風魔小太郎の「最後の忠義」
「誰一人、口を開かずか……」
「すいません、つい恨みつらみに駆られて……」
風魔小太郎の手により偽足軽、偽北条軍の一党は全滅した。
だが大半は捕まる前に討ち死にし、捕らえられた連中も自害したか最後まで口を開かなかった。
ある商家の一家を皆殺しにした男は小太郎に寄り縛られたまま小田原の住民たちに拷問と称して袋叩きにされたが、痛がることさえせずに揺られ続け最終的には猿ぐつわをされたまま血を吐こうとしてそのまま死んだ。
「小田原の平穏をよく思わぬ存在がいる。連中の目的は金でも功名心でもない、ただ小田原の混乱のみ…」
「そんな無茶苦茶な!」
「いかにも。連中は見ての通り相当に力を持った存在に率いられている。だがこれがこんな使われ方をしたとなればそれこそ悲劇であり、誰も幸福にしない」
「戦は終わったはずじゃねえんですか……」
「拙者とてそう思いたい、されどそれでは困ると言い出す存在がいるのもまた事実である……」
風魔小太郎の言葉が、小田原の大地に沈み込む。
あれほど凄惨な死に方をしたはずなのに悔しがりこそすれ痛がりなどしていない人間の死骸。おそらくは嘲笑っているだろう魂の持ち主を下に、小太郎はいつになく雄弁に舌を回す。
「でもこういう事をするのは誰なのだ、無論ただの野盗ではあるまいが」
「断言はできませぬが、おそらくは徳川…」
—————徳川。
その二文字だけで、北条氏光は理解したくもないのに理解できた。
「そなたも取り越し苦労をする。徳川家康と言う人物がこんな真似をするか」
「徳川家康ならばなさらぬでしょうな。しかし家康殿の権威が落ちていたとすれば話は別です」
「家康の権威?」
「ええ、何らかの原因により家康が権威を失い、このような事ができる人間が上に立ったとなれば話は別です」
氏光の取り繕いにも、小太郎の返答は容赦がない。
この展開になって宙に浮き気味とは言え北条氏規がいる以上、徳川の事は把握しているつもりだった。それがいきなりこんな真似をするなど予想もしえなかった。
「徳川殿の権威を覆すような必要がある存在は誰だと言うのだ」
「そんな者はおりません。ただし家康の軟弱を憤る存在ならばおります」
「軟弱?」
「これ以上の説明は要りますまい」
小太郎の顔色は冴えない。
「どうしたんですかい小太郎様!」
元から忍びと言う役割相応の血の気の薄い顔色をしていたが、氏光だけでなく庶民から見てもわかるほどに血色をなくしていた。氏光が馬鹿な事を聞いたなと視線を落とすと、小太郎は視線の先に浴びせるようにため息を落とす。
「氏光様……」
「すまぬ、詳しく教えてくれ」
「賢き人間には程度がございますが、愚かな人間には程度がございませぬ」
「はあ……」
「それってもしや」
「おそらく徳川家内で謀反が起こったと思われます」
「重ねてすまん、本当に意味が分からん」
跡目争いにしても長男の信康はとっくに亡くなっており次男の秀康は豊臣家の養子となっており、三男の秀忠はまだ十二歳だが順当にいけば後継者となるはずであり、少なくとも悪い噂は氏光に入っていない。そんな状況で二人いるとは言え秀忠の弟を立てて何をする気か—————。
とか言うごもっともなお話ではないのは理解できたのだろうが、それでもなぜこうなったのかについては皆目分からないと言うのが氏光の真剣な本音だった。小太郎もまた、仕方がないと言った顔をしている。
「端的に申し上げます。徳川忍びたちが狙っているのはこの小田原などではなく、一人の男の首だけです」
「蘆名殿か」
「いえ、石川五右衛門です」
「石川五右衛門……?」
石川五右衛門と聞かされた氏光たちの顔から、一気に気力が失せた。
「石川五右衛門って、ただの泥棒でしょ?」
「まあ北条の味方をしてくれたけど……」
「まさかさ、酒井様ってお偉いさんを殺したせいか……?」
領民たちも不可解極まりないと言わんばかりに騒ぎ出し、氏光もまたため息を吐きそうにしている。
「小太郎……」
「いえ、全く真剣です。服部半蔵めが小田原で暴れたのも石川五右衛門を殺すためでした」
「確かに五右衛門は酒井忠次や石田三成を死に追いやった存在だとも言えるが、それがなぜこうも拘泥されねばならぬ?領民たちの前で酷な話だが、戦場における生死はお互い様と言う事のはずだが」
「戦場だと思っていないからです。
おそらくは、処刑。ただそれだけです」
処刑と言う言葉は、上から目線のそれである。
戦とか喧嘩とかのような平等性はなく、処刑人と言う役職を持った存在が、公的な罪を背負った罪人に刑を下す行い。
「石川五右衛門はいつから徳川の人間になった」
「五右衛門は天下の大泥棒です。天下の罪人です。ですから殺して何が悪いと」
「確かに理屈の上ではそうだな。それでそなたは今蘆名家の人間だろう。五右衛門もなのか」
「まさか。あれが蘆名政宗の下にいたとしてもそれはただ単にいてやってると言うだけの存在です。いつ何時出て行くか拙者ですらわかりませんから」
「じゃあなんで小田原で暴れまわったんですか!徳川の忍びが!」
「石川五右衛門を憎まないならばどうなってもいいと言う事だ」
小太郎の言葉が、小田原の住民の心を地に叩き付ける。
五右衛門が小田原の住民に対して何かをしたと言う話はない。唯一小田原城から北条の秘宝と言うべき刀剣を何本か掠め取ったが、あの大混乱で失われていた可能性もあった上にその前に北条を連勝させたお礼だと思えばさほど腹も立たないのは事実だった。
「そんな!それじゃこれからも小田原は!」
「狙われよう。町全部を上げて石川五右衛門を殺しに行かねばな」
小田原の住民たちは真っ青になった。
「ふざけんな!なんでそんな!」
「俺たちはもう静かに暮らしたいだけなのによ!」
「石川五右衛門とかどうでもいいだろ!」
「五右衛門は嫌いか?」
「北条のために二回も戦ってくれたんだろ!」
「好きでもねえけど嫌いでもねえ!」
「どっちでもいいんだよ!」
「そう、まさにそれだ……!」
石川五右衛門に付くか、自分たちに付くかのあまりにも理不尽な二者択一。
しかも沈黙は不服従だと言わんばかりの暴虐な行い。せっかく戦は終わったはずなのに余計に危険かつ理不尽な運命に巻き込まれねばならないのか。
確かに恩人でないとは言わないが、正直どうでもいい存在。
そんな存在のためになぜ……!
「……そなた、いや……」
「ご案じめさるな。まだ小田原に奉公するぐらいの甲斐性は残っております」
「しかしそれでは蘆名殿が」
「蘆名殿ではなく、我らが手により小田原を守るのです。無論できる限りであり、少しばかり力を貸してもらいますが」
「我々も戦わせてくれ!」
「お願いします!」
そんな状況に対し蘆名の家臣となった小太郎は、手を貸すと言う。
もはや北条の人間でないとわかっていてもここまでしてくれている小太郎に氏光は頭を下げ、兵どころか庶民まで従い出す。
「……これが最後かもしれませぬが」
「一向に構わぬ!」
「では……」
小太郎は氏光の耳に何かをささやき、言い終わったと見るや姿を消した。
自分の北条家の人間としての最後の仕事を、終えてやろうと言わんばかりに……。




