」
そして書状を兼続に渡すや次々と服を脱がされ、水浴びをし、握り飯とか焼き米とも違う汁の付いた膳を与えられる。屋敷はいささか荒れ気味でがもてなしは丁重であり、兵たちの世話も丁寧だった。
唐沢山城が陥落してからそれこそ初めてかもしれぬほどの人間らしい扱い。それまでの間で溜まった垢も泥も落とされ、きれいな体になって行く。ついでに擦り切れまくっていた布も新たなそれが用意され、本来の侍らしい姿になって行く。
「ここまでしていただけるとは感激ですな」
飯を運ぶ彼らの顔には強張りもなく、実に幸せそうだった。
「とは言えだ、仮に受け入れてくれたとして、いつ頃動いてくれるのか……?」
「まだ冬には早かろう。景勝殿の義憤が将兵を動かし石川五右衛門を焼き蘆名政宗の目を覚ますだろう。無論真田や前田、最上などにも石川五右衛門の罪を伝播しこの国の平穏を取り戻してくれるだろう。そして、誰よりも伊達政道だ」
そうなると兵たちの心にも余裕が生まれ、次どうするかを考えるようになる。そしてその中で真っ先に考え、真っ先に排除した存在が浮かび上がって来る。
「北に行ければ良かったのだが……兄の乱行を誰よりも憂い、誰よりも真摯に収めるべきはずの人材と接触できぬのは誠に悔しい……」
「甲斐姫からの接触の道あらば良かったのだが……」
伊達政道はあんな男に惑わされた兄と違い、真面目でまともな男だと聞いている。母も兄以上に期待していたとも言い、それこそ立派なサムライに育っているのは間違いないだろう。
それに、北条家の家臣であった成田家の甲斐姫を娶ったとも言う。甲斐姫とは全く面識がないが、北条の縁者である事は変わりない以上接触に成功すればそれこそ大きな手助けとなる。
そうして伊達家を取り込めば石川五右衛門と蘆名政宗への復讐はたやすい。その先には佐野家の復興が待つ。あるいは真田や北条宗家などとも話をせねばならぬかもしれぬがそれでも構わぬ。
(いっそ下野でなくともいい……)
この一件で取り潰されるだろう蘆名の相模を北条に返還させ、代わりに伊豆にでも入ってそこで佐野家を立てる。そこまでできればもう悔いはない。
彼らは夢の中にいた。
「山城守様がお呼びでございます、広間へとどうぞ」
やがて膳を平らげた佐野残党は上杉の兵により、広間へと案内される。全員全く戦っていないのに敵将の首を取ったような顔をしており、本当に戦場に出せば一人で五人の敵の首を刎ねられそうだった。
で、そんな精鋭集団がいざ広間に入ってみると、直江兼続はおろか誰もいない。
「まあお忙しいのだろう」
「上杉様があるいは来るかもしれんな」
彼らは実に楽しそうに言葉を交わしていた。気分が高揚し言葉は大きくなり、この数か月の忍従と鬱屈が逆転したかのように躁状態にあった。
そんな彼らの後ろのふすまが開いたのは、彼らが膳を平らげてから十分後、広間にたどり着いてから三分後の事だった。
そして。
「なぜだ…!」
「わーっ、ギャーッ!」
「このぉ……!」
「おのれぇぇぇ……!」
いくつかの叫び声と共に、せっかくここまで持って来た命が消えて行く。
あるいはおとなしく堀家の家臣になっていればそれなりに生きられたのに、その命が氏忠の下へと向かわせられる。
「おのれ、いじがわ、ごへもんめぇ……」
最後の一人がそううめくと共に、この殺戮劇は終わった。
そして上杉の兵たちは彼らの遺体を一つずつ丁重に運び出し、適当な墓地に運ぶ手はずを整える。彼らの最後の血となった広間の床ははぎとられ、その墓地と同じ寺に向けて血天井として運ばれる事となる。
「全て終わりました」
「私自ら寺に向かおう。そなたらはしっかりと火を点けてくれ」
直江兼続は死体と血天井を積んだ荷車と共に、寺へと向かう。
(……石川五右衛門について是と言う気は一つもない。だが我々武士の狂気をもって五右衛門に当たれば必ずや砕かれる。彼らの五右衛門への憎しみは莫大であると同時に妄信的であり狂信的だ。五右衛門と戦ってくれなければ絶対悪だ、と……)
兼続は彼らが残した書を読み、それが真実だと理解した上でこんな処置を施した。もしでたらめならばそれこそ適当な理由を付けて追い払うか前田利家にでも引き渡す予定だったが、そのあまりにも確かすぎる調べっぷりに兼続は恐怖を覚えた。
確かに上杉は信義を重んずる。されど狂気に付き合うほど余裕がある訳でもないし、それ以上に上杉家を守らなければならない。
狂気に駆られては五右衛門はおろか誰にも勝てぬ。
なればこそその手を払いのけた。
地獄の血の池から生える手を。
(もし狂気と憎しみに負ける者あらば、それだけで五右衛門の勝利である。我々はじっと静寂と秩序に浸り、向こうが動いて来るまでは動いてはならぬ……!)
兼続は自分が焼いた佐野残党と同じように、自分の思案が日ノ本中のサムライに伝わるように祈った。
そして勇士を無下にしたその罪を味わわされるかのように、兼続の思案もまた届かなかった。




