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梁上の君子・石川五右衛門  作者: ウィザード・T
第八章 三増峠に思いのたけを
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徳川家康の失意

「真面目に物を言え!」


 本多正信謀反ゆえに誅殺とか言う話を聞かされた家康は、当然ながら罵声を上げた。


 何を考えているのか。彼にそんな事をする理由があるのか。


「平八郎を呼べ!なぜ弥八郎がわしを裏切る理由がある!一から説明させよ!」

「はい」


 自分なりに目一杯の音量で怒鳴りつけたのに、たわけ切った事を抜かした男は眉一つ動かさない。小者にしてはあまりにも肝が据わっており、斬るならば斬れと言わんばかりに家康をにらみつけていた。


「おい待て、正純はどうした」

「城の見取り図をばらまいた実行犯として処断しました」

「証拠はあるのか!」

「そのような事をそれがしに申されましてもできかねます。ただ」

「ただ何だ!」

「…関白様が欲しがっているとかお聞きしましたが」


 家康に足蹴にされてもちっとも動揺せず、まるで藁か砂粒が落ちたかのように言葉を並べるその有様と来たら、まるでこの結果を恥じていないのが見え見えだった。例えこの場で首を飛ばしてやっても痛いとすら言わないまま自分の意志を通せたと喜んで死ぬだろう。

 自分で育てたも同然とは言え主のために命を平気で散らすような人間がこうして実際に「敵」となると、ここまで恐ろしい物か。


 家康は自分も小とは言え大名の息子のくせに、武士を改めて恐れた。







「何の御用でしょうか」

「馬鹿者が、とっとと座れ」


 ほどなくしてやって来た忠勝に向けて心底から軽蔑の念を込めて吐き捨ててやったが、忠勝はちっとも動揺しない。それどころか大久保彦左衛門や井伊直政まで付いて来ており、家康はいつの間にか三河武士に囲まれていた。

「で、なぜ正信を殺めた?零から説明してもらおうか」

「謀反の疑いがあったればこそにございます」

「その話はとっくに聞いた、だから正信になぜそんな事をする理由があったのかと聞いているのだ」

「お館様が禄高を寄越さないからでございます。石田治部殿が八万石、福島殿が十二万石でございます。

 一方徳川にてこの井伊直政は五万石、本多正信は三千石。不満を抱かぬはずがございませぬ」

 忠勝は全く自信満々だった。天下人の豊臣家が文官の筆頭的存在にほぼ同じ年の武官で親族である存在の三分の二の石高を与えているのに、徳川では十五分の一以下しかもらえていない。そんな扱いを受ければ、主に不満を抱き離反するのは全く自然だと言うのが理屈だ。

「それならば暇を求めればいいだけだろう!」

「それでは関白様が買ってくれますまい。手土産が必要なのでございます」

「それが城の見取り図だとでも言うのか!」

「いかにも。息子ともども尾張の長尾殿に接触を図っていたと言う書状もございます。こちらを」

「言い訳ならばもう少しまともな事を言え!」

 長尾とは長尾一勝の事であり、福島正則の家臣である。伊予にいるはずの正則の家臣がなぜ尾張にいるのかと言う話であり家康のさらなる激高はお説ごもっともだが、忠勝は相変わらず動じない。


「実は関白殿下が織田侍従様を岐阜に移し清州に福島殿を移封させると言う話がありましてな、それを言い出したのが北政所様であるとも」

「それと正信と何の関係がある」

「福島殿は今治にいた時から倍近くの石高を得る事となります。そんな旭日の如き勢いを持った存在に乗っからぬ理由などありますまい」

「そんな事をどうして知っている」

「言うまでもありますまい、半蔵殿です。それに関白殿下も北政所様も、やたらと秘匿なさるお方ではございませぬので」

 そしてこれは本当だった。

 織田信雄が失政により改易されてから織田家の名目的当主及び清須城城主は信長の弟の織田信包となっていたが、つい先ごろ信長の孫である織田侍従こと織田秀信に移っている。それでも秀信は十一歳であり実権などなかったが、その秀信を織田家の故郷とでも言うべき清須から引きはがすのはいくら行き先が信長が作ったも同然の岐阜とは言えなかなかに過酷だった。

 だが加藤清正が肥後で二十万石を取っている以上福島正則にも同じぐらいの石高をとなるのはさほど不自然ではない。そして岐阜城は池田輝政の城でありその輝政が武蔵に入る以上誰を入れても秀吉の勝手だ。


「それで何か、弥八郎が福島を通じて豊臣家にでも鞍替えすると言いたいのか!」

「いかにも。そしてそうなれば徳川はもはや二度と立ち直れなくなります。また単純に二人も家臣を豊臣家に差し出した意気地なしと謗られます!」

「それが理由か?すべて言い終わったのか」

「ええ」

「で、責任者としてここで死ぬ覚悟はできているな」

「いかにも」


 忠勝の言い訳を聞き終わったと判断した家康は目一杯冷たく言葉を吐き出すが、忠勝以下誰も動じない。本当に刀を抜いて突き付けてやっても誰も動揺せず、かろうじて一人の口からため息がこぼれただけだった。

「彦左!」

「あの時は本当に辛ろうございました。あんな謀反人を騙すためとは言え心にもないおべんちゃらを吐き出す自分が嫌になり、拙者が責任を被って自害して治めようと平八郎様に進言いたしました」

「忠世はどうした」

「ついさっき殴っておきました」

 そのため息の主である彦左衛門の口から出た言葉は完全な絶縁宣言であり、ある種の特攻宣言である。この時忠世は家康に彦左衛門の勘当を告げる使者を送っていたが、間に合わなかった。そして忠世は弟の忠佐と息子の忠隣と共に忠勝一派であった鳥居元忠に軟禁されており、正信親子のために動く事などできなかった。



「では最初からなぜ言わなかった!それだけの不満があるならば!」

「では伯耆守でも呼び戻させますか!」

 そして当然ながら思い付くべき不満に対し、忠勝はまったく頓珍漢な事を言い出した。だが誰も突っ込む気配はなく、むしろ家康の方がおかしいような空気になっている。

「何を言っておる!弥八郎をやるから伯耆守を呼び戻せとでも言うべきだったとでも言うのか!」

「ええそうです、お館様は石川と言う名に相当に恋焦がれておいでですからな!」




 完全に不貞腐れたような言い草なはずなのに、忠勝の言葉はこの場を支配していた。




「そなたは何か悪い物でも食べたのか!」

「いえ、お館様はどうしてもあの石川が好きで好きでたまらぬようですからな」

「好き嫌いで政をしては国が壊れるわ!」

「好き嫌いではなく利益と害悪の話です。お館様はあの大泥棒が跳梁跋扈している方が天下に好都合であるとお考えのようですが」

「石川……五右衛門……?」



 そして家康はその名前を口にすると共に、まったく動けなくなった。



「お館様。我々はこれよりあの世の中の害悪を排除するために動きます。そのためならばこの国全ての人間が味方となってくれましょう。何事もご案じめさるな」

「……………………」

「まさかとは思いますがあの正信に吹き込まれているのですか、あれを生かしておいた方がいいと」

「冗談はよせ」


 ようやく口を開いた家康だったが、力は全く失われていた。もはや何を言う気もしなさそうに刀をしまう事さえせず、力なく座り込むのがやっとだった。


「半蔵殿。殿は少しばかりお疲れのようだ。事成れるまでの間しばらく休ませてやってくれ」

「御意…」


 その言葉と共に半蔵は家康の手から刀を奪い、そのまま寝所に運び込んで横にした。

 そしてその傍には、平岩親吉が付き従う事となったのである。

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