福島正則の野望
「尾張か……」
浜松城の事件から十日ほど前の五月下旬、今治に戻ろうとしていた福島正則は大坂城で秀吉と北政所に呼び止められ、今治から清須への入封を命じられた。
尾張は確かに正則の故郷だし十一万五千石相当から二十万石への加増も嬉しかったが、あまりにも急な判断に戸惑いも大きかった。ちなみに清正はとっくに肥後に入っており、相談できそうな相手もいなかった。
「今治はどうなる」
「既に多くの家臣が大坂へと向かっております。長尾様などは既に尾張に入られておいでとか」
「ったく今治にいたのもたったの三年か、あそこはあそこでいいとこだけどな……」
清正が九州まで行った以上、西国に行かされるのに不満はなかった。ほとんど槍一本で成り上がったような三十歳の男に当然譜代の家臣もなく、ついでに配下にしていたような在地の領主もいなかったのである意味気楽ではあった。
「とは言えこのままならばおそらくこれ以上の加増はないでしょう。関白殿下様は朝鮮出兵を諦められたらしいですから」
「朝鮮か……そんな遠くまで戦をして何をする気なのだろうな。もし関白殿下が十個若ければやったかもしれぬだろうが……」
「それもまた、石川五右衛門のせいではないかとささやかれておりますが」
「あの男が何をしたいのかよくわからぬ。なぜ関白殿下があの男のせいで諦めたのか、わしにはちっともわからぬのだ」
それでもどうしても、石川五右衛門と言う名前がこびりつく。たかが一人の泥棒が何をできると言うのか。
まさか石田三成を殺したからか。
(あんな奴…)
その思いは消えない。
だが秀吉様にとってはあれでも大事な家臣であり、自分と同じぐらい大事な存在だった。その存在の喪失でこれからの治世に不安を覚え、朝鮮出兵などと言う事をしている暇などなくなったと言うのか。
「それから話は変わりますが、加藤様にも加増されるとか」
「ふむふむ」
「なんでも相当大事な任務を任せられるそうで、それが朝鮮出兵の代わりになるとか」
「外征に匹敵するほどの任務だと?」
「何でも南蛮に我が国の力を示すためとか」
「出兵をせずに力を示せると……?」
正則には秀吉がわからなくなった。
宣教師や貿易商人たちにより、この国がどんな歴史をたどって来たかはある程度知られている。それこそ百年単位で戦を繰り広げ、事実上の無政府状態にあった混沌を極めたような国である事も。だがそれは話を聞く限りどこでも同じであり、早いか遅いかの違いでしかない。
「唐土だって幾たびも戦乱があったのだろう」
「そうです、唐土です」
正則が唐土の名前を出すと、家臣は得たりとばかりに右手の拳を左手に打ち付けた。
「朝鮮に手を出せば唐土の、えっと明が動くと言うのか」
「それもあります」
「だから出兵はうまく行かぬと」
「いえ、おそらく唐土も南蛮に狙われると関白殿下……いや三河少将様は見ておられます」
「唐土、も!?」
福島正則は、世間的に言われるほど頭の悪い人間ではない。
ただ豊臣家への忠誠心と、自分が何とかせねばならぬと言う背負いこみが強すぎるだけの人間だ。
そうなる理由が自分が秀吉の従兄弟であるからだとは全く自認しておらず、ただ純粋に忠義心を発露しているからにすぎない。そして三成が血統以外本質的には自分と同じ人間だとは、全く気付く由もなかった。
「なればこそ三河殿、いや三河様は…………」
「北政所様の仰せのままにいたしましょう」
正則は家臣に言われるまま、黙ってうなずくより他なかった。
※※※※※※
「津野親忠に領国を与えると?」
それから数日、今治から移動して来た家臣を大坂で出迎えていた正則の耳にそんな報告が入っていた。旧正則領である今治に入るのは、長宗我部元親の三男の津野親忠だと言うのだ。確かに親忠は秀吉の人質でありある意味秀吉の紐付きだが、現在の土佐一国の主にして長宗我部家の当主は四男の盛親であり、これははっきり言って長宗我部家に対する秀吉の懺悔でしかない。
「その代わりに久武親直を寄越せと言うなどなおさらです」
「久武か……相当に評判が悪いらしいな」
「関白殿下は相当に弱っているのでしょうか」
「いや、単にもう長宗我部を恐れていないだけだろう。あるいは…」
「あるいは?」
「単に期待しているだけなのかもしれぬ」
期待。それが何の期待なのか、正則はわかっている。
だが土佐一国十万石、いや二十万石と自分の今治十一万五千石だけでは示威行為には程遠い。何らかの手をさらに打たねばならないだろうが、それが何なのかまで正則にはわからない。
「そこまでして長宗我部を太らせたいのは、明らかに西だ。だが九州には吉兵衛や虎之助、そうでなくとも大友や島津や鍋島ぐらいしかいない」
「やはりより西……いや南ですか」
「そうだ」
黒田長政や加藤清正が豊臣家に逆らうとは考えにくいし、鍋島直茂に野心などないし大友家は当主の器量からして問題外に近く、問題があるとすれば島津ぐらいだった。だがその島津とてわざわざ他の御家を脅かす道理は弱い。
「とにかくだ、関白殿下は三河少将様にかなり信頼を寄せている。棄丸様のお守り、いやそれ以上の存在を任せられるかもしれぬ」
「宇喜多様は」
「あのお方も真面目で悪いお方ではない。だが主役になれるかどうかわからぬ。と言うか、俺が聞く宇喜多直家のご子息様とは思えぬ」
宇喜多直家が備前美作の大名になるためにそれこそ何でもやって来た事は正則とて知っているが、正則が見て来た自分より十一歳下の秀家は文字通りの良家の子女で良くも悪くもと言う枕詞付きながらおよそ父親の素質を受け継いでいない。平穏時ならばそれでいいが、乱世となると不安が残る。
「それにどうも個人的に馬が合わぬ。三河少将様は好きだがな」
とか考えてはみるが、正則自身あまり秀家を好いておらず秀康に好印象を抱いていたのも事実だった。好き嫌いで反応するのは危険だが、なぜか逆らう気がしない。
秀康が何かをやろうとしている。
朝鮮出兵ほどではないが、この国を揺るがしおそらく他の国にも影響を与えようとしている何かを。さすがに秀吉様の意志優先ではあるが、その次ぐらいには大事にできるつもりだった。
そんな風に主とその主を支えんとする存在を思う正則の頭から、戦の文字は消えかかっていた。




