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梁上の君子・石川五右衛門  作者: ウィザード・T
第八章 三増峠に思いのたけを
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小田原の混乱

 内乱のような形で北条宗家が倒れた町、小田原。



 この町は名目的には伊豆に移った北条氏照と東の蘆名政宗の支配下にあるが、秀吉がいなくなった後ずっと逗留しているのは新たな領主・上杉義真改め北条氏義の配下となる事が決まっている北条氏光だった。

 氏光はその日以来ずっと小田原の町を歩き、領民に対し毎日のように頭を下げていた。


「北条の責任はどう償っても償いきれる物ではない。どうか新たな主のために尽くしてもらいたい」


 一軒一軒そんな事を言っては頭を下げ、できる限りの補償をした。一応北条家の人間としてそれなりの禄はもらっていたし蓄えはあったから配るぐらいの事は出来たし、傘下の兵たちも土木工事その他に精を出している。

「上杉から来るとか……」

「案ずるな。かつて上杉も我が兄を養子としてもらい受けた事がある。その兄は非業の死を遂げたがそれと同じことをしてはならぬ、さすれば北条の名は汚れる」


 同時に新たなる主にきちんと従うように深く言い聞かせる。氏光は氏康の実子ではなく氏康の弟の子だが紛れもない始祖早雲以来の北条直系であり、「北条」を継ぐには悪くない。一時的ながら北条宗家の座が氏照に移った以上氏照ほど大きな事は言えないが、それでも権威は十分にあった。


(上杉景虎の兄上も養子なら、氏義様も養子……そう思えば少しは腹の虫も治まるかもしれん……)


 そんな血筋を持った氏光の自尊心をわずかに盛り立てているのは、上杉義真が元々畠山義真だったと言う事実だ。今は零落を極めているとは言え鎌倉幕府の名臣畠山重忠の末裔と言う血筋は自分たちの御家を継ぐにふさわしい存在であり、安心と言うか納得もできた。それに北条の姫を娶ると言うか婿入りする以上畠山の人間であり上杉の人間であり、北条の人間にもなる。


 それが感情の落としどころだった。







「わっ…………!」




 そんなすがすがしい敗者になろうとしていた氏光の耳に、悲鳴が入り込む。


 強盗か何かだと思ったが、あまりにも悲鳴が短い。こうなった以上一応町である手前大声を出して他の人々の関心を集めるのが得策なのだが、そうでなくとも何かに襲われれば本能的に悲鳴を上げるのが自然だった。


「相当な手練れだ!」


 氏光がただならぬ物を感じてそう叫ぶとともに氏光の兵だけでなく町人たちも身を竦ませ、氏光の視線に追従する。

 氏光が足音を殺しながら歩くとともに兵たちも従い、町人たちはじっと見守る。荒れた町だからと言う訳ではない、急に戦場が来たような緊張感。




 果たして、氏光たちが見たのは既に息絶えている商人とその家族。

 そして消えていた彼らの私財。


「誰か生きておらぬか探せ!」


 氏光の言葉と共に屋敷に入るが、生存者が期待できなさそうな事はすぐにわかった。


 当主が「わっ」と言う二文字が吐けたのが奇跡のような、鮮やかな殺しぶり。死体はぱっと見では死体とわからないような顔色で、かろうじて大きく開けられた口だけが苦悶を示していた。女子供たちは首を斬られたり首元にわずかな傷跡を残したきり顔が青くなり、血だまりもほとんどない。

 生半な盗賊のそれでない事は明白だった。



「忍び……」


 忍びか。

 でないとしても相当に秩序だった強者達の集まり。

 だがそんな事ができる存在は小田原での戦で消耗されているはず。


 あるいは……



「見つけたぞ裏切り者め!」


 そこまで氏光が思案した所で、一本の棒が飛んで来た。

 氏光が素早く抜刀して叩き落すと共に、金属音が鳴り響く。


 間違いなく、針だった。



「裏切り者だと……!」

「北条氏光!北条の御家を豊臣と上杉に売り渡した輩め!死ね!」


 裏切り者と叫びながら飛び掛かる、陣笠・腹巻・打刀の足軽。


 あまりにもありふれたその他大勢の極みのような存在を氏光は顧みる事なく、その後ろから来る攻撃に集中した。

「ぬぐっ…」

 そして氏光がその攻撃こと針を叩き落とした結果針は足軽の小指に刺さり、そのまま足軽は音を立てて倒れこみつつ息を引き取った。



「北条氏のために!」


 だがそんな足軽など知った事かと言わんばかりに、二の矢三の矢が飛んで来る。


 しかも今度は針ではない。


「北条氏のために!」



 完全な、人間だ。


 しかも、身なりこそ足軽だが挙動が足軽のそれではない。


「やはり忍びか!」


 氏光の言葉と共に偽足軽たちは姿を消し、氏光の刀をかすめる一撃を放つ。氏光の配下の兵も対抗するが、受け止める事しかできない。


「いったい何者だ貴様らは!」

「北条氏のために!」

「わしは北条だ!」

「北条氏のために!」


 北条氏のためにと言う以外の言葉を忘れたかのように氏光に向けて襲い掛かる男たちは、もはや隠す必要もないと思ったのか刀だけでなく針や手裏剣まで投げ付け、氏光の配下の兵をも屠りにかかる。氏光も部下の返り血を浴び、敵の血を浴びる。



 小田原の町内での死闘、いや私闘。


「そなたらの求める北条はもう滅んだ!」

「北条氏のために!」

「貴様らはもう北条ではない!ただの謀反人だ!」

「北条氏のために!」

 話すだけ無駄と言う言葉を遠慮なく体現するかのように襲い掛かる男たち。いや女も混ざっているかもしれないが、そんな事を確認する余裕もない。


「う…」


 氏光がわずかに傷を負わされ氏光の配下の兵が重傷を負う中、忍びたちはまったく無傷だった。改めて、これほどまでの存在が残っていた意味が分からない。

「そなたらなぜ今更!」

「北条氏のために!」

「裏切り者は貴様らではないか!」

 その事に気付いた氏光が得たりとばかりに声を張り上げるが、返答は「北条氏のために!」か無言かのどちらかでしかない。


 無回答より性質の悪い絶対拒否の姿勢。氏光ではあらゆる意味でどうにもならない。



「この野郎!」


 その機械的な存在に一撃を加えたのは、駆けつけた一人の町民。


 偽足軽の頭を棒でぶん殴り、顔を赤らめている町民。


「てめえは自分がいいかっこしてえだけだろ!ここの坊やはな、いつもいつも笑みを絶やさねえいい子だったんだよ!今すぐ返しやがれ!」

「そうだそうだ!てめえらは北条家の恥だ!」


 北条氏のためにとしか言わぬままに北条早雲のひ孫に斬り付ける有様はそれこそ内部分裂の果てに滅んだ北条のもっとも醜い部分の具現化であり、領民たちによって見るに堪えない物だった。

 それこそ老若男女、領民たちが誰彼構わず偽足軽、偽北条軍へと襲い掛かる。


「民の愚なるゆえに北条は滅ぶか…!ああ惜しいかな、惜しいかな!」


 もっとも、良心の呵責などに駆られていては忍びなど務まらない。任務のためにのみ心血を注ぎ、決して私情になど走らぬ。


 殺せと言われれば殺すのみ。それこそがあるべき忍びの姿—————。


 ゆえにまったく自分勝手な嘆きの文句を放ち、町人をも手にかけようとする。




 それが役目だから。それが仕事だから。




「うっ……!」




 そんな冷酷非道な仕事は、また別の男により強制終了させられた。


「これ以上無駄な事をするな」


 その男の言葉は、先ほどまでと似たような調子のくせにずっと重たく、そしてなぜか暖かかった。

 言った本人だけは認めたくないだろうが、間違いなく暖かみを持っていたし多くの人間は感じ取れていた。







 —————「風魔小太郎」の言葉に。

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