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梁上の君子・石川五右衛門  作者: ウィザード・T
第七章 徳川家康の失策
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本多正信、服部半蔵を処断せんとする

 六月六日。


 浜松城のとある屋敷に、大勢の兵がいた。


「彦左衛門殿。厚く御礼申し上げまする」

「ああ。このような役目は兄上にはできませぬからな!」


 その屋敷の主である本多正信、一枚の紙に向けて視線を落としていた男に深く頭を下げているのは、大久保彦左衛門だった。


「しかしご子息様は」

「せがれは岡崎におります。これより数多のお客様が参りますので」

「丹羽に、堀に、池田に、蒲生……ああ堀は既におりましたな」

 徳川家の眼前の問題は、次々と関東に向けてやって来る織田家臣団だった。堀秀治は元から関東にいたからともかく、後の三家はそれこそ近畿からの大移動となる。その大名たちのもてなしをするのは徳川家の役目であり、あるいは先の加増もそのためではなかったとか言う話まで持ち上がっていた。

「でもそれを強いられるのは蘆名も同じですがな」

「あの蘆名政宗も結局はご機嫌取りをせねばならぬと言う事です」

 正信は柄にもなく笑った。正信自身、酒井忠次を殺めた《《伊達》》政宗に対する恨みつらみもあったし、少しばかり痛い目にあってもらいたかった。あとすべての処理が終わり次第金沢へと戻って来させられる前田利家についても相当なもてなしが必要だろうし、それだけでも蘆名家の疲弊は半端ではないはずだ。

「独眼竜とか気取った所で結局はただの人。石高にして我々の数分の一の規模の存在」

「身の程知らずと言う物ですな」


 彦左衛門は高笑いした。正信とは全く桁の違う声量であり、まるで人間としての出来と言うか軸が違っていた。


「彦左衛門殿、我々はこれより…」

「わかっております。あまり湿っぽいのはよくありませんからな」







 ——————————服部半蔵正成を斬らねばならない。

 長男の正就にも処分を下さざるを得ない。とりあえず蟄居、その上で強引に出家させるか、最悪切腹。少なくとも次期当主の座など与えない。

 で服部家当主は正就の弟の正重とするが、まだ十一歳であることを理由に家康が預かりとする。


 言うまでもなく小田原城における私闘への処分であり、徳川家内としてのけじめでもあった。


(関白や北政所に万一の事あらばそれこそ徳川家どころかこの国全てが大混乱に陥るぞ……それこそ百年以上の戦乱は何だったんだとなる……)

 しかもよりにもよって、秀吉たちが茶会をしていたすぐ側で。

 秀吉暗殺をたくらんでいたと言われてもびた一文言い返せない。万が一そんな事になればまともな跡目のいない豊臣家は相続争いで揉めてしまい、また戦乱の世が戻って来てしまう。言うまでもなくその責任者の徳川家は真っ先に標的にされ、草木一本も残らないほどにむしり取られるだろう。


 正信がその事を聞かされた時は本当に血の気が引き、そのまま死んでしまうかと思い正純に遺言を書こうとしていたほどだった。

 

 その実際の介錯役としてまだ若い大久保彦左衛門が選ばれたと聞いた時には、少し安堵もした。本来ならば処分を伝えてから数日間を置くものだが、此度はあまりにも時が急を要している。それこそ抜き打ちそのものであり、下手な事を言えば抵抗か逃走されかねない。しかも相手は服部半蔵、生半な武芸者では太刀打ちできない。

 若輩ながら優秀な武芸者である彦左衛門の存在は正直頼もしかった。







「少しでも抗命の素振りあらば」

「わかっております。少しでも功績者にふさわしい最期を!」

「頼もしゅうございますな」


 本多正信が悪いで済むならばそれでいい。


 その程度には正信は三河武士であった。







「半蔵殿に申し上げるべき儀あり!すぐさまここを通されよ!」

「本多様…」

「どけ!」


 半蔵の屋敷に着いた正信に対し門番はいささか渋る様子を見せるも、彦左衛門の叱責で道を開けた。門番の両目に宿る敵意にも構う事なく、正信は大股で歩く。その有様にはいつもの弱弱しさはかけらもなく、まるで一国の太守のように兵を引き連れていた。

 別に威張り散らす気はないがそれでも威を示すためにいかめしく飾り立てた兵たちを率い、目当ての存在の下へと歩く。


「どうぞ」

「ああわかった」


 武装を解かず刀も外さないまま土足で踏み入る兵たちを前にして服部家の家人たちは何も言わず、じっと頭を垂れている。


「半蔵殿!」


 そしてその勢いのまま、正信はふすまを全力で開けた。館が揺れそうなほどに全力を込めた一撃が消えると同時に、また別の存在が消えた。







「え…」







 その一文字が、本多正信が発した最期の言葉だった。



 正信の体が動く事は、全くなかった。

 首だけが転げ落ち、その表情に痛みの色はなかった。


 血潮だけが半蔵がいたはずの座布団と床を濡らし、そのまま倒れこんだ。







「書状は既に取れておりますぞ」

「了解…」


 正信落命を確認するや、大久保彦左衛門は満面の笑顔で頭を下げた。


「今頃正信めの小倅は岡崎にて平八郎様に捕縛されているか斬られているかのどちらかでしょうな。あれも父親同様小ずるいだけが取り柄の男ですからな、と言うかあんなのがいなくても我々はここまで策を立てられるのです、ああせいせいしました!」


 大久保彦左衛門、一世一代の大仕事。


 そんな功績を上げた気分になっていた彦左衛門には、もう怖い物など何もなかった。


「このままではこの国はあの泥棒に何もかも乗っ取られてしまいます!その事をはっきりと世に知らしめるべく、我々が動かねばならぬのです!」

「うむ……」


 自身に満ち溢れた彦左衛門の演説に耳を貸さない人間など、ここにはいない。




 言うまでもないがここにいた「本多軍」は全て大久保彦左衛門や本多忠勝の息のかかった連中であり、装備もすべて忠勝が整えていた。


 この時正信の子の正純も彦左衛門が言った通り本多忠勝により斬られており、二人の弟の内下の方だけ許されたが他の者はすべて斬られた。



「ゆうなるを 笑いて石を 投げ付けて 五行守りて とくこそはなし」


 

 忠勝はこんな歌を正純たちの死骸に投げ付けた。


 「ゆう」が「言う」でも「憂」でもなく「勇」である事は明白であり、勇敢なる自分を笑い飛ばし石を投げつけ、五行と言う古めかしい思想を守って何の得があると言うのか—————と言うだけではない。




「石を投げて」はつまり「投石」であり、「盗跖とうせき」である。




 盗跖は荘子において孔丘(孔子)をも論破した大盗賊とされ、それこそ盗賊と言う世界で言えば最高峰の存在であった。

 そんな「とうせき」なる文字を突っ込み挙句「五」などと入れていると言うのは、それこそ「石川五右衛門」の意味でしかない。


 五右衛門などと言う盗賊を守っているなどあまりにもおかしい。それでは「徳」川がなくなってしまうではないか—————。


 


「平八郎様は御家のため、世のために立ち上がられたのだ。この世から悪しき物を排するために。半蔵様」

「ああ、既に謀反の証拠も押さえている……心苦しくはあるが致し方なき事よ……」

「一応説いたのですか」

「ああ一応な。だがならぬならぬしか申さず、その上此度の行いだ……我が身は惜しくないが徳川は惜しい…………」


 半蔵と大久保彦左衛門や本多忠勝がここまで結んでいたなど、正信も家康もわかっていなかった。


 半蔵も忠勝も、徳川の敵と見ればためらいなく殺せる男だった。




 そう、徳川の敵だと思えば、である。

またこの展開かよと言わないでください……。

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