証拠を掴まれた家康
天正十八年六月二日。
あの本能寺の変からちょうど八年後の日。
駿府城の大広間は重たい空気に包まれていた。
「その方らに見せたき物がある!」
諸将を前にして家康の上げた怒声は、どこか歪んでいた。
家康の真後ろでは本多正信が相変わらずのすまし顔ながら全身を軽く震わせており、こちらの方が怒気は強かった。
「どうなさったのです」
「あの蘆名政宗がだ!届け物があるとか言って書状を寄越して来たのだ!これを見ろ!」
わざとらしく間抜けな声を上げた直政に対し、家康は床にその届け物を叩き付けた。
「手裏剣……」
「わしに皆まで言わせたいのか!平八郎、小平太、万千代!わかったらどうすべきか、述べよ!」
忠勝、康政、直政を幼名で呼び捨てにする家康だったが、三人ともちっともひるまない。本来ならばひっとか言う声が出てしかるべきだったが、下手に戦場慣れしているせいか耐性ができてしまっていた。ひるんだのは酒井家次と大久保忠隣ぐらいであり、忠隣の父叔父である大久保兄弟はここにはいなかった。
「その、本当に意味が分かりませぬ…」
「万千代、この手裏剣に何の意味があるのだ?」
「蘆名がなぜまたこんな真似をしたのですか?」
で、その三人の返答がこんなだったから、家康は顔を赤くして扇子の持ち手を床に叩き付けた。だがそれでも三人ともひるまず、家次と忠隣ばかりが顔を歪めたのみだった。
「弥八郎!」
「はい」
家康に促された正信は書状を受け取り、三人を含む出席者に書状を見せつけた。
「一皿で 足りぬとばかり 続き求め 明日の糧をも かすみ取るかな————」
——————三十一文字。正確には字余りで三十二文字だが、気持ちを伝えるには十分だった。
一皿で足りずその続き——つまりおかわりを求めるのはあまりにも貪欲であり、そのために明日の食糧すら食い荒らすと言うのかと書くだけでも十分に嘲笑だが、それ以上に「次の皿」の「続き」と言うのが問題だった。
次と皿、つまり「盗」。
それに「続く」と言うか「ぞく」。
紛れもなく、石川五右衛門だ。
「その上にかすみ取ると来ている。かすめ取るではなく、だ!」
かすみ取るなんて言う動詞はない。明日の食糧を追い求め「霞」すら取ると言う卑しさを揶揄しているのだろうが、それ以上の意味があるのは明白だった。
「霞を食べるとか言うのはそれこそ仙人のような存在だ、坊主とも桁の違う、俗人から一番遠い存在だ!」
家康が正信に続くように怒鳴る。
それこそまともな時代で言う所の売僧や破戒僧が溢れ返っている乱世である上に秀吉と言う俗人中の俗人が天下を握った以上、仙人などと言うのはそれこそ伝説を通り越した半ば架空の存在であり、絵物語の産物だった。もちろん徳川家の中にいるわけがないし、いたとしても絶対に感知などできない。自ら仙人などと言い出すのはほとんど詐欺師でありでないとしてもせいぜい奇術師であり、他人から仙人などと言われるのは腕利きの奇術師か忍びだ。
「平たく言えば石川五右衛門など追いかけるなと」
「そうだな。石川五右衛門は元より徳川に害意などない。好き勝手に動き回っているだけの存在だ。そんなのなど捨て置け」
————————————————————石川五右衛門などと言う存在を捕まえるのは霞を取るのに匹敵するお話であり、やるだけ無駄。
そうはっきりと、家康は言い切ったのだ。
「ですが」
「くどいわ!」
「もし徳川の領国を犯せば!」
「その時は好きにせよ。だがわざわざ殺しに行く事はまかりならぬ。それに今相模や武蔵にいるなど誰が断言できる?今頃は甲州や最悪陸奥にいてもおかしくないぞ。五右衛門とはそういう生き物だ、恩も仇も関係ない。政宗でさえも道具としか思っておらん。わかったな」
食い下がる忠勝に家康は改めて言い聞かせる。
あくまでも迎撃だけ。
決して積極的に殺そうとしてはならぬ。
「それでだ平八郎、しばらく上州への赴任は待ってもらいたい。東海道も中山道もしばらくは諸将の領地替えのための移動に使われるからな。おそらくは八月か九月ぐらいになってしまうであろうがどうか容赦してもらいたい。万千代、その方もまたしかりとなるが」
「はっ」
「ありがたき言葉だ。では心得ておいてくれ。では散会とする」
言うべきことは言ったと思った家康はゆっくりと腰を上げ、大広間を出た。無論後には本多正信が付き従い、呼び集められた諸将も腰を浮かした。
(どうなるのだ……)
本多忠勝は内心頭を抱えたくなった。
自分とて忍びに詳しい訳ではないが、手裏剣の意味は分かる。
あれは紛れもなく、服部半蔵の物だ。
どこかで蘆名政宗は半蔵の手裏剣を手に入れ、今日こうして送り付けて来たのだ。
入手できるとすれば、小田原でしかない。
あの時半蔵は——————————!
「本多殿」
「直政……」
「このままでは徳川はどうなるのでしょうか」
「どうにもなるまい!どうにもなるまい……!」
直政に話しかけられた上で必死に抵抗してみるが、楽観的な見通しなどない。
トカゲの尻尾切りでもないだろうが、これ以上問い詰められるならば責任者に何らかの処罰を下さない訳にはいかない。
責任者に。
「なあ直政……」
「何でしょうか」
「その方は岡崎三郎様の事を知っているか」
「さほどは」
「あの時我々は、どれほどまでに右府公を恨んだか……」
十一年前。
織田信長は家康の長男・岡崎三郎こと信康に対し武田家と組んで謀反の疑いありとけん責して来た。
築山殿はともかく信康にはそんな事をする理由などびた一文なかったはずだが、少しでもひるめば徳川そのものが織田によって粉微塵にされる事がわかっていた以上、家康はその命令を呑むしかなかった。
「まさか織田権中納言卿が失脚した事について」
「溜飲が下がらなかったとは言わん。だがな、その時はまだ右府公や武田を恨む事で少しは気持ちのやり場もあった…………」
まだ二十一歳の、才気煥発な家康の長男がなぜこんな死に方をしなければならないのか。理不尽な死に忠勝はやりきれない気持ちを抱え込み、実際に信康を斬った酒井忠次もまたこの事をずっと悔やんでいた。横浜にて無謀とも言える戦いぶりで討ち死にしたのもそれゆえかもしれないとも忠勝は思っていた。
「ですが此度の場合関白は我々を責めますまい」
「だが政宗の行いは明らかにこの徳川への牽制だ。その気になればいつでも徳川など潰せると言う宣戦布告だ」
小田原の時には既に政宗と北条氏照は秀吉に降伏しており、半蔵が《《豊臣家家臣である北条氏照の配下となっていた風魔小太郎》》に喧嘩を売ったのはまったく私闘でしかない。石川五右衛門と言う存在など、証明できるはずもない。
「と言う事は……」
「…………今しかない」
本多忠勝の顔は、まるで戦場の時の様になっていた。
文字通り、戦に赴こうとする人間の顔。
その顔は、あまりにも生き生きとしていた。




