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梁上の君子・石川五右衛門  作者: ウィザード・T
第七章 徳川家康の失策
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佐野氏忠の真相

 天正十七(1589)から今年(天正十八年)の下野の国の民は、常に不安にさいなまれていた。


 戦乱の世の中で不安も何もないが、それでもあまりにも急激すぎた。



 佐野氏忠の憤死。「伊達政宗」による突然の攻撃。それらを誘発したと言える突発的な一揆と言うか内乱。

 三番目については自分たちが首謀者であるくせにどうしてこうなったのだと日々脅えており、その分だけ新たな主である政宗への依存性を高めた。

 そしてその北条家から領土を奪った政宗が北条の味方になって大きな戦果を挙げたと思いきや蘆名政宗と名乗って秀吉の味方になると言い出し、その流れのまま北条本家そのものが滅んだ。何を信じたらいいのやら状態である。

 しかも今度下野に来るのは堀秀治とか言うまだ十六歳の男で、しかも織田家の重臣らしい——————————。



「おかしい……」


 誰だってそうも言いたくなる。長年佐野氏の支配下にあった下野が北条の支配下に落ちたのは四年前だが、その時から当主候補であったはずの佐野房綱が佐竹家から当主を迎え入れる事を提案していたように佐野氏忠の当主就任にはさほど問題はなかったはずだ。いくら房綱が反北条であったとしても庶民には良い政治をしてくれる為政者が第一であり当主の御家の出など二の次だった。それだけに佐野(北条)→伊達(蘆名)→堀(織田)と当主が変わりまくるのは不安でしかない。

 

「聞いたかお前、今度来る殿様を」

「ああ、堀様って言うお人らしいな。お前なんか知ってるのか」

「ちっとだけ知ってる、あの関白様の部下だってよ」

「関白様の、かあ……なんかすごそうだな」

 生まれ育った村がほぼすべての世界である農民からしてみれば、摂政関白など遠い遠い存在でしかない。尾張ですら遠い国であり、基本的に佐野、あるいは北条・佐竹・上杉・蘆名、あとせいぜいが伊達ぐらいしか大名様もいない。武田討伐の際に出て来たはずなのに織田信長の存在さえも知らないような村人も多くいた。

 だがそれとひきかえと言うべきか、関白と言う古臭い権威は生きていた。伊達や佐竹、南部も守護大名であるように下剋上の流れは乏しく、せいぜいが津軽為信のどさくさ紛れな小田原参陣により南部家が一部領国を失っただけである。


「でも関白様って言うけどさ、何でも今度の関白様はサルそっくりだとか」

「マジかよ、でもさ、関白様なんて何十人もいるんだろ?一人ぐらいそういうのがいてもおかしくねえんじゃねえか?」

「それはそうだけどさ、でも元々俺らと同じ農民でそれでいろいろ汚ねえ手を使って関白になったんだぞ?ずりいと思わねえのか?」

「思うけどさ、どうしろって言うんだよ」

「そんな奴の手先になっていいのかって話だよ」

「様子を見るぐらいの事はするけどな」


 だがおかしいと思った所で、行動するだけの気力など下野の農民にはない。ただでさえ情勢の変化に振り回されまくっているのにさらに動こうなど無理があったし、さらに言えば目的もなかった。

「まあな、万一の時は俺たちの手でお殿様とやらに物申してやんなきゃな」

「そうだな」

 秀吉の悪口をぼやいた農民は相手からいざという時の了解を得るとどこかへと歩き出し、そのまま彼らの前から姿を消した。


(厭戦気分がこの層にも蔓延しているとは……兵農分離とか言うがこんな唯々諾々と従うような人間ばかりでは統治者もやりやすかろうな……)




 農民たちは知らない。知る由もない。




 その「農民」が、上野との国境にある小さな山村に向けて消えて行った事を。

 彼らが、十数名の仲間と共に人目を避けている事を。


「どうした」

「てんで駄目だ。農民たちはすっかり飼い慣らされている。唐沢山周辺のみならず、今や国境の人間さえも北条や佐野への忠誠心はなくなっている」

「大半の連中が死ぬか、佐竹か真田か上杉の飯を食っているか、せいぜい武蔵に逃げているかだろうな」

「それで死んでおればともかく今や蘆名にひざを折っているかさもなくば織田の家臣にへこへこせんとしているのだろうな!」

「真田も上杉も文句の一つも言わないのか……!」


 百姓の姿をしたまま薄汚れた袴を纏った男たちに向かってため口で不満をぶちまける男とその仲間と思しき者たちの言葉は、極めて他責的だった。


 佐野氏忠の死に伴い下野に入り込んだ「伊達」政宗は、各地の一揆や反乱を制圧せんとしていた諸将を次々と救援し、その気のある者は取り込みそうでない者は殺していた。だから佐竹や真田、上杉と言った他家に走れたのは帰農できないようなごくわずかな平侍であり、そんな人間が何か言った所でどうにもならない。


「しかしそれにしても、こんな数で何ができると言うのか……」

「あまりにも不自然だ。左衛門佐(氏忠)様率いる軍勢である我々がどうして皆苦戦ばかりしたのか、唐沢山内での騒乱に対応できなかったのか、伊達政宗の入城を許したのか!」

「どこで聞いても同じだ、あまりにも敵の用意が良すぎた、と!」


 あまりにも準備が出来すぎていた、佐野遺臣の意見はそれで一致していた。

 実際兵たちの反乱だけではなく農民一揆さえも統率者から装備までしっかりと決まっており、何者かがあらかじめ策でも授けたかのように統率が取れていた。一気に押し潰す事ができない間に伊達軍が下野に入り、さらに武蔵や上野の北条軍の救援も間に合わなかった。一応わずかな時間の間に自分たちのように身の安全だけは確保できた存在もいたが、それこそ希少種である。



「えっと、散々考えていたのですが……」

「口にしてくれ」


 こんな上も下もない絶望的な状況の中で、車座から弾かれていたような男が体を起こしながら口を開く。実際元々足軽でありここにいる中では最低級の身分だが、もはやそんな事を言うほど余裕のある人間はここにはいない。


「この一件は全て、石川五右衛門のせいではないかと……」

「五右衛門……?」

「そうだな、確かにそうだな……」


 五右衛門と言う名前が出てこないほどには彼らは世間知らずでもない。だがあまりにも一斉に巻き起こった反逆とその用意周到さから、五右衛門一人では無理だろうと言う意見が多数を占めていた。さらに言えばたかが盗人の五右衛門に佐野家を壊す理由が見つからず、その可能性は薄れていた。


 だが、その五右衛門が豊臣家や徳川家相手に暴れまわったと言う話を聞くやどんどんと五右衛門がやったと言う話の信憑性が高まり出した。

「左衛門佐様だけではなかった………と言うのか……」

「でもやっぱり小十郎では」

「その可能性も捨てきれんが、やはり五右衛門の方が有力だな。」

 もっとも当初から氏忠《《殺害》》犯については五右衛門ではないかと言う当たりは付けていたが、あまりにも大規模すぎて個人の限界を越えている事もありその可能性を考慮していなかった。だからこそ伊達の中での策士と言われる片倉小十郎に当たりを付けていたし仕掛け人であると言う情報も入って来ていたからその方向で行く気だったが、入って来る小十郎の挙動があまりにも不自然すぎて整合性が取れなくなって来ていた。

 

「ではその石川五右衛門は」

「それなんだがそれがしに案がございます」

「わかった、近う寄れ」


 そして五右衛門が張本人だと言い出した元足軽が車座の中央に入り、これからの自分たちの方針の案を述べた。




 五右衛門を討ち、佐野家の無念を晴らすための案を。










 ————そしてこの時、もう一人下野動乱の仕掛け人が五右衛門であると気づいていた人物がいた。




「……やはり、か……」




 徳川家家臣、本多正信である。

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